建設現場の卵

建設現場からのエッセイ。「建設現場の子守唄」「建設現場の風来坊」に続く《建設現場の玉手箱》現場マンへ応援歌。

プロローグ 2

2022-03-05 12:54:58 | 建設現場 安全

 …………(プロローグ・2…………

親方の周囲には小道具を点検したり、地下足袋(じかたび)をはきかえたり、煙草を吸っ
たり、親方の
ポケットマネーのジュースを飲みながら、この先どうなるやら―――
と成り行きを《そば耳たてて》興味津々(しんしん)と職人達が見ている。

親方としても今朝(大体六時十分頃)出かけて来るマイクロバスの中で
「今日は○○の仕事だからな・・・」
その日の仕事内容をチラリとは伝えてる手前、急に△△の仕事になると、昔風に言う
《メンツが立たない》と言う事に気配りをする。

自分一人ならOKだろうが四~五人の前で、若手職員からの急な作業変更打ち合わせの
指示に、気前よく「ハイッ」と言う親方はまずいない。

親方の以前からの提案方法に戻す場合でさえ、
初めッから俺が言っとった事だぜ・・・・でも今日は――」
と言って口を閉じる。

「俺たちは組(この場合ゼネコン)から頼まれて職人を連れて来たんだ。相手のB社にも組
の方からキツく言って今すぐ来てもらう様にすれば、朝からの仕事を変えなくて済む。第二
工区の△△は明日人数連れて来て(増員して)でもやったるから―――」
と親方は必ず言う。

気の小さい親方でも顔に額に汗を滲(にじ)らせて無言で訴えても来るものだが、気の小さい
若手職員はその空気のまずさ重さに耐えられずに、全く別のことを考えている事が多いのだ。

そこがこの建築業界の恐ろしさ図太さである。

何を考えているのかこの若き職員は・・・・?
 
若き職員と言いながら実は私の若かりし日々、『現場マンに成るんだ』とヤンチャに燃えて
いた頃をフト思い出してしまった。

そうこの時若手職員は十時半からの、言い換えれば休憩時間後に、すぐ何から仕事をするか
(させるか)の一点に絞っているのだ。

《親方の気持ち》なんて考えていたら所長から言われた
(第二工区の△△・・・)の段取りが狂ってしまう。

それに自分も所長の考えがベターだと思い、お互いに今日の出面(日当分の仕事)で損はし
ないと計算したつもりでいる。

だが実は、若手職員の仕事としてまず第一にB社を八時半迄待って(通常現場は八時から
作業開始)からB社に、
「今日うちの現場に職人さん出たの?」
と電話をする。
こんなに穏やかに訊ねている間はまだ現場内コミュニケーションも良い方だ。

これが、 
「社長!以前から約束していて、昨日も確認していたのに何で職人を廻してくれないんだ!」
と怒鳴り散らす人もいる。
相手が誰であっても怒鳴り散らすのである。
まして電話取次のアルバイトの娘とか『社長の奥さん』にさえ一向に言葉を選ばず罵(ののし)
ってしまう。

そうなるとあのX現場事務所からの仕事の話は《社長に任せよう》となる。

社長としてはY現場が忙しくてどうしても仕方がないから、職人の配置を変えたので迷惑をかけ
たなと反省しつつも、算盤(そろばん)をはじいてみれば明日もう一日Y現場へ職人を
送り込んで
一段落付けてX現場へ戻ろうと予定変更を考える。

誰が考えても作業能率を考える。
これが即、協力業者の儲けに成る。
親方の会社としてはゼネコンから安く叩かれて決めら
れた仕事だけれど、手を抜くことは
《職人気質(かたぎ)としても絶対出来ない。

ここでは能率向上アップ、無駄の排除しか考えられないのは当然だ。

今日Y現場に道具を一式持って行って作業し、夕方Z現場でチョット前日の残した仕事を
完成させて帰社する。

こううまく仕事は繋(つな)がらないけれど、午前と午後で2現場をこなすと親方の手持ち工事
物件がどんどん消化され、儲けも伸びる。

だから今日Y現場へ職人を割り当てたのだから、一区切り付けてX現場へ交替させようと
わざるを得ない。
拡げた材料や道具工具類を片付けて持ち帰り、X現場用へ荷物を積み替えて、またその晩に
はY現場用に積み替えて・・・なンていくら気前のイイ親方でも何度もやってはくれない。

そんなところへX現場から怒鳴り込みの電話を受ける。もう悪循環、そして悪循環。

さあーそんな裏話が読める訳もなく若手職員はやんわりと現場へ出たか否かを聞き、今日
は現場を空けられてしまった事に気付くと、即所長へ報告し次の段取りを考える。
指を喰(くわ)えたままではいられない。

「第二工区だ。そっちへA社を廻せ、D社もE社もだ、F社には予定が変わって早くなる連
絡をいれとけ・・・」

この簡単且つ自分勝手な(現場の都合でしようがない?)段取り替えで大勢の心意気が消
沈してしまう事に私自身も気を配らない。

現場の都合だから・・・職人の都合だから―――もとを突き止めればB社が人をよこさない
ので・・・まあ仕方ないか。

とにかく自分の正当性のみを押し通してとにかく第二工区を十時半からやろうと号令を掛
けてしまう。しまったという方が正しい。

だからA社が機嫌を損ねたら全く方向性が無くなってしまう。
A社の親方=世話役も自分が自分の会社からまかされて出て来ている関係上、この現場は
上手に納めたいのは承知の上である。

だけど勝手に予定を変えられたンではこの先この現場はどうなるのかと心配して下さる。
親方と若手職員それに所長の腹のくくりどころ(さぐりあいではない)、肩肘張るか、相手
を通すかで今日の仕事なおかつ『明日からの仕事』に影響を与える。

親方としては渋々ではあるが、
「仕方ねえ・・・」と言ってくれる間に私は、
「アリガトウ、ゴメンネ」
と必ず言う事を若手職員には強く教えている。

この場合、親方と所長の間に入って調整している若手職員は、現場の工程監理について疑問
を必ず抱くと思う。そして不安やイヤ気を感じてしまう。

昨日の打ち合わせでは、明日は○○だと言って気合をいれたのに何でまた―――だったら
工程は職人さん達の出面(出勤)加減で早くなったり遅くもなるものだ。

ゼネコンが総合工程表を書いてみても竣工引渡しの日が変わらない限り、どの様に作ろう
と勝手なのだ。

つまり、その日その日の出来る所から手を付けて行けば、

                     プロローグ3へ続く

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プロローグ・1

2022-02-23 18:50:09 | 建設現場 安全

 …………(プロローグ・1…………

 一端の現場所長にようやく成りかけて来た私がこんな事を書こうと思ったのは、あまりに
も現在のこの建設業界(以下業界)の未来の不安からである。

 一般の人から見ると建設業大手ゼネコンの所長とは、数億円もの建物を任されて創り上げ
ていくトップとして尊敬して見られることが意外と多い。

「一級建築士です」
と言うと確かに優越感を抱くし、信用度合いもぐっとアップして来るのが分かる。

花形産業職業である(あった)筈のこの業界にはウィークポイントが有りすぎる。
これを克服すれば・・・・と言う事は言葉では簡単だが、難問山積みだ。

何十年いや何千年も前から「創り出す」と言う過程、工程に於いて先人達が悩み続けていた
事は、現在でも答えが出ないまま将来へと引き継いで行くのは疑う余地もない。

私は何とかして微力ではあるが、且つ自分勝手ではあるが自分の現場で働いている部下や
協力業者の方(簡単に言うと下請けのオヤジさん)から職人、掃除のオバチャンや宅急便の
配達のおニイチャン達にまでも、
「この現場は楽しいんだよ。建築とは面白いモノだよ」
と言葉や態度で表しているつもりだ。

現場が思惑どうりに進まずに顔が引きつっていようとも、頭に血が上って思慮分別みさか
いなくプッツンしそうに成っていてもスマイルスマイル・・・・。

『腹の大きい所をみせたるワイ』
と肩肘張って(肩、意地を張って、が正解の気がするけれど)ヤセガマンして、グッとこら
えて、夜に酒を飲む。

 夜まで待てないときも時にはあるが、部下や職人さんの手前、所長の私がKO食らったンで
は現場は前へ進まない。やけくそのスマイル演技は一流のスター並みだ。

 こういう時の解決策は面白いことを考えればいいのだ。
思考逆行、発想の転換というより過去に経験した失敗をここでとり戻そう、その為に
この手を事前に打っておこう、仲間からも、
「アイツはなかなかやりおるワイ」
と言わせるアイデアをひらめかせようと、虎視眈々(こしたんたん)なのだ。

例えば―――

殺風景な現場に自作の看板を掲げる。
安全漫画の標識も自分で描く、仮囲いに絵を描く、
休憩所にもクーラーを付ける。
自動販売機はジュースとたばこ(ビールはダメだろう) を置く。
全員での現場内大焼き肉パーティを月に1回とする。
協力業者チームとソフトボールの試合を組む、リーグ戦にしても面白い。
ゴルフのコンペ、麻雀大会、船釣り、スキー―――等々。
とまあ遊びに関してはオールマイティのフィーリングを発揮して、
『仲良し現場で無事故無災害で竣工迄頑張ろう』
と言う芽を育てようと考えている。

しかし、所長としては欲求不満を抑えに抑えてスタッフと交渉する努力が必要なのは、
言うまでもない事だ。現場所長の一声で、

バカヤローッ!テメー等何やってんだバカ、こんな事が分かンないのかボケーッ!

