歴史が眠る多磨霊園
45歳になったら、訪れなければならない…と思っていた。
平岡公威(筆名三島由紀夫)の墓。
昭和45年11月25日水曜日、切腹により市ヶ谷駐屯地で自害。
三島事件と呼ばれるこの出来事により、三島は右翼のイコンと成り果ててしまったが、
かなりの曲解によって、彼の檄文は解釈されているように、ボクは思っている。
●
われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、
国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、
自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。
政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、
国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、
日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。
われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されているのを夢みた。
しかも法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、
国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、
軍の名を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因を、なしてきているのを見た。
もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。
自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負いつづけて来た。
自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、
警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず、その忠誠の対象も明確にされなかった。
われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤った。
自衛隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。
自衛隊が自ら目ざめることなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。
憲法改正によって、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、
国民として微力の限りを尽すこと以上に大いなる責務はない、と信じた。
(三島由紀夫・檄文_抜粋)
●
これだけを読むと、自衛隊を国軍として、自国防衛に走れ!自衛隊よ立ち上がれ〜!といった
右寄りな話と見えるだろう。ボクもつい最近まではそのようなニュアンスで眺めていた。
そもそも三島由紀夫の「楯の会」や政治的発言にはあまり肯なうものがないと否定的ですらあった。
しかし、違った。やはり、三島はすべてを理解していたのだ。
「日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか」矢部宏治著
この著作は、震災以後の日本に露呈したあからさまな権力構造の根本を穿った必読書である。
なぜこのような事柄が隠蔽されつつ、いや隠蔽はされていない…明らかに無視され続けているのだ。
なぜこの国の国民は、日本の歴史に対してこんなにも無頓着なのか。
●
三島が死を賭して訴えたかったのは、この檄文にも触れているこの部分、
政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、
国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、に集約されている。
矢部さん自身もこの著作で強く訴えているのは、
日本の根幹をなす憲法が、GHQが日本を思いのまま操るために、急拵えの1946年に作られたモノであるということ。
なぜ1946年なのか。
それは「東京裁判(1946年5月3日開廷)」により、天皇ヒロヒトに処罰が与えられるのを防ぎ、
天皇象徴による傀儡政権(パペットレジーム)で国民をうまく統率しようという意図があったからであった。
そしてその印籠を渡したのが、他でもない天皇ヒロヒト本人であった…ということなのだ。
自己の保身…とはつまり、天皇自身の保身。
1946年1月1日の「人間宣言」
朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、
単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、
且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、
延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ
私と国民のあいだの結びつきは、つねに互いの信頼と敬愛によって結ばれたもので
単なる神話と伝説によって生まれたものではない。天皇を生きた神とし、
さらに日本国民は他の民族よりも優秀な民族で、
そのため世界を支配すべき運命をもっているとの架空の観念にもとづくものでもない
によって、「大東亜構想」を自ら否定し、「天皇萬歳」と叫喚し命を捨てた兵卒たちの死を犬死にすることで、
「生きた神」として今後は大国のパペットになること、大和魂を大国に売ることを宣言したのである。
●
結果として出来上がった日本国憲法は1947年5月3日(東京裁判開廷の1年後!)施行される。
100%GHQ制作のものである。(詳しくは「日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか」)
アメリカがつくった憲法の上に、国家が戦後70年も成り立っているのである。
「憲法をつくった社会勢力が存在しないから、政府が憲法違反しても、解釈改悪しても、だれもそれに抵抗することがない」
…ということなのだ。
そのことを1970年11月25日の水曜日に三島由紀夫は檄文で訴えていたのである。
敗戦をしかと受け止め、次の戦争では絶対に負けない!という強い気概をもつこと、それが結果、非戦につながる。
これはどんな争いごとにも言えること。争いがある以上、その事実から目を逸らしてはいけないのだ。
国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、
軍の名を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因を、なしてきているのを見た。
戦後70年たった今でも、この檄文の事実は変わっていない…という現実を、しかと受け止めなければならない。
