#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【bozzo】Los Altos Apartments

2020-03-20 | LA
Los Altos Apartments手前の工事現場。

写真UPしました。
【on_Flickr】0223_LASF_NEGA


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【bozzo】Wilshire Boulevard Temple

2020-03-20 | LA
Wilshire Boulevard Templeの植木。

写真UPしました。
【on_Flickr】0223_LASF_NEGA


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【bozzo】3975 Wilshire Blvd

2020-03-20 | LA
3975 Wilshire BlvdのSeven-Eleven。

写真UPしました。
【on_Flickr】0223_LASF_NEGA


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【bozzo】SKID ROW

2020-03-20 | LA
SKID ROW
アメリカ版ドヤ街の象徴。ホームレス8000人規模。

写真UPしました。
【on_Flickr】0223_LASF_NEGA


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【bozzo】Valeries thrift Shop

2020-03-20 | LA
Valeries thrift Shop
3501 Venice Blvdにあったリサイクルショップ。

写真UPしました。
【on_Flickr】0223_LASF_NEGA


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【bozzo】Saint Sophia Greek Orthodox Cathedral

2020-03-20 | LA
Saint Sophia Greek Orthodox Cathedral

写真UPしました。
【on_Flickr】0223_LASF_NEGA


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【bozzo】1363 W Temple St.

2020-03-20 | LA
1363 W Temple St.
ダグラスストリートの行き止まりにあったメキシカンなキリスト像。

写真UPしました。
【on_Flickr】0223_LASF_NEGA


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【bozzo】Our Lady Queen of Angels Catholic Church

2020-03-20 | LA
Our Lady Queen of Angels Catholic Church

写真UPしました。
【on_Flickr】0223_LASF_NEGA


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【Mar_18】Ralph Waldo Emerson『大霊』

2020-03-18 | LA
地球が大気の柔らかな腕に抱かれるごとくに、私たちは大いなる自然の中で安らいでいる。
この大いなる自然が、「統一」、「大霊」であり、その中で、
すべての人間の個々の存在が、他のあらゆる存在と一つになっている。…

私たちは、生命を受け継ぎながら、
部分や単位に分断された状態で生きている。


その一方で、人間の内には、全体としての思慮深い静寂普遍の美が存在し、
どの部分、どの単位も一様にそこに繋がって、永遠なる一つを成している。

私たちはこの深遠な力の中にあって、
その力のもたらす至福をすっかり手に入れることができる。
そしてこの力は、どの瞬間にも自己充足し、完璧であるのみならず、
見る行為と見られる対象、見る者と見られる光景、主観と客観とが一つになっている。

私たちはこの世界に存在するものを、
太陽、月、動物、木……というように別々の現象としてとらえる。
だが、これらの輝かしい部分のすべてが一つになっている全体、それこそが魂なのである。…


はっきりしているのは、
人間の内なるは私たちの存在の背景であり、
現象のすべてはそこに内包されているということだ。

の広大さは私たちの理解を超えている。
内側あるいは背後から発せられる光は、
私たちを通じて輝き、物事を照らし出す。

そのとき私たちは、自身はであり、
がすべてであることに気づかされる。

一人の人間は、
あらゆる叡智、あらゆる善が納められた神殿を外から見た一面である。…


魂が人間の理知を通じて呼吸をするとき、
それは才能となり、
人間の意志を通じて呼吸をするとき、
それはとなり、
人間のの中を流れるとき、
それは愛となる。…

この純粋な性質を、
すべての人間はいつかは感じるようになる。

それを言葉で言い表すことはできない。

あまりに微妙なものであるから。

それはとらえどころがなく、計り知れないものだが、
それが私たちの中に充満し、
かつ私たちがその中に包含されていることに、私たちは気づいている。
人間の内側にはあらゆる霊的存在があることを、私たちは知っている。…

私たちは一面では、
深遠な霊的本質に、神の性質に開かれているのである。


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【Mar_11】「あぁボクはここに絶対的一人だ」

2020-03-13 | LA
高橋源一郎と辻信一の『弱さの思想』で後半「難民」についての言及があって、
国家の保護も受けない代わりに管理も受けない、
その流動性や多様性こそ「我らディアスポラなり」な思想で、
弱さをさらけ出す【ひらき】=「弱くある知恵」が必要なんじゃないか…と。

