今日の108円

1日1冊108円・・・・・・最近そうでもない。

超常識 平凡のなかの非凡のすすめ 森政弘 1988年2月15日 PHP研究所

2015-04-15 07:41:39 | 仕事
 難しい問題に直面し、解決の糸口が見出せない時、どうすればいのか?丸いはずの百円玉も横から見れば四角いように、ちょっと視点を変えれば、見えないものも見えてくる。とかく我々は常識的な物の見方・考え方に促われがちだ。
 当り前、常識と思われるさまざまな事例にメスを入れ、超常識で発想すればどんな創造的な世界が拓けるか、その思考法とともに明かす。
裏表紙より。
元の本は1977年12月(ダイヤモンド社)。
『促われがち』・・・?流れ的に『捉われがち』の誤字か。「うながわれる」なんて言葉は無い・・・と思う。どうやって入力したんだろう?
ああ、誤字だと決めつけて突っ込むのは危険な行為だからもう止めておこう・・・もしかしたら、言葉に詳しい人にズバッと斬られるかもしれない。(ちらっ)

まえがき(旧版)

 常識を超えるということは、つまり、このようなことをいうのであり、今日の常識を否定することではない。換言すれば、常識が本当に正しい天地の大道に合致するように常識のレベルアップを図るという意味である。
『このようなこと』=百円玉は横から見ると四角い
……おや!?
じょうしきの ようすが……!テンテンテンテンテンテンテーテン

1 超常識のすすめ

割箸を習う

「見学とか質問は、壁にぶち当たってからにせよ」。これが私の方針である。だが、わが国では、何かを始めるときには、まず調査をするという姿勢が強い、まじめ学生しかり、学者のほとんどしかり、創造性をモットーとするシンクタンクの多くまでがそうなのである。この姿勢では創造性は育たない。まずは自力で零から出発して考えるくせをつけておかなければ日本の将来は危うい。いや人類の将来がだめになる。
「先人の結果(及びそこまでの過程)」を知ることは重要だろう・・・という指摘は『正しい』と認めつつも、
私にいわせれば、まねさえも完全にはできていない。本当にまねをするには創造性が必要なのである。別の表現をすれば、外国の創造能力をまだ日本はまねをしていない。
うーん。まぁ40年近く前の日本を観ての話だからなぁ。
たかが個人の創造性だけでやってると、「こういうのがあります。一本差し上げます」になる可能性が高いんじゃないかと思う。
今は、どうやってるか
→なぜ、そうやってるか
→ならば、こうできないか
こういう流れなんじゃないか・・・もちろん別の本の受け売り。

 学生諸君は、学ぶということは、自分よりもすぐれた相手から何かを受け取ることだと思っているようである。もちろんこれは正しい。教師は学生よりもすぐれていなければ教師ではない。だが、本当に学ぶということは、自分よりもすぐれていない相手、自分よりも目下の人、欠点を持った相手……から学ぶことでもあるともいえるのである。ここまでお読みいただけた読者の方々は、もう逆転の発想になれてしまわれただろうが、これも間違いではないと思っている。人間はつねに向上努力しなければ、調和して生きてゆかれないようにつくられている。学生のうちはまだよいとしても、年を取るにしたがって、前記の姿勢がなかったら向上はない。いや本当は、学生のうちからそうでなくては、本当の勉強ではないのである。神仏を除いて、世の中に完全なものはないといえるし、裏を返せば、どのように不完全なものであっても、学ぶべき点はそなえているものである。欠点のある対象から学ぶことを拒否すれば、何も学べなくなるはずである。欲をいえば、欠点以外の長所を学びとるというだけでなく、欠点からさえも何ものかを学んでほしいのである。
大事な話だと思うけど、「反面教師」とか「他山の石」で済むような。それだと軽くなるってことかな。

