『日本の「安心」はなぜ消えたのか?』
社会心理学者山岸俊男2008年の書き下ろし。
集団主義的秩序は「批判を買わない」ネガティブ秩序で、
閉ざされた集団内部の安定と維持を第一とするが、
信頼社会は公正さを積み重ねた先にある「評判」を財とするポジティブ秩序で、
積極的な外部者との交流から創造を生み出す社会だと。
共同体基盤の監視社会であったかつての日本は、
共同体崩壊後「不信」だけが増殖し、
集団内部の安定と維持だけに躍起となる既得権保持が先鋭化。
「失われた30年」で仲間意識から排他された人間は、
その孤独を自力救済すべく暴走、
無差別殺人や拡大自殺を図ることでその恨みを社会に還元してきた。
統一教会やオウムなどの新興宗教に身を投じるのもそのひとつだろう。
つまり、ネガティブな「安心社会」からポジティブな「信頼社会」への移行が、
既得権保持者によってスムーズに進まず、
枠外の人間たちだけがバカを見る社会へと益々加速しているわけだ。
この場に及んで「国葬」を強要する政府の姿勢が、そのことを浮き彫りにしている。
(っつうか、国の未来を担う人間が我田引水な小物っぷりにトホホ)
限られたパイの取り合いをひたすら繰り返す内向きな集団主義。
滅びゆく先が見えているからこそ、仲間だけで辻褄合わせに必死なのだ。
「安心VS信頼」の違いが明確になると、
この国の腐敗ぶりがよく見える。
閉じこもれば閉じこもるほど、外に出るリスクが高まる悪循環。
この負のスパイラルからこの国はもはや抜けられないと、思うわ。
#photobybozzo
社会心理学者山岸俊男2008年の書き下ろし。
集団主義的秩序は「批判を買わない」ネガティブ秩序で、
閉ざされた集団内部の安定と維持を第一とするが、
信頼社会は公正さを積み重ねた先にある「評判」を財とするポジティブ秩序で、
積極的な外部者との交流から創造を生み出す社会だと。
共同体基盤の監視社会であったかつての日本は、
共同体崩壊後「不信」だけが増殖し、
集団内部の安定と維持だけに躍起となる既得権保持が先鋭化。
「失われた30年」で仲間意識から排他された人間は、
その孤独を自力救済すべく暴走、
無差別殺人や拡大自殺を図ることでその恨みを社会に還元してきた。
統一教会やオウムなどの新興宗教に身を投じるのもそのひとつだろう。
つまり、ネガティブな「安心社会」からポジティブな「信頼社会」への移行が、
既得権保持者によってスムーズに進まず、
枠外の人間たちだけがバカを見る社会へと益々加速しているわけだ。
この場に及んで「国葬」を強要する政府の姿勢が、そのことを浮き彫りにしている。
(っつうか、国の未来を担う人間が我田引水な小物っぷりにトホホ)
限られたパイの取り合いをひたすら繰り返す内向きな集団主義。
滅びゆく先が見えているからこそ、仲間だけで辻褄合わせに必死なのだ。
「安心VS信頼」の違いが明確になると、
この国の腐敗ぶりがよく見える。
閉じこもれば閉じこもるほど、外に出るリスクが高まる悪循環。
この負のスパイラルからこの国はもはや抜けられないと、思うわ。
#photobybozzo