ゴールデンウィークの少し前、ちなつさんが「チベット死者の書」のDVDを送ってくれました。
これは1993年にNHKで放送したものを録画してくれたものです。
DVDが出ているかと思いましたが、どうやら出ていないようです
なので、本をいくつか並べておきますね。
現代人のための「チベット死者の書」 価格:¥ 2,415(税込) 発売日:2007-05-08 |
チベットの死者の書 価格:¥ 1,890(税込) 発売日:2004-03 |
結論から言うと、とてもしっくりきたというのが感想です。
チベット仏教では、輪廻転生が信じられているので、墓はありません。
肉体は魂の宿る場所であり、古くなったり故障をすれば、49日後に別の肉体に生まれ変わる、という考え方です。
インドの仏教と似ているのかなぁ。
チベット仏教徒の一番の目標は、輪廻の輪から抜け出して、神のような存在になること。
しかしながら、この輪から抜け出すのはとても難しい。
だから、餓鬼道・畜生道への輪廻をしないように、人間に生まれてくるように手引きをするために、道に迷わないよう、死者に語りかけるための経典が死者の書です。
経典と言ってもお経のように分かりにくいものではなく、現代風に言えばマニュアル書。
「○○よ、今お前には××が見えるだろう、そちらに行ってはいけない。○○の方向に進みなさい」というような感じで、DVDでは訳されていました。
これを応用し、アメリカではエイズなどの病気で余命がわずかだと宣告されている人のためのカウンセリングの書として、役に立っているようです。
本来、生きている人には語られる事がなかった死者の書を、死を目前にした人に対して読んであげることで、死への不安を軽減し、今まで生きた意味を再認識し、安らかに死を迎えられるようにするためです。
死は生きることの一部である。
現世に執着をしてはならない。
現世も死も、命の流れの一部である。
生を受けたとき、受けたものは(赤ちゃん)泣き叫び、
それを見た者は喜ぶ。
死を受け入れたとき、受け入れたもの(死者)は泣かないが、
見送るものは泣き叫ぶ。
このことから分かるように、死は悲しむべきことではなく、
生もまた喜びのみの意味ではない。
生と死の本質を少しでも知ることができたら、その生には意味を持つ。
死者の書が一番言いたかった事は、こういうことじゃないのかな。
私は抗がん剤を点滴しているとき、いつも思っていたことがあります。
それは・・・
長生きは本当に幸せなのだろうか?
早世は人が言うほど不幸なのか?
この点滴に入っている薬を作るために、
どれくらい多くの命が実験と称して使われていったのだろう。
これほどの命を費やした薬を使って生きるほど、
私は価値のある人間だろうか。
でも薬がある以上、使わないことは、費やされた命を拒否する事。
ありがたく使うのがいいのだろう。
恐らく、この薬がなかったら、私は30代で命を終えていただろうが
もしそうだったとしても、私は幸せだよなぁ。
まあ、こんな事を考えている間に、副作用タイムに突入して、
それどころではなくなるんだけれどもね( ̄▽ ̄)
そんなことを久しぶりに考えた気がします。
ちなつさん、ありがと。
たぶん僕なんかが軽く相づちを打てないようなものなのだろうけれど……、でもあんまり深く考えないほうがよいかも。もちろん薬を作るうえでの検体(こういう表現、いやだな)の数は膨大です。これは重要なことなのだけれど、でも、薬を使っていらっしゃる当人がそれを考えちゃ、ツライですよ。
ごはんを食べるときだって、僕たちはコメを数千粒食うんです。言ってみれば数千のコメの命を食ってるわけです。たった一食でね。でもそれが普通。