Π型人間

 欲をいえば、これからは「Π型人間」になる必要がある。専門を二つ持つと同時に幅を広くという意味である。専門を二つ持つと、ひとりでに視野は広がってしまうものである。同時に、自分の二つの専門領域の深さから、他の専門の深い内容を類推することができるようになり、結局、すべての分野を深く理解できるようになる。
(特定の事について)『深く知っている』→『|型人間』
『広く浅く知っている』→『-型人間』
『あるものについて深く、かつ広く知っている』→『T型人間』
この3種類の人間がいるとした上で、『Π型人間」になることを必要と言い切る。
これだと「趣味を仕事にする」ってのは『|型人間』の最たるものか・・・むむむ。

7 発想人間・ヒラメキとコツ

節約とケチのちがい

 おろかな者は、節約せよと言うと、必要なときでも使わなくなってしまう。使えというとむだ遣いする。
ギクリ。
 節約とは、本当は心の問題なのだ。世界的に資源の有限を意識しだしたため、節約のかけ声が盛んだが、人類が生き延びるために、資源の底が見えてきたから節約するというのは、本当の節約ではない。浪費よりはましとしても、その次元の節約では、人類は長生きできない。それは人間のエゴが優先しているからだ。エゴが優先しているときは、他よりも自分のほうが、あるいは自分たち人類のほうがうまいことをしようとしているわけだから、自分のことだけに視点が偏り、満遍なく全体をみることができない。つまり真実をみられなくなっている。だから方針を誤る。ゆえに長生きできない。
確かに節約と言われている方法は、あくまでも人の都合を優先した上でこうした方がマシ、ってことが多いかな。
 発想の転換、先入観の払拭は、開き直って言うならば社内でアイデアを出して人を押しのけて出世するためのものではない。他者を出し抜くためのものでもない。人類が一人残らずともに救われるための道なのである。
・・・小さい、と思わされる。


内容は論理的に思えるけど、文章がどうもクドいというか長すぎる感あり。
もっとも、俺の読解力の方を疑った方がいいかな・・・ただ漢字の変換の基準が変な感じはする。漢字だけに。
古い本でも良い本は良いと思える本。

それにしてもなんなんだろう、このタイミングの良さ(悪さ?)・・・言語化できないのが歯痒い。

ドイツ流 暮らし上手になる習慣 世界一無駄のない国に学ぶ 沖幸子 2006年5月15日 光文社

2015-04-14 07:30:01 | 108円
好評ドイツ流シリーズ第3弾のテーマは暮らし。「節約は収入と同じくらい大切」(ドイツの諺)。無駄のない合理的な生活を子供の頃からしつけられるドイツ人にとって、家の中から、家具、衣類に至るまで、きちんと手入れをして長く大切に使うのは当たり前。そんなドイツ伝来の生活の知恵を通して「居心地のいい住まいづくり」を紹介します。
イギリス流の次はドイツ流を読んでみた。
俺はドイツについて「バウムクーヘン」「規則だから飛び込め」「酒は殺菌作用があるから問題無い」程度しか知らない。
『世界一無駄のない国』の習慣とは、一体どんなものなのか・・・wktk。

1章 ようこそ、我が家へ

3 「靴を見て、その人の品定めをする」

◆靴の収納は、定番、定量、定位置
 靴のメーカーを決めておけば(定番)、自分の脚にピッタリの靴を探すのに余分な労力が要りません。
「革靴は上等なものが三足あれば充分」、といいますが、自分のライフスタイルに合わせた定量を決めておけば余分な靴が増えなくてすみます。ドイツ人は、一足購入したら、一足処分して、定量を維持するのが基本なのです。
 また、靴は湿気を取り、ブラッシングをしてから、靴箱やシューズロッカー(定位置)にしまいます。
靴に限った話でなく、どんな物もこういう思考なんだろう。
しかし定番に関しては、「柔軟な発想」のために「特定のメーカーにこだわらない」ことを推奨する本もある・・・難しいところだな。