支配/被支配の関係に陥らない、
勝たない=負けない知恵が生態系とのデリケートなバランスを保つのだと。

元来、人間は絶対贈与の只中で生かされている。

生態系の恩恵と文化の継承によって生が存続されている。
そんな謙虚さが取り戻せられれば、
世界はもっと住みやすいものになるはずなんだけどね。

ボクも単身LAに行って、誰も知らない何もわからない只中で青空を見上げ、
メキシカンなキリスト像が陽の光に浮き上がるのを眺め、
この世界にたった一人で対峙している現実を理解し、
その存在の弱さに慄いたワケ。

「あぁボクはここに絶対的一人だ」

その事実を受け止めた時に、
それでも生きている歓びに感謝をした。
この心持ちが「我らディアスポラ」なんじゃないか。

天からのギフトがあり、ボクはそのギフトを引き渡すために今実在している。
その俯瞰な眺めの感覚を忘れてはいけないのだなと。

0311の震災もその契機だったと思う。
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【Mar_11】国家の保護も受けない代わりに国家の管理も受けない。

2020-03-12 | LA
アガンベンは、難民問題の本質は、
難民が法の保護を受けないことにあると言っています。

つまり難民は法の保護を受けない異例状態に置かれている人たちで、国家の保護はない。

だからある種非国家的存在、あるいは国家を超えた存在と言ってもいい側面があるんです。

国家の保護も受けない代わりに国家の管理も受けない。

無法状態に置かれる。

それは流動性や多様性を持っている人たちと考えることができる。


(辻信一『弱さの思想』より)
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【Mar_11】土が忌避されるのは何故かというと、文明の幻想を脅かすのが微生物だからです。

2020-03-12 | LA
例えば、英語でダーティーと言えば、「汚ない」という意味だけど、
それは〈dirt〉つまり土を形容詞化した言葉です。

土が忌避されるのはなぜかと辿っていくと、
微生物の存在に行き着く。

それは食物連鎖の頂点にあって、全世界が人間に仕えるためにあると言った
文明の幻想を脅かすのが微生物だからです。

弱肉強食という言葉の通り、人間だけがすべてを食えるが、
何物にも食われないという強者の奢りを、
進化のピラミッドの一番下にあったはずの小さきものが脅かす。

文明はそうして抗菌とか滅菌とかいう思想に行き着く。

生物多様性というけど、その大部分は微生物だから、
結局、文明は多様性と相容れないような発想の上に成り立っているんですね。


(高橋源一郎×辻信一『弱さの思想』より)
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【Mar_11】何かわかったんだけど、ちょっと言語化はできない。

2020-03-12 | LA
例えば祝島に行って、そこの道を歩いていくと、
ぽつんぽつんとおじいちゃん、おばあちゃんがいて、ミカンをもらう。

知の交流はないんだけど、自分の中で〈learn〉したものが違う形に変化してゆく。
「ミカン、ありがとう」ってぐらいしか出てこない。
それが〈unlearn〉。何かわかったんだけど、ちょっと言語化はできない。

小さな島だけど歩いていると足が痛くなる。身体が感じている。
だから、そこへ行くことはとても大切です。
その場所に行って、風景を見て、空気を吸って、匂いを嗅いで、
生きている人間の声を聞くと、違ったセンサーが動く。
それは原発の本を200冊読むのとは違う感覚が働く。

ボクは両方なきゃダメだと思うんですよね。


(高橋源一郎×辻信一『弱さの思想』より)
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【Mar_11】10年目の0311。

2020-03-12 | LA
10年目の0311。

「自分が死んだらこの世界なんかあってもなくても同じことだ」
「自分が死んでもこの世界が続いていくことに耐えがたい恐怖を感じる」が
「自分が死んでも世界はある」に変わるような世界観の転覆ってつまり、

「世界が有れば生きていた命は死んでも生き続ける」
「世界があるからこそ命は無になることはない」という
死の実感がそこにあったからだと作家保坂和志は書く。

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【Feb_20】他者を尊重するとは、他者に一歩を譲るということです。

2020-03-04 | LA
20世紀の倫理-ニーチェ、オルテガ、カミュ by 内田樹

「他者を尊重するとは、他者に一歩を譲るということです。

『お先にどうぞ』と道を譲ることです。
つまり紳士の礼節なのです。
ああ、この表現はとてもぴったりしています。

自分よりも先に人を行かせること。
このちょっとした紳士的礼節のきらめきが
他者の顔へ接近する一つの仕方なのです。

けれども、どうして譲るのは『私』であって、『あなた』ではないのでしょうか?
これは難しい問題です。

というのも『あなた』もまた『私』に向かって近づいてきているはずだからです。

けれども、紳士の礼節、あるいは倫理の本義とは、
そのような相称性については論じないというところに存するのです。」

                        (エマニュエル・レヴィナス)

【on_Flickr】0220_LA→PETALUMA
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