と雷を落とすのは非常に簡単である。簡単な故に何気なくまた、幾度となく使っているか
も知れません。

『知れません』と言う事は本人は全く気がついていないだけの事であって、職人達から見ると、
「ここの所長、チィセエー事にガタガタ言う好かんヤツ・・・」
として蔭では通ってるのかも知れない―――――(反省しますこの場で)

 職人達としては職人としてのプライド、
ウデでは負けたくないという闘争心』
を持っているが、若手職員が仕事の指図をすると一応
「ハイッ、分かりました」
と答えてくれる。

これは気持ちのいい会話であって、建物を(外観上、機能上)良くしようと言う意思の
伝達を確認し『今日も一日頑張ろう』と一声を上げて仕事に取り組んでいける。

だが、だがそのままスーッと事が運ばないのが何故か《建築現場の常》なのだ。

『朝令暮改』この言葉はこの業界には常識として君臨まします『切り札』なのだから恐れ
入る。

ある時は『天の声』ある時は《神のお言葉》として人の気持ち、現場の状況、タイミング
等・・・俗に言うTPOをも踏みにじって飛び出して来られます。

今朝、朝礼の時皆の前でかっこよく、
「今日は○○をしますので―――」
と作業内容を説明したにもかかわらず、十時の休憩時に親方の側に行って小声で、
「Aさん、A社長(困った時にはこう言う敬称を使う)」
「何だ?」
「朝言った○○の件だけど、今日B社の所の者(人)が来れなくなったもンで」
迄言うと途端に顔色が・・・。

「ナニーッ!そんな事俺らの組(会社)に関係ネエ!」
「そんな事言わンと今やっている第一工区をそのままにして、第二工区の△△から手を付け
ようよ―――な?」
「・・・・・・・・・・」(返事もしたくネエ)

「(昨日ドラゴンズが負けたので・・・・・今日は機嫌が悪い日か―――言ってもダメだった
かなあ)・・・・・?」

しばし沈黙―――

        つづく・・・

 

 

 

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メリークリスマス

2021-12-13 20:12:57 | 建設現場 安全


…………  …………(メリークリスマス)…………

暦が最後の一枚となって、師走という気忙(きぜわ)しい心と、今年のケリをつけてから新年
を迎え
ようとする中でクリスマスソングが流れ、更に街中を賑わせている。

最近は電飾により都会の夜景も様変わりしているが、年の瀬はあっと言う間に終るものだ。

 昔、昔の時代には、先ずボーナスを貰って忘年会もあり、二次会三次会とハメを外して、
夜の巷(ちまた〉をハシゴして、深夜タクシーの中で酔いつぶれて、家の前まで寝たままだっ
た事も数知れず……。 
羽振りの良いのは大部分が土建業のオッサン連中だったし、主任にくっついて
行けば
うまい物が食べさせて貰えて、タダ酒をハシゴしていたものだった。

そんな中で、忘れられない年末の大騒動を話してみよう―――

新入社員のガムシャラ時代から卒業しようという頃だった。
自社ビルの上に分譲マンションがある8階建の、当時では高僧ビルとして斬新な工事だ
った。

7月に鉄骨建方が完了して、一気に躯体工事を追い込んだのだが、年末竣工には残り
5か月しかない。
新年から施主は営業開始するとマスコミに既に報道し、マンションの入居者にも、
「新年は新居で迎えられます……」
と建設を計画した時から決まっていたそうだ。

鉄骨建方の頃から私はもう突貫工事になる事は覚悟していたし、それまで月に2度は休
みたいと言うスタイルから、月に一度だけ日曜日に休みがもらえる…かも……となって
しまった。

「もう後、5か月しか残っていない」
つまり今年は休日が5日間しか残っていない中を、泳ぎきらなければならない。
「まだ5か月もあるのに」
と思えば、仕事をする日数もかなり残っていると思い直して、現場に明け暮れていた。

肉体労働の代価であり残業代を含めると結構な額の給与であったが、残業手当は頭打
ちで深夜残業分が無給であろうとも、文句を言うとゲンコツが飛んで来そうなほどの
殺気があった。

最後の1か月がしかも年末・師走で職人不足のピーク時である。
工事が遅れていようとも、冬休みが始まったらすぐ引っ越しを始める入居者もいるのだ
から、クリスマス前後が竣工式になるのも止むを得ない。

外構(駐車場舗装・花壇・境界フェンス)等の工事は年越しとしても、大広間で行われる
クリスマス前後が竣工式になるのも止むを得ない。

竣工式とパーティには来賓の方もあり、真冬であり室内空調の完了だけは最低条件に厳命
された。

空調と簡単に言うけれど、電気が繋がっていなければ作動しないが、天井裏でダクトと
配線は電気室まで伸びていても、肝心の電気室の内装と配電盤へ結線が師走中旬になった。

パーティ会場は2階だが、エレベータの使用は通産省の許可証が年末になり、階段を
使ってもらう事にして階段には絨毯(じゅうたん)を敷いて、その場をしのぐ状態となった。
とにかく、竣工式を目指しての工事であるから何でもありの、ぐっちゃぐちゃの一日が
ジングル
ベルと一緒に鳴り響いて、焦る気分を更にイラ立たせてくれている。

 とにかく、マンションに最初に引っ越して来られる部屋から仕上げる事を《最優先》と
する中で、トイレの配管が浄化槽まで完全に繋げられるのかが最大のネックである。

 バイパス的に1本予備配管の設置を検討したけど、その為に時間が喰われるなら全戸の
配管を繋げた方が最終的には早いだろうと、根拠のないまま排水工事は後回しになっていた。

クリスマスの翌日が竣工式に決まったが、パーティが出来る様になる確率は12月の始めで
五分五分だったのが、10日になっても《まだ間に合わないかも知れない》という空気が多勢
だった。

 残業・深夜残業の連続でボーナス支給日とか忘年会の話題すら禁句となり、寝る時間以外
は動き廻るしかない状況になり、工事用のEVが上昇する僅かの秒数でさえ眠れる技が身に
付いた。

そんな中、もうすぐクリスマスだと言う頃に、
「福さん、放送で呼ばれているよ」
と職人さんから教えられたが、場内放送を無視していた。

「福本さん電話です、至急事務所に戻ってください」
らしき呼び出し声は、日に何度もあり、もう聞きたくない言葉だった。

(今更、何事が発生したんだ…もう)
事務所には誰もいなかったが、外れた受話器が机の上で『取ってくれ』と言いたそう
であった。

 耳に当てて、
「お待たせして済みません。どちら様で?」
「福本さん? おめでとうございます《一級建築士合格》されましたので…」
「ン!?もう一度おっしゃって下さいませんか?」


(夢かもしれんなあ・・・夢なら醒めずにいてよね)
立っていても眠れそうな体に、いきなり合格の連絡を聞かされて、
と一旦眼を閉じて、ゆっくり眼を開けて……とポーズを描いていたら、

「何でボーッと突っ立ってる!」
と一呼吸で、現実の世界に引き戻された。

『俺、一級受かったってよ、主任はどうでした?』
と言いたいけれど、ニタついた顔で聞くのも失礼なので、
「畳54枚、EVが試運転中だから担いで上がって、各戸へ配りましょうか?」

もう眠気は吹っ飛んだから、力仕事でも掃除でも何でもやってやる馬力が復活し、周囲
から、
「福さんついに…狂ったかア………
と、こんな突貫工事の最中に吉報が舞い込んだのだから、狂い咲も許してもらった。

竣工式の前日、クリスマスの夜、
「後はトイレ配管を浄化槽迄5m繋げれば完了だ!」
まで、こじつけたのだが夜の7時を廻っていた。

「今日は大変だけど、今夜だけは早く家に帰りたい……」
と朝礼時に皆で話していたのだが、接続完了し帰宅した時は又、深夜近くになっていた。

「ゴメン、今日だけは早く帰る段取りだったのだけど…ごめん」
と妻に謝った眼の先のテーブルにはクリスマスケーキと料理が並べてあった。
眠たさをこらえてのメリークリスマスに乾杯となった。

もう一つメリークリスマスの頃の想い出がある―――

それは思い出したくも無い出来事だけど、『リストラ宣告』を受けた時である。
この衝撃は《建設現場の玉手箱》に最初に載せた話であるが、
「退職者リストに君が入っているから…」
と重役専用応接室のソファに座って言われて、首が飛ぶ事を拒否出来ない威圧を受けた話
である。

年の瀬のクリスマスの前日にリストラ宣告を聞かされて、その場で印は押さずともクビは
確定で、早期退職金の上乗せを含めると《○千☆百万円》とまで試算し準備されていたの
だった。

私は中途採用の社員だから定年退職まで勤めても、同期より退職金が数百万円は少ない
のを薄々覚悟していたが、今、この早期退職手当金が頂けるならば拒否する理由が一瞬で
飛んだ。

「金に眼が眩む」をこの場で使えるのかは分らないけど、この先55の定年まで5年間分の
生活費を先払いしてもらったと想定すればいいし、別枠の『割増退職手当金』の額に目を
落とすのだった。

リストラを拒否して会社にしがみついていたい人もいる中で、
「君は本を書いたり、安全講演も出来るし、何をやっても食って行けるから―――君の場合は
悲壮感がないし……他の人に宣告する時はつらいけど……」
と誉められているのかナメられてるのか、どっちにしても決まっている事だった。

所長としてのプライドから、
「私の成績で退職リストに入ったのですか?」
「それは無い、当初の予定高齢者が退職拒否されているので、年齢制限を撤廃して…
人事課が…」
(まさに人事課と書いてヒトゴトカと読むべきでしょう)

日頃から協力業者側の立場を考慮して発言していたので、背広族にはうっとうしい存在
だった筈から、今回のリストアップに早々と登場させて頂いたものだと思える。

(会社にしがみつく理由も特に無いし、来年まで居座っていても、又、リストラの話が出れば…)
ならば、先程チラッと見せてもらった早期割増し退職金で潔く退く事に、あっさり心が
決まった。

