森村誠一の「人間の証明」を読了したあと、
ニッポンの敗戦がもたらした贖罪ってやつは
とんでもないものがあったんじゃないか…と鑑み、
戦後の闇を描いた作家の本を当たってみようと
まずは松本清張「ゼロの焦点」を手に取った。
思った以上に、ニッポンは多くの代償を支払い、
今に至っている…と痛感、まさに痛感した。
米兵好みの女「パン」×2=「パンパン」に成り下がった過去を持つ女が、
過去を抹消すべく次々の殺人を犯してしまう筋立ては「人間の証明」と近しいものがあるが、
いやいや、それだけ敗戦後のニッポンは貧に窮していて
「プリンシパル」などかなぐり捨てて「復興」に一目散だったのだろう。
GHQ占領下の立川・横須賀の、欲望が渦巻く無政府状態は、容易に想像がつく。
人間の本性が剥き出しになった勝者米兵と敗者パンパン。
のちに社長夫人とまでなる女も、大学で習得した英語を駆使し、
世間の荒波を乗り越えていく。
たかだか66年前の話である。
しかし、生きることに必死だった。
考えてみたら、たった66年。
しかし、ニッポンはどん底だった。
この「ゼロの焦点」は昭和34年(1959年)の発刊。
連載された当時は、パンパンの記憶もまだ生温かい時代。
これだけ貧に窮した苦々しい体験があったから
ニッポンは高度経済成長という理想を打ち出したし、
日本列島大改造などという大きなスローガンを掲げた。
「なにっくそ!」という反骨精神…それだけで繁栄を勝ち得た。
あの田中角栄は「田舎の貧窮をどうにかせにゃならん」と「原子力」を推進した。
「いつまでもアメリカに頼ったエネルギー政策ではならん、自立して貧窮から脱するのだ」と。
そして、カネが循環する法を成立させた。原子力を建てることでカネが還元される法を。
「田舎でエネルギーを作り、東京が経済を回す。そして田舎にカネが回る」
それが電源3法と呼ばれるものだ。
なんとも皮肉なことだろうか。
結局、敗戦後の清算を66年経った今、
喧喧諤諤としながらニッポンはおこなっている。
ちっとも戦争は終わっていない。
敗戦の古傷は今も癒えていないのだ。
昨日、蒼穹舎で見た写真集を思い出す。
村越としやさんの「あまもり」。
軟調のどんよりしたモノクロの雨の情景。
ニッポンの田舎が写し出された質素な光景。
でも、ニッポンは今もこのような情景の島だった。
基本的には華美とは程遠い島国であった。
そのどんよりとした写真集をめくりながら、
ニッポンの貧窮を想った。
いやいや、これこそがニッポンの原景である。
ここからスタートしなければいけないのだ。
急速な電子機器の発達が、ニッポン人の原型を麻痺させてしまった。
なにか勘違いをしている…と、ボクは思う。
いまこそ敗戦後のニッポンから学ぶべき時なのではないだろうか?
そんな思いに、「ゼロの焦点」読了後、ボクは強く囚われた。
たった66年。
今日も鎮魂の花火が、隅田川上空に上がる。
戦争はちっとも終わっちゃいない。
ニッポンの敗戦がもたらした贖罪ってやつは
とんでもないものがあったんじゃないか…と鑑み、
戦後の闇を描いた作家の本を当たってみようと
まずは松本清張「ゼロの焦点」を手に取った。
思った以上に、ニッポンは多くの代償を支払い、
今に至っている…と痛感、まさに痛感した。
米兵好みの女「パン」×2=「パンパン」に成り下がった過去を持つ女が、
過去を抹消すべく次々の殺人を犯してしまう筋立ては「人間の証明」と近しいものがあるが、
いやいや、それだけ敗戦後のニッポンは貧に窮していて
「プリンシパル」などかなぐり捨てて「復興」に一目散だったのだろう。
GHQ占領下の立川・横須賀の、欲望が渦巻く無政府状態は、容易に想像がつく。
人間の本性が剥き出しになった勝者米兵と敗者パンパン。
のちに社長夫人とまでなる女も、大学で習得した英語を駆使し、
世間の荒波を乗り越えていく。
たかだか66年前の話である。
しかし、生きることに必死だった。
考えてみたら、たった66年。
しかし、ニッポンはどん底だった。
この「ゼロの焦点」は昭和34年(1959年)の発刊。
連載された当時は、パンパンの記憶もまだ生温かい時代。
これだけ貧に窮した苦々しい体験があったから
ニッポンは高度経済成長という理想を打ち出したし、
日本列島大改造などという大きなスローガンを掲げた。
「なにっくそ!」という反骨精神…それだけで繁栄を勝ち得た。
あの田中角栄は「田舎の貧窮をどうにかせにゃならん」と「原子力」を推進した。
「いつまでもアメリカに頼ったエネルギー政策ではならん、自立して貧窮から脱するのだ」と。
そして、カネが循環する法を成立させた。原子力を建てることでカネが還元される法を。
「田舎でエネルギーを作り、東京が経済を回す。そして田舎にカネが回る」
それが電源3法と呼ばれるものだ。
なんとも皮肉なことだろうか。
結局、敗戦後の清算を66年経った今、
喧喧諤諤としながらニッポンはおこなっている。
ちっとも戦争は終わっていない。
敗戦の古傷は今も癒えていないのだ。
昨日、蒼穹舎で見た写真集を思い出す。
村越としやさんの「あまもり」。
軟調のどんよりしたモノクロの雨の情景。
ニッポンの田舎が写し出された質素な光景。
でも、ニッポンは今もこのような情景の島だった。
基本的には華美とは程遠い島国であった。
そのどんよりとした写真集をめくりながら、
ニッポンの貧窮を想った。
いやいや、これこそがニッポンの原景である。
ここからスタートしなければいけないのだ。
急速な電子機器の発達が、ニッポン人の原型を麻痺させてしまった。
なにか勘違いをしている…と、ボクは思う。
いまこそ敗戦後のニッポンから学ぶべき時なのではないだろうか?
そんな思いに、「ゼロの焦点」読了後、ボクは強く囚われた。
たった66年。
今日も鎮魂の花火が、隅田川上空に上がる。
戦争はちっとも終わっちゃいない。