カミツキガメ(噛付亀・学名 Chelydra serpentina)は、カメ目カミツキガメ科に分類されるカメ。もしくは近縁種の総称。ワニガメと同様に飼育個体に由来するとみられる個体が日本でもたびたび発見され、問題となっている。種名の英名はSnapping turtle。
捕獲方法
発見したときには棒などで突付いたり殴ったりなどせずにまず後ろに回りこみ、甲羅の後ろ半分を軽く押さえてから持ち上げると比較的容易に捕獲することができる。前記の方法が不可能な場合はまず何かを咥えさせてから持ち上げるとよい。目の前に向けて放り投げてやればたいていのものに興味を示す。間違っても網や狩猟用の檻などを使って捕獲を試みてはいけない。捕獲のためには怖がらせないこと、攻撃を加えないことが事故防止の観点からも重要である。
性格は凶暴だと一般に思われているが非常に臆病であり、水からあげない限りは非常におとなしい。しかし空腹時や攻撃を受けたときなどには名前の通り噛み付くことがあり、捕獲・取り扱いにはコツの必要なカメである。カメとしてはかなり俊敏なので大きくなると取り扱いに注意が必要である。首が長く甲羅の横まで届くが流石に後ろにまでは届かないので後ろを持てば安全だが、突然向きを変えることも多いため手では捕獲しづらい。ワニガメとは異なり、後ろから持ち切れなくなった時の持ち方が存在しない。
*
池田センセネタで多用する「噛みつき亀」を何気なく検索したら上記を発見、実在することを知って少しばかり悦に入った。そしてウィキによればカミツキガメは「一般に指を食いちぎる・骨をも砕く等と報道されているが、実際の力は弱い」そうだ。これって池田センセの芸風そのものではないかと感嘆した。
カミツキガメは「空腹時や攻撃を受けたときなどには名前の通り噛み付く」そうだが、池田センセが噛み付く動機はその人に嫉妬という羨望と憎悪が入り混じる不可解な感情を抱いたときだと考えている。
その勝間和代女史が、国家戦略室で「デフレを止めろ」的なことを言ったのを知った池田信夫氏が、嫉妬を爆発させて面白エントリーをアップしたりして波紋が広がっている。
池田ヲッチャーを公言する切込隊長も「嫉妬を爆発させて」という認識だ。
では、そもそも池田センセが毎度爆発させる「嫉妬」とは何なのだろう。
*
嫉妬(しっと、envy)とは、自分と異なるものや、自分から見て良く見えるもの、自分が欲しい(欲しかった)ものなどを持っている相手を快く思わない感情。僻み(ひがみ)、妬み(ねたみ)、嫉み(そねみ)、やっかみ、ヤキモチ、動詞化して「妬(や)く」、などともいう。
男女間の愛憎について用いられる場合は、ある人の愛情が自分以外の誰かに向けられることを憎む感情を示す(jealousy/ジェラシー)。
嫉妬状態にある人の特徴
・下に見える人(もの)を見て悦に入る
・上に見える人(もの)を見て反感を抱く
上に見えるものへの反感が向上心と結びついた場合はもはや嫉妬と呼ばれないことが多い。
嫉妬についての考察
・インターネット上の2ちゃんねるなど21世紀初頭に始まる匿名掲示板における誹謗中傷の氾濫は、現社会で鬱屈している嫉妬心の表出であるとする見方がある。嫉妬に基づく行動は一般に好ましくないものとされるため、現実社会では丸めた形で現れることが多いが、匿名社会においては剥き出しのままぶつけられるとされる。
・嫉妬は一般的には社会で忌み嫌われる感情であるとされているが、その反面、大衆の嫉妬心を煽る目的が根底にあるとされるマスコミによる著名人や一部の組織に属する者たちに対するバッシングといった行為が日常的に頻繁に行われており、嫉妬という感情が社会において与える影響や問題は決して小さくない。
・弱者が強者に対して抱く嫉妬心や、それらに起因する憎悪や非難といった感情のことを哲学上の概念でルサンチマンと呼び、上記のようなインターネット社会における諸問題を理解する上で重要な概念になり得る。
・嫉妬という感情を覚えはじめるのは思春期である。この時期は「まわりから愛されたい」という気持ちが爆発する。よって、スポーツ万能で周りからちやほやされている人などをみて、「気に食わない」(=嫉妬)という感情が生まれる。