「奥さんと相談しないでイイの?」
「リストラ拒否の口実の相談』でもしなさいって事ですか?」

年末までに50名の肩をたたき、新年早々にリストラ名簿を本社に提出する役目の人は、
恩も情
けもこの際振り捨てて、自分の首は守れていて、他人事(ひとごと)の世話として
処理をされている。

次に来るリストラの波に、今度は乗る事を知らない筈はなかろうに……

年末年始をどう過ごそうかと家族の話題が一転し、
「来年から、この先どうやって生活して行くのか―――」
クリスマスケーキを前にしても、メリークリスマス気分は消えてしまった。

もう少しタイミングを見計らってクリスマスが過ぎてからリストラ通告をして欲しかった。
年末までに50名ほどリストラさせるノルマを達成すれば、自分の首まで飛ぶ事態には
無らなくて済むのだから、職務に忠実で上司に可愛いがってもらおうと尻尾を振って、
リストに載っている人に、もう眼を合わせようともしてくれない。

(あんた達の身代わりになってあげたのよ…)
と心では毒を吐きながら、私の他に誰が宣告を受けて了解したのかも、気に懸るところだった。

建設会社で現場勤務者をリストラして稼働する工事現場が激減しても、会社の利益は
どこからかで
生み出して、銀行へ負債の返済手段が早まると言う計算式がどうしても作製出来ない。

店内事務職の人がリストアップするのだから、現場技術員の名簿から選出したのも分るが
生コン工場が生コン車を処分したお金で工場を拡張している様に見えて、笑い話になり
そうだ。

「私に出来る仕事は何か有りませんか?」
リストラを逃れて、数年遅れて定年退職を迎えた昔の仲間から、
と頼られる度に、あのクリスマスの宣告時に《憐みの眼》でみられた当時が思い出されて、
不機嫌になるのは、私自身の心にもまだ傷が完治されてないのであろう。

リストラ以後も自分なりに会社を起業して結構楽しんでいるし、やっとクリスマス騒動の
話が言える様になったのだから、自分の人生に感謝、感謝しよう。

        

 

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現場も秋祭り

2021-11-17 20:32:41 | 建設現場 安全

…………………(現場もお祭り)…………

秋には《秋のお祭り》騒ぎよりも『後のまつり』となった事が現場では多い事だと思う。
大抵は竣工式の日取りを決める頃になって、間に合うかどうかとカレンダーを見つめて、
「あの検査がすんなりと通っていたら…」
なんて事を、つぶやきながらも竣工日から逆算した工程表を書き始めて思うものである。

「あの時あれが…、雨があの時期に降ってとか、設計変更が多発して…」
着工から今までの現場の流れを遮った出来事を思い出すと《後の祭り》そのものだ。

このような現場はすべからず―――恒例の『お祭り』が始まるのだ。

《スタートするなら新年から》の思いが多い日本では、年末竣工に集中するのも止むを
得ない。
必然的に建設業界は秋の声と共にお祭り、俗に言う『突貫工事』になるわけで、ケツに
火が点(つ)いて踊り出す覚悟が必用になって来る。

突貫の福さんと呼ばれていたが、工程不足の調整がつかないまま受注し、営業から、
「突貫だけど、今回も頼むわ」
でもノーと言えない現場所長でもあった。

工事途中から突貫に突入して《後の祭り》状態は現場係員時代は常であったから、自分

《後の祭り》の昔を思い出して話をすれば―――

とにかく、所長は何も指示しないし、
「『銭』以外は総て任せるから、お前らで決めてヤレばいい」
が口ぐせであり、一見大物の様に見えるのだが、ゼロから創るものに若手が集まっても
ネズミの相談であり、工事は進まない。

『お前ら』と呼ばれただけで、モチベーションが消滅するのが分らない人なのか……と
失望の念。

社内組織から見れば上位にランクされている所長さんだが、若手が育っていないし、工事
途中で退職願いを出す若者を出しても、利益を上げているので出世街道を歩んでいる人
なのだろう。

協力業者さんはそんな性格の所長を長年見ているからか、見積書も作らず、
「忙しいので、そちらの現場には手が廻りません、済みませんね…」

やんわりと風向きから遠ざかって行く。
(他の所長なら、無理してでも受注したいけど……)

第一希望の協力業者に首を振られて、意に反した業者を呼びつけて、
「お前の所に決めてやった。すぐ施工図を書け、工事は遅れるなよ!」
と権力を振りかざしている時点で、もう予定の工程から3%位は遅れ始めている。

出足で転んでいるのだけど、これが数業者もあるのだから、現場は嵐の中の難破船あり
ながら、船長不在・座礁目前よりも沈没船だった。

案の定、協力業者が急いで書いて来た施工図に、
「これでは納まっていない!何考えているンだ!書き直せ!!」

(やっぱりお前のところに決めるンじゃなかった!)
と所長が眉をつり上げる。

(ここの現場を建築部長から押し付けられたから仕方なく・・・
        やっぱり請(う)けるべきじゃあ無かった……)

と協力業者の顔には反省もやる気も窺(うかが)えないヒトコマを何度も見たものだった。

「殿、これで如何でござる?」
「ン?良きにはからえ、そちにまかすぞヨ」

お城で文句は言わない殿様ならば、家臣は協議を図り国を治めていたものだが、今、指示も
出さないで行き当たりばったりの不満を言われては、爆発の火種を蒔(ま)く様なものである。

専門課程を卒業して来た若者が、理不尽な話に耐えられる時代ではない。

が、やめて行った若者に、
「あいつはやっぱり根性が無かったなあ……」

何て上司に言い出すのだから、現場の楽しさもチームワークもあったものではなかった。

竣工前になって、お決まりの突貫となった。
24時間労働でも追いつかないほど、仕事量が残っている。

「お前ら!何をやってたンだ今迄!!」 
となってはもう《後の祭り》も最高潮に達している。

恥ずかしながら工期延長願いを申請し、1か月ほど竣工日を延ばして頂いた。
もうそこからは所長の顔色は気にしない事にした。

近郊の現場の若手職員に、18時から雑工事を手伝わさせる……という支店通達が下った。

職員にさせる仕事―――

それは室内の残材搬出、床仕上げのため掃き掃除、脚立足場を翌朝から作業する
場所へ搬出し組み立てる、クロス・床の仕上げ材料を資材仮置き場からEVに
載せて、各部屋に配置する、残業用の投光器の配線を組み替える―――等、
とにかく朝一番から職人さんが直ぐに仕事に取り掛かれるように、夜中を徹しての
雑仕事だ―――

自分の現場を早目に切り上げて毎晩応援に来てくれる20人程度の職員に、簡単ではある
が夕飯を食べられるように、近くの大衆食堂に頼み『通い帳』にサインして食事が出来る
話をつけた。

大衆食堂(今の時代にはもう看板も使わないな)だから、小皿に料理が一品ずつ載っていて、
自分の好きなおかずを選んで、味噌汁、トン汁もあったなあ……。

仕事中だから酒を飲む事は出来ないしタダ働きでは申し訳ない気分であり、残業手当が出な
いかも知れず、応援して頂ける感謝の気持ちから《私の独断》で始めたのだった。

毎夜、応援の若手職員が頑張ってくれている中で、職人さん達から、
「余裕はないけど、何とか間に合わせるよ、福さん」

とお昼休みに背中を叩かれて、今迄のシマリのない雰囲気が変わって行った。

突如、
「お前!何考えてンだ?」
の声に振り向いたら、

「メシ代はどこから算段するんだ、予算はないんだぞ!」

(おいおい、喰い物のウラミは怖い事を教えてあげるよ)
とニヤリと頬を動かして、

「夜、腹ペコで他人(ひと)の現場の雑用は出来ませんよ、それより
《深夜残業代》はどうされますか?」

「(ギョッ?思ってもいなかった…)」

「述べ600人で2千500時間、400万円の残業代を踏み倒して、バンメシの36万に問題でも?」

「何で相談せずに勝手に決めたンだ、誰が払うんだ……皆の晩飯代を!
「三か月前からキャバレー・スナックにも行ってないので、それくらいは残ってるでしょ?」
「(・・・・・・)」

若手現場マンの応援を有難いと思った所長は、
(社員だから無償で手伝ってもらえる)
と思ったのは誰の目にも分ったし、ここの現場が突貫になった理由を若手から聞かれる迄
もなく、風評が近郊の現場に尾ひれまで付いて、漏れ伝わって行った。

「あれじゃあ、下の者がかわいそうだよね?」

だが、私にとっては良い経験になったし、突貫工事になる理由と、突貫工事にならない様に
する方法の両方を
『しっかりと肝に焼きつけた』
という教訓になった―――お祭りだった。

時は平成になって―――
竣工前にはどの現場も突貫工事らしき事態の《お祭り騒ぎ》に陥るもので、私が赴任した
現場では、若手配属員と顔合わせの時、缶ビール片手に、 

「前の現場で、最終月はどんな状態だったの?」
と訊(き)いてみると、九割は戦争というかバタバタの連続で終わったと言う。

「で、反省は?原因は何だったの?」
少し現場を思い出して、

K君「下請けがなかなか決まらず、手配がだんだん遅れたシワ寄せが…」
S君「施工図が遅れて,承認印がなかなかもらえず、変更も多かった…」
T君「職人さんの絶対数が少なくて、鉄骨と躯体工事の遅れが尾を引いて…」

等々、誰もがどこの現場でも、似たり寄ったりの苦労をして来たようである。

現場の担当係員として色々な体験をしたのだが反省会もなく、次の現場に赴任させられて
いるから、苦労した経験を活(い)かされる場に巡って来ないのだ。

仕事を楽しくこなし、現場を明るくチームワークの良い現場にしたいのならば、私の書
いた《建設現場の子守唄》を参考にすれば簡単であり、現場監督業務に悩むならばシリーズ
《ーーの風来坊》《ーーの玉手箱》を手本にすれば簡単である。