2章 暮らし上手になる
1 Geizig(ケチな)とSparen(節約する)の違い

◆「節約は収入と同じくらい大切」
「節約は収入と同じくらい大切」というドイツの諺にあるとおり、ドイツ人にとって“節約”は賢い暮らし方の基本です。
県議会議員の立候補者(現職)が配ってたチラシ、今年度の予算と支出がピッタリ同じだった・・・アンタ(ら)は自分の小遣いを毎月使い切ってんのかと聞きたい。
もちろん別の人に投票した。落ちたけど。
テレビ視聴時間のコントロール
○収納家具へ納める
 テレビはそのまま置かず、扉付きの木製ユニット式家具の中に入れて隠す収納。こうすれば、目障りな機械が隠れて部屋の居心地のよさが保てる上に、扉の開閉が面倒なのでテレビを観る回数が減ります。
 ドイツでも、子供にとってテレビの観すぎはよくないと考えるのです。
 まさに一石二鳥で、結果的に電気代の節約にもつながるわけです。
あえて面倒にすることが合理的・・・だと・・・。ドイツ人マジ策士。
これが一般的な習慣だとすると、テレビ番組の製作者は「面倒なことをしても観たいと思われるレベル」を目指す必要がある。くだらない番組しか無ければ、そもそも『目障りな機械』を買わないだろうし。

この数年、観てるのはほとんどNHKとDlife。くだらないのしかやってないと言いつつ観続けるのが1番アホだと思ってる。
テレビ話のついでに・・・一昨日の「花燃ゆ」は、ここまでで1番だった。「僕も同じじゃ」のくだりを観た時はシにたくなった。(幕末ちゃんねる 【大河ドラマ】花燃ゆ 第15回「塾を守れ!」感想まとめの7つ目のコメントに全文あり。)
ふみ?しゅやく?なんのことです?

5 環境にやさしい暮らし方
◆環境先進国ドイツの徹底ぶり

○過剰包装をしない
 ドイツのスーパーマーケットでは、いくらたくさん買い物をしてもレジでビニールの袋をくれません。自分で買い物袋を持参するか、頼めば有料です(十円くらい)。
 環境にやさしい暮らしをモットーとするドイツ社会では、「十円くらいだから買えばいい」という考えの人は「教養がない人」と白い目で見られるのです。だから、よほどのことがない限り、みんな布の買い物袋を持って出かけるのです。
琥「アフロッコリーくんエコバックもたくさんあるけど」
た「むしろそれ全然エコじゃねェー!!」「果てしなく資源の無駄ァアアア!!」
今の日本では2~5円かな、袋。全ての客が買い物袋持参かというと、どうもそうでもない。商品の価格は気にするクセにねー。
俺はもちろん持っていくぜ・・・ビニール袋をな!(どやぁ)


ドイツ流の思考的な話は少しだけで、家事のやり方に関する具体的な話が多い。家事がイマイチだと自覚してる人は参考になると思う。
ちょっとドイツについて調べてみようと思えた本。もっとも、
7 ホームパーティを開く

◆ドイツ流ホームパーティの心得

○Ruhe Zeit(静寂時間)
 ドイツでは昔から午後一時から三時ごろまでを Ruhe Zeit(静寂時間)といって、この時間は物音を立てず、人の家を訪問することも避けます。
「今は、都会ではこのルールを守るのはお年寄りだけ。若い人々には忘れられつつあるの」と、昨夏、友人のエリカが嘆いていました。でも、今でもドイツ人は物音にはとても敏感で、クレームの対象になります。
ドイツもこいつも同じような問題を抱えてるものだってことは、覚えて置く必要があるけど。

ビジネスマン77のタブー 村沢滋 2005年11月20日 成美堂出版

2015-04-13 07:40:06 | 仕事
◎この「勘所」はマニュアルには載ってない!
ビジネスマンは「会社が要求している社員」になるしか勝ち残る道はない。組織の「暗黙のルール」を守ることが必要だ。だが、それを「足かせ」と考えてはならぬ。仕事をスムーズに進め、自分の評価を高める「足場」にするのが成功者なのだ!
前袖より。
ですよね。
つまり俺は勝ち残れない。
先輩「オレさ~やっぱりむいてないかも」
後輩「えっ…今の仕事ですか?」
先輩「…いや」
先輩「働くことがさ!!」
琥太郎はイケメンだから・・・。

1998年2月「ビジネスマン13のタブー」の改題、再編集。
章が7つの節が13、そして項が77。だから元の本より数が増えた訳ではない、はず。インパクトの問題か・・・13の方がよかったんじゃないかなぁ。枯れ木混じりだろうなって気はした。

