カムカムエブリバディ見てます。
ひなたがあんなに簡単に英語ペラペラになったり
音楽活動再開するよ!と言ったら、あららら、プロのキーボードプレイヤーになってしまった錠一郎!!!!驚きました。
ドラマやからなぁとは思っていたのですが・・・・
我が身を振り返ってみたら、似たようなことがあるのではと、気付きました。
どこにも就職できないチリ紙交換の兄ちゃんから、いつの間にか「お医者さん」になってしまている私!!!ドラマと似たようなものと違うの?
ウーム、そうかもしれない・・・・・
高校生の時は、劣等生とは自覚していませんでしたが、内申書の平均点は5段階評価で3以下で2.87やったかな。A,B,C,D,Eの五段階評価でDでした。
小学生の時から「やったらできる」とは言われておりましたが・・・そんなの全員が言われますよね。
やらんでも受かるのと違うのと考えて・・・・受験勉強が必要ない大学だという噂を小耳にはさんで国際基督教大学(ICU)を受験したのですが・・・・先ず、志望理由を英語で書きなさいという受験手続の段階で挫折しそうになりました・・・が、それは、担任の英語の先生に肩代わりしていただきまして・・・・・何とか関門突破!!
でも、英語のヒアリングのテストで、何を言っているのか、全く聞き取れず、そのうち、英語でジョークを言われたらしく、教室内が爆笑!!何も分かりませんでしたが、笑わないと監督官にチェックされるぞ!!と思って、周囲にあわせて作り笑いした事を苦々しく思い起こします。
試験の合間の周囲の会話も絶望的なものでした。「貴女なんて良いわよねぇ、マルAなんだから。私なんて、タダのAだから、難しいわぁ」とか、品の良さそうな、田園調布だか白金台だけに住んでいそうな(イメージだけです) 偏差値の高そうなきっちりとした制服に身を固めた生意気そうなお姉ちゃんが言っているのです。 私その下のBの、そのまた下のCのそのまた下のDなんだけどなぁ・・・、流石にこりゃ駄目だわと、その時になってようやく自覚いたしました。試験問題(虹に関する考察でした)に対してはある程度の手ごたえはあったとおもうのですが・・・英語が全くダメで内申も最悪、そもそも受験資格がございませんでした!!
結果は勿論・・・・でございました!!
だだっ広い三鷹のICUのキャンパスだけが印象に残っております。
当時の高校の数学担当の先生に 「お前なんて大学と名の付く所には入れたら、逆立ちして大阪を一周してやる」と言われておりました。その先生の言われる通り、現役の時はどこにも合格できませんでしたが、一浪で東京の某有名大学に補欠で引っかかってしまいました。
それで、嬉しくて、出身高校に報告に行きました。職員室に入って「KO大学に合格しました」と報告するなり、複数の「はっ?どこのKO?」
「SOUKEIのKOですけど」
しばらく間をおいて
「なんでやねん、なんで江川を落としてお前を入れるねん!!」
「なんでやねん、なんで江川を落としてお前を入れるねん!!」
「そう言われましても、受けた学部も違いますし、私としては何とも・・・」
などと言うやり取りがございました。なんでおれが大学の弁解せなあかんねんな!!!!と思いましたが、その後、江川君を入学させなかった大学はアホではないかと思う様にもなりました。
入学後、ナマの江川卓さんを6大学野球で何度か目にしましたが・・・・役者が違う!!!と感じがしました。彼一人で完投し、9回裏にサヨナラホームランをかっ飛ばしたのを見たこともあります。
ランナーが出た時のストレートは無敵の剛速球でした。キャッチャーミットに収まる音が違うのです。チャンスで騒いでいたスタンドが、その音で静まり返るのでした。モノが違いました。
そりゃまあ、KO大学としては、私よりも江川君を入学させた方が何百倍も良かったでしょうねぇ。入学前に特訓をしてもダメだったのですから、まぁしょうがないと思いますけどねぇ。殆ど、出題問題を教えている様な特訓だったようですが・・・・江川君、試験には訓練されていなかったのでしょう。入試は、ある程度反射神経です。それに向けた神経を鍛えないと成果は得られないです。
何で江川を落としてお前を入れるねん と言うのは、その先生の魂の叫びでしょうねえ。それほどに私は、嫌われていたのだと思います。出席率は、文部省が定める最低出席率の2/3をきっちり守っていましたから。
その当時は土曜も授業がありました。週に6日授業がありました。そのうちの1/3をきちんと休んでいたので、私は週休3日性を引いておりました。
今週は月、火、水が休み。来週は水、木、金が休み、再来週は土、月、火が休みときっちり休んで、休みの日は雀荘、パチンコに入り浸っておりました。
そんな奴だったのでございます。落ちこぼれのカス野郎・・・
まぁ、そんなことを思い起こしました。
元々面白くない勉強が嫌いな私、入学したのが工学部でございまして・・・理念よりも現場で役に立つテクノクラートの養成に力を入れていた大学なので・・・合いませんでした。すぐに不登校になり・・・・何とかしがみついていてはいたのですが・・・・4年経っても3年生に進級できずで退学となりました。
それからは、今でいうフリーター、昔で言うところのプータローとしてふらふらしておりました。 続く