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常識に囚われず、と言うと殆ど良い意味で使われる。独創的なとか、個性的なほどの意味で。
一方、常識に欠けると、非難する言葉もある。
では常識に囚われずに、欠けなければ良いのだな?等と思わず口走りそうになるのも、それを発言するほとんどの人間がひどく陳腐で面白みに欠ける「自分でものを考えない」種類のひとたちが多いからだ。
しかし待てよと。
いわゆる大多数の“常識人”がいてこそ、非常識な自分の振る舞い(自分的にはノルマルだと思っていても)を自分の根拠にする事が出来るからではあるまいかとも考えてしまう。
比較する何かがあってこその自分の存在かも知れないと思うと、世の中に常識と言うものがないといけないのかも知れない。
まあ尤も、常識又はスタンダード等ハナからないものだと言い切れる強さがあれば別だけれども。
ところで自分で言葉を間違って使って、それに対して憤っているとすれば噴飯物なので一応Yahoo!の辞書で引いてみた。
以下の通り。
Yahoo!大辞林より
常識:一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力。「―がない人」「―で考えればわかる」「―に欠けた振る舞い」「―外れ」
[補説] common senseの訳語として明治時代から普及。
良識:《(フランス)bon sensの訳語か》物事の健全な考え方。健全な判断力。「―ある行動」
なんだ。訳語か。
良識と言うことばは嫌いだったけれども(これも亦使う人が嫌いだった)、よく意味を見るととてもよろしいことではないか。健全な判断力=正しい認識力を持つともとれるから。
今度良識のない!などと言われたら、いや私は正しく認識していると反論しよう。
スキーシーズンは終わってないけれども、本日から夏のメニュー開始。
ハーフスクワット×500回
プッシュアップ×30回
腹筋×30回
アームカール(ダンベルを7.5kgに減量)×30回
まだまだベビーフードだ。
一方、常識に欠けると、非難する言葉もある。
では常識に囚われずに、欠けなければ良いのだな?等と思わず口走りそうになるのも、それを発言するほとんどの人間がひどく陳腐で面白みに欠ける「自分でものを考えない」種類のひとたちが多いからだ。
しかし待てよと。
いわゆる大多数の“常識人”がいてこそ、非常識な自分の振る舞い(自分的にはノルマルだと思っていても)を自分の根拠にする事が出来るからではあるまいかとも考えてしまう。
比較する何かがあってこその自分の存在かも知れないと思うと、世の中に常識と言うものがないといけないのかも知れない。
まあ尤も、常識又はスタンダード等ハナからないものだと言い切れる強さがあれば別だけれども。
ところで自分で言葉を間違って使って、それに対して憤っているとすれば噴飯物なので一応Yahoo!の辞書で引いてみた。
以下の通り。
Yahoo!大辞林より
常識:一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力。「―がない人」「―で考えればわかる」「―に欠けた振る舞い」「―外れ」
[補説] common senseの訳語として明治時代から普及。
良識:《(フランス)bon sensの訳語か》物事の健全な考え方。健全な判断力。「―ある行動」
なんだ。訳語か。
良識と言うことばは嫌いだったけれども(これも亦使う人が嫌いだった)、よく意味を見るととてもよろしいことではないか。健全な判断力=正しい認識力を持つともとれるから。
今度良識のない!などと言われたら、いや私は正しく認識していると反論しよう。
スキーシーズンは終わってないけれども、本日から夏のメニュー開始。
ハーフスクワット×500回
プッシュアップ×30回
腹筋×30回
アームカール(ダンベルを7.5kgに減量)×30回
まだまだベビーフードだ。