1章 部下の「頭の使い方」を上司はじっと見ている
9 反対者を放置するな

 新しいことをする時、反対する人やケチをつける人が必ずいる。その説得を面倒くさがって引き下がってしまえば、どんな立派な発想もそれまでだ。反対者の説得に必要なのは数字と実績、それに熱意である。
何をどうしても「嫌だから嫌だ」と言われた時点で、説得は不可能と判断しますた。
説得されることは敗北だと思ってるんだろう。つまり説得するには、まずその考えを変えるように説得する必要がある・・・どうしろと/(^o^)\

2章 「チームプレー」をあとにするな
23 安易な「法律論」は高くつく

家族のために転勤を断った奴はクビにするべき(した)って話。
 社員が転勤を拒否できるのは、転勤命令が次のような違法行為にあたる時だけである。
①入社時に勤務地や職種を限定した労働契約を結んである(契約違反)
②労働契約で、人事異動については労組の同意または協議事項になっているのに、同意も協議もしていない(労働協約違反)
③組合活動を理由にするなど不当労働行為にあたる(労組法違反)
④思想、心情を理由にしている(労基法違反)
⑤個人生活を破壊するなど人事権の濫用になっている(民法違反)
 もちろん、これらは原則だ。自分がどれかに該当するからといって、ただちに転勤を拒否できると考えるのは早計である。
・・・うん?
 会社にしてみれば、転勤や異動は大事な業務命令である。拒否されれば「組織の秩序を乱す」と解雇したり、中には最も厳しい退職金ゼロの懲戒解雇を言い渡す強腰の企業もあるのだ。
『組織の秩序』が「法律に勝る」って考えがまかり通る(通ってた)・・・か。
そういう強腰の企業が、従業員と裁判でやりあう羽目になってるんだけどネ。
安易な法律無視は高くつくと、考えを改めるべき。

4章 こんな「自己管理」はかえって大減点
45 時計の針は「コスト」をさしている

 まずは、少なくとも会社に時間を拘束されている間は、緊張感をもって働かなくてはならない。
 たとえば九時始業だとして、あなたは八時五十五分には仕事を始める準備をすべてスタンバイしているだろうか。いつも九時ギリギリに出社するようでは、毎日、十分なり十五分なりのロスを生じさせていることになる。始業後にコーヒーを飲んだり世間話をやめない人も同罪だ。上司は、そういう態度を厳しくチェックしている。
『準備をすべてスタンバイ』は酷いな・・・そして言ってることも。
8時55分に「9時から仕事を始めるための準備」を終えるには、8時54分には「9時から仕事を始められるように準備するという仕事」をしていなければならない。とすると、始業時間は実質8時54分じゃねーの?
「残業をしてはならない」と既述しているにも関わらず、始業時間前に仕事することを推奨。要は残業代払いたくないだけじゃん。
なお、本来は準備も労働時間に含む模様。(参考サイト:労働どっとネット 作業準備時間と労働時間の判断基準。労働基準法の解説。)
俺は始業時間前から動いてますけどネ。念のため。



