本当に、久しぶりに実家に戻ってきました。
また戻ってつくづく今回も、家は遠い存在だと感じてしまう初日。
2泊3日にしておいて良かった。。。と心の中で思う私。
父に言わせれば、おばあさんも自分達も創価学会。 その子供である私はサラブレッド的存在らしい。
なんたって守られているのだからありがたい、というが。。。。
私からみれば彼らは洗脳されているとしか思えない。
「御本尊に向かって題目を唱えれば必ず幸せになる。 皆幸せになったのは父さん母さんが題目を唱えたからだ。。。。」
「創価学会の人達は御本尊に守られている。」
「御本尊を信じなければ幸せになれない。」
「池田先生が世界平和に一番貢献して世界中の人が創価学会を知っている。」
何か話せば必ず、話しの内容が創価学会の話しに切り替わる。
勧誘の仕方は「諦めず良い事を話していけば必ず理解される」という魂胆なのだろうけど、
私には通用しない。
私が「創価学会で無くても幸せな人は沢山いる。」と言うと、
「父さんはお前が幸せになって欲しいから御本尊に題目を少しでもあげて欲しいんだ。」と。
私はすかさず、「じゃあ、何故、題目をあげない私にも幸せになって欲しいと願わないの?」と言えば、「題目をあげないと幸せにはなれないんだ。」と言う。
幸せって一体なんなんだ?
何かに守られていないと幸せを感じられないなんてとっても不幸と思う私。
守ってもらう為に題目をあげるなんて、お金を渡して保険を買うものと同じでしょ。
それは幸せなのだろうか?
自分が一番幸せや喜びを感じた時は、自分が必要とされていると感じた時、
誰かに喜んでもらえた時、そばに誰かいてくれた時や自分に気をかけてくれた時等々。
父が言うには、
社会が良くなったのも実は公明党のおかげ、
公明党が言い出さなきゃ社会福祉は充実していなかった、
民主党は駄目なんだと「潮」を片手に、TVで有名な人が民主党の政策は国を駄目にすると。。。。 私が「その雑誌は創価学会が発行しているじゃない。」と言えば、 この人は創価学会じゃない、有名な大学教授が言った記事だと。
私が、「じゃあ父さんはどうすれば経済が上手くいくか考えてるの?」と聞けば「農業政策もTPPもどっちもどっちで良い事も悪い事も。。。」と口を濁す。
「民主党が駄目だと言う前に、どうすれば一番良いのか、誰かを批判する前に自分で考えるべきじゃない? みんな誰かが言ったからあいつは駄目だというのがおかしい。 自分でちゃんと調べて研究して意見するべきなんだよ。。。」と。。。。
とにかく、こんな会話の繰り返しで、
一端トイレに立つか、母親が話題を変えないとヒートアップするばかり。
こんな父親でも娘を思う気持ちは感じるのだけど。。
公明党新聞、聖教新聞、大白蓮、潮等々、毎月7千円分以上のお金を出し、これらを読み込んでいる父親。 母は小学校しか出ておらず、それ程目を通していないけど、毎日数時間、御本尊に向かって祈り続けている。
小さい頃から、誰かに甘えたいけど甘えられない私。
弱音をはけば、御本尊の話しが始まる。。。。
つくづく、自分の子供には(いないけど)家は安心できる空間にしたい。。。。
もちろん、今回帰っても、自分が無職とは言わなかった。
年老いた母に心配させるのも嫌だし、
「ちゃんとしなさい、御本尊に祈りなさい」と言われるのも嫌だった。
家に帰る困難。。。。
それでも短い帰郷中、田舎の友達と再会。
昔言えなかった事も全部さらけ出せる仲になり、
夜遅くまで付き合ってくれるうれしさも涙涙。
家は困難でもやっぱり故郷へ帰りたい気持ちになる私でした。。。