世の中ってそういうもんだ、と考えることも、ときには必要なのかもしれませんよ。
友人の一人は「救える命は救うべき」と答えました。
従兄弟は「仕事しなくても、何もできなくても、そこにいるだけでいいはず」と答えました。
ICUの看護スタッフからは「がんばって生きてください。自分のためには頑張るのって難しいかもしれないけれど、これまでかかわってきた多くの重篤な患者の方々で、それでもがんばって生き抜いた方々に共通していたのは、身近な人たちのためにがんばることだったように思います」と話してくれました。
この問いの適切な解はまだわからないので、今は放置しています(苦笑)。
ただ、riderさんが今回書いていたように、
私が受けている手術や治療の数々は、これまでの多くの方々のがんばりの上で成り立っていることを思い、それを拒否するのはとても失礼な気がしていることは確かです。
それに、私が治療を受ければ、それが次の方へと必ず繋がるはずだし。
何よりも、まだ、自分の体がどうやら「生きる」ことを欲しているようです。だって、ちゃんと空腹を感じるし、美味しいと思えるし。
傷が痛いし。食べたいものが頭に浮かぶし。
恐怖や不安と闘うつもりはないけれど、自分がどうするのか、何を感じるのか、どう変わっていくのか行かないのか。”流されて”みようかと思っています(苦笑)。
こうしてriderさんの日記に、自宅からコメントできていることそのことが素朴にうれしいのでした。
こう言うコアな内容なので、好き嫌いも分かれるし、
でも、仏教とかに関心があるなら、めっちゃ興味深い内容だと思って
送らせていただきました。
母の死が無かったら、この番組は見ていなかったかもしれません。
正に現世で母を失い、ピーピー泣いて暮らしていた時です。
番組を見て、本も読んだ時、「あぁ、母は輪廻の輪から抜け出して
光に入って行けたんだ」と思えた瞬間がありました。
なんかその時、ふっと楽になったんですよね。
「チベット死者の書」は埋蔵経で、たとえどこかに埋もれていても、
必要な時には必ず発見される、とされています。
この番組、本との出会いが、私にとって正にその「必要な時」だったのかも。
riderさんの、お薬に対するお気持ち、深いですね。
自分が抗がん剤のお世話になった時は、猫を残して死ねない為、
どうしても生きてやる!、と必死で、なんも考えず受けておりました。
こうやって元気で居られるのも、そうやって多くの犠牲の上に作られた
薬のおかげと考えると、ホント、感謝!感謝!ですね。
普通に薬を飲んでいるときは、そんな事思いもしなかったんですけどね。
とくにがん治療の薬を試す際は、ガンになりやすい種を交配して、生まれてくる生まれながらにしてガンのマウスとかを利用しているので、そんなことがふと浮かぶんですよね。
やることがないから、いろんなことを考えましたね。
いなりのブヒブヒ顔とか( ̄▽ ̄)
まあ、たまにはこういうとも思い出して、感謝するという事が大事だなーって思います。
●もろさん
事実として、
・どんなに予後が悪いといわれているⅣ期の患者さんも、完治してしまった人がいる
・予後がいいと言われていた人でも、再発する患者さんがいる。
ということが実際にあります。
きっと、どう生きるかを決めるのは自分なんでしょうね。
最後まで治療に挑戦するのか
ある程度治療をして、考えながら進んでいくのか
最初から治療をしないのか
でも、治療方法があるなら受けた方がいいなーと、思いました。
せっかく労力をかけて作った薬や確立した治療法方法なんだもんね。
もったいないっ。
今は流されてください。賛成っ!