こういう10年(17年)前の意識でいられたら、あっという間に真っ黒クロスケ。
「現状維持は悪」の典型なんじゃねーの。

著者は1928年生まれ。執筆当時70歳。でも「退屈な本」ではない。
「リタイアした年寄りが書いた本」というか「そういう人向けの本」が、眠くなる本なんかな。

あてにしない生き方 井形慶子 2010年11月3日 中経出版

2015-04-12 10:41:41 | 108円
人生を輝いて生きるのに、年齢は関係ない
仕事や年齢、住んでいる場所に縛られずに、家族や友人との時間を優先して生きるイギリス人。彼らはいくつになっても行動力を失わずに、好きなことを追求しながら暮らしています。たとえ一人になっても、安易に人やモノに頼らないことは楽しい。そんな豊かなイギリス流のライフスタイルを見習って、これからの人生を前向きに楽しんでいきませんか?
裏表紙より。
2002年11月の「仕事と年齢にとらわれないイギリスの豊かな常識」(大和書房)、2006年10月の「仕事と年齢にとらわれないイギリスの常識」(新潮社)を改題・加筆・新編集した文庫・・・どっちも出版社がこの本と違うな?そういうのもあるのか。
本を読む時はね 誰にも邪魔されず 自由で なんというか 救われてなきゃあ ダメなんだ
独りで静かで豊かで……
そういう意味で、通勤中の読書は「読書」と言えるのか疑問に感じる。落ち着いて読めないじゃないか。暇潰しにはなるだろうけど。
もっとも、俺の場合は電車やバスが嫌いって事の方が大きいかナ。

さて、この本。上記の通りイギリス推しの本。
島国という共通点がある日本とイギリスの違いは何なのか、wktk。

はじめに――人をあてにせず、最後まで人生を生きる

 実は私が年をとることに不安を抱き始めたのは三〇代になってからでした。仕事の波に乗って一年がたちまち過ぎてゆく毎日。
「いつまで今のスピードで働いていけるのか」――そんな漠然とした不安に気がついたのです。年老いて、やりたいことを続ける意欲が尽きた時、意欲は消えてしまうのではないか。頭の中でシュミレーションすると、どことなくみじめな姿ばかり浮かびます。
・・・なんか変な感じがするな。
意欲が尽きた時、意欲は消えてしまうのではないか。
尽きる(goo辞書)
つ・きる【尽きる/×竭きる】
[動カ上一][文]つ・く[カ上二]
1 次第に減って、とうとうなくなる。「万策―・きる」「気力が―・きた」
2 続いていたものが終わる。途絶える。「寿命が―・きる」「道が―・きる」「名残が―・きない」
3 (「…につきる」の形で)
㋐それで全てが言いつくされる。その極に達する。…にきわまる。「感服の一言に―・きる」「教師冥利に―・きる」
㋑最後までその状態のままである。…に終始する。「年寄りの話はぐちに―・きた」
「教師冥利に尽きたら、教師を続ける気がなくなるかもしれない」なんて考えなの?
俺らの人生は、「たどり来て、未だ山麓」だろ?(どやぁ)
じゃあ『とうとうなくなる』『途絶える』の方だとすると、「意欲が無くなったら、意欲が消えるかもしれない」・・・うーん。
ついでに『シュミレーション』も・・・「シ」か「シュ」かはまだしも、カタカナ表記にするなら「ミュ」だろう。goo辞書:音声確認可能
イギリス推しの本で英語が怪しく見えるのはどうなのか。

開始1ページで、日本語も英語も「?」。俺の方が怪しいのかなーと考えながら読み進めた結果、あんまり記憶には残らなかった感じデス。

第1章 仕事とお金はスローライフから生まれる
2 週三日だけ働く父親でもいい
家を買ったけどあまりにボロかったから、仕事を減らして自分で直したイギリス人の話なんだけども・・・
「その結果、月収は七~八万円にダウンしたが、不安や心配はまったくなかったね。妻がフルタイムで働いていたから生活は何とか維持できたし、僕の一週間のスケジュールを人に話すたびに羨ましがられた。僕の真似をして会社を辞めた友人まで出たぐらいだからね」
『人に話すたびに羨ましがられた』んなら、イギリスにおいても一般的なスタイルではなかったってことじゃないの?
つまり「イギリス流」ではなく「その人流」でしかない。

第2章 毎日の楽しみをたくさん発見する
5 時間と労力を分かち合って仕事を続けるワークシェアリング

 ちなみに、二〇〇九年八月一七日のBBCが伝えたところでは、イギリス人の基礎年金は夫婦で月額九万一三八〇円といわれ、この数字は日本の平均一一万円と比べても低い額です。それでも人々は老後の資金作りより、働く楽しみを優先させて、日々を謳歌しているのです。
で、生活費の比較は・・・あ、無いんだ。支出額も見ないと比較にならないだろうに。
前述の週三日だけ働く人は、20年前(=今から33年前、かな)に700万で家を買ったらしい。なお「ベッドルームは3つ」あって「2階からの眺めが最高」かつ「70坪以上の広い庭」も付いてきた「セミデタッチトハウス」だった模様。30年前の日本の中古住宅相場を上手いこと見つけられなかったけど・・・日本でも買えたのか?こんなの。
この本には他にイギリスの生活費に関する具体的な情報が無い。仕方なくちょいと調べると、住宅の面だけでも「著者が見てきたイギリス」と「今(というか、この本が出た時点)のイギリス」では状況が違っていると思われる。(参考サイト:国際結婚、イギリス男性との生活>イギリスの住宅事情
最初の時点で古すぎる情報だったんじゃないのか、この本。


