【冬でもプミラ絶好調】
そのうち書こうと思っていた「死」について、きゃんべるさんがタイムリーに書くきっかけを与えてくれたようです。
私がガンを宣告された時、考えたのは
1.病気を治すことに全神経を集中させる事
2.自宅で仕事をしている以上、お客さまに迷惑を極力かけないように準備を整えていく事
3.4匹の飼い猫の面倒を喜んで引き受けてくれる人を確保する事。
宣告から入院までの約1.5ヶ月の間、私はその準備に追われまくっていた。
死が恐くなかったわけではない。数日間は、現実から逃げて、酒を飲んでベロベロに酔っ払ってたし。しかし「治さなくては」という思いがものすごく強く、恐いとか思っている時間がなかったというのが正直なところ。
だから、私の心が拠り所にしていたのは、自分の集中力ということになる。私は傲慢なヤツかもしれん。
死が目の前に現れたのは、抗がん剤の1クール目のこと。今まで体験した事がないような、内臓機能が全てストップしていく感覚と脱力感。目を開けていることも疲れるような体調の中、ベッドで体を横たえているのが精一杯だった時・・・。
その時、ふっと苦しみから開放される瞬間があってね。とても体が楽になって、視界が明るくなったんですよ、マジで。目を閉じてるのに明るいって、どーゆーこと?みたいな感じですよ。
死ぬってこーゆーことなのかなーって・・・、思ったんです。
その時確信しました。死は恐いものではないと。
恐いものでないとすると、どんな場所でどのように死のうと、どっちでもいい。供養とか葬儀とか、そんな儀式なんかさらにどっちでもいい。
そんなことよりも、生きている時間をどう過ごすか。
私がガンになり、腹を8時間以上も開きっぱなし体験や、副作用が少ない抗がん剤がある中で、一番キツイんじゃないかと言われるシスプラチンを経験し、オマケに被爆体験までしたことは、役に立つぜ!と目の前が明るくなったんですよ。
はい、私はちーっとばかりおかしいですよ~。ちょっと頭がアレになっちゃってますよ~。
宗教家的な言い方をすれば、私が体験した事は必然であり、何かをしろという啓示であるということになるが、そんな大げさな事じゃないんだ。
私はどう生きるか、にこだわりたい。それは死へ向かって歩くという言い方にもなるが、両者は同じことを言っているようで全く違う。
死が目的になってはいけない。死は結果である。死は予定の立たない期日である。
死は卒業式、生は学校生活。死は会社を(定年)退職する日、生は会社に残した成果。死は引越しの日、生はそれまで住んでいた時間。
だからむやみに死に対して怯えても仕方がない。卒業式が悲しくて学校生活が手につかないなんてありえないのだ。会社でできんこぼうずのまんま退職したって、何の意味もない。辞めてくれてありがとうこと言われちまう。引越しの日には引越す準備が整っていなければ、引越し屋に「なんだ、お前は」と言われるぞ。
死ぬまでの間、精一杯やらないとアカンね。誰だってそのうち死ぬもんね。こうして文章でまとめてて再確認。
今はそんなふうに思っています。
ちなみに、私が生とか死を改めて考えたのはこの本です。
江原 啓之: 人はなぜ生まれいかに生きるのか―新装版・自分のための「霊学」のすすめ
何だかとっても楽になりました。
きゃんべるさんの「死生学・癒しの庭」にトラバです。(ちょっとズレちゃった気もするけど)
※私も検体しよっかなーって思っています。できるなら移植もしたってねーって感じ。ん? ガン患者の臓器って移植できんのかな?
>死が目的になってはいけない。死は結果である。死は予定の立たない期日である。
もう本当にその通り!「死から生をみる」と、今、この瞬間を全力で生きようと思える。
よく生きた結果が良く死ねるのです。よく死ぬためによく生きるのではなく。
紹介してもらった本、読んでみます。ありがとう!
癒しの庭は笑いました。
ヤツには抗がん剤でも飲ませときましょうぜ。シスプラチンがお勧め?
でもこーゆー人は幸せなんでしょうね~。
いやいや、きゃんべるさん、ありがとう。
改めて、ちゃんと生きていかねばって思いました。
独善的なやつはどこの世界にも生息してるから、接触しないようにしてますねわたしゃ。
死ぬこと/生きることについては、これは人間の一生のテーマかも。
近いうちに私もいっぺんまとめておこうかな。
私はがんになる前に一度交通事故で死にかかってるんで、この度の危機的状況も「あ、またかよ」に近い感覚でした。
このしぶとさをもって妹からは「いのち根性のキタナイ女」と呼ばれています。
私も交通事故は何度か。しかも何度も生きていることが不思議と言われました。
(乗っていた単車が真っ二つに折れたのに、私は打撲程度だったりとか、運転していたジープがペッちゃんこになったのに、やっぱり打撲程度だったとか…)
弟には「何でお前みたいなヤツが守られてるんだ」と疎ましがられ…。
しまいには「バカ兄貴」と言われる始末。
(「姉貴」じゃ、どあほ! ←ここでなじってみても、伝わりません)
yannさんも、守られているんですよ、強いパワーで…。とってもすばらしい事じゃないですか!
きっと、簡単には天国へいけないんでしょうね、私たちってば。
でも、riderさんの方が強力に守られてるのかなぁ。くそー。
私は全治3ヵ月でやんした。
もうこうなると「試されてる」ってかんじですよねー(何をだ?)。
>riderさんの方が強力に守られてるのかなぁ。くそー。
くそーって…(爆)
全治3ヶ月って、すごいことになってたのね。
>もうこうなると「試されてる」ってかんじですよねー
ホントホント。人体実験(・_・?)
いつか書こうと思ってるんですけど、私はどうも死がまだまだ怖いです。
というより、死ぬまでの過程かな?
修行が足りないのかしら(--;
興味深かったですか?
よっしゃ!書いてよかった~。
人の気持ちなんてコロコロ変わるから、この考えも変わるかもしれないけどσ(^_^;
たぶん、はなまるさんには、旦那さんやお父さん・お母さん、ニャンコなどなど大切なものがたくさんあるからだと思うのですよ。
そして、それはとても幸せな事だと私は思うのね。
恐れは必ずしも悪い事じゃないし。
なーんて思ったりします
チョットだけ訂正させて下さい。
死ぬこと自体はそんなに怖くないのです。
正確には、死に至るまでが怖いのです。
痛かったり、苦しいのがもうイヤ。
手術の痛みは我慢するけどね;;
うーん、確かに痛いのは恐いねぇ。
だって痛いもの…。(なんじゃそら)
もしも死んでしまうなら、なるべく痛くなく苦しくなくしてもらって、最期の時間を楽しみたいですね~。