天皇暗殺を企てたという「共謀罪」的素早さで
新宮の文士6人が逮捕、大石誠之助と成石平四郎が刑死した。
大石誠之助(1867-1911刑死・43歳)
成石平四郎(1882-1911刑死・29歳)
高木顕明(1864-1914獄死・50歳)
峯尾節堂(1885-1919獄死・34歳)
成石勘三郎(1880-1931特赦・51歳)
崎久保誓一(1885-1955特赦・70歳)
陸の孤島、新宮市は明治政府の目の敵にされていた。
反逆の精神はそのまま、中上健次に引き継がれている。
「怒り」がその根底にある。
以下ウィキペディア引用。
1910年(明治43年)5月25日に多数の社会主義者・無政府主義者の逮捕・検挙が始まり、
1911年(明治44年)1月18日に死刑24名、有期刑2名の判決。6日後の1月24日に11名が、1月25日に管野がそれぞれ絞首刑に処された。
刑死した人物は幸徳秋水の他、
管野スガ、森近運平、宮下太吉、新村忠雄、古河力作、奥宮健之、大石誠之助、成石平四郎、松尾卯一太、新美卯一郎、内山愚童の12人。
特赦無期刑で獄死した人物は、高木顕明、峯尾節堂、岡本穎一郎、三浦安太郎、佐々木道元の5人。
仮釈放された者は坂本清馬、成石勘三郎、崎久保誓一、武田九平、飛松与次郎、岡林寅松、小松丑治の7人。
赤旗事件で有罪となり獄中にいた大杉栄、荒畑寒村、堺利彦、山川均は連座を免れたが、
この事件の影響により社会主義運動は数多くの同調者を失い、暫時運動が沈滞したため「社会主義冬の時代」と呼ばれる。
写真UPしました。
【on_Flickr】0805_KUMANO