イギリスの良い(良かった)ところしか書いてない本。
どこの国のどんなやり方だって、何かしら問題はある。外国の手法を取り入れようと主張するなら、「利点」と「欠点」をそれぞれ明らかにした上で、可能な限り欠点を無くしつつ自国に導入する方法を考えるのが建設的じゃないか?
日本が外国のやり方を表面だけ真似て失敗してることを批判してる割に、著者のイギリス流の誉め方にも「そういう感じ」がした。週三日の人みたく、「これぞイギリス流」と表現するには疑問を覚えることも少なくない。

そして何より・・・文章の組み立て方がどうも俺には合わない。
特に気になったのは次。「年配のイギリス人はよく歩く」「イギリスは歩行者が守られている」「それに比べて日本は駐停車のマナーが悪く歩行者が守られていない」って流れからの文章。
 東京郊外に暮らすあるイギリス人は子どもの頃からの習慣で、バスを待つぐらいなら歩く方が楽しいと、毎朝自宅から駅までの道のり三キロを歩いています。ところが、この二カ月で車と三回も接触したと言っていました。一度など、歩道を歩いていたにもかかわらず、接近してきた車のミラーに腕を当てられ、打撲で一カ月通院したそうです。歩道を歩いていて事故に遭ったのは、反対車線に止まっていた車をドライバーが無理に避けようとしたため。
・・・ネ?
俺ならこうする。
 東京郊外に暮らすあるイギリス人は、毎朝自宅から駅までの道のり三キロを歩いているのですが、この二カ月で三回も車と接触したと言っていました。一度など、歩道を歩いていた彼の腕に、走行中の車のミラーが当たったと言うのです。

『子どもの頃から~楽しいと』『打撲で通院』『事故原因』は省いた。だって「僅か3キロの距離を2カ月歩くだけで3回も事故に遭うくらい日本の道路はファッキュー」だと伝わればいいっしょ?「イギリス人が歩くの好きなことは既述した」「事故に遭うことが問題であり、怪我の程度は問題ではない」「日本の道路の状況も既述してあるから事故原因は推察可能」。結果文字数は約半分。
あ、削ったらわかった。イマイチ頭に残らない訳が。文字数と情報量が比例してないんだ。つまり「長い、3行にまとめろ」。



休みだからだらだらと書いてたわー。あまりにもイギリスマンセーだったから、イギリスについての正確な情報が欲しいと思って調べながら書いた。イギリス自体はたぶん悪い国じゃないサー。

持たない暮らし 下重暁子 2008年2月6日 中経出版

2015-04-11 09:20:43 | 108円
物も心も大切にするシンプルな暮らし
私たちを取りまく環境は、小さく、シンプルに向うどころかますます複雑になっている。例えばケータイ電話をとってみても、これでもかこれでもかとサービスが加わる。中には災害予報など必要なものもあるが、あってもなくてもいいものが多すぎる――。シンプルな暮らし方・生き方を重ねてきた著者による、“ほんとうの贅沢”のすすめ。
裏表紙より。
『生き方を重ねてきた』・・・ブラックなワードがアピアーしちゃってるな。
2000年3月の『シンプルのすすめ』を改題、新編集した文庫。

第一章 生活の贅肉を落とす

シンプルライフの本質

「シンプルに暮らす」とは、物からの解放ではあるけれど、「物を捨てること」ではない。ここを間違ってはいけない。捨てることでどのくらいゴミが出るか。
 自分の家に物はなくなるかもしれないが、処理せねばならぬものは増えるのだ。そして新しいものを買えば、どんどん物は増え続け、地球は人間がつくりだした人工の物ばかりになる。
 文明とは、物をつくりだすことではなくて、ものの考え方をつくっていくものであるはずだ。
つまり「要らなくなったら楽に処理できるもの」を作ればよろしい。
氷のナイフとか氷のハンマーとか。推理小説か!