現場が忙しいと口にする人の多くを見ると、的確な指示を事前に出す能力に欠けている
ものだ。

協力業者任せにしていながら、出来上がったモノに文句を言いたくなるのならば、出来上
がる前に、文句の出ない様に仕事の中身を正確に伝えれば良いだけである。

本人が当日になって現物を見てから《お祭り》の幕が開く……
《後の祭り》の第一幕が―――

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九月の虫の音

2021-09-12 17:31:05 | 建設現場

…………………………(九月の,虫の音)…………

 暦が一枚めくれただけなのに、九月という言葉の響きから暑さも忘れてしまいそう
である。

 この時期はまだ残暑も厳しく残っているが、お盆を含めて8月後半から工事がスロー
ダウンしていたのを一気に取り戻すように、気合いを入れる事から始まる。

眠っていた訳ではないのだが、準備運動もせずして急激に走り出られても困りものだ。

「さあ、気候も良くなったし、稼ごうぜ!」
と張り切っているのは私だけでカラ元気の様でもある。

お盆に故郷に帰り家族団欒を過ごした余韻を引きずったままの職人さん達に、ホーム
シックから抜け出せるようにと、安全大会で―――

「来週の金曜日に『焼き肉大会』をするから……」
この後の工事安全注意事項は右から左に聞き流されていて、大会のすぐ後に、
「所長、鉄板をもう一枚段取りしましょうか?」
「そうだよね、やっと元気回復しそうだね…」
やっと現場に笑顔と活気が戻って来たようで、明るい雰囲気も取り戻せそうになった―――

現在、工程的には遅れてはいないが、7月末には進んでいた工程の貯金日数がどうやら
『お盆休暇』の延長によって、目減りし始めているようでもある。

でも真夏に炎天下の中で休憩をしながら頑張ったような事は、もうさせないつもりで
ある。
これからは陽が短くなるし、台風もやって来るから、工程監理・雨対策に抜かりなく
現場を監理するように気を引き締めるところである。

 そんなところに支店から、
電話を待っているのに、何故して来んのだ!
(えっ?電話!?何それ…)

「済みません、一時間前に設計事務所さんが来られていまして―――」
と焼き肉大会の話題でテン張っていたのを、咄嗟に言い訳をする技も身についている。

「工程の状況と最終益(下期決算益)の見通しを連絡しろ!」
「設計事務所の方が帰られたら報告入れます…」

(何とか時間を稼がなくちゃ・・・)
「お前の所とあと二つがまだだけど、急いでくれ…本社へ報告時間が……」

(そんな事だろうけど、毎度の事でもあり―――)
「工程は順調ですけど、利益はちょっと計算してみますので……」
だんだんと虫の居所が悪くなって行くのが、声からでも分る。

竣工まで半年もあるのに、いま《最終利益見通し》を吐き出して報告するバカはいない。

この先何が起きるかわからないし、お金を頂けない設計変更工事は必ず発生するし、
地震倒壊はなくても台風接近による対策費も直接台風被害も、これから出て来る時期
なのである。

一言でも見通し額面を言おうものならば、最終精算時に目標の達成値が少しでも下がっ
ていたら、何を言われるや分りやしない。

本社に対して支店としての『下半期業績見通し』の報告が必要なのも分る。
でも眠っていた《腹のムシ》の眼が覚めたのは確かである。

今更計算しなくても自分なりの最終目標値は決めていて、それに向かって原価監理を
しているのだから、電話の対応に即答出来るのをあえて言わなかったのは背広族に
対して、
「シッポを振っているのではないからね」
との抵抗でもあろう。

工事予算書を申請した後、予備費も無く、私の含み余裕枠は総て削られていて、
「これでやれ!」
って渡された実行予算書から、やっとの思いで利益を上乗せしている所を、
「報告しろ!」
って簡単に言われて素直に答えられる程、私は人間が出来ていない。

 むしろ、微たる現状利益を全部遣って、

「決められた予算書で精一杯ですから……、赤字には致しませんから……」

といつかは言えるように力をつけようと、今は耐えているところである。

余裕の無い予算書から、協力業者の見積り書の額面を抑え、更に端数を削って契約し、
利益アップさせると出世は早いようだが、私は協力業者の首を絞めてまで利益は出し
たくないのだ。

私も一応、会社人間であるから、予算から収まる金額で契約し、或る程度は首を絞めて
いるようだが、首を吊るす《松の木》まで準備するような事はしない。

無事故・無災害で工事が竣工すれば、ボーナスとして何らかの形(感謝)である程度
職長さんに還元しているから、突貫工事・赤字受注工事でも協力業者からそっぽを
向かれた事が無い。

裏を返せば《業者と癒着している》と勘ぐられていたかも知れない。

利益アップした金額の数%でも個人的に頂けるなら、私も首を絞め《松の木とその枝》
まで手配するだろうが、ポケットマネーの回収能力も無い所長だったから、リストラ
候補の筆頭にもなったのであろう。
催促の電話が入るまで待っていたら、

「おい、なんぼ残るんや!?」
案の定、情けも愛情も感じられない上司の声が聞こえて来た。

(銭しか頭にねえのかよ…訊(たずね)方もあろうに……)

と、ますます虫の居所が悪くなり、暴れ始める。

「五十万円位は何とかなりそうですが……」
「もう少し頑張ってくれ、頑張れるよな?」

(べエ~ッだよ)

舌を出しているのが電話では分らないのをイイ事に《半値報告》の生返事である。

予算厳しき折、現場はギリギリの状態に追いやられても、建物を竣工させ、儲けようと
頑張っているのに、労をねぎらう言葉も出ないでゼニ・銭・利益・頑張れ・・・

全く現場の実態を御存知ないのなら許せるが、電話の主様は数年前までは現場を束ねて
いらっしゃったお方であるのだから、もう少し現場に対してモノの言いようもある筈だ。

支店のデスクからの電話だから周辺に上司の耳もあるし、まあかつては自分の部下だっ
た所へ、単刀直入な会話をして、周囲の視線に力の程を知らせる……とのポーズも見え
隠れしている。

(かつて同じ様な電話が入って、ムカついていた人だったのに・・・)

作業服から背広族に変わって、立場が変われば発言も変わる人を多く見させてもらって
来たが、所長時代の人格・人脈が繋がっている振舞いを見せて頂ける『目標上司』
いらっしゃる。

腹の探り合いなんぞしたくないし、こちらの能力を見越されての話は、会議上の話でも
嫌な雰囲気になるし、結論までも……お互いに見えているものだ。

夜遅くまで現場事務所に残っていて、工程・安全・品質そして原価監理の『現場四監理』
の未熟さに気付かされて、フト月を見上げる事も多くなるのも秋、枯葉が舞う季節に
なると―――

     秋の夜は更けて すだく虫の音に
     疲れた心いやす 吾が家の窓辺
      静かに ほのぼのと 
      倖せは ここに…

石原裕次郎の「倖せはここに」を口ずさみ、虫の音を聞けば腹の虫さんが鎮まって
くれる……
秋の夜長になり、虫の音を聞く頃には何故かこの歌を歌っている。
現場の軋轢(あつれき)に疲れた時、悔し涙で星を煌(きら)めかせた時にも歌ったなあ・・・

   星のまばたきは 心のやすらぎ
   明日の夢をはこぶ やさし君が微笑み
   静かな 吾が窓辺
   倖せは ここに…

    10月へ続く………

 

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八月六日には

2021-08-03 07:05:53 | 建設現場 安全

…………………………(八月六日には)…………

 

 熱中症に注意しながらの暑い8月は、常識外の狂った行動に陥り易いのかも知れない。

8月の記憶を辿ってみても、楽しい思い出が浮かんで来ない。
私が広島人である以上、8月と言えば8月6日の『原爆の日』を忘れる事は出来ないし、
戦争と平和・原爆投下の事実について語る日でもある。 

 そう思う様になったのは転勤により故郷の広島から離れた時に、日本で原爆が忘れ去
られるような時代になっていている事に気付き……ここで《戦争・平和・原爆》を少し
語ってみよう。

名古屋に来て30年このかた、朝礼の挨拶で、
「今日は何の日ですか?」
と問いかけて、
「今日は《原爆記念日と来る途中ラジオで言ってました……」
は予測していた答えなのだが、殆んどの人は、
「そういえば広島が6日で長崎はいつでしたっけ?」

 平和であることが当然の如くであり、遠い所で戦争をしているのは外国の話であり、
まして
《原爆が何を意味しているのか》
なんて思いもしない世代になっているのが心苦しいものである。

 ラジオ体操を終えたら、全員その場に座ってもらう事にしている。

「ちょうど今頃8時15分、広島上空で原爆が落とされピカッと閃光している時間です。
 ちょっと黙祷に付き合ってください…」

「・・・・・」
黙祷終了して、

「一発の原子爆弾の大きさはどの位だと思いますか?」
「・・・・・・・」

アメリカは6㎏の原子爆弾砂漠で実験した時―――
深さ2m直径350mのクレーターを残し、800m離れている高さ18mの鉄塔を倒し、
9㎞離れた人をなぎ倒し、60㎞離れた処でも爆発音が聞こえ、300㎞離れた場所
でも閃光が見えた―――
    等の実験結果報告がある。

実験をしてその破壊力を知った上で、更に大きい爆弾を作って日本に落としたのだ。
日本は戦闘能力が殆んど残っていない時期であり、一方、アメリカ政府は原子爆弾の
開発に何億ドルも研究費をかけて極秘で造っていたモノだから、戦争が終わるまでに、
振り上げたこぶしの落とし処を急いでいたのも事実である。

