ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

一日、青空の下で

2006年07月30日 22時49分15秒 | Weblog
 いや~、暑い毎日が続きますね。
 今日は朝8時から集落あげて甲突池の清掃でした。4~5㎏程度に育った鯉たちを囲いの中にとじこめて、周囲をごしごしと掃除しました。きれいさっぱりなりました。
 そして、13時からはふれあい事業の田の草取りです。長雨のせいか苗の育ちも今ひとつという感じでしたが、その分、草も少なくて1時間程度で終わりました。
 個人的には、池掃除から田の草取りの間に我が家の庭の草払いもしたので、終了後はやたらと眠たくてたまりませんでした。
 みんな「暑い、暑い」と言っていました。長雨の時には早く青空が見たいと言っていたのに、青空になれば、少しくらいくもればいいのにです。
 写真はそんな眠りに誘われようとしている時、公民館の縁側から見上げた空です。三日月が見えていました。
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視力回復ツアー(番外編・その二) トトロの里のテーマ曲

2006年07月29日 23時00分48秒 | Weblog
7/21に八国山緑地のことを書いた。緑地の南東側にある新山手病院が、さつきとメイのお母さんの入院している病院のモデルと書いた。
当日は西武新宿駅から西武新宿線に乗り、東村山駅で西武園線に乗り換えてと書いた。東村山駅まで歩いて戻ると、再び西武新宿線に乗って所沢方面へ。写真は東村山から所沢に向かう途中に撮った1枚。奥の緑色の所が八国山緑地だ。
そこで、何度も出てきたが、この「東村山」という地名。かつてモンスター番組として土曜夜8時から20年以上君臨し続けた「8時だよ 全員集合」で志村けんが「東村山音頭」として歌い、全国津々浦々の少年少女が歌っていたであろう、あの東村山市である。
「東村山ぁ~、庭先ゃ多摩湖、狭山茶所、情けが厚い」は何丁目の歌だったろうか。あの東村山市である。確かに多摩湖は東大和市との市境にあるし、お茶畑も多かった。のどかな田園都市だった。
志村けんとどういう縁があるのか、なんで東村山なのか、よく分からないが、ここは確かに、あの東村山なのだ。ここがスタジオジブリの名作「となりのトトロ」の舞台の一つとして描かれていたのである。

歴史にイフはないと言うが、もし「となりのトトロ」にお母さんのいる病院の近くで盆踊りをしている地域住民の姿が描かれていたとしたら、そこで流れているのは久石譲氏作曲の曲ではなく、志村けん氏作詞・作曲?の東村山音頭となっていたのかもしれない。
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視力回復ツアー⑤ 恐怖は、その後から

2006年07月29日 22時39分55秒 | Weblog
 手術が無事に終わり、簡単な検査と注意を受け解放された。確かに裸眼でメガネ同等に景色がはっきり見える。ともすると、コンタクトレンズを装着している感覚になりかける。
 時計は13時を回っており、昼食をとっていなかったことを思い出し、クリニックのある35階からレストランなどのある地下1階へ。値段も手頃なそば屋に入った。ざるそばを注文。
 しばらくして、そばが運ばれてきたが、薬味のワサビは原型のまま。自分でおろさないといけない。これはナチュラルな店に入ったものだと、ワサビをおろし、食べ始めた。なるほど、まいうー。
 ところが、食べている真っ最中に目がしょぼしょぼし始めた。あれれ・・・ワサビって揮発性があったのかなと思いつつ食べていたが、涙がひどくなってきた。とりあえず、完食するとホテルへ向かうことにした。
 アップした写真の都庁前の通りのつきあたりにあるワシントンホテルまで1㎞もない。東京の町は外国人が増えたもので、韓国人・中国人がやたらと多い。観光気分の彼らの間をとめどもなく涙を流しながら、頭を垂れてホテルへ向かう。目があけられない・・・足早に部屋に転がり込むとベッドへ。
 そう言えば、医者は「たまに涙が止まらない人がいます」と言っていた。また、「時に痛みが出ることもあります」とも言っていた。涙だけかと思っていたら、痛みが伴い始めた。すぐに痛み止めを服用したが、すぐに効くはずもなし。・・・結局落ち着いた状態になれたのは7時間後だった。
 翌日、検査に行ったが結果は良好で~すとのこと。「たまに」「も、います」という言い方に対する苦情も言いたかったが、もう痛みも引いたのでやめた。

 そこで、Rさんの話。さんざん自分の体験を話しておいたが、彼女は「世界がまぶしい」というメールを私によこしただけで、涙も痛みもなかった・・・医者の腕? 体質? まぁ、いいが、なんでよ?!と言いたい。
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視力回復ツアー(番外編・その一) 食べてみたぞ!麺屋武蔵

