写真はダンサー高原伸子とのPhoto_Session より、
【on_Flickr】DANCER_07
それでは、レーニンにおいて何が「偶像崇拝の禁止」をもたらす
「死の欲動」の内面化の機能を担っているのだろうか。
もちろん、レーニンは「死の欲動」などという概念を用いて志向していたわけではない。
その代わりに彼が依拠したものは、資本主義の発展運動そのものだった。
言うまでもなく、資本主義はある意味で破壊的である。
それは農村共同体を破壊し、搾取される労働者を生み出す。
だから、資本主義が発達するということは、これらの破壊的作用が昂進することである。
しかし、レーニンはこのことをまったく怖れず、資本主義の発展を否定的なものとは見なさなかった。
その理由はもちろん、マルクスの根本的展望、すなわち資本主義の発展は既存の社会構造を破壊するのと同時に、
その墓堀人を不可避的に生み出し、それによって社会主義革命が導かれる、という展望にある。
つまり、マルクス・レーニンにとって、資本主義の発展はフロイトの想定する「死の欲動」と同じ形で両義的なものである。
それは、破壊的な力であるのと同時に、その攻撃性が内へと向けられるならば、もっとも「文化」的なものとなる。
してみれば、レーニンにとって、社会主義革命とは、
資本主義の発展運動という「死の欲動」の破壊性が反転され、
資本主義の発展それ自体に向け変えられる瞬間を指すことになるだろう。
レーニンが初期の著作においてナロードニキ主義批判を展開したとき、
彼は批判対象を単に否定したのではなかった。
正確に言えば、ナロードニキ主義がロシアの近代思想・革命運動の形成において
果たした重大な役割を積極的に評価しつつも、
その根本教義が現に資本主義発展の途に入ったロシアの現状にはもはやそぐわないものとなった、
という主張をしたのであった。
つまりそれは、資本主義発展の不可逆的な開始と同時に、「悔悟する知識人」に限定された
思想・運動は無効なものとなったということを意味する。
それがいまや無効なのは、資本主義の浸透がトラウマの克服を全人民的問題とするからである。
してみれば、レーニンにとって、社会が資本主義的発展の軌道に入ることの進歩性の究極的な根拠とは、
それによって知識人に限定されていたトラウマが全人民へと普遍化され、したがって歴史的主体性を獲得するべき主体が知識人に留まらず、
全人民へと拡大されたということに存ずる、といえよう。
このようにして、資本主義の発展によって全人民が歴史の形成に参与することになってはじめて、
客観的必然性を持った現実的なものとしての革命が世界の有り様を規定するようになる。
すなわち「革命の現実性」が世界に充満しはじめる。
ゆえにこそ、レーニンの『何をなすべきか?』が提起する「新しいタイプの党」は、
「暴露」「顫動」によって大衆の「革命的積極性の培養」をめざし、
また労働者階級から「職業革命家」を多数引き入れるべきものとして提起された。
それは実に、大衆をして資本主義の発展という「死の欲動」の反転へと向かわしめることを、企図したものであった。
写真はダンサー高原伸子とのPhoto_Session より、
【on_Flickr】DANCER_07
フロイトが描くユダヤ教において、
徹底的な欲動断念が偶像崇拝を禁じる一神教として現れざるを得なかった理由は何なのか。
この問に答えるためにわれわれが見出した手がかりは、それが「死の欲動」の内面化という機制に関わるということであった。
ところで、フロイトは罪責感の源泉を成す「不安」の感情について、二つの源泉を措定している。
すなわち、「優位に立つ他者に対する不安」と「超自我(=良心)に対する不安」とである。
前者はその起源を、幼児の親に対する感情、つまり親からの保護を失うことに対して幼児が感じる「寄る辺のなさ」に持っているとされる。
そして後者は、前者から促された「欲動断念」がなし終えられる
(つまり、幼児の成長によって他者への依存が軽減され「寄る辺のなさ」が解消される)ことによって
一旦は解消された前者の感情を受け継ぐものである。
だがなぜ、本来外発的なものとされる前者が解消された後に、罪責感は「超自我」という形で内面化されうるのか。
この問に対してはフロイトはかなり思弁的な回答を試みているが、その要点は
「超自我の峻厳さは本来、(中略)超自我に対する自我自身の攻撃欲動の代理」であるということだ。
つまり、後者の「不安」感情の厳選には「死の欲動」が横たわっているということになる。
そして、フロイトの「不安」の二つの源泉についての論理を敷衍して「神的なるもの」の起源を措定するとすれば、
