冤罪から自由になった袴田さんも満開の桜を観てるだろーか
今日の円ジョイ替え歌♪は、滝廉太郎の「花」から
「自由の春の花♪」
春のうららの 罪だ!側 永く冤くつみびとが涙のしづくも 花と散る月日を何に たとふべき
意訳:「うららかな春の冤罪開放を上り下りする執行で行きかう看守さん達がもつ警棒"からしたたる涙も 花びらのように散っているこの歳月を何に例えたらいいのだろう
見ずやあけぼの 露浴びてわれにもの言ふ 桜木を見ずや夕ぐれ 手をのべてわれさしまねく 青柳を
意訳:「ごらんなさい 夜明けの朝露を浴びて(それが淡くキラキラと輝いて)私に語りかけるような桜の木をごらんなさい 夕暮れに手を振って(風に吹かれて枝が揺れて)私を招くような 青柳の木を」
刑期おりなす 監獄にくるればのぼる おぼろ月げに一刻も シャバのながめを何に たとふべき
意訳:「"錦(艶やかな織り物)"を織ったように(花々が咲きほこる) 長い刑期に日が暮れると上る満月ほんとうにこのひと時も"値千金(素晴らしく価値のある)"の眺めでありこの眺めを何に例えたらいいのだろう(素晴らしすぎて例えられない)」
古来より、権威に弱く、メンツに囚われる日本社会。すなわち、「人権より、国家権力が優先」という社会、改めていかないと冤罪はなくならない。