2006年07月28日 23時44分58秒 | Weblog
一頃のラーメンブームが去ったとは言え、ラーメン大好き人間にとっては、こんな時こそが店の真価を問われるのだと思っている。
今回の視力回復ツアーの一日目の夕食は最初からココと決めていた。ラーメンランキングの番組では常に上位に位置する「麺屋武蔵」である。
場所は検索すればすぐに分かるが、表通りではなく、ちょっとだけ入った所にあった。
早かったせいか、行列は今からという雰囲気。ラッキー!である。実際、私が出る頃には20人ほど店外に並んでいた。
さて、私は関東のラーメンには辟易しているというのが正直なところ。茨城県水戸市の日本最初の復刻ラーメン(黄門様が食べたという)は病人食という感じでいただけなかったし、ランキング上位にくいこむ店の味はいずれも「ひえくさい」。魚介スープが鼻につくのである。がまんして食べ続けてきているが、正直、私が食べ慣れているラーメンに腐った魚を放り込んでいるとしか思えない味である。
この「麺屋武蔵」のラーメンは確かに魚介の味がする。鼻につく?・・・いや、ほどよい感じだ。冷めてきてからもそれはそのまま。角がとれた感じ。うん、うまい
しかし、食べながら、これは・・・「うどん」という思い。そう、コシのある平太麺はまさにうどん。スープもうどんのものをラーメンっぽくアレンジした感じ。ラーメン風うどん、否、うどん風ラーメンと言えばいいのだろうか。とにかく、うまかった。
また、新宿に行くことがあれば、ぜひ立ち寄りたい。

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視力回復ツアー④ いよいよ手術

2006年07月28日 23時04分02秒 | Weblog
1週間のご無沙汰です。
いつになったら、視力回復の手術の話になるんだってお怒りの方もいらっしゃるとは思います。
さて、今日は私の友人の女性がレーシックの手術を受けました。Rさんとしておきましょう。Rさんは地元・鹿児島のM眼科で受けました。事前に、手術はそうでもないけど後が大変だぞーって言ってたら、食料を買い込んだ上に新幹線で行ったのです。ところが・・・というところで、まずは私の話からしましょう。おまたせしました。
簡単な検査を済ませるといよいよです。コールされ手術室へ。衛生状態を確保するために割烹着みたいなのを着せられ、頭にも帽子みたいなやつをかぶせられました。
手術の第一段階は目薬タイプの麻酔薬をかけて、まぶたを開きます。これで視力が失われ、灰色のもやもやとしたものしか見えなくなります。片目が5分程度でしょうか。さすがに、片目が終了し、もう片方に移る時には怖いでした。もしこのまま失明したら、もし今、直下型地震が起きたら・・・など、ろくでもないことばかり想像してしまいました。ナースの方にはそれが伝わったんでしょう。「肩の力を抜いてください。大丈夫ですよ」
両目が終わると、目はつぶったまま20分ほどでしょうか、室内に放置されました。待ち時間20分と言えば、すぐに眠れるんですが、妙に緊張して、あれこれと考えるだけでした。そうこうしている内に、ナースがやってこられ、「目をあけてください」とのこと。「えっ、見えるの?!」って思いつつ、開けてみると、真っ白な濃い霧の中にいるような感じ。私の顔をのぞきこんだ彼女の顔が見え、というよりは彼女の目と輪郭だけですが、思わず「きれいな人だ」って全く関係のない感動の仕方をしてしまいました。
次は第二段階です。彼女に手をとられ、あたたかい手だなぁと思いながら、隣の別室へ移動しました。いよいよ仕上げです。色彩感覚はないと思っていましたが、レーザーの照射は真ん中の緑色がはっきり見えました(感じた?)。線香花火みたいな中央の緑色の光に目線を集中します。そうすると、左右から赤色の、これまた線香花火みたいな光が見えます。ちょっと焼けるようなにおいがしましたが、痛みは全くありません。これもすぐに終わりました。
手術時間はトータルで30~40分というところでしょうか。しばし安静にして目をあけた時、世界がくっきり見えたのに驚きました。
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災害復旧作業の加勢に行ってきました。