前者の「不安」は多神教的心性へとつながり、後者のそれはユダヤ教的なそれにつながっているに違いない。
それはなぜか。
まず、前者の「不安」は「(人が生きていくうえで依存せざるをえない他者からの)愛を失うコトへの不安、
つまり一種の『社会的』不安」を背景にしている。このような罪の意識は真正のものではない。というのも、
この「不安」の背景にあるのは超越的な善悪の基準ではなく、
自分が生きていく上で必要不可欠な他者からの「愛を失う」わけにはいかないという功利計算にほかならないからだ。
ゆえに先に引用したフロイトの「未開人」の行動は次のように解釈できる。
すなわち、彼らの呪物が役に立たなかったとき、呪物の方は彼らを愛していなかったことが明らかになったのであり、
それゆえにもはやその呪物は無用の長物であり、むしろ空しい期待を抱かせた憎むべきものとして打ち毀されるのだ、と。
先述したように、これらの呪物は、それがいかに高い敬意を払われていようとも、
いわゆる「御利益」をもたらしてくれるものとして崇拝・強制されているにすぎない。
そして、このような世界においては、さまざまな呪物が立ち代わり崇められ、そして貶められるだろう。
言うまでもなく、これは先に述べた多神教的、偶像崇拝的世界の姿にほかならない。
してみれば、偶像崇拝の禁止が呪物を持つことに対する禁止であるならば、それが意味するところは、
功利を超えた善悪の基準を持つべしという当為であるはずだ。
そして、功利計算というものがおこなわれる目的が自己の生命・身体などの維持にあり、
したがってそれが自己愛の命ずるものだとすれば、功利計算を棄てることとはその逆を思考すること、
すなわち「死」を志向すること、そして『文化への不満』における主要テーマのひとつであった
「隣人愛」の実現への志向を意味することになるだろう。
偶像崇拝の禁止という教えが「死の欲動」に基づく、もっと言えば、それのみにも基づくものだというのは、このような意味においてである。
偶像化しえない神、それは内面化された「死の欲動」が外に投射されたものだ。
してみれば、フロイトの主張する「精神性における進歩」とは、「死の欲動」を内面化することをやり遂げることにほかなるまい。
【on_Flickr】DANCER_07
フロイトが描くユダヤ教において、
徹底的な欲動断念が偶像崇拝を禁じる一神教として現れざるを得なかった理由は何なのか。
この問に答えるためにわれわれが見出した手がかりは、それが「死の欲動」の内面化という機制に関わるということであった。
ところで、フロイトは罪責感の源泉を成す「不安」の感情について、二つの源泉を措定している。
すなわち、「優位に立つ他者に対する不安」と「超自我(=良心)に対する不安」とである。
前者はその起源を、幼児の親に対する感情、つまり親からの保護を失うことに対して幼児が感じる「寄る辺のなさ」に持っているとされる。
そして後者は、前者から促された「欲動断念」がなし終えられる
(つまり、幼児の成長によって他者への依存が軽減され「寄る辺のなさ」が解消される)ことによって
一旦は解消された前者の感情を受け継ぐものである。
だがなぜ、本来外発的なものとされる前者が解消された後に、罪責感は「超自我」という形で内面化されうるのか。
この問に対してはフロイトはかなり思弁的な回答を試みているが、その要点は
「超自我の峻厳さは本来、(中略)超自我に対する自我自身の攻撃欲動の代理」であるということだ。
つまり、後者の「不安」感情の厳選には「死の欲動」が横たわっているということになる。
そして、フロイトの「不安」の二つの源泉についての論理を敷衍して「神的なるもの」の起源を措定するとすれば、
前者の「不安」は多神教的心性へとつながり、後者のそれはユダヤ教的なそれにつながっているに違いない。
それはなぜか。
まず、前者の「不安」は「(人が生きていくうえで依存せざるをえない他者からの)愛を失うコトへの不安、
つまり一種の『社会的』不安」を背景にしている。このような罪の意識は真正のものではない。というのも、
この「不安」の背景にあるのは超越的な善悪の基準ではなく、
自分が生きていく上で必要不可欠な他者からの「愛を失う」わけにはいかないという功利計算にほかならないからだ。
ゆえに先に引用したフロイトの「未開人」の行動は次のように解釈できる。
すなわち、彼らの呪物が役に立たなかったとき、呪物の方は彼らを愛していなかったことが明らかになったのであり、
それゆえにもはやその呪物は無用の長物であり、むしろ空しい期待を抱かせた憎むべきものとして打ち毀されるのだ、と。
