子宮頸がん治療のはなし+副鼻腔がんも少々

2004年の年末に手術しました。
不具合はありますが元気でやっていますよ!
不安な人は気軽にコメントをどうぞ!

レアケースなご近所さんの記録。長いぞっ!

2018年11月14日 10時55分25秒 | 08.ガン患者の輪

あるいて38歩のところに住むご近所さん。

わき腹の痛みで緊急入院したのち、1ヶ月ぐらいかけて検査+疼痛コントロールした結果、乳がんからの右腎・全身の骨転移と判明したのが7月。

でも最初、乳がんは初期も初期のものだと思われていた。それぐらい小さかった。

 

一人での通院は不安だというので、勝手知ったる私の治療した病院でもあるし、退院してからの通院は、すべて付き添っていたのだけれど、自分が治療していた頃とは様変わりしていて、乳腺は意地でも不要な入院させるもんかっていう変な心意気がw

 

通院治療は、働く世代や2人以上で暮らす患者さんにとっては、人生の可能性が広がっていいのだけれど、年金暮らしの独り者としては非常に過酷だと感じた。

しかも、入院とは違って患者さん同士のコミュニケーションもとりづらいため、孤立はどんどん深まる。

患者会に行けばいいじゃんという声もあるだろうが、自分からそういう場に赴くというのはなかなか難しいと思っている人も多い。

精神的にも病状もある程度安定していないと、自分自身を見つめたり同病の人と話をすることは苦痛でしかないからだ。そういう意味で、なんとなく病室で始まる同病者同士のコミュニケーションは精神的な助けになったりもするんだよなー、なんて待合室で思ったりした。

また、SNSなどネットの活用はみんながみんなできるわけではないので、ぽっかりと穴が開いたように孤立する群がどうしてもできてしまう。

それがまさにご近所さんだった。

 

7月にがんがわかって、疼痛コントロールが出来るようになってまもなく、食事がとれなくなってきて、精神的にも落ち込むことが多くなって、外来時に訴えたけど主治医はどーでもいいと言っていた。

どうも、抗がん剤の副作用以外の話は聞きたくない+5分以内に席を立ってくれない患者にはイライラするっポイ。

それだけ外来がパンパンってこともあるんだけどね・・・・。

にしてもさぁ・・・・と、毎回悶々していた。

でも無理やり緩和ケアに関しては何らかの介入してよっ!と言って、緩和ケア外来開始したのが9月頭。

栄養が採れないからエンシュア出してよともお願いした。

主治医はどーでもいいと言いながら、処方箋を打ち込んでいた。

どうやら、処方箋を打ち込むのがめんどくさいらしい。

 

 

本人が自分では何もできないと訴える事が多くなってきたため、介護申請に行ってきたのも9月頭。

その時はまだ動けないこともなかったので、申請だけでも先にしようと動いたんだけど、これが正解だった!

申請が降りたのが寝たきりになった11月初旬だよっ( 一一)

 

 

それから外来時に介護施設で医療に強い所を案内してもらうべく、地域医療連携何とかって窓口に行ったのが9月中旬。

その時は地域連携なんとかの担当看護師さんが対応してくれたけど、なんだか・・・・

緩和ケア病棟に行くなら抗がん剤はできません(そんなことも知らないの?的な感じ)とやや高圧的に言われる。

反論しようかと思ったけど、古い知識のまま一生イキロと思ったので、テキトーに聞き流しておくことにした。

 

 

10月に入って、急激に疼痛コントロールができなくなってきたことと、食事がほとんどとれなくなってきたので、緊急で外来を受診することにした。

やたら声のデカい乳腺外科の医師が、衰弱している様子を見て、「今日は点滴が終わったら家に帰って・・・」とか言うので、「今日は無理ですよね。彼女一人暮らしですよ」というと、「それは社会的入院ですよね」と、嫌な顔をする。

それ以上に嫌な顔をして、家に帰る選択肢はないことをネッチリ伝える。

 

何とか入院になって、兄嫁さんとか姪っ子さんも安心していたのもつかの間。

入院して数日で足の感覚がなくなってきて、うごかなくなってしまった。

あの時意地でも帰らなくてよかったわ。

骨内腫瘍が神経圧迫をしていることが判明して、放射線を合計20グレイ照射。

症状は止まったけど、筋力も低下し自力ではほぼ動かせなくなって、寝たきりの状態になってしまった。

 

この状態では、やはり施設へ入居しないと生活が成り立たない、ということで、施設を探そうとしていた矢先、地域なんとかの担当が看護師から変わってスーパーソーシャルワーカーさんになったっ!

彼の紹介してくれた施設は医療系の高サ系の施設だった。医師も看護師もケアマネもいるので、がん治療も緩和ケアも両方続けながら手厚い介護・生活支援してもらえる施設だった。

ほらーーーー、あるじゃんっ!って、この前の看護師にイヤミの一つも言いたいわ。

担当が変わるとこんなにもやることが違うのねー。

 

 

ご近所さんの実兄ご家族さんと11/2に見学に行ってきましたよ。(←ついてきてくれと言われたので・・・)

持ち帰って検討して・・・とかしている時間はないと感じ、その時点で申し込みを済ませるようお勧めして、早々に入居手続きに入った矢先、下血で緊急処置をしたと連絡が。

 

 

もうね、早め早めに手を打っていたはずなのに、それより早いスピードで悪くなっていくので、追いつかない・・・。

 

 

11/7に施設の人とスーパーソーシャルワーカーさんと、実兄さんと本人とワタシで最終面談を行い、11/12に施設に入ることを最終的に決めたんだけど、面談日の11/7から突然、痛みのコントロールができなくなった。

ベースのオキシコドンを増やしてもらって、痛みを取ってもらうようにお願いしたが、ドンドン追いつかなくなっていたようだ。

11/12に施設に・・・と言っていたけど、12日にはもうそんな状態ではなくなっていた。

主治医からも退院は無理だという話があったようだ。その日、実兄さんや兄嫁さんと話し合って、各方面に連絡をしようということになった。

 

そして11/13 18時30分ごろ永眠。大急ぎで天国への階段を登っていってしまった。

 

 

私は果たして、彼女のためになったんだろうか。

もっと早く手を打てばよかったのかなぁ。

どの時点で私はもっともっと早く動くべきだと判断するべきだったんだろう。

いろんなことを考えるけど、まだ現実感がない。

 

彼女が生きた証にとりあえずざっと記録しておく。

そして、似たような症状の患者さんが近くにいる人の目に留まったら、その人の参考になればと思う。

 

 



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