・人間以外の動物にも「嫉妬」の感情は存在する。複数のペットを飼っていて、特定の個体だけを可愛がったりするとその個体へ嫌がらせをしたり、部屋をわざと散らかしたりすることもある。
著名人の発言
・劇作家山崎正和は筑紫哲也との対談集『若者たちの大神』のなかで「大衆社会で一番怖いのは、平等化からくるねたみだと思う。ねたみというのはね、上下の差が小さくなったときに起きるものです。それに、ねたみはいわゆる公の憤りと非常にくっきりとした違いをもっていますね。これは、たとえ自分のほうに落ち度があると知っていても起こる感情なんです。しかも、これは、ほうっておくと無限に自己増殖するんですね。大衆社会が退廃していく最初のきっかけはねたみなんです。この感情だけは、どうしたらいいのか私には分かりません」と残している。
・小池百合子は「永田町は嫉妬の世界で、日本では政治家の大多数が男性という観点から、嫉妬は女偏ではなく男偏にすべきですね」と発言している。
・斎藤美奈子の著書『文壇アイドル論』(2002年、岩波書店)によれば、1980年代以降において、「ねたみ・そねみ・しっとを解放」したのが林真理子の「功績」のひとつ、なのだという。
・パリス・ヒルトンは「嫉妬するということは、相手より自分が下であると認めてしまうこと」「嫉妬というのは邪悪な感情。神様は優しい心の人にカルマを与えるの。私は1度も嫉妬したことがないわ」と発言している。
*
てなワケで、池田センセの場合、上記ウィキの「嫉妬状態にある人の特徴」からすれば「上に見える人(もの)を見て反感を抱く」ので罵倒して「下に見える人(もの)を見て悦に入る」のだろう。学者としての専門がIT、メディア、経済、政策とフィールドが幅広いため、縄張り荒しと思うのか、その分野で活躍する人、話題の人、売れている人=上に見える人への罵倒は枚挙に遑がない。つーのかそれがブログの芸風になっている。
*
競争心と嫉妬は、同じ技術、同じ才能、自分と同等の人々の間にしか存しない。すべての嫉妬にはなんらかの羨望がつきまとう。また、しばしばこの2つの情念は混じり合っている。一方、羨望はときには嫉妬からはっきり分離していることもある。
(ラ・ブリュイエール)
嫉妬とは何であるか?それは他人の価値に対する憎悪を伴う羨望である。
(阿部次郎)
嫉妬は常に他人との比較においてであり、 比較のないところには嫉妬はない。
(フランシス・ベーコン)
*
嫉妬はペットの動物にも存在するくらいだから人なら誰もが持つ。そして人間の嫉妬は奥が深く、嫉妬に狂ったストーカー男は逮捕されるまでストーカー行為をやめないほどコントロールが難しい。わかっていてもやめられないのだ。嫉妬は羨望と憎悪が入り混じる感情で、一旦嫉妬を抱くと嫉妬そのものを否定する心理メカニズムがある。嫉妬していることを認めてしまうとそれは比較する相手の下であることを認めることになる。したがって嫉妬していることを心的に否定して相手を見下すことを正当化するから始末に負えずやっかいだ。
池田センセの嫉妬は一般的な嫉妬とは異なりかなり特殊である。普通、男女間の愛憎がそうであるように嫉妬は1対1の関係がベースとなる。ところが池田センセの場合は1対複数が基本である。これは池田センセのエベレストより高いと思われる自尊心によるものだろう、売れている人がいると兎に角そいつが気に食わない。噛みつき、罵倒、嘲笑し、相手を見下さないと気が済まないのだ。ブログでのむやみやたらな罵倒は継続的かつ反復して行われることを考えると、ベッカムで有名になった強迫性障害の症状に近いと考えられる。
ニュースで報じられたベッカムの強迫観念は「偶数」で、冷蔵庫の飲み物が奇数だと落ち着かない、1本隠して床に就くそうだ。池田センセはネットで売れっ子を知るや、メラメラと嫉妬の炎が燃え上がり、そいつをブログやツイッターで罵倒しないとPCをオフに出来ないのだろう。ベッカムは強迫性障害で苦しんでいることをカミングアウトしたが、池田センセは果たして嫉妬に苦しんでいるのだろうか。いずれにしても嫉妬は相手がいないと存在しないものだから池田センセに噛みつかれた人たちは運がないとしか言いようがない。
嫉妬するカミツキガメは眠らない、池田ジャンキーの時代である。