先述したように、これらの呪物は、それがいかに高い敬意を払われていようとも、
いわゆる「御利益」をもたらしてくれるものとして崇拝・強制されているにすぎない。
そして、このような世界においては、さまざまな呪物が立ち代わり崇められ、そして貶められるだろう。
言うまでもなく、これは先に述べた多神教的、偶像崇拝的世界の姿にほかならない。
してみれば、偶像崇拝の禁止が呪物を持つことに対する禁止であるならば、それが意味するところは、
功利を超えた善悪の基準を持つべしという当為であるはずだ。
そして、功利計算というものがおこなわれる目的が自己の生命・身体などの維持にあり、
したがってそれが自己愛の命ずるものだとすれば、功利計算を棄てることとはその逆を思考すること、
すなわち「死」を志向すること、そして『文化への不満』における主要テーマのひとつであった
「隣人愛」の実現への志向を意味することになるだろう。
偶像崇拝の禁止という教えが「死の欲動」に基づく、もっと言えば、それのみにも基づくものだというのは、このような意味においてである。
偶像化しえない神、それは内面化された「死の欲動」が外に投射されたものだ。
してみれば、フロイトの主張する「精神性における進歩」とは、「死の欲動」を内面化することをやり遂げることにほかなるまい。
写真はダンサー高原伸子とのPhoto_Session より、
皇居東御苑にある桃華楽堂。
【on_Flickr】DANCER_07
『ロシアにおいて新しい共産主義文化を建設しようという試みが
ブルジョアジー迫害によって心理的に支えられていることも、充分理解できる現象だ。
ただちょっと心配なのは、ソヴィエトでブルジョアジーが根こそぎにされたあと
果たして何が起こるだろうかという点である』(S.フロイト「文化への不満」(1930)より)
いわゆる大テロルを約5年後に控えた1930年の段階で、このように不気味・までに正確な予言をなしえたことについては、
まさに慧眼と言うほかない。要するに、フロイトからすれば、レーニンのやろうとしたことは「文化」的にすぎるのだ。
人間はこのような「文化」に到底耐えられず、結局のところ攻撃欲動の方が勝利するであろう、というのがフロイトの見立てである。
しかし、精神分析の始祖があくまで慎重に革命(無意識による、あるいは社会主義による)の両義性を見つめ、
進歩にいたる途を発見することの徹底的な困難性を自覚していたのに対し、ボリシェヴィキ革命の指導者はその進歩性を
いささか無邪気に信じていたということを確認するだけで、問題は結着するのだろうか?
今日まで再三再四語り尽くされてきた事柄、すなわち
「人間性に関する見方の根底においてフロイトはペシミストであり、レーニンはオプティミストであった」
ということに問題は尽きるのだろうか?
仮にフロイトが『モーゼと一神教』という謎に満ちたテクストを書かなかったとしたら、
われわれはこのような結論に満足すべきであるのかもしれない。
だが、すでに論じたように「精神性における進歩」をフロイトは他の彼のテクストにおいては見られないような口調で
そこでは強調したのであり、しかもそれがなされたのは、まさに攻撃欲動の圧倒的勝利の確証であるかのごとき
ナチズムが猖獗を極める最中においてのことであった。
そして、『モーゼと一神教』によってやがて打ち出されることになる観点から遡及的に見てみるならば、
『文化への不満』においてすでに、攻撃欲動をいかに昇華しうるかについての道筋は語られていたことがわかる。
それは「罪責感」をめぐる議論においてである。もっと言えば、攻撃欲動を馴化する可能性、
「文化発展」の可能性が賭けられうる唯一の途として、それは論じられていた。
『われわれの攻撃欲動を無力化するため、どんな方法がとられているだろうか。
それはちょっと想像もつかぬほど奇抜だが、考えてみるとごく当たり前の方法である。
すなわち、われわれの攻撃欲動を取り込み、内面化する方法である。しかし実のところこれは、
攻撃欲動をその発祥地へ送り返すこと、つまり自分自身へと向けることに他ならない。
このようにして字がの内部に戻った攻撃欲動は、超自我の形で自我の他の部分と対立している自我の一部に取り入れられ、
こんどは「良心」になって、本当なら自我自身が自分とは縁のない他人に対して
示したかったであろうのと同じ厳格さでもって、自分自身の自我に対するのである』(S.フロイト「文化への不満」(1930)より)
『イスラエルの人々は、自分たちは神の寵児だと考えていた。
ところが、この偉大なる父が自分の寵児の上へつぎからつぎへと不幸を注ぎかけた時、