2006年07月26日 23時00分15秒 | Weblog
 長梅雨の果てにすさまじいまでの豪雨で鹿児島県民、とりわけ川薩地区の住民の生活に大きなダメージを与えた先般の豪雨の被災者宅の復旧作業の加勢に行ってきました。
 私が行ったのは、薩摩川内市中村町で商店を営んでいる方のところ。「あの堤防が決壊して」と指さされた先には昨年開通した新しい橋の建設に伴って整備された堤防がありました。約1mほど泥水がたまったとのこと。
 今日は商品の陳列棚を洗って土間をきれいにする作業。畳の間は既に板間になり、その板も水のために黒ずんでいます。とにかく風通しをよくして、室内の乾燥が早く進むことを第一義に考えました。
 ところが、セメントの土間は、湿度が高いのかなかなか乾きません。天日干しした棚などは熱いくらいになったのに、日なたと日陰の差を感じました。
 こんなところがあちこちあるんでしょう。「盗られるものはないさ」と一晩中開けっ放しにしておくとのことでしたが、やはり火事場どろぼうってのがいるから、夜は戸締まりした方がいいですよとアドバイスしたものの、彼らからすれば、一日でも一時間でも一秒でも早く家の中を乾燥させ、新しい畳の上でゆったりと眠りたいであろう・・・自己本位な発言ではなかったかと帰りの車の中で考えた。
 その地区の近くの保育園は全て水につかり、ピアノなども全てだめになったとのこと。私の職場のある地域が8月上旬に夏祭りをする。ぜひ義捐金コーナーを設置したい。「保育園の子どもたちにピアノのひびきを聞かせたい」とすれば、たくさん集まるかな・・・
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初富士・美里・夏祭り 最高!

2006年07月24日 22時38分18秒 | Weblog
 7/22渡辺美里の山中湖コンサートに行ってきました
 とにかく最高!の一言に尽きました。感動、感激しました
 会場の山中湖村交流センター「きらら」にとってはこけら落としのコンサート。富士山をバックにして、ゆるやかな傾斜の芝生を観客席にした施設自体もよかったです。
 全国的に梅雨前線が猛威をふるい、この日鹿児島、特に川薩地区はたいへんな状況になっており、会場の山梨県東部も当初は雨の予報。それが前日の予報になって午後、晴れマークが登場。地元の方によると、青空がのぞいたのはこの日だけで他は全て雨だったとのこと(事後を含めて)。
 しかし、富士吉田駅では晴れていた空もバスで山中湖に向かっていくうちに曇りだし、さらに湖面は霧で真っ白。100m先が見えない状況。しかも、会場近くはひどい渋滞。開演2時間前には到着の予定が結局ぎりぎりになりました。
 misatoのコンサートにはこれまで仕事などでことごとく参加が叶わなかった(特に去年の西武球場のV20への参加ができなかったのは悲しかった・・・)ので、事前からウキウキドキドキ。20年分の片思いがやっと成就する!という思いで、misatoの声を聞いたら、顔を見たら、泣き出してしまうのではないかと思っていました。
 それが、ぎりぎりの駆け込みになり、それどころではなく、せっかくのライブ・Tシャツに着替える余裕もない上、「ラブゴーゴー」での登場・開演で、もう盛り上がりまくるしかねぇって感じで、手拍子・口ずさみ、手を振りと楽しんで来ました。
 misatoの浴衣姿、かわいかったぁ。
 misatoのダンス、かっこよかったぁ
 進行するにつれ、霧が晴れ、「青空」でホントに青空が見え、富士山も見えてきたのには感動
 勝手な思いこみなんだろうけど、misatoとmisatoファンの熱い思いが天候も変えたんだと思っています。
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視力回復ツアー③ おっと! もう一箇所☆

2006年07月21日 21時36分57秒 | Weblog
 いよいよ視力回復手術の話・・・その前に実はもう一つのお話におつきあいください。
 手術当日の16日。予約が11:45だったことから、午前中に何か見ておきたいと思いました。
 もしかすると、手術に失敗して失明するかもしれない・・・そんな気持ちでした。
 
 ってんで、朝食をさっと済ませると、西武新宿線に乗り、途中、東村山で乗り換え、西武園駅で下車。目の前の広がっているのは八国山緑地。ちょっと歩くだけで発汗を感じるほど湿度が高い。気温の高さは感じないので、よっぽどの湿度みたいです。
 八国山緑地は東村山市が管理する雑木林。周囲がベッドタウンとして開発が進む中でここだけはクラクションなども聞こえず山奥の雰囲気。尾根道を歩くと、すぐそこに宅地が広がっているのですが、本当に静かです。散策路では何人もの方とすれ違いました。たまに毛虫がぶらさがっていたりもします。
 ここは鎌倉幕府を滅ぼした新田義貞という武将が塚を築いたとされています。上野や武蔵など8つの国を見渡せたことから「八国山」と言われるらしいんですが、アニメ好きにとって、この名前は別な意味を持つことにお気づきのはず。
 そうです 再びですが、スタジオジブリの名作「となりのトトロ」に出てくる「七国山病院」とその近くの森のモデルがこの八国山緑地なのです。緑地の北東にある将軍塚の近くからの道を下っていくと、左手に東京白十字病院があります・・・が、こちらではありません。下り道の右側にある新山手病院がさつき・メイ姉妹のお母さんの入院していた病院のモデルなのです。
 アップした写真右手にひときわ高い木が見えますが、まさにあの木の枝にさつきとメイが座り、お母さんに「トウコロモシ」を届けたんだと思います。