落とすのにはそれなりの口実が必用であり《戦争終結》させる為との大義名分もあるが、
その時はもう日本国は『ポツダム宣言』を受け入れて無条件降伏をする事にしていたのだ。

トルーマン大統領が最終決断したと言う原爆投下の是非がその当時にも論ぜられて
いるが、原爆投下後、戦争勝利国の言い分を覆すほどの意見は、敗戦国から出しようがな
くて、
「やむを得なかった」
を認めさせられているけれども、もう国際ルールで世界に通用する判断を委ねる時期で
あろう。

(昭和50年10月31日  昭和天皇のお言葉

      「この、原子爆弾が、投下されたことに対しては、遺憾には思ってますが、
        こういう、戦争中であることですから、広島市民に対しては、気の毒で
   あるが、やむを得ないことと、わたくしは思ってます。」

には、戦争の無念さ・平和を望むお気持ちを、精一杯述べられたものと思われます。

原爆は「落とした」のか「落とされた」のか、「落ちた」のか―――

広島に投下された爆弾とは、
           『ウラニウムを50㎏未満の搭載爆弾で、1㎏のウランが核反応した爆弾』
            たった1㎏の核分裂でどの位の破壊力があったのかと言う話をするのは、
            原爆で亡くなられた人と被爆体験者さんに対して真実を語れる内容に
           ほど遠いので、ここでは話を素通りさせます。

広島では原爆の事を『ピカドン』と言います。
ピカッと光った瞬間、閃光で目の前が真っ暗になって、ドーンの大音響とともに家は
吹き飛ばされ押しつぶされて、6千度の放射線熱で家屋は発火し、放射能と被爆火傷
を浴びて・・・

私が小学生の頃銭湯に行けば、ほとんどの大人の人の背と言わず肩や脚にまで、隠し
きれないケロイドがあり、眼をそむける事も出来ず、原爆の恐怖を無言で教えられた
ものだった。

当時35万人の市民のうち9万人が即死、年末時には死者16万人以上に達して(平成
21年には26万3千人を超えて)今でも原爆症(放射能後遺症)で入院されていて
不自由な生活をされている方もおられるのです。

『広島原爆慰霊碑』の石碑には
「安らかに眠って下さい 過ちは 繰り返しませぬから」
と刻まれて、静かに世界に平和を発信し、死没者名簿が納棺されています。

この《過ちは繰返しませぬ》という過ちとは、何を訴えているのでしょうか―――

「戦争慰霊碑」とは呼ばれていません、『原爆慰霊碑』として鎮座されています。

もちろん、日本人が日本人に謝っている事でも有りますが、過ちだと心に残している
以上、これから先、どう償えば犠牲者の御霊を安らぐ事が出来るのか・・・

原爆を落した責任の所在を明らかにして《二度と再びこの過ちは犯さぬ》と宣言出来た
としても、原爆犠牲者の胸にはどのような言葉を並べても慰めが届く事もあるまい・・・

平和式典で原爆犠牲者の霊前に於いて、広島市長を始め来賓の方々が平和宣言をされて
いらっしゃいますが、小学生の《子供代表・平和の誓い》には毎年、心を打たれる話で
ある。

広島平和式典 子供代表「平和への誓い」(平成25年8月6日)には―――

            「今でも、逃げていくときに見た光景をはっきり覚えている」
            当時3歳だった祖母の言葉に驚き、恐くなりました。

            「行ってきます」と出かけた家族、
            「ただいま」と当たり前に帰ってくることを信じていた。
              でも帰ってこなかった。

            それを聞いたとき、涙が出て、震えが止まりませんでした。
            68年前の今日、わたしたちのまち広島は、原子爆弾によって
    破壊されました。
            体に傷を負うだけでなく、心までも深く傷つけ、消えることなく、
           多くの人々を苦しめています。

           今、わたしたちはその広島に生きています。原爆を生きぬき、
   命のバトンをつないで。命とともに、つなぎたいものがあります。

   だから、あの日から目をそむけません。
   もっと、知りたいのです。被爆の事実を、被爆者の思いを。

    もっと、伝えたいのです。世界の人々に、未来に。

             平和とは安心して生活できること。
             平和とは、一人一人が輝いていること。
             平和とは、みんなが幸せを感じること。

    平和は、わたしたちの自らがつくりだすものです。そのために、
    友達や家族など、身近にいる人に感謝の気持ちを伝えます。

    多くの人と話し合う中で、いろいろな考えがあることを学びます。
    スポーツや音楽など、自分の得意なことを通して
    世界の人々と交流します。

    方法は違っていてもいいのです。
    大切なのは、わたしたち一人一人の行動なのです。
    さあ、一緒に平和をつくりましょう。

    大切なバトンをつなぐために

            《子供代表 小学校6年 竹内駿治・中森柚子》――

*****************   ******************
祖母から原爆の話を聞いて、平和に感謝する心が育って行く。
この子供達の世代に平和に感謝できる心を引き継ぎ、守って頂ける様にせねばならない。
八月という暑い季節を迎えると、どうしても平和の有難さに感謝する機会だと私は思っ
ている。

核がありメルトダウンした《福島第一の原発で、核の恐ろしさが伝わっているが、
放射能を制御出来ない限り《核を『平和利用』している》とは広島人には到底認められ
ない話である。

原発は核の平和利用だからと国は言うが、広島の地に原発建設の話さえ無かったのは
広島人が
『核』そのものを《全世界が持たない願い》として、
犠牲者から今も学んでいるからだろう。

原発稼働によるプルトニウムの発生…5㎏もあれば広島の原爆の数倍の爆弾が簡単に
作れ……汚染燃料処理の未開発…テロが日本で発生しない……
これでも『平和利用』だろうか―――

************    ***********          ************     ************ 

そして2021年夏の話―――

 この平和という奥深い言葉を今までのオリンピック開催に便乗して、バッハ氏を
『ノーベル平和賞』にと推薦している団体があるというニュースが飛び込んで来た。

開催のプレゼンにおいても『福島原発事故復旧』の名目上でも、福島視察がIOCバッハ
会長の開催地視察行動の第一歩のところを、広島原爆ドームを訪問という裏工作を国も
日本オリンピック協会も拒絶しなかった。(バッハ氏の言いなりに屈した
「広島から呼ばれている」
と協会の橋本会長が理由を説明しているが、日本はコロナ緊急事態宣言下で不要不急の
外出が自粛されているのに、オリンピック関係者を引き連れて開催の一週間前に特例
行動が許され広島を訪問した。

原爆ドーム・平和公園周辺には市民は近寄れない規制を敷いた中で、平和が語れるのか
とTVニュースを見ていたが、バッハ氏を歓迎する姿はヤラセ(事前取り決め)であり
広島の地・原爆ドーム・原爆資料館を視察されても核についてどころか、核廃絶につい
ては一切しゃべらず被爆者との会話もされず、平和の言葉は写し出されませんでした。

これでもオリンピックが《平和の祭典》とか言う様では、原爆で亡くなられた方々に
広島人は平和について顔向けできず、失望より『怒り』しか沸かなかったと………

積年の『ヒロシマからの平和』を踏みにじり、原爆の投下時刻に重なる大会に黙祷すら
拒否表明して、ノーベル平和賞をバッハ氏が首に掛ける姿を世界はどのように受け止め
るのだろうか………

 今回は建設現場の話から脱線しましたが、八月六日は冥福を祈り静かに過ごしたい
ものです。

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熱中症対策の七月

2021-07-05 06:53:11 | 建設現場 安全

       ………………………(熱中症対策の七月)…………  

七月一日から一週間、『全国安全週間』が毎年行われる。
厚生労働省の協賛のトップに建設業労働災害防止協会があり、建設業界では災害ゼロを
目指すスローガンを掲げて、昭和の初期(3年)から安全衛生に取り組む一週間となっ
ている。

それに先立つ事の一か月前が準備期間として定められていて、一年間の安全監理をまとめた
り、これからの一年間の安全テーマを決めて協力業者と一緒に研修会を催す事になっている。

その中の行事に《安全大会》が組み込まれていて、プログラムの中で講師の『講演』が
大会を盛り上げる役目であり、私の出番が来る。

今年も半年経過し暑い時期を目前にして、年末までの半年を災害ゼロで乗り切ろうという
節目としてこの安全大会が催されるので、現場も無事故・無災害を改めて誓う場でもある。

「安全大会」そのものについては《建設現場の子守唄》《――風来坊》《――玉手箱》で、
かなり厳しいコメントを載せていますので、安全は誰の為のモノなのか…を思い出して下さ
いませ。

さて、最近の安全大会で必ず話題に挙がるのが『熱中症』である。
檀上で話をされた人々の最後には、
「これから暑い時期になりますので熱中症に気を付けましょう
が別にイヤでは無いのだが、挨拶用の言葉になっているだけだから、気に入らない。

気を付けているだけで防げるのならば、建設業界に熱中症や《労災》は発生しない。
水分を十分補給し、気分が悪くなったら涼しい所で休息して、体を冷やす時は……等の話
を耳に入れ、ポスターを目にすれば《気を付けられる》とでも思っているのでしょうね。

最近、建設現場から熱中症で病院へ運ばれる人が年々増加しているのだから、もっと有効 
な熱中症対策があってしかるべき話が聞こえて来ないのが、現状であるみたいだ。

「車の運転には注意して安全運転しましょう」
と車の免許更新時に言われるのだが、死亡事故は発生するし、少なくもならない。
掛け声をかけている側から、どこまで本気なのか熱意が伝わって来ません。

私の住む愛知県は交通事故の死亡者数が10年以上も連続全国一であり、安全運転に対し
ての《掛け声》は確かに多いのだが、事故が減った年でも死亡者数は今もって全国一位の座
である。