その中で、こうしたい!という医師が出てきたら、相談し決めていけばいいですもんね。
まずは退院オメデトです(≧▽≦)
わははは。私もネコのために帰らねば!って思ってた(笑)
じゃないと、4匹を全員一緒に面倒見てくれる人なんて、いないんだもん・゜・(ノД`)・゜・
抗がん剤を点滴する瞬間って、独特のもんがありますもんね。
病院という場所にいると、いろんなことが頭をめぐるんですよね。
やることがないからだと思うんだけど(≧▽≦)
でも、たまにはこういうことも考えて、受け止めたほうがいいなと思いました。
つたない感想ですが、せっかくいいものを見せていただいたので載せました。
ありがとうございましたデス。
それは長さだけに由るものじゃないと思うよって、riderさんと同じことを伝えてくれてたのかもしれませんね。
生きることに対するとらえ方、言葉で表すのは難しいですね。
よほど考えないと、自分の心の中すらはっきり見えません。
わたしはまだやりたいこと、遣り残してると思うことがいっぱいあるかな~。
生きていればこそ、と思うこと、それらを毎日丁寧に実践して、いつも満足できる1日を生きることが大事なんでしょうね。
つらいだけの日があったとしても。
・・・多くの命の上に生きているって、つらい時に思い出すのは難しいんでけどね(・・;)
抗がん剤の副作用中なんて、ちょっと無理かも(汗)
病気になる前に比べて、ふとしたきっかけで「幸せ」を感じる瞬間が本当に増えました。
歩いてたり、ゴハン食べてたり、そんな時にも。
それでも、まだまだ感謝の気持ちは足りないな~って、あらためて思いました。
医療ってとても尊いものだと思います。
根底にある、誰かを救おうと思う気持ちがそう思わせるのかと思っていたけど、
たくさんの命がつながっているからなのかもしれませんね。
れひちゃん、そうやって言ってたね。
よく聞くのがさ、長生きしているおばあちゃんとか、早くしにたいって言う人が多いんだよね。
きっと、長生きするって苦しいことなんだと思うよ。
なかなか、生きるとか死ぬとかについて、きちんと考えないもんね。
特に、こうして社会復帰してしまうと。
でもさ。私、点滴するときにいつもそんな事考えてたの。
今、この瞬間にたくさんの命に救われているんだな~って。
そうするとね。
苦しいとか、痛いとか、とても小さなことに思えたんだよね。
でも副作用が始まると、そんな事思っていられないんだけど
さ( ̄▽ ̄)
何でもないことがうれしいと思えると、得した気分じゃない?
普通なら、そんなことに幸せを感じないわけだから。
そんなことをたまに考えられてよかったなーと思った次第です。
彼女は1年のうちに両親を2人とも癌で亡くしていて、介護生活の先輩だった私は彼女の看病がとても大変だった頃、電話でいろいろと話を聞いていて・・・その頃の私はただただ状況を聞いてあげる事しか出来なかった。
彼女のお母様は最後まで出来る治療をして希望を捨てなかった・・・
お父様ははじめから治療を拒否していた。
どちらも自分の意志で治療を選択し、家族を思い・・・とても素敵に生きたご両親でした。
どちらにしても彼女にとっては辛い日々だったかもしれない・・・
そんな彼女にこんな相談をする私は残酷なのかな?とも思いながら電話をすると。
「選ばれたんだよ~!この病気はね、本人だけじゃなくて家族やまわりの人達みんなを人生勉強させてくれる有り難~い病気なんだよ。チャンスと思って勉強しよーね!」
退院後からたびたび電話でいろんな話をするのですが、1つ1つエピソードを話すたびにそれぞれの立場でお互いに癒される気がするんですよね。
その人なりの生き方・死に方・・・そのものが命として、いろんな人に影響を与えていくものなんだな・・・と、ちゃんと生きる努力をしないと死ねないよなぁ~と考えるようになりました。
ちゃんと生きる・・・これがなかなかね、難しいものなんだわ。
思い出しました、どうもありがと~。^^
対照的なお父さんとお母さんの姿ですね。
概して男性はそういう選択をすることが多いような気がします。
どちらも潔い選択ですですよね。
先輩のご両親はすばらしいと思います。
でも、看ている方は看ているつらさがあるんでしょうね。
それを私はまだ友達でしか体験していないけど。
>「選ばれたんだよ~!この病気はね、本人だけじゃなくて家族やまわりの人達みんなを人生勉強させてくれる有り難~い病気なんだよ。チャンスと思って勉強しよーね!」
すばらしい考え方ですよね!
私はこういう考え方、大好きです。
なんか病気になったことがラッキーだとさえ思えるから( ̄▽ ̄)
単純です。
たぶん、短命とか長命とか、そういうことじゃなくて、もっともっと長いものなんだなと思うと、焦らないし軽はずみにならない。
どんな過酷な状況でも地に足がつく気がするんですよね。
nakaさんもいい言葉をありがとー(≧▽≦)