 森林浴と満足感にひたりながら、電車を乗り継ぎ、新宿の病院へ。
 もしかすると、失明する前に見た最後の感動ある景色になるかもしれない、それでもいいのかもしれないと思わせてくれた八国山緑地。
 ただ、JR武蔵野線沿線にあるさつきとメイの家のあった場所や塚森のモデルが見れなかったことがちょっと残念だけど、そんな感慨にひたりつつ、新宿に向かいました。

 ・・・ということで、やっと手術の話、なんだけど、明日はいよいよmisatoの山中湖ライブ。1週間後の検査も兼ねて行ってきま~す
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視力回復ツアー② こんなに激しい雷雨になるなんて

2006年07月20日 22時09分24秒 | Weblog
 聖蹟桜ヶ丘駅から駅前通りに降り立った時には、太陽がぎらぎらと照りつけていました。ところが、「杉村がふられた神社」の辺りに来る頃には西の空の方からごろごろという音。「地球屋のあるロータリー」では黒雲を伴った入道雲が頭上にどんどん広がってきました。さらに、「雫の住んでいた団地」では空が暗くなり、ごろごろの音にも鋭さが感じられ始めました。
 乞田川辺りから京王永山駅に登っていく坂道の途中からは、一度に4~5本の稲妻がまとめて、続けて見えるような状態。私もペースアップ。そして、駅舎にたどりついて間もなく降りだしました。
 調布行きの電車に乗ってからは、景色が真っ白になるほどの強い雨。線路際の家の屋根からは滝のように雨水が落ちています。風も猛烈。雷はさらにひどくなり、電車内では「落雷により全線のわたって徐行運転をします」のアナウンス。
 
 調布で乗り換えるとすぐに青空が見え始めましたが、鹿児島でも見たことのないような激しい雷雨にはびっくりしました。翌日の新聞では下記のように報道されました。
東日本一帯は15日、南から暖かく湿った空気が入り込んで大気が不安定になる状態が続いた。東京地方は午後から多摩北部でひょうが降ったほか、広い地域で断続的に強い雷雨となり、落雷による停電や交通網への影響も出た。(中略)東京電力によると、落雷で午後1時ごろから最長2時間半ほど、多摩地域の約15万世帯が停電。またJR東日本によると、午後1時半過ぎに東京都内の中央線立川―八王子駅で落雷による信号トラブルが発生、東京―高尾駅で約1時間運転を見合わせ、上下線計14本が運休するなど、約2万4000人に影響した。山手線や埼京線でも停電による運転見合わせや遅れが出て、全体で約7万人に影響が出た。
 また、午後1時ごろ、東京都昭島市玉川町3丁目、あけの星幼稚園のトタン屋根(縦9メートル、横11メートル)が強風にあおられて吹き飛んだ。昭島署の調べでは、屋根は約40メートル先のいずれも2階建ての民家とアパートにまたがるようにして落ちた。けが人はいなかった。

 病院には予約した時刻に間に合い、検査を完了しました。
 えっ?! 視力回復の話じゃないの?って言う人。お待たせしました。いよいよ次回は手術のお話です。(つづく)

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視力回復ツアー① 聖蹟桜ヶ丘へ

2006年07月18日 21時42分14秒 | Weblog
 3連休の初日7/15は朝一番の飛行機で羽田に着くと、京急・JR・京王線と乗り継ぎ、70分900円かけて京王聖蹟桜ヶ丘(せいせきさくらがおか)に向かいました。
 この町はスタジオジブリの90年代の名作「耳をすませば」のモデルになった町。当時と今では町の景色も大きく変わっていますが、町をあるけば、あのシーン・このシーンが次々と思い出されます。
 っていうんで、やって来ました。
 京王聖蹟桜ヶ丘駅、丘を登る坂道、階段の道、杉村のふられた神社、「地球屋」のあるロータリーなどあれもこれもという感じ。アップした写真は主人公・雫が地球屋から図書館へ行く途中に通った道。柵に書いてある文字以外は右の家の形やガレージまで全くそのまんま。
 何枚となく写真をとりまくりました。全部紹介できないのが残念ですが、「耳をすませば」で検索すると、個人のHPで解説付きで写真をアップしている方が3~4名ほど出てきます。そちらをぜひ見ていただきたいと思います。
 実際に聖蹟桜ヶ丘を訪れるにあたり、何度も「耳をすませば」を見直しました。それだけに感動も大きかったですね。さすがに「坂の町」です。汗がいっぱい噴き出しました。
 時間が許すならばもっともっとゆっくり回りたかったのですが、実はそうも言ってられない状況が迫っていたのです。(つづく)
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