第二章 流儀をもって生きる

欲望とのつきあい方

 若いときは失敗をしながら物を買っている。物を買うなかで学んでいかなければいけない。それでなければ歳を重ねても、いたずらに買い物をして、いらぬ物を増やす結果となるだろう。
まるで学習していない………と言われないようにしたい。

そういうダメな年寄りの代名詞といえば詐欺被害者。その中でも「オレオレ詐欺に引っ掛かる人間」が俺は大嫌い。
オレオレ詐欺にひっかかるのは倫理的に問題があるから。「母さん助けて!会社の金を使いこんじゃってやばいんだよ!」と言われて、なぜ金の力でどうにかしようと考えるのか。なぜ「今すぐ謝罪して一生かけてでも償いなさい!」と言えないんだ
高齢者を狙った卑劣な犯罪?被害者が誰であれ、卑劣じゃない犯罪は無い。「倫理的に問題がある被害者しか存在しえない犯罪」と呼ぶのが正しい。
・・・いや、倫理的に問題=人の道を外れている=被害者は人ではない・・・!
つまりオレオレ詐欺は動物愛護法で裁かれるべき。あ、「人間らしき生物」に動物愛護法が適用されるのかという問題が残って(ry

必要最小限の物だけで生きる

 必要最小限の物に囲まれて生きた人といえば良寛である。
最小限でも囲まれてはいる。結局人は枠の中から逃れらない運命なのか。
 良寛の書にはそれがよくあらわれている。
 望まれても決して金のために書は書かず、いやだ、いやだと逃げまわったというが、書かれたものの計り知れない学識、そして哲学。なかでも、地震見舞いに書いたという有名な一文が心をとらえた。
果たして、その『有名な一文』とは!?
  ……災難に逢時節には災難に逢がよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。是ハこれ災難をのがるヽ妙法にて候。
ならば今この時が貴様の時節だ(´・ω・`)
まぁ良寛はとっくにだけど・・・こんなものを地震見舞いに送ることが『心の自在さ』であってたまるかksg。
俺だって「現実を認めること」は重要だと思うさ。でも「普段書かなかったくせに地震見舞いで書いたこと」にどや顔できるタイミングを待ってた感がしてイラつきマックス。計算高かったのは間違いない。これだから坊主は信用できんのだよ!

第五章 なぜシンプルに生きられないのか

「自分」をもてば迷わない

 その自分をどうやってつくりあげていけばいいのか。自分の生き方にかかわってくる。
 日頃から人の話に耳を傾けることは大切だが、決断は自分ですること。あれがはやっているから買うのではなく、自分が欲しいから買う。友達がやっているからやるのではなく、自分がやりたければやる。やりたくなければやらない。
ふむふむ。
 一つの方法として、人と同じことはしない。必ず違うことをすると考えておいてもいい。友達が買ったものと同じものは買わない。必ず違うものを買う。他人の意見にしたがうのではなく、自分の意見をもつ。万一同感と思う場合には「同感」と言った後で、そのことを自分なりに解釈して、違う表現をして言ってみる。主語は「夫」や「子供」や「友達」ではなく、「自分」にする。
「私は~を買わない。」
「なぜなら、既に友達が買ったものだからである。」
決断は(他人の判断を基準にせず)自分(の判断)でするって話だと思ったけど、違ったらしい。
読み取ったことが次の行で否定されるとは、なんとも珍しい体験だな。



やっぱり年寄りの本だった。1936年生まれだから執筆当時64歳。
漢字を使う基準がよくわからない文章。引用し辛いことにおいてはナンバー1。
「執筆時点で著者が60歳以上の本」の朝読みは避けると、自らの意志で決断する。
今日が休みでよkzzz・・・はっ!?もうこんな時間か!