こんなタイトルだと毛嫌いする人多いよね。
仏教はいいけど、創価学会と聞くと私も身を引いちゃう。
祖母も両親も創価学会で、両親にとって私は生まれた時から創価学会。でも当の本人は創価学会には一度も魂が傾いた事が無い。
話は昨日の事。
図書館からの帰り道、途中でパンフレットを持ったおじさんに止めらた。
朝晩の勤行参加しませんか?なんて言うので「えっ?」と思った。
ふと見ると『日蓮正宗』と門のところに。
頭の中で「創価学会?」と妄想が走る。
そしたらおじさんが「ここは創価学会とは全く関係ありませんよ。 安心してください。 創価学会は日蓮宗を波紋させられたんですから。 あそこはほんとうにひどいんですよ。 総本山を乗っ取ろうとしたんだから」等々。
ま、創価学会ではないので安心して話を聞く事にした。。。
ところが、話を聞いていると、「日蓮正宗をやれば幸せになれる。」なんていう事を言いだし、聞いているうちに創価学会と同じじゃないとあきれてしまった。
あまりにも聞いていられずとうとう反論の封が切れた。
「それは違います。 どんな宗教でも、宗教をしててもしてなくても幸せになれます。 世界平和も同じです。 お互い違うところをさらけ出し、違うと認め、違いがあっても共存していこうとする事で人は幸せになれるんです。」
そしたら、私は解ってないと言う。
おじさんが言うには、世界はもう危ないので、今こそ、このご本尊の教えが必要だと。
また反論。 危ないのはそうやって自分のところだけが正しいと主張して相手を理解しない心があるからですと。
またおじさんは私がわかってないと言う。
そしてまた反論。
「私は良くわかってます。 間違った教えは『この宗教をすれば幸せになる』と言う事です。 外国で仏教人の人が書いた本を読みましたけど、おじさんの言っているような事は一切言ってません。 おじさんの言っている事は創価学会と全く同じです。 私は創価学会の家系で育ったので良~くわかります。」
なんていったら今度は
「私達は沢山の人を創価学会から救いました」なんて。。。。
「私は既に救われています。 世界がどう平和になるかおじさんより私が良くわかっています。」とまた強烈におじさんに反論。
おじさんそれでもまた私はまだ救われていない。。。などと。
埒が明かない。 とにかく私の仏教の考えとおじさんのとでは全く違う。 私はどんな宗教をやっている人でも幸せになりたいと願う気持ちは同じ。 宗教をやっていない人でもその気持ちは持っている。 でも幸せの実現は信じる事ではないと思います。 お互い違う人と共存していく行動が幸せの実現だと思います。。。。などと言い残して退散。。。
ま、それが平和だよね。 お互い違うところを言い合って、違うと理解して距離を置く。争いを避けてお互い同じ土地で共存していく事なんだよね。 お互い主張し続けて一歩も譲らないと喧嘩になる。 どちらか1人が一歩引く事で大事にならない。 私は一歩引く人の方が賢い人と思うな。