のっぽさん 2006年02月25日 | 日々のこと テレビにのっぽさんが出てました。 緑の帽子のしたにかがやく、 こどもの目。 ぴかぴかしてる。 あんなふうに年をとりたいな。 « ラーメン | トップ | 銀盤の夢 »
4 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 ちいさいひと (タケ) 2006-02-27 15:22:00 最近ヤングサンデーに連載中の山田玲司『絶望に効くクスリ』(漫画版の「トップランナー」のようなもの)でのっぽさんが取り上げられてました。彼は子供のことを「小さい人」と呼んで対等に扱うのだそうです。自分の子供のころを思い出してみると、大人が自分を軽んじて扱っていたことがはっきり分かっていたからだとか。対等に扱うと言葉で言うのは簡単ですがなかなか実行するのは難しいもの。さすがにのっぽさんは一味違いますね。 返信する Unknown (ゆき) 2006-02-27 16:21:01 タケさん。コメントありがとう。「小さい人」かあ。たしかに「子供」の「ども」ってよく考えてみたらちょっと失礼なような。「男ども」とか、「女ども」とかいう言葉を、面と向かって言うことはなかなかないですよね。「こどもだから」とか、「こどものくせに」といわれることがなにより悔しくて、「大人なんてなにもわかってない」と思っていたはずなのに、いつのまにか自分も「大人」と呼ばれる年齢になっていることに驚きます。のっぽさんのように、子どものこころと目を持ち続けたいものですね。 返信する 小さな人 (だっち) 2006-03-04 14:44:27 詳細は忘れちゃったけど(恥)、昔、大学の講義で中世ヨーロッパでは「大人/子供」という概念がなかった。そこにいたのは「子供/大きな子供」だった。って聞いた記憶があります。「人/小さな人」とは起点が違うけど、ある日を境にしてして急に異質なものになるわけじゃないという意味では通ずるものがあるのかもしれません。 返信する Unknown (ゆき) 2006-03-05 00:37:17 だっちさん。こんばんは。わたしも、むかし(←?)教育学の授業で、フィリップ・アリエスという人の書いた『子供の誕生』という本を読んだ覚えがあります。自分のことを鑑みると、28歳という年齢は、10代の頃はとてつもない「大人」に思えていました。28歳どころか、20歳の従兄弟だって、別世界の人のように見えました。自分も、そのくらいの年齢になれば、いろんな分別がついて、世間的な常識もしっかり身についているものだとばかり思っていました。ところが、実際その年齢になってみたら、なんのことはない、10代の頃となんにも変わらない自分がいるのでした。(体力的な面での衰えを除いては。精神的には、むしろ以前よりさらに非常識になったような気も・・・笑)いろいろな場所で、「成人の儀式」なるものがあるのは、ある日を境に急に異質なものになるわけではないからこそ、なのでしょうね。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
山田玲司『絶望に効くクスリ』
(漫画版の「トップランナー」のようなもの)
でのっぽさんが取り上げられてました。
彼は子供のことを「小さい人」と呼んで
対等に扱うのだそうです。
自分の子供のころを思い出してみると、
大人が自分を軽んじて扱っていたことが
はっきり分かっていたからだとか。
対等に扱うと言葉で言うのは簡単ですが
なかなか実行するのは難しいもの。
さすがにのっぽさんは一味違いますね。
「小さい人」かあ。
たしかに「子供」の「ども」って
よく考えてみたらちょっと失礼なような。
「男ども」とか、「女ども」とかいう言葉を、
面と向かって言うことはなかなかないですよね。
「こどもだから」とか、「こどものくせに」
といわれることがなにより悔しくて、
「大人なんてなにもわかってない」
と思っていたはずなのに、
いつのまにか自分も「大人」と呼ばれる年齢になっていることに驚きます。
のっぽさんのように、
子どものこころと目を持ち続けたいものですね。
中世ヨーロッパでは「大人/子供」という概念がなかった。
そこにいたのは「子供/大きな子供」だった。
って聞いた記憶があります。
「人/小さな人」とは起点が違うけど、ある日を境にしてして急に異質なものになるわけじゃないという意味では通ずるものがあるのかもしれません。
わたしも、むかし(←?)教育学の授業で、フィリップ・アリエスという人の書いた『子供の誕生』という本を読んだ覚えがあります。
自分のことを鑑みると、28歳という年齢は、10代の頃はとてつもない「大人」に思えていました。28歳どころか、20歳の従兄弟だって、別世界の人のように見えました。
自分も、そのくらいの年齢になれば、
いろんな分別がついて、世間的な常識もしっかり身についているものだとばかり思っていました。
ところが、実際その年齢になってみたら、
なんのことはない、10代の頃となんにも変わらない自分がいるのでした。(体力的な面での衰えを除いては。精神的には、むしろ以前よりさらに非常識になったような気も・・・笑)
いろいろな場所で、「成人の儀式」なるものがあるのは、ある日を境に急に異質なものになるわけではないからこそ、なのでしょうね。