「ヘンテコな位置から物事を見ると、表層のウラにあるキテレツなものが見えてくる」と、自ら拠って立つところを明確に表明するオーケン。そのヘンテコな目で、UFOや宇宙人、超能力など世間を跋扈するアヤシイものたちを、笑いをとるだけかと油断させつつ、その本質に鋭く突っ込む、息を吞むかのような鮮やかな技。オーケンの才気がそこかしこに満ち溢れ、読む人すべての世界観に激震を呼び起こす驚愕のエッセイ!裏表紙より。
1996年5月「エッセイ SR311」を改題、加筆・訂正した文庫。
『よくわかんねータイトルだよなー』と『つくづく想い』改題し、その結果『これもちっとも意味わかんないよねー?』『ま、いいか』。これだけで、どんな本だかなんとなーく御理解頂けるかと。
第一章 青春の蹉跌大山倍達(空手家)「君ィ、極真空手をやりなさい!」
いかにしてやるか、だ!
いやしかし、悩める若人にしてみれば、理路整然と生き方をレクチャーされるより、「空手をやれ」「本を読め」と、とりあえず没頭する何かを与えられる方が心も落ち着くものかもしれない。何かに打ち込んでいれば、悩む暇はなくなり、悩み事の最良の解決手段である時間の経過を主観的に促進させてくれるわけだから。
北方謙三(小説家)「死にたくなったら読書百冊。うち二冊は太宰治。だが太宰は続けて読むなよ」
人生相談に対する回答が明確な人たちを挙げての考察。
「君ィ、極真空手をやりなさい!」の連発はギャグに思えてくるけど、これはこれでアリなのかもと思わされる(変な)勢いが確かにある。
餓狼伝2くっそwwwS君に直接謝れ!www
「大槻ごめん、今日オレ、ソロの終わりのきっかけをまちがった。歌、入りにくかっただろう」
いかにして見つけるのか『彼らの一人一人が嫌いかといえばそんなこともない』『むしろ好きだ』としつつ、そういう連中は『大嫌い』でその理由を語る。
社会という「集団」に抗うための術が、なぜ族やチーマーという同じ「集団」でなければならないのか?
「根は悪い奴らじゃない」って言い方を聞く度にモヤってた理由がハッキリした。言ってることとやってることが矛盾してる点なんだな。
第三章 くるみパンノートギクリ。
おたくもつらいのよ
おたく型の生き方は、けして悪いことをしているわけではない。でも、現実逃避によって形成された人格であるために、避けて通れぬ現実に出会った時、モロさがはっきりと出てしまうという決定的な欠点がある。
逆に考えるんだ、欠点がはっきりしているなら対策も立てやすいと考えるんだ。
九ちゃん、大丈夫か!?「いつか叶う」なんてのは「(運が良くて)叶った人の理屈」でしかない。「それでもダメだったよ・・・」って現実はそこら中にある。
「かなわぬ夢もある、がんばっても駄目な人もいる」というのがこの世の真実ではないのか?
「夢」を「目標」・・・いや「予定」まで落とし込むことなく、「希望」で片づけるのが嫌いなんだな俺は。所詮他人事感が半端ねぇから。
どうしても他人の「夢」に口出しするなら、せめて考えてからにして頂けないです?
第五章 超常現象ノートこれは酷いオチ。
火星の恋人
いいぞ、一途だ!純愛だ!
宇宙人とユーミンこれは面白い考察。
他にも、宇宙人遭遇芸能人の話はたくさんある。それが真実の体験かどうかは別として、一体なぜ多くの芸能人が宇宙人を「見て」しまうのだろう?
いくつかの仮説が考えられる。
特に『芸能人は心の弱さから神秘的な力や存在に加護を求める』説が鋭い。宗教に頼る人にも通ずると思う。
最初はノリが高田純次先生の本に似てると思いながら読んでたけど、読み終わってみると大槻ケンヂ先生の本だったなぁと。
これが20代の時の文章・・・だと・・・。
P.S.街を歩いていたら、偶然ロバとすれ違いました。面白いので一緒に撮った写真をお送ります。うふふ。
室井佑月氏の解説より。くっそwww最後の最後にwww
勇将の下に弱卒無し(上下関係じゃないけど)、面白い本は解説まで面白い。