いま、吉本ばななさんの『マリカのソファー』を読み返しています。
吉本ばななさんの本は、『キッチン』と『TSUGUMIーつぐみ』には個人的に思い入れがありますが、ほかの作品は、正直に言って、同じパターンの繰り返しのような気がして、一度読んだきり、読み返していない本がほとんどです。(偉そうなこと言ってすみません。)
でも、きのう部屋の片づけをしているときにふと目に留まって、この本を読み返してみたら、あらためて発見がありました。
それは、「役割」の持つ力ということ。
ひとりの人間のなかに、幼いおんなのこがいて、元気な少年がいて、優しいおばさんがいて、楽観的でどんな痛みにも耐えることができる「おとな」がいる。
まったくくわしくないので見当はずれかもしれませんが、心理学や精神病理学ではおそらくそれの極端なケースについて、名前がつけられ、「治療」の対象になっているのかもしれません。そのことについては、いまのわたしにはほんとうによくわからないので、なんとも言えません。
でも、日常生活をふりかえってみれば、誰もが自分の中に複数の人間を抱え、さまざまな人間関係のなかで、いろいろな役割を演じることで自分を支えているのではないかと思います。
守らなければならないものやひとができると、急に強くなれたり、こころから信頼できるひとの前では、こどものころにもできなかったくらいに素直に甘えられたりもする。
ひととひとの関係は、ほんとうに複雑で、重層的で、繊細で強靭で、強くて脆いものなのだなあ、と最近よく思います。
そして、自分や他人の中のいろいろな顔を、ひとつにまとめようとするのではなく、そのまま受け入れて慈しむことができるひとほど、角度によってさまざまな輝きを見せてくれるのではないかと思います。
この本を読んでいたら、いつかバリ島に行ってみたくなりました。
***吉本ばなな『マリカのソファー/バリ夢日記 世界の旅①』幻冬舎文庫、1997(原題『マリカの永い夜/バリ夢日記』1994年、幻冬舎)****
吉本ばななさんの本は、『キッチン』と『TSUGUMIーつぐみ』には個人的に思い入れがありますが、ほかの作品は、正直に言って、同じパターンの繰り返しのような気がして、一度読んだきり、読み返していない本がほとんどです。(偉そうなこと言ってすみません。)
でも、きのう部屋の片づけをしているときにふと目に留まって、この本を読み返してみたら、あらためて発見がありました。
それは、「役割」の持つ力ということ。
ひとりの人間のなかに、幼いおんなのこがいて、元気な少年がいて、優しいおばさんがいて、楽観的でどんな痛みにも耐えることができる「おとな」がいる。
まったくくわしくないので見当はずれかもしれませんが、心理学や精神病理学ではおそらくそれの極端なケースについて、名前がつけられ、「治療」の対象になっているのかもしれません。そのことについては、いまのわたしにはほんとうによくわからないので、なんとも言えません。
でも、日常生活をふりかえってみれば、誰もが自分の中に複数の人間を抱え、さまざまな人間関係のなかで、いろいろな役割を演じることで自分を支えているのではないかと思います。
守らなければならないものやひとができると、急に強くなれたり、こころから信頼できるひとの前では、こどものころにもできなかったくらいに素直に甘えられたりもする。
ひととひとの関係は、ほんとうに複雑で、重層的で、繊細で強靭で、強くて脆いものなのだなあ、と最近よく思います。
そして、自分や他人の中のいろいろな顔を、ひとつにまとめようとするのではなく、そのまま受け入れて慈しむことができるひとほど、角度によってさまざまな輝きを見せてくれるのではないかと思います。
この本を読んでいたら、いつかバリ島に行ってみたくなりました。
***吉本ばなな『マリカのソファー/バリ夢日記 世界の旅①』幻冬舎文庫、1997(原題『マリカの永い夜/バリ夢日記』1994年、幻冬舎)****
にわとりさんのおっしゃること、とてもよく分かります。
差し支えなければ、レポートのコメントに引用してもいいですか?
ちょっとはずかしいですが、でも嬉しいです。ありがとうございます