私の親父には気の合う友達がいまして。とある割烹料理の板長です。
彼と親父がどのようにして出会ったかは知らないけれど、板長は親父のことを「親分」と呼んでいたそうです。
ちなみに、花板が張れるような料理人は、職人肌で頑固なタイプも多い。
板長はそんな気質がもろに顔に出ているような人でした。
そんな板長が、人相のよくない親父を「親分っ!」と呼ぶと、ちょっと周りの雰囲気が凍りつきます。
その板長に私があったのは、一度切除した胃がんが再発して、がんセンターに入院していたときでした。
親父が見舞いに行くので、ついていったのですが、そのときも板長は親父を見つけるなり、病院の廊下で「親分、親分」と点滴台をゴロゴロ引いてやってきました。
いろいろと事情があって、現在は一人で暮らしていて、子供たちも遠くに住んでいたため、親父が一緒に告知を受けたそうです。
余命3ヶ月。
男性の患者さんにはいろいろなタイプがあるけれど、基本的に自分の弱った姿は見せたくないはずなのに、親父が見舞いに行くといろいろな話しをするという。
親父はどう接していいかわからないと言ったので、今までどおりに冗談言ったりすればいいと答えました。
変に気を使われても、患者としても気持ち悪いと。
それに、楽しい気持ちや笑ったりすることは、一時的にでも調子がよくなることもあるから、大切なことだとも伝えました。
それから親父は親分として、週一度くらいで顔を見に行くようになりました。
そんな板長も、8/7になったばかりの頃、旅立っていきました。
親分廃業。
今度親父とサシで飲もうと、約束をしました。
弔い酒、飲みすぎました( ̄▽ ̄)
いちおー、親父の横の席にグラスに焼酎入れて、お供えして。
仏様のお酒だから、ちゃんと残さず飲み干してきましたよ( ̄▽ ̄)b
後から聞いたんだけど、20年の付き合いだったらしい。
やっぱり、年が年だと言っても、へこむよね。
たまに思い出話でもしてもらおうと思ってます。
riderさん、グッジョブ^^b
思う存分、弔い酒、やってくんなまし。
きっと、板長も喜ぶよ。
来週親父と飲むんで、言っておきますよ(笑)
頼る人が亡くなるのもつらいけど、頼られていた人が亡くなるのもつらいもんなぁ。
がん患者でなかったら、親父の気持ちとか、ここまで分からなかったと思う。
がんになってよかったとは言わんけど、こういうときに得することもあるなぁって思うね。
[E:happy01]
職人さんだから、「親方=尊敬する人」のイメージから、親分に変化されたのでは。。。
勝手な推測ですが…(笑)。
だといいねぇ。
板長はまだ50代だったけど、10歳は老けて見えましたね。
しかし、なんて親分って呼んだんだろうね。
いつも親父とその話になって、私もおちょくって「おやびん」って言ったりしてww
なんとなく、板長が生きた証を残しておこうかなーと思って、書いちゃいました。
そんな気がします。
それと、旅立った板長さんが、riderさんのお父様への感謝の気持ちで笑いかけているような気がします。
板長さんのご冥福をお祈り致します。