10月4日は、近所に祭ってある「馬頭観音」の供養祭の日。
昔、私が住んでいるこの辺りは、「馬場」で、1日2万の人が来たようです。
大正4年当時のことだそうです。その当時の2万人はすごいですよね。
近世以降は、馬が急死した路傍や芝先(馬捨場)などに馬頭観音像を建てることが多くなりました。
この場合、像ではなく単なる「馬頭観音」の文字を彫っただけの石碑であったりすることが多いようです。
と言うことでここの地に、「馬頭観音」が祭ってあるようです。
観音菩薩の変化身(へんげしん)の一つであり、六観音の一尊にも数えられている。
観音としては珍しい忿怒の姿をしておられます。
近所に祭ったあっても、云われまで調べることがないですよね。
(今回は当番でしたので参加し、ブログに載せるためお年寄りにお話を聞かさせていただきました。でも、普段は、供要のお金を届けるのみで、終わってしまう町内の行事)
すいません。もう少し町内の行事に参加しないといけないですね。
供養祭には、町内が異なっても、お年寄りは供養に来られるので。
これは、チョットびっくりしました。
残念ながら若い方の姿は、少なかったですね。
法話の中に、日々皆さんが、努力している姿を観音様がご覧になって、
それをお助けするので、始めから助けを請うたりするものではないとのことでた。
昔、私が住んでいるこの辺りは、「馬場」で、1日2万の人が来たようです。
大正4年当時のことだそうです。その当時の2万人はすごいですよね。
近世以降は、馬が急死した路傍や芝先(馬捨場)などに馬頭観音像を建てることが多くなりました。
この場合、像ではなく単なる「馬頭観音」の文字を彫っただけの石碑であったりすることが多いようです。
と言うことでここの地に、「馬頭観音」が祭ってあるようです。
観音菩薩の変化身(へんげしん)の一つであり、六観音の一尊にも数えられている。
観音としては珍しい忿怒の姿をしておられます。
近所に祭ったあっても、云われまで調べることがないですよね。
(今回は当番でしたので参加し、ブログに載せるためお年寄りにお話を聞かさせていただきました。でも、普段は、供要のお金を届けるのみで、終わってしまう町内の行事)
すいません。もう少し町内の行事に参加しないといけないですね。
供養祭には、町内が異なっても、お年寄りは供養に来られるので。
これは、チョットびっくりしました。
残念ながら若い方の姿は、少なかったですね。
法話の中に、日々皆さんが、努力している姿を観音様がご覧になって、
それをお助けするので、始めから助けを請うたりするものではないとのことでた。