交通安全に掛け声をかけて運転席にはショックアブソーバーも装着されているし、死亡事故
の責任は運転手側に原因があるとでも言いたげな《車は安全だ》と言う様な宣伝もある。

これは熱中症対策を呼びかけていても、救急車で搬送される人が年々増えていて、注意喚起
のポスター枚数を増やすだけの《呼びかけ》と似た様なモノであろう。

「安全に注意しなさい、スピードは控えめに」
の決まり文句に対して、
「温度が高くなったら、涼しい所で作業しなさい、水分補給をこまめにしなさい」

と、まるで選挙カーからの叫び声のようで、炎天下で保護帽を被り、命綱を腰に巻き、
重装備で働く人の為を思っている呼びかけでは決してない。

屋上で作業していて頭上には太陽しか無いような場合に、クールビズではないけれども
保護帽を脱いで麦わら帽子でも与えて、日射病も熱中症も気に掛ける事なく
《軽装備》
で作業した方がよほど安全作業になると思えるのだが、誰も麦わら帽子を準備しようと
しないで、
「熱中症に気を付けよう…(暑いのは我慢しよう……)」の繰り返しであり、
《我慢をさせながらの安全監理》
だから熱中症にさせているのだ。

朝礼も安全大会でも、労基署署長さんの訓話からも、
暑くて大変だけど、職人さんだから何とかするだろう

と他人事の問題として、エアコンの効いた部屋から現場を眺めて、熱中症対策会議が終わる
のだ。

墜落防止を呼びかけていても、墜落死亡事故が発生するのは、落ちる空間があって墜落防止
のネットが張ってないからであり、ポスターや言葉で事故は防げはしない。

熱中症に注意させながら、涼しい所で体温を冷やしたくても、職人さんの休憩所にクーラー
が 設置されてない小さな現場が大半であり、対策の手立てを差し伸べない限り、熱中症に
(かか)る人は増える一方である。

熱中症の『自己防衛』をいかにするか―――私の安全大会時の《熱中症対策》を公開しよう。

◎講演を聞いている元気のいい職人さん達に、
「『熱中症になるかも知れない』と心配な方は手を挙げて下さい」
と訊(たず)ねると、聞き漏(も)らした訳ではないが、手を挙げる人はマレである。

(俺たち、炎天下で仕事しているから、そんなヤワじゃあ職人は勤まらん)
と健康なのか強靭な体力を自慢してなのか、熱中症で倒れるとは思ってもいない。
 だから熱中症の予防についての話を誰がしても、馬耳東風って事なのだ。

  「じゃあ、人間の体について話をするね」から対策話が始まる―――

    人間の体温は一般に36℃です。
    子供が風を引いて、熱が出てぐったりしている時が大体39℃だったでしょ?

    大人でもたった3度体温が上がっただけで、仕事を休もうか……と思うよね。

    体温計の目盛を見ましたか?
    体温計は42℃までしか目盛が無くて、それを越えると人間の細胞が
    止まるって事です。

    つまり、ぐったり状態の人の体温が、それからたった3℃上がると心肺
    停止状態になるのです。(逆に8℃下がって28℃が底限界)

    36℃から3℃ほど上がるまでの状態を覚えている人はあまりいなくて、
    けだるくなって体温を測って初めて熱が出ているのを納得する人のほうが
    多いと聞いています。

    風邪を引けば極寒の冬でさえ体温が上がる(熱が出る)のだから、真夏
    に太陽に照らされながら仕事をしていれば体温はどうなるのでしょうか?

    冬、寒い時には手足を動かして、体全体を温める行動を取りますが、夏場
    でも体を動かせて仕事をしていれば、同じように体内から熱は発散して
    いるのですよ。

    炎天下、直射日光をモロに受けての作業をしていて、
    体温が36℃のままでしょうか?

    健康の為サウナ風呂に入り汗を出している時、
    体温が36℃のままでしょうか?―――


サウナ風呂の室内は90℃前後であっても、発汗作用によって体温は調節されるから熱中症の
ように体温を蓄える事は殆んど無い。
炎天下で作業している人は日射病になる可能性はあるが、汗を大量に出せば、のどの渇き
により水分を絶えず摂取補給となって、体の温度は上がらず熱中症にはなり難い。

しかし、現場で室内作業をしている場合には、熱中症に罹(かか)る確率が高いのです。

それは、外気温33℃でも工事中の室内にエアコンはなく、埃飛散防止に窓は閉めてある中
での作業でもあり、風通しの悪いのは慣れているから、
「今日は特に暑いなあ……もう少し頑張って早目に帰宅しよう」

と休憩時間を省略して、キリの良いところまで無理矢理仕事を進めるものだ。

汗をかいて肌着にベトついていても、水分補給があまりなされず、作業を強行する場合
が多い。

発汗作用の機能が発揮されていないまま、水分補給が不足してくれば、体を動かした熱量
が体内に蓄積され始めて、熱中症の症状が徐々に現われて来る。

我が家に帰ってエアコンが効いていればいいのだが、クールビズが家庭でも実行されて
室温はさほど低くないので、体温はなかなか下がらない。

夕食前後から体調不調を感じて救急車の世話になる……こういう話が夜中に入って来るのだ。

ではどこで手を打っていれば《熱中症が防げる》のかがポイントである。

「汗をかくのと水分補給のバランスを理解して下さい」
        と私の講義は第二段階に入る―――

   人間の体重の60%が水分です。
           例えば60㎏の人の場合は36㎏つまり36㍑が水です。

   その中から水分を2%失うと喉が渇いた(カラカラ)と感じる状態に
          なります。
   2%と言えば720㏄ですから、水分損失量はカップラーメン2個分以下
   の量なのです。

   10%=3.6㍑失うと脱水状況で、12%=4.3㍑(バケツ半分)失うと死亡
          なのです。

   ちなみに寝ている時の発汗量が200㏄と言われていますので、水分の
   補給は大切な事なのです。

    サッカーの試合中、僅(わず)かなブレイクタイム時に選手がこぞって
         スポーツ飲料をガブ飲みしているのを見れば、マラソン競技でも走り
           ながら必ず水分補給をしているのを見れば発汗の量は相当あり、水分
           補給が大切であり、運動エネルギーの源になってい るのがよく分る
           と思います―――


話を熱中症に戻して―――

『炎天下で作業する人より現場では室内作業に従事する人こそ
《熱中症に罹(かか)り易い》
という事に気が付いた頃を見計らって、

「やっぱり熱中症になるカモ知れないな……と思われた方は手を挙げて下さい」

ザワザワと音がして、

(多分大丈夫だろうけども…絶対ならないとも言えないから……) 

と先程の健康自慢を取り消して、ゆっくり手が上がる……数秒後には半数近くも・・・

手を挙げた人は私の注意事項が琴線に触れて、熱中症対策を素直に理解した顔になって、
夏場を乗り切る自信が出来たのが伝わって来る。

自社に戻り、自分達のグループや仕事仲間にリーダーとして
《熱中症対策の話》
の中で人間の体について数値を示してくれる筈であり、7月・8月の厳しい暑さの中でも、元気に頑張って頂ければ、私の役目は終りである。

   『ご安全に・・・』

*****************  ***************

               次月のエピソードは「八月六日」を話てみよう。

 

 

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六月の雨は

2021-06-10 20:18:28 | 建設現場

     ………………………(六月の雨は)…………

現場にとって空からの贈り物である雪は季節柄仕方ないにしても、雨は天敵である。
「土方(どかた)殺すにゃ刃物は要らぬ、雨の三日も降ればよい」
とまあ土建業の泣き所は年間を通じて、昔からあったものだ。


土方という言葉が「土工さん」と言い廻しが変わっても、建設業が屋外作業であり、
土木工事も建築工事も自然界から恩恵を受けながらの仕事には変わりがない。

この天気を味方にすれば工事も順調に進むのだが、現場には《雨男》も沢山いる。

なかでも困るのは現場のトップが雨男であると、ゲンを担ぐ訳ではなくても大切な日に
限って雨を呼び込んでくれるから、てんやわんやの工程になり、竣工前の1か月ともなれば
突貫工事へとお決まりのコースになってしまうのだ。

また、現場で第一回目のコンクリート打設の日に雨が降りでもしたら、基礎・土間・1階
そして最上階までの各階でコンクリート打設当日が降雨にハマるものである。

建物を創っている途中、つまり屋上(屋根面)の防水工事が完了しない内は、台風が直撃し
ても、梅雨でなくても又、ちょっとした雨降りでも雨の量に関係なく、雨には防御の手立て
が無いまま室内は濡れるに任せている様だ。

工程の遅れを天候に左右されるのも否めないが、
「雨がよう降ったので……」
と言い訳には耳を貸さず、
「雨はあんたの現場だけに降ったものではないよ!」
と私はやり返す。

雨が一度も降らないで工事が終わるなんて有り得ないし、日本には梅雨というものまでも
ある。

雨が降るのを見ていても時間は経過するのだし、作業をストップし順延させるから工程が
どんどん遅れてしまうのは《雨に対しての対策》が出来ていない現場だからである。

職人さんの出面(=でずら 出勤人数)、今日の作業内容、現場の安全等々を見ているだけの
監督ならば、雨も又、しかりである。

今の時代に、何の前触れもなく雨が降る筈もない。

天気予報士さんからの情報もあるし、ニュースでもネットでも正確な予報がキャッチ出来る
のだから、天気により工事の流れを止めないような手立ては事前に出来るのだ。

つまり、一週間の工程を把握しているならば、何故、降雨対策まで配慮しないのか……
である。

「雨だから仕方ない……」
は所長として、決して言ってはならない言葉である。

《建設現場の子守唄》にも書いているけど、雨が降る日に行うべく仕事をまとめておいたり、
雨が降っていてもコンクリートを打つ私であるが、あきれた話もあったなあ。

岐阜県のある所での話―――

「あんた達、雨が降ってもゴルフするでしょなぜ現場を休ませるの!!」

打ち継ぎ杭には自動溶接があるので、溶接中及び溶接施工直後に水が掛かるのは論外である。
火花と煙を停めないように連続溶接している真っ赤な鉄に、水が一滴でも触れると『ヤキ』
が入った状態になるのだから、溶接の部分の鉄を叩けば簡単に粉々になり、使い物にならな
い杭となってしまうのだ。

それでも、雨中作業を役人監督から命ぜられて―――

雨降りで重機が稼働しなくても杭打重機の一日の使用料金(10数万円)は発生するのだから、
雨が降っても作業をしたいのは、やまやまである所を耐えているのに、大変なイヤミを言う
役人だったなあ。

水の中でも溶接出来るならば、雨が掛かっても溶接に影響が出ないと言えるのだが、鉄を
切る場合のガス溶断でさえ5㍉の水が有れば不可能である。
(007の話ならば有り得るだろうが…)

工事開始早々の杭打ちの頃は、役人監督者の《神の声》に従わざるを得ない時期でもある。

(何考えてんだ!?)
流石の私も言い返すには時期尚早であり、
(今日だけは黙って顔をたててヤルけど、次からは・・・)
とニガ虫を噛んで、顔をひきつらせて、

「地中に深く埋って見えないし、イイとしますか?

