4月25日。日曜日。
この週末は天気に恵まれ、行楽日和。
来週からはゴールデンウィーク。
陽射しも温かくなれば、気持ちも高揚し、思考も好転するのか。
この週末は地域通貨について「悶々と」考えていた。
●
井上ひさしさんについで、多田富雄さんが亡くなられた。
白州正子さんのプリンシプルを嗣ぐ方として
これから読み解いていこうとしていただけに、
その訃報には衝撃が走った。
「生きているというのは、体の中に死を育てていること」
「人間はDNAの乗り物ではなくて、DNAが人間の乗り物」
免疫学を超えた視点が、そこにはある。
●
英会話のジオスがNOVAについで破綻。
ワンマン経営ゆえの終末。
世界各国にも教室を展開していただけに、
ただうなだれるのみ。
英会話の能力を高める志があって起業をし、
教室を開いて生徒を募り、「月謝」で生計を立てる。
好評だから教室を増やし、生徒をさらに募る。
外国人の先生を雇い、さらに手を広げ、教室も拡大。
だるま式に資本も膨らむから、どんどん教室も広げ、ついには海外へ。
資本主義経済ではピラミッド式にお金が集まる。
資本調達者がお金を得るカタチだ。
ダブついた資本(利益)は、開発に使わないと税金に持って行かれる。
だからどんどん手を広げる。私腹を肥やす。
あの手この手で利益を隠蔽する。
だから右肩上がりの成長が止まると、その修復が大変。
成長が「前提」の資本主義経済だから、衰退する企業には滅法厳しい。
広げた教室をどんどん畳む。経費を節約する。リストラで雇用を整理する。
縮小に縮小を重ね、無駄を省き、健全な経営状態へ戻す。
その衰退のスピードを読み間違えると、ジオスのように金が回らなくなり破綻する。
生徒を抱えて継続することが事業の根幹なので、
安易な縮小もできず、このような結果になったのだろうか。
●
そんなこともあって
ミヒャエル・エンデの「エンデの遺言」を再読。
「根源からお金を問うこと」に再び想いをめぐらす。
お金の価値が時間とともに減価する…という
シルビオ・ゲゼルの思想に則って経済機構の再構築はできないものだろうか?
そのひとつの答えとして「地域通貨」があった。
しかし、2000年頃はこの書物の影響もあって地域通貨も隆盛したが、
今はどこも下火。閉鎖した地域通貨も少なくない。
地域活性化が目的としてある地域通貨は、
結局のところ周辺地域の経済を食って反映する。
先進国が第三国の資源や労働を食って反映するのと同義だ。
資本主義経済の構造そのものを再構築しないと、
やはりむずかしいのだろうか?
経済のしくみ自体を問うことは、
社会のルールを問うことに近い。
「裸の王様」を名指しするようなことなのか?
そんなことをグルグル考えながらネットを巡っていたら、
千葉県の地域通貨「ピーナッツ」は11年目を迎えた今日でも健全に機能しているようだった。
このブログによれば、
リーマンショックの影響で今は「第三次地域通貨ブーム」だそうで、
さまざまな取り組みがアメリカでも動き出しているようだ。
Debelopmentを前提とした経済のメカニズムそのものを
今一度考え直すときに来ていると、ボクは思うのだけど、
この急激な成長ゆえにほつれてきた社会構造を根源から問うのは、
やはり無理な話なのか…。
ジオス同様、衰退のスピードを読み間違えると、
たちまち「破綻」の状況が訪れる…。
いや、実はもう第三国では「破綻」が広がっていて
そこに目を向けられない構造(隠蔽)が、
どんどん状況を悪くしているのかもしれない。
イサカアワー
この週末は天気に恵まれ、行楽日和。
来週からはゴールデンウィーク。
陽射しも温かくなれば、気持ちも高揚し、思考も好転するのか。
この週末は地域通貨について「悶々と」考えていた。
●
井上ひさしさんについで、多田富雄さんが亡くなられた。
白州正子さんのプリンシプルを嗣ぐ方として
これから読み解いていこうとしていただけに、
その訃報には衝撃が走った。
「生きているというのは、体の中に死を育てていること」
「人間はDNAの乗り物ではなくて、DNAが人間の乗り物」
免疫学を超えた視点が、そこにはある。
●
英会話のジオスがNOVAについで破綻。
ワンマン経営ゆえの終末。
世界各国にも教室を展開していただけに、
ただうなだれるのみ。
英会話の能力を高める志があって起業をし、
教室を開いて生徒を募り、「月謝」で生計を立てる。
好評だから教室を増やし、生徒をさらに募る。
外国人の先生を雇い、さらに手を広げ、教室も拡大。
だるま式に資本も膨らむから、どんどん教室も広げ、ついには海外へ。
資本主義経済ではピラミッド式にお金が集まる。
資本調達者がお金を得るカタチだ。
ダブついた資本(利益)は、開発に使わないと税金に持って行かれる。
だからどんどん手を広げる。私腹を肥やす。
あの手この手で利益を隠蔽する。
だから右肩上がりの成長が止まると、その修復が大変。
成長が「前提」の資本主義経済だから、衰退する企業には滅法厳しい。
広げた教室をどんどん畳む。経費を節約する。リストラで雇用を整理する。
縮小に縮小を重ね、無駄を省き、健全な経営状態へ戻す。
その衰退のスピードを読み間違えると、ジオスのように金が回らなくなり破綻する。
生徒を抱えて継続することが事業の根幹なので、
安易な縮小もできず、このような結果になったのだろうか。
●
そんなこともあって
ミヒャエル・エンデの「エンデの遺言」を再読。
「根源からお金を問うこと」に再び想いをめぐらす。
お金の価値が時間とともに減価する…という
シルビオ・ゲゼルの思想に則って経済機構の再構築はできないものだろうか?
そのひとつの答えとして「地域通貨」があった。
しかし、2000年頃はこの書物の影響もあって地域通貨も隆盛したが、
今はどこも下火。閉鎖した地域通貨も少なくない。
地域活性化が目的としてある地域通貨は、
結局のところ周辺地域の経済を食って反映する。
先進国が第三国の資源や労働を食って反映するのと同義だ。
資本主義経済の構造そのものを再構築しないと、
やはりむずかしいのだろうか?
経済のしくみ自体を問うことは、
社会のルールを問うことに近い。
「裸の王様」を名指しするようなことなのか?
そんなことをグルグル考えながらネットを巡っていたら、
千葉県の地域通貨「ピーナッツ」は11年目を迎えた今日でも健全に機能しているようだった。
このブログによれば、
リーマンショックの影響で今は「第三次地域通貨ブーム」だそうで、
さまざまな取り組みがアメリカでも動き出しているようだ。
Debelopmentを前提とした経済のメカニズムそのものを
今一度考え直すときに来ていると、ボクは思うのだけど、
この急激な成長ゆえにほつれてきた社会構造を根源から問うのは、
やはり無理な話なのか…。
ジオス同様、衰退のスピードを読み間違えると、
たちまち「破綻」の状況が訪れる…。
いや、実はもう第三国では「破綻」が広がっていて
そこに目を向けられない構造(隠蔽)が、
どんどん状況を悪くしているのかもしれない。
イサカアワー