さきほど、ふと思いついて2006年1月19日の日記を読み返してみた。
この日記を書くとき、ことばが思いつかなくて、なんとはなしに絵を描いたら、
意外に好評だったので、すっかり気をよくしてしまい、以来ちょこちょこと絵を描くようになったのだ。
このgooブログにはかんたんに絵が描ける「お絵かき機能」がついているので、
それもさいわいだったのだと思う。
絵を描くようになってから、前よりもスムーズにことばが出てくるようになった。
すべてをことばで説明しなくてもいいと思えるからなのか、
絵を描くこととことばを紡ぐことが、じつは似ているからなのかはわからないけれど。
小さいころから、表現することが怖くてたまらなかった。
歌を歌うこと、絵を描くこと、
どれもひとりで部屋の中でしているときは楽しいのに、
先生や友達の評価にさらされると、
とたんにそれらは苦痛でしかなくなっていった。
自分は、歌を歌うことや絵を描くことが苦手だとずっと思っていた。
萎縮していると、その縮こまった気持ちが人に伝わってしまう。
「もっと堂々とすればいいのに」
といわれるたび、余計に萎縮してしまうのだった。
他人の目や言葉は、ときに自分を刺す刃になる。
でも、一方で、自分では気がつかなかったよさや特技を見つけてくれて、新しい世界に目を開かせてくれたりもする。
いまでも、自分が「絵を描くことが得意だ」とは思わない。
でも、たくさんのひとに「絵がうまい」と評価されるより、ひとりであっても「あなたの絵が好きだ」と言ってもらえることがうれしい。
・・・ええと、長くなりましたが、何が言いたかったかというと、
あの日の日記にコメントをくれた方々や、
お会いしたときに「あの絵。いいね。」と言ってくれた方々に、
遅ればせながらお礼が言いたかったのでした。
わたしが思う「わたし」と、まわりのひとが見てくれている「わたし」。
両方大切にしていけたらいいなと思います。
この日記を書くとき、ことばが思いつかなくて、なんとはなしに絵を描いたら、
意外に好評だったので、すっかり気をよくしてしまい、以来ちょこちょこと絵を描くようになったのだ。
このgooブログにはかんたんに絵が描ける「お絵かき機能」がついているので、
それもさいわいだったのだと思う。
絵を描くようになってから、前よりもスムーズにことばが出てくるようになった。
すべてをことばで説明しなくてもいいと思えるからなのか、
絵を描くこととことばを紡ぐことが、じつは似ているからなのかはわからないけれど。
小さいころから、表現することが怖くてたまらなかった。
歌を歌うこと、絵を描くこと、
どれもひとりで部屋の中でしているときは楽しいのに、
先生や友達の評価にさらされると、
とたんにそれらは苦痛でしかなくなっていった。
自分は、歌を歌うことや絵を描くことが苦手だとずっと思っていた。
萎縮していると、その縮こまった気持ちが人に伝わってしまう。
「もっと堂々とすればいいのに」
といわれるたび、余計に萎縮してしまうのだった。
他人の目や言葉は、ときに自分を刺す刃になる。
でも、一方で、自分では気がつかなかったよさや特技を見つけてくれて、新しい世界に目を開かせてくれたりもする。
いまでも、自分が「絵を描くことが得意だ」とは思わない。
でも、たくさんのひとに「絵がうまい」と評価されるより、ひとりであっても「あなたの絵が好きだ」と言ってもらえることがうれしい。
・・・ええと、長くなりましたが、何が言いたかったかというと、
あの日の日記にコメントをくれた方々や、
お会いしたときに「あの絵。いいね。」と言ってくれた方々に、
遅ればせながらお礼が言いたかったのでした。
わたしが思う「わたし」と、まわりのひとが見てくれている「わたし」。
両方大切にしていけたらいいなと思います。