45歳になったら、訪れなければならない…と思っていた。
平岡公威(筆名三島由紀夫)の墓。
昭和45年11月25日水曜日、切腹により市ヶ谷駐屯地で自害。
三島事件と呼ばれるこの出来事により、三島は右翼のイコンと成り果ててしまったが、
かなりの曲解によって、彼の檄文は解釈されているように、ボクは思っている。
●
われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、
国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、
自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。
政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、
国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、
日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。
われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されているのを夢みた。
しかも法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、
国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、
軍の名を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因を、なしてきているのを見た。
もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。
自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負いつづけて来た。
自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、
警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず、その忠誠の対象も明確にされなかった。
われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤った。
自衛隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。
自衛隊が自ら目ざめることなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。
憲法改正によって、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、
国民として微力の限りを尽すこと以上に大いなる責務はない、と信じた。
(三島由紀夫・檄文_抜粋)
●
これだけを読むと、自衛隊を国軍として、自国防衛に走れ!自衛隊よ立ち上がれ〜!といった
右寄りな話と見えるだろう。ボクもつい最近まではそのようなニュアンスで眺めていた。
そもそも三島由紀夫の「楯の会」や政治的発言にはあまり肯なうものがないと否定的ですらあった。
しかし、違った。やはり、三島はすべてを理解していたのだ。
「日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか」矢部宏治著
この著作は、震災以後の日本に露呈したあからさまな権力構造の根本を穿った必読書である。
なぜこのような事柄が隠蔽されつつ、いや隠蔽はされていない…明らかに無視され続けているのだ。
なぜこの国の国民は、日本の歴史に対してこんなにも無頓着なのか。
●
三島が死を賭して訴えたかったのは、この檄文にも触れているこの部分、
政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、
国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、に集約されている。
矢部さん自身もこの著作で強く訴えているのは、
日本の根幹をなす憲法が、GHQが日本を思いのまま操るために、急拵えの1946年に作られたモノであるということ。
なぜ1946年なのか。
それは「東京裁判(1946年5月3日開廷)」により、天皇ヒロヒトに処罰が与えられるのを防ぎ、
天皇象徴による傀儡政権(パペットレジーム)で国民をうまく統率しようという意図があったからであった。
そしてその印籠を渡したのが、他でもない天皇ヒロヒト本人であった…ということなのだ。
自己の保身…とはつまり、天皇自身の保身。
1946年1月1日の「人間宣言」
朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、
単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、
且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、
延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ
私と国民のあいだの結びつきは、つねに互いの信頼と敬愛によって結ばれたもので
単なる神話と伝説によって生まれたものではない。天皇を生きた神とし、
さらに日本国民は他の民族よりも優秀な民族で、
そのため世界を支配すべき運命をもっているとの架空の観念にもとづくものでもない
によって、「大東亜構想」を自ら否定し、「天皇萬歳」と叫喚し命を捨てた兵卒たちの死を犬死にすることで、
「生きた神」として今後は大国のパペットになること、大和魂を大国に売ることを宣言したのである。
●
結果として出来上がった日本国憲法は1947年5月3日(東京裁判開廷の1年後!)施行される。
100%GHQ制作のものである。(詳しくは「日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか」)
アメリカがつくった憲法の上に、国家が戦後70年も成り立っているのである。
「憲法をつくった社会勢力が存在しないから、政府が憲法違反しても、解釈改悪しても、だれもそれに抵抗することがない」
…ということなのだ。
そのことを1970年11月25日の水曜日に三島由紀夫は檄文で訴えていたのである。
敗戦をしかと受け止め、次の戦争では絶対に負けない!という強い気概をもつこと、それが結果、非戦につながる。
これはどんな争いごとにも言えること。争いがある以上、その事実から目を逸らしてはいけないのだ。
国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、
軍の名を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因を、なしてきているのを見た。
戦後70年たった今でも、この檄文の事実は変わっていない…という現実を、しかと受け止めなければならない。