イスラエルの人々は、神と自分たちのこの特殊な関係に疑いを差し挟むとか、
神の力と正義を疑いの目で見るとか言うことはせず、預言者たちを生んで、
これに自分の罪深さを責めさせ、この罪の意識を基にして、司祭宗教の厳格きわまる戒律を作り出したのだった』(S.フロイト「文化への不満」(1930)より)
ここでフロイトが言っていることは、ユダヤ教は攻撃欲動をもっとも徹底的に内面化した宗教であるということにほかなるまい。
それを信奉する者たちは、攻撃欲動を他者へと振り向ける代わりに、つねに罪責感のなかにとどまろうとするのだ。
しかし問題なのは、なぜ、また、いかようにしてこのような精神的態度が可能になるのか、ということだ。
皇居東御苑にある桃華楽堂。
【on_Flickr】DANCER_07
『ロシアにおいて新しい共産主義文化を建設しようという試みが
ブルジョアジー迫害によって心理的に支えられていることも、充分理解できる現象だ。
ただちょっと心配なのは、ソヴィエトでブルジョアジーが根こそぎにされたあと
果たして何が起こるだろうかという点である』(S.フロイト「文化への不満」(1930)より)
いわゆる大テロルを約5年後に控えた1930年の段階で、このように不気味・までに正確な予言をなしえたことについては、
まさに慧眼と言うほかない。要するに、フロイトからすれば、レーニンのやろうとしたことは「文化」的にすぎるのだ。
人間はこのような「文化」に到底耐えられず、結局のところ攻撃欲動の方が勝利するであろう、というのがフロイトの見立てである。
しかし、精神分析の始祖があくまで慎重に革命(無意識による、あるいは社会主義による)の両義性を見つめ、
進歩にいたる途を発見することの徹底的な困難性を自覚していたのに対し、ボリシェヴィキ革命の指導者はその進歩性を
いささか無邪気に信じていたということを確認するだけで、問題は結着するのだろうか?
今日まで再三再四語り尽くされてきた事柄、すなわち
「人間性に関する見方の根底においてフロイトはペシミストであり、レーニンはオプティミストであった」
ということに問題は尽きるのだろうか?
仮にフロイトが『モーゼと一神教』という謎に満ちたテクストを書かなかったとしたら、
われわれはこのような結論に満足すべきであるのかもしれない。
だが、すでに論じたように「精神性における進歩」をフロイトは他の彼のテクストにおいては見られないような口調で
そこでは強調したのであり、しかもそれがなされたのは、まさに攻撃欲動の圧倒的勝利の確証であるかのごとき
ナチズムが猖獗を極める最中においてのことであった。
そして、『モーゼと一神教』によってやがて打ち出されることになる観点から遡及的に見てみるならば、
『文化への不満』においてすでに、攻撃欲動をいかに昇華しうるかについての道筋は語られていたことがわかる。
それは「罪責感」をめぐる議論においてである。もっと言えば、攻撃欲動を馴化する可能性、
「文化発展」の可能性が賭けられうる唯一の途として、それは論じられていた。
『われわれの攻撃欲動を無力化するため、どんな方法がとられているだろうか。
それはちょっと想像もつかぬほど奇抜だが、考えてみるとごく当たり前の方法である。
すなわち、われわれの攻撃欲動を取り込み、内面化する方法である。しかし実のところこれは、
攻撃欲動をその発祥地へ送り返すこと、つまり自分自身へと向けることに他ならない。
このようにして字がの内部に戻った攻撃欲動は、超自我の形で自我の他の部分と対立している自我の一部に取り入れられ、
こんどは「良心」になって、本当なら自我自身が自分とは縁のない他人に対して
示したかったであろうのと同じ厳格さでもって、自分自身の自我に対するのである』(S.フロイト「文化への不満」(1930)より)
『イスラエルの人々は、自分たちは神の寵児だと考えていた。
ところが、この偉大なる父が自分の寵児の上へつぎからつぎへと不幸を注ぎかけた時、
イスラエルの人々は、神と自分たちのこの特殊な関係に疑いを差し挟むとか、
神の力と正義を疑いの目で見るとか言うことはせず、預言者たちを生んで、
これに自分の罪深さを責めさせ、この罪の意識を基にして、司祭宗教の厳格きわまる戒律を作り出したのだった』(S.フロイト「文化への不満」(1930)より)
ここでフロイトが言っていることは、ユダヤ教は攻撃欲動をもっとも徹底的に内面化した宗教であるということにほかなるまい。
それを信奉する者たちは、攻撃欲動を他者へと振り向ける代わりに、つねに罪責感のなかにとどまろうとするのだ。
しかし問題なのは、なぜ、また、いかようにしてこのような精神的態度が可能になるのか、ということだ。