皮肉を言ったのも面倒だったが、私も意地になって《作業強行》させてしまった。

建物を支えるべく杭の数本が……になってしまっているが、まあ大地震が来るまでは建物が
傾かないでいて欲しいと…後味の悪い建物を唯一残してしまった話も雨によるものだった―――


工事中、雨が降って仕事をストップせざるを得ない状態を回避しようと誰しも考える。
つまり、屋上の防水工事が完成するまでは建物内部は雨に対して濡れるがままであり、
建物をすっぽり覆(おお)えば何とかなる筈だから……と一応考えてみる。

雪ならばシートを掛けて一時しのぎが出来るだろうが、融けるまでに雪の処分をする必要
があるし、雪融け水で表面を濡らしては元も子もないので、あまり効果は期待出来ない。

自然界から恩恵を受けながら仕事をしている土建業は、やはり自然には逆らわない方が良
いのだろう。

かと言って、先程来のように指を咥(くわえ)たままではいられないのが、現場所長のつらい
ところである。

自然界を味方にして『天運』に抱かれべく、には―――《徳を積むしかあるまい。

六月の暦に近づくと、梅雨対策を念頭にして工程を協議する。

掘削中ならば地面を掘って水が湧き出た所に、更に空から雨が降って来て、溜まった水を
汲んでは排出する事(通称・水替え)に時間と労力を費やし、長靴の底に泥を着けての仕事
が続く。

「雨によって溜まった水を排出するのは誰の仕事だ?

とよく、職人さんともめる。

監督員は長靴を履いているが、職人さんは昔ながらの地下足袋(じかたび)が多い。

最近は運動靴も多いけれど、足元に水があっては作業能率が格段に悪い。
雨が降ると雨水の処理(水替)まで手配が増えるのだが、梅雨時期では降雨と水替えが交互
になってしまい、水中ポンプは廻っているけど馬力不足で水は汲み揚げていない状態が良く
起きる。

曇天を眺め、足元を濡らし、最終的に雨水は何処に処理(放流)するのかとの話も6月の
工程会議では真剣に取り組む事柄である。

六月の言葉から『梅雨』を連想するものだが、私の現場ではダメージが少なかった…と
思う。

それは、6月に降る雨により工程の流れを寸断され、一週間毎の打合せからでさえ、
まともに先が読めなくなる様な状態をクリアしていたからだと思う。

同じ雨が降るにしても、工事進捗の状態では《雨中ものともせず》で突っ走る事が多い
のであるが、雨カッパを着ても作業が出来る「鉄筋を組立てる時」が六月に多かった
のも、運があったと思う。

雨降りを嫌っているばかりでは決してなく、雨降りを望む事もある。

それは、建物を解体する時だ。
解体中は埃の舞い上がりを防ぐ為に散水を行うが、2~3か所同時にホースで撒く水より
もはるかに有効なのが雨であり、雨を当て込んで一気に解体を集中させたものである。

雨の降る日は近隣さんも窓を閉めていらっしゃるから、重機のエンジン音も排気ガスも
解体中の恐竜の泣き声もどきの騒音も、幾らか和らいで伝わっているだろう……と独り
よがりであった。

六月に降る細かい雨が数日続くと、技術屋のプライドを砕く話が飛び込んでも来る。

外壁からの雨漏り―――《漏水(ろうすい)である。

コンクリートの乾燥・収縮によるヘアクラック(小さなヒビ)、髪の毛以下のヒビから雨が
浸み込んで来るのだ。

外壁がタイル貼りならば雨水は殆んどタイルの表面で流れ落ちるから、ヒビがあっても室内
にまで雨水が侵入する事は殆んどない。

しかし、梅雨時になっての雨によっては《雨漏れ発生》のクレーム対応が出て来るのだ。

《建設現場の風来坊》でも天上落下事件として、雨漏れ騒動を書いているが
(実際は空調の排水)
予期せぬ所からの水漏れ騒動も、雨降りの後から湧き出るものだ。

雨降り後の美しい『虹』なんて何年も眺めていない……と
今年も又、曇り空を見上げている。

          ………(熱中症対策の七月)………へと続く

 

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黄金週間中に

2021-05-04 17:15:08 | 建設現場

………………………(黄金週間中に)…………

 五月晴れ。

世間は黄金週間・大型連休にレジャー情報が満載であるこの頃、この青空に
満喫する余裕もなく、他人事として過ごして来ていて何年になるのだろう……

黄金週間で浮かれていても結構だが、休暇として扱うので、職人さんは日曜・
祭日の数によって5月度の給金(手取り給料)が、極端に減るのは困りものだ。

祭日に加えて雨降り休みも多いのがこの月でもある。

職人さんの出面(でずら=出勤=日当)が一日2万円として、祭日を休んでい
れば普段より10万円も少ない給金を月末に受け取って6月を乗り切るのだから、
家計を預かる奥様は大変な事だ。

正直、この時期は現場監督ながら《サラリーマン監督》でよかったなあ……と
一息入れる時期でもあった。

こう言う裏事情があるにも拘らず、
「有給休暇 取得推進月間」
と言うポスターを現場の休憩所に掲げているのだから、所長としては複雑な
心境である。

四月も半ばが過ぎると、黄金週間期間中に何日現場をシャットダウンさせるかと、
協力業者のオーナーさんと話をせねばならない。一方的に、
「ここは三日間連休するからね」
と言うのも間違ってはいないが、顔色を窺(うかが)いながら、 

「ダメ?休みたくないですか?」 
「現場で決めれば従うまでですが……」
(仕方ない……か)の文字が顔に浮かんで来るのが分るモノだ。

そんな黄金週間の中で、楽しい一日を過ごした話をしよう。

「皆さん、休みの日に子供と何して遊んでるの?」

連休期間中に旅行をする職人さんはあまりいなくて、手近な所で何とか過ごして
いるようで、家族から、

「どこかへ連れてって―――」
とせがまれて、
「一日くらいは家庭サービスをしなくては、父親として恰好がつかないから困っ
とる……」
と聞こえて来た。


「じゃあ現場に連れておいでヨ、お父さんの働いているところを見学して、現場
《焼き肉大会》でもやろうか?」

「息子は《現場が見たい》といつも言うてるし、嫁はんも連れて来れるんやし……
やろうよ所長!」

現場は完全休業日にしており、警備会社に祭日警備を依頼していたその費用で、
「肉と野菜は買えるでしょう?ビールは事務所の冷蔵庫から持って来ればエエし
……」

「嫁はんに料理準備させようか、所長」
「それでは家庭サービスとは言えないんじゃあ?ないの?(笑)」
そこの現場は今年になってからも二度ほど焼き肉大会を開催していたので、話は
即決だった。

問題は家族づれだから総勢何人になるのかが、現場の休憩時間の話題のネタで
ある。

車の運転がある人はいつもビールを我慢していたのが、今度は《奥さん運転手》
が居るのだから肉もビールも半端じゃあないゼ……と私の財布を心配してくれ
ている。

「喰う為に働いているんじゃあない、よく働いてくれているから腹一杯喰って
くれればよ~し」

と見栄というか歌舞(かぶ)いていて、私も一緒に楽しんでいるが、チームワーク
が良い故でもあろう。

10時半に集合して『工事現場 家族見学会』をして、仲間内で楽しむ焼き肉大会
は11時30分から始める事になった。

毎日お弁当を配達してくれている仕出し屋さんへ、お昼ご飯用におにぎり
150個を御願いして、届けてもらう話も出来た。

さて当日、天気は晴れ―――。

いつもは資材を運ぶ通路にマイカーが並べるようにし、朝礼広場に机と椅子を
並べている。

10時頃には職人さん達の家族も来場し、普段汚れた(失礼)作業服姿の笑顔
が見慣れているので、家族を連れてハニカム顔から、

「あんた誰?」
と何度も言いそうになったのも、冗談ではないような挨拶から始まった。

それにしても若い職人さんがしっかりした家庭を持って、奥さんがそろって美人
であるのには改めて感心させられる。

確かに勉強好きではなくて、自分の生き方を自分なりに考えたと言えば恰好が
イイのだが、茶髪にしたりバイクを乗り回し、青春時代を半歩踏み外して親を
心配させながらも、自立する道を選んだきっかけが、当時の彼女であり、
今の奥さんが居ればこそ……の話であろう。

