フィリピン人妻が里帰りをしたので本格的にカレーライフへ突入。
市販のカレールウはS&Bゴールデンカレー(中辛)がベスト。
今回は冷凍シーフードミックスで太った中年シーフードカレーを作った。
おお、できた。
冷凍シーフードミックスに入っているホタテのダシが利いてうめぇ。
食後はハーゲンダッツ「クリスピーサンドのキャラメル」、これもうめぇ。
そうそうあと、久しぶりに写真を撮った。
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さて奥さん、カレーライフと小沢問題2本立てブログの太った中年だ。
以下、小沢問題の今回は精神科医斉藤学さんの東京新聞朝刊コラムを2つ転載。
佐藤優の小沢分析と同質で小沢問題の本質に迫る秀逸なものだ。
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検察の狙い
任免に天皇の認証を要するポストを認証官というそうだ。大臣と副大臣もこれに当たるが、彼らは選挙で国民に選ばれている。しかし、検察庁には国民の知らぬところで認証された「天皇直轄」の官吏が検事総長以下十名いる。
今回、検察が政治家・小沢一郎の追い込みを図った動機には、おそらく天皇会見が関与していると思う。中国政府幹部の訪日に際して、小沢氏は「天皇ご自身は必ず、会いましょうとおっしゃると思う」と忖度(そんたく)した。
これらに敏感に反応するのは右翼、右より報道機関、そして検察。特に検察は民主党政権が検事総長ポストを国会承認人事とすることを恐れ「窮鼠(きゅうそ)猫を噛(か)む」心情だろう。一部世論の小沢叩きを好機とみて「小沢汚し」に踏み切ったと思う。
だからこその強引さだ。今回の捜査は小沢氏の収賄や斡旋(あっせん)利得の証拠など狙っていないと思う。狙いは冤罪(えんざい)承知での小沢逮捕、そのものだ。
今や「官報複合体」と称されるようになった 「記者クラブ・マスコミ」は、委細承知で、この「小沢汚し」に加担している。だがホリエモン騒動の時とは違う。新聞も週刊誌も一色に染まってはいない。特に週刊誌では週刊朝日が「検察の狂気」と表紙に大書し、週刊ポストもこれを追った。テレビは「小沢汚し」に夢中だが、電脳空間では「検察に勝ち目なし」が衆論だ。
小沢氏失脚の陰謀
小沢一郎という希有な政治家は仕事もさせてもらえぬまま、葬られようとしている。〈官・報〉癒着世論は彼の失脚をもくろみ、半ば成功した。
何億かの金を持っていることが理由らしいが、その程度の現金(ひも付きでない金)を持てなくさせ、世を動かす力を奪ったのは私たち白身だ。金持ちだろうが貧乏人だろうが、的を射られる人に政権を託したいと思うことは間違いなのか。
結局、火のないところに煙が立つと強弁した検察官僚たちの意図は達成された。これほどの陰謀を企てながら、彼らは免責特権を持ち、顔も見せない。明治初期の太政官布告以来続く「おかみ(官と報)信仰」に対抗軸を立てるという発想自体が、この国の常識に反していたのだとあらためて思い知らされた。
この「常識」はいずれ破棄されるだろうが、そのころの日本は財政破たん国家だろう。
思えば、自民党離脱以降の彼に一筋の希望を託した者は一定いたが、一定数を超えなかった。その一人として私は思うのだが、この政治家は二つの注目すべき持論を隠し持っている。
一つは米国との距離を測り直すこと、他のひとつは象徴天皇制を隠れみのにした官僚支配への問題意識だ。もちろん、彼自身はこれらを語らない。彼は私より一歳年下。次の復権はない。ここを何とか凌いでほしい。
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1年前、小沢問題の端緒となった西松事件大久保秘書逮捕のとき佐藤優氏は「青年将校のような現場検察官の本性が出た」と評し、年明けの石川議員逮捕では鈴木宗男氏が「これは平成の2・26事件だ」と言った。佐藤優、鈴木宗男両氏とも検察、マスコミの被害者であるから「検察クーデター説」は多少オーバーな表現かなと思っていたけれど上記精神科医斉藤学氏のコラムを読めば極めて的確なものであると解せる。検察は天皇直轄の認証官であり天皇の官吏として他の官僚とは違った特権意識が職能の礎となり職責を全うするのである。
検察のアイデンティティーは戦後民主主義、法治国家での法と正義の番人ではなくて戦前の国体を護持する軍部官僚に近いアナクロニズムだ。ヤメ検弁護士で元ヤフーの落合洋司氏は「検察首脳会議というのは、いわゆる「御前会議」というもの。検事総長が天皇陛下のイメージ」、そうツイートしたことからもそれが窺がえる。したがって、西松事件のときは現場検察官だけのクーデターが石川議員逮捕で検察クーデターに発展したのは斉藤学氏が指摘するよう天皇会見が動機になったのだろう。検察は戦前からの天皇の威を借る官僚国家護持のため、天皇に介入した逆賊小沢を抹殺しなければならいと考えているのだ。なんとも怖ろしい。
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小沢抹殺に命を懸ける検察が戦前の特高体質を内在しているのは言うまでもない。
以下、ゲンダイ的考察日記より。
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小沢捜査を斬る!
