ある雑誌~義理で講読してますが~の連載記事に、「食育は生活リズムの向上から」と題した記事がありました。
時の人でもある陰山英男さんの理論・実践をほめちぎっていました。陰山さんの実践は私もなるほどと思う所がたくさんあり共感できるのですが、一方でどうしても解せない部分もあります。
それは陰山さんの理論に対してではなく、具体的な実践に関してです。
ちょっと時計をさかのぼらせますが、ここ数年、説明責任が社会全体で強く問われるようになりました。でも、信念(言い換えれば思想とか理論、根拠)なき人々がその対応に当たる時、必ず保身に走るものです。
保身の仕方はいろいろあります。
一番多いのは、何事かを常に周囲に対して要請し続けるというものです。
私自身、職場、地域などいろいろなポジションでたくさんの肩書きを背負っていますが、とにかく会議や行事の多いこと。「追われっぱなし」です。「親子のふれあい」の行事ための行事で週末がつぶれてしまい、家族でドライブに行きたいのに行けない・・・・・本末転倒ですよね。
とにかく、どこかに出て行くこと、何事かをすることが説明責任の果たし方みたい(語弊はありますが)です。
私の近くにいる子どもたちも、今年から増えた授業時間のために帰宅が平均して遅くなりました。それに加えて、家庭学習時間○○分(学年に応じて増えていく)が強く求められてチェックシートまで「自主的に」作り実践するように求められます。親としては「我が子のために」と、ピアノ、スイミング、少年団などの習い事や塾に通わせたがります。
実際にそれぞれにどれだけ時間がかかっているのか積もってみれば、それだけで「早寝・早起き・朝ご飯」の時間が形式的になっているのか明らかです。
先述した連載記事の方は、その実態を踏まえずにゲームの時間が増えていることを批判していました。ゲーム漬けはよくないでしょう。
しかし、誰だっていろいろなことに時間を取られ、自分が本当にしたいことのできる時間がないのであれば、ゲームの時間ぐらいって思うものです。
おとなだって、たいへんな職場の憂さ晴らしのために飲み屋に行くでしょう。子どもだって人間です。むしろ、おとな以上にストレスの発散の仕方が分からないのです。
そんなことを踏まえずに、平然として陰山さんの理論だけをなぞっているようでは、全国に不幸な子どもを大量生産するだけです。私自身、陰山さんがそんな子どもや保護者をどう指導しているのか直接お話をうかがいたいところですが、とりあえずは、そのことが伝わらないままに、形式だけが賞賛されていることに強い危機感を覚えてしまいます。
時の人でもある陰山英男さんの理論・実践をほめちぎっていました。陰山さんの実践は私もなるほどと思う所がたくさんあり共感できるのですが、一方でどうしても解せない部分もあります。
それは陰山さんの理論に対してではなく、具体的な実践に関してです。
ちょっと時計をさかのぼらせますが、ここ数年、説明責任が社会全体で強く問われるようになりました。でも、信念(言い換えれば思想とか理論、根拠)なき人々がその対応に当たる時、必ず保身に走るものです。
保身の仕方はいろいろあります。
一番多いのは、何事かを常に周囲に対して要請し続けるというものです。
私自身、職場、地域などいろいろなポジションでたくさんの肩書きを背負っていますが、とにかく会議や行事の多いこと。「追われっぱなし」です。「親子のふれあい」の行事ための行事で週末がつぶれてしまい、家族でドライブに行きたいのに行けない・・・・・本末転倒ですよね。
とにかく、どこかに出て行くこと、何事かをすることが説明責任の果たし方みたい(語弊はありますが)です。
私の近くにいる子どもたちも、今年から増えた授業時間のために帰宅が平均して遅くなりました。それに加えて、家庭学習時間○○分(学年に応じて増えていく)が強く求められてチェックシートまで「自主的に」作り実践するように求められます。親としては「我が子のために」と、ピアノ、スイミング、少年団などの習い事や塾に通わせたがります。
実際にそれぞれにどれだけ時間がかかっているのか積もってみれば、それだけで「早寝・早起き・朝ご飯」の時間が形式的になっているのか明らかです。
先述した連載記事の方は、その実態を踏まえずにゲームの時間が増えていることを批判していました。ゲーム漬けはよくないでしょう。
しかし、誰だっていろいろなことに時間を取られ、自分が本当にしたいことのできる時間がないのであれば、ゲームの時間ぐらいって思うものです。
おとなだって、たいへんな職場の憂さ晴らしのために飲み屋に行くでしょう。子どもだって人間です。むしろ、おとな以上にストレスの発散の仕方が分からないのです。
そんなことを踏まえずに、平然として陰山さんの理論だけをなぞっているようでは、全国に不幸な子どもを大量生産するだけです。私自身、陰山さんがそんな子どもや保護者をどう指導しているのか直接お話をうかがいたいところですが、とりあえずは、そのことが伝わらないままに、形式だけが賞賛されていることに強い危機感を覚えてしまいます。