奥さんと子供達を工事現場用のエレベーターに載せて、廃墟のようなコンクリート
の柱と壁を見ながら屋上へと進む。

エレベーターと言うよりも全体の姿は金網のカゴに手摺が有るだけで、歯車が動
いているのも丸見えで、5m程上がって行くと雑談は消えて機械のモーター音が、
「大丈夫…大丈夫、お父さん…いつも…載せて…いるから…」
とでも言うような声に聞こえて来る。

一番上で止まったところは5階の型枠と鉄筋の組み立て中である。
見学通路(作業通路)を指定しているけれど、
「お父さんと一緒ならどこへ行ってもいいよ、材料に触ってもいいよ」
と興味津々の子供達に声を掛けると、ブカブカの保護帽に手を当てて笑顔を見せ
てくれた。

広場にはお弁当屋さんのおにぎりも届いて、鉄板の横の机に肉は言うに及ばず、
野菜類・ソバ・イカ・エビ・ウインナ等が山になって出番を待っている。

焼き肉パーティが始まった―――

焼き肉を家族のお皿に載せている時の話題には、普段聞いて居るドラゴンズと
仕事上の会話は全く聞こえず、焼き肉の取り合いに負けたくない父親の姿が発揮
されている。

「オイ、これうまいから喰ってみな、ジュースはあるか?」
「トンちゃんってコリコリしておいしいのね」

「肉も飲み物もなくなり次第打ち上げだからね。喰った人が勝ちだからね」
「所長、残ったらオレ持って帰っていいですか?」
「残りものは焦げた野菜と肉だけど、それを持って帰るの?」 
一同、大笑いである。 

パーティ開始から少し遅れて来たグループもあって、からかってみた、

「あれっ?手ぶら!?みんな自分で肉を持って来て焼いているのに……」
驚くどころか私のジョークも聞き流して、鉄板に肉を載せ始めている。

まあ喰い物一つによって性格も人格も浮き出てくるものだ。

子供達に言った、
「おにぎり一個から《戦争になった》話を知っている?」
(知りません……今は食べるのに夢中なの……)

大人の方を見廻したけど、視線をそらされてしまった。

「それはね、『さるかに合戦』なの」
おにぎりと柿の種から合戦に発展―――のおとぎ話を人間に当てはめれば、
まんざら有り得ない話ではなかろうし、食糧危機が訪れると……

しかし、机の上の食材はどんどん減って行き、雑談とお腹は相当膨らんだよう
である。

「ここの現場になってから、パパが元気に仕事に出かけて行くのが、よ~く分り
ましたわ」
と奥さん達の嬉しそうな声も聞こえて来て、ここが
《汗まみれの工事現場》
だと言う事を忘れて、幸せな気分にもなっている。

黄金週間を家族旅行等で楽しむ世界にはほど遠くて、仕事場で半日を過ごした
皆の心に、チョッピリと幸せなひとときを過ごせたこの日を、つらい時には想い
出してくれたらイイな……

(この家族の大黒柱にケガをさせては申し訳ない事になる)
と家族の笑顔・安全の大切さを《心の芯まで》沁み届かせて頂いた
『黄金週間の一日』
であった。

   《六月の雨は》 につづく・・・

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閑古鳥の鳴く四月

2021-04-05 14:19:16 | 建設現場

………………………(閑古鳥の四月)…………

 年度変わりの節目に合わせて建物の竣工引き渡しをせねばならず、深夜まで
時間外労働の連続だった三月から暦を一枚めくっただけで、スローモーション、
まるで時間が止まっているように見えるのが、建設現場の宿命とでも言える
《閑古鳥の鳴く四月》である。

一年の内でお盆前の8月・師走の12月・そして竣工日と重なった年度末の3月は
特に阿修羅(あしゅら)の如く働く月として覚悟は出来ている。

そこを乗り越えた時の四月には現場の作業はひとかけらも残ってなく、虚脱状態
に陥るものだ。

造船所にて進水式で船が出て行くのを見送っている人も似た様な気分だと思え
るものの、造船所から人は離れる事はないが、建設現場は竣工させた我々がその
場を去って行くのであるから、次の赴任地が決まる迄は魂は飛んで行き、頭は
空白になってしまうものだ。

四月という響きが心地よい中で、知らずしらずに幾日かが過ぎようとしている。

桜の花も散り、時の流れが平凡になったが、こういう平凡な時をどのように
過ごすかによって次の現場が何であれ、動じる事の無い《男の器》を磨いておく
時でもある。

次の現場がまだ決まっていないから『対策のしようがない』とは言わせない。

設計図を開いてからの動きは誰でも出来るが、仕事が手元に無い期間には建設
業全体を見渡せる絶好の機会なのだ。

若者の夢・業界の未来・不況打破・・・現場稼働中は目の前の出来事に忙殺されて
とても考えるゆとりが無かった《建設業の舵とり》を今、前を向いて考える時間
を天から与えられたのである。

花形産業であると信じて建設業界に飛び込んで来た我々の世代から、最近の世
の中を見れば不安を消せないモノである。

「不況のせいで仕事が廻って来ない」

と上司の言葉を聞かされれば、安全監理あるいは安心作業から遠のいてしまう
のが分る。

不況風を受けるのは今に始まった事ではないし、私自身も不況の風にあおられて
リストラの経験を踏まえて言うならば、閑古鳥が鳴いている時が前向きに考える
タイミングであろう。

  そこで思うには―――

建設業を志した人達はホワイトカラー族に対して、頭脳よりも技術の分野で人生
を切り拓く道を信じ、信念に基づいて《モノ創りに生き甲斐》を感じているの
である。

赴任先が海外になろうとも、建設現場がある限り自分の技術で
《モノを創り出す》
という仕事に誇りを持っているからです。

私は現場が竣工する度に次の現場が何処になるのか、単身赴任や海外勤務を覚悟
する期間があった為か、リストラを宣告された瞬間に、どうしても会社に残りたい
とは思いませんでした。

リストラ宣告の場面は《建設現場の玉手箱》―青天の霹靂―にも書きましたね。

――― 建設現場を任されている以上は会社組織の一部分であっても
《歯車の軸》
であり、現場の仮囲いの中が《自分の居場所》であり役割だから、軸さえしっかり
していればどこででもかみ合う歯車を創って現場を動かせる―――と思えた時に
次の道も見えて来たものです。

受注が激減しているのは現実でしょうが、
「この不景気時代に再就職先がない……」
と不安になる人と比べる迄もなく、建設作業が人の手で創る限りは一時的に人の
流れが変化するものの、この業界に終点はなくて未来が有る世界なのです。

平成のこの時代、各種の製造業が発展し、便利なモノが多く出来て生活が楽に
なりました。

しかし、生活上での「便利なものは必ずしも必要品ではなく
「贅沢品」の言葉に置き換えれば、
我慢することも出来るモノに対して、建設業の世界は便利さよりも、
『必要不可欠』
なモノを創っているのです。

建設というモノ創りの現場は多くの仲間と共に支え合って完成するものであり、
その上職人さんの技術も必要な世界であるのは誰しも知っている。

そこを振り返ってみれば職人さんは高齢化し、若手職人不足のみならず若手現場
マンも極端に不足しているのを実感しながら、どのような手を打っているのか、
打つのか…と考える時である。

建設現場の中で、目前の工程監理に没頭し続けている間は、

「世間に眼を向けても仕方ない」

と考えようともしないで過ごしていたのだったなら、尚更、建設業界を考える時
なのです。

若者の悩み・相談に答えが言える準備をするのにも、十分な時間をつぎ込めるで
しょう。

『古池や (かわず) 飛び込む 水の音』
我々は時代に乗って、建設業界に音を立てて飛び込んだのであるが、

「古池や その後飛び込む(かわず)無し」
と蛙君たちが古池に近づかないのを、時代の勢にしてはいけません。

建築という伝統をこの先も守って行く為にも、熟慮断行するのに最適なのは、
閑古鳥が鳴き舞い降りると言う四月の建設現場です。

建設業を他産業にならって、人手不足とか不況の勢(せい)にしたくはないものだ。

建設工事の受注営業が不振なのは背広組の責任範囲ではないにしても、工事物件
が減り現場技術者を解雇するのでは、まるで生コン車を売り払って生コン工場を
増築するように思えます。

 数年前から現場に若手がいないのが建設業の重要問題だと言われながら、人手
不足から突貫工事・長時間労働を余儀なくされても現場マンは頑張っています。

バブル以前には土休・祭日の言葉は他人事のように思い、風雨降雪に立ち向かい
働き廻っていたのが異常な環境だとも思わず、遊ぶお金はあっても遊ぶ時間が無
かったものだった。

最近の若手現場マンにとっての日曜日は、

「とにかく休む」

の方針を打ち出して人生に《ゆとりを持てるご時世の到来と思えば如何で
しょうか。

 一途に竣工に向かって走るのも現場マンの生き甲斐ではあるものの、閑古鳥が
鳴いている今ならば今までの忙しさで遠ざけていた
《感性に触れる機会》
とか標準仕様書を『完全読破』出来る等、
天から与えられた時間なのだと私には思えるのです。

施工物件が多くて走りに走った時代から抜け出せない人ほど不況打破に苦慮され
ていて、建設業界を心配されているようです。 

 与えられたモノ創りを手順良くこなす能力は経験で培(つちか)ったものですが、工事計
画書のようにこれから先の建設業をいかに創り、若者に夢を描かせるのか……を
真剣に考える時になっている。

 不況風には終りがありますがモノ創りの世界にいて必要なモノを創り続けて来
た我々には夢があり信頼もあり、そこには無限の可能性があるのですから・・・


**************************************************

     久々に 
      じっくり仕様書
         めくる 日々
            不況風にも 憂(うれい)なし

      *******************************************************

                     ―――5月のエピソードへと続く

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