大阪府枚方市元副市長 小堀隆恒氏
東京地検による小沢捜査の狙いのひとつが、「取り調べの可視化」潰しであったことは言うまでもない。足利事件の菅家さんの告発で高まった検察批判をかわすために検察が仕掛けた小沢捜査でもあるのだ。
だが、今日登場の小堀隆恒氏(63)の実体験を聞けば、検察の取り調べがいかに野蛮で過酷かが分かる。
小堀氏は、大阪府枚方(ひらかた)市の副市長だった。濡れ衣の談合事件で逮捕・起訴に巻き込まれたものの、裁判で無罪判決を勝ち取った人である。
私は小沢事件の真相はよく分からない。しかし、政権交代後の初めての通常国会で、まともな政策論議ができない状態をつくり出すほど、重大な事件なのか。検察は本当に根拠があるのか。最初から「悪い」と決め付け、その筋書き通りに捜査を進めているのではないか。自分の体験を振り返るとそう感じざるを得ません。
3年前の平成19年5月31日の午後6時ごろでした。数人の検事が突然、副市長室に乗り込んで来て「事情を聴きたい」と言われました。当時、市の清掃工場をめぐる談合報道があり、責任者だった私の元にも捜査機関が訪ねて来ることは予想していました。
ただ、単なる事情説明で済むと思っていた。ところが、午後10時ごろに逮捕状が執行されたのです。驚いて「私が何をしたのか」と聞いても、検察は「談合の共犯や」と言うだけ。訳が分からず、一睡もできずに大阪拘置所で夜を明かしたのを覚えています。
翌日朝から取り調べです。私は当時、腎臓がんで右腎を摘出し、前立腺肥大で手術を控えていました。それを検事に告げても無視です。7、8時間ぶっ通しの取り調べが続きました。案の定、排尿障害になり、医務室で処置を受けたのですが、これが乱暴だった、カテーテルを強引に尿管に入れたため。内部が傷つき、血尿が出るようになったのです。検事に訴えると、与えられたのは介護用の紙オムツ。それもたった1枚だった。家族らが代用品を差し入れても手元に届かず、保釈されるまでの約1カ月間、血だらけの紙オムツ1枚を繰り返し乾かして使いました。
不衛生だから当然、尿管などから雑菌が体に入ります。しばらくすると高熱が出て、取り調べ中も頭がボーッとなった。コップ一杯の水も与えられず、便所で手を洗う際に口を湿らせてしのぎました。「生きて出られるのか」。私は強い恐怖を感じましたが、取り調べは容赦なく続きました。
取調室はコンクリートの小さな部屋で、声や物音が響きます。東京地検から応援に来たという大柄の検事はパイプイスを思い切り壁に向かって蹴り付けたり、ドアを思い切り閉めたりして“威嚇”する。大声で私のことを「ごみ野郎、くず野郎」と怒鳴り、「白状しろ。カネはどこに隠したのか」と尋問するのです。こんな調子が深夜まで続くから、ある日、拘置所の近隣住民から「うるさい」とクレームが来ました。私が否認を続けていると「カミさんを調べてデキが悪かったら逮捕する」とか、介護施設に入所している90歳の母親を「ストレッチャーで連れてきて調べる」と言う。「これが法治国家の日本なのか」と心底思いました。
保釈後に読んだ自分の新聞記事のデタラメには驚いた
マスコミに対しても強い不信感を抱きました。保釈後に緊急入院した病院の中で、事件を報じた新聞各紙を取り寄せて読んだのですが、すべてデタラメ。一切否認なのに、新聞では逮捕2日目から「容疑を認める」「1000万円もらった」などと報じられているのです。愕然(がくぜん)とすると同時に、検察からのリーク情報を垂れ流すマスコミの姿勢に呆れました。小沢事件でも、すべての報道を信じる気持ちはありません。
無罪となっても、検察やマスコミからの謝罪はありません。非人道的な取り調べを受けた体験者として、こんなことは二度と起こしてはならない。取り調べの可視化は絶対に必要です。
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ロッキード事件「中曽根氏がもみ消し要請」 米に公文書(朝日新聞) - goo ニュース
ロッキード事件の発覚直後の1976年2月、中曽根康弘・自民党幹事長(当時)から米政府に「この問題をもみ消すことを希望する」との要請があったと報告する公文書が米国で見つかった。裏金を受け取った政府高官の名が表に出ると「自民党が選挙で完敗し、日米安全保障の枠組みが壊される恐れがある」という理由。三木武夫首相(当時)は事件の真相解明を言明していたが、裏では早期の幕引きを図る動きがあったことになる。中曽根事務所は「ノーコメント」としている。
この文書は76年2月20日にジェームズ・ホジソン駐日米大使(当時)から国務省に届いた公電の写し。米国立公文書館の分館であるフォード大統領図書館に保管され、2008年8月に秘密指定が解除された。
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やはりロッキード事件は米国が仕掛けた罠だった。