8月17日(水)から21日(日)までの4泊5日の日程で、山形県・羽黒山キャンプ場、秋田県・鳥海高原花立牧場公園キャンプ場、同県・わんぱく森のキャンプ場、岩手県・雫石町の鶯宿温泉と息子と2人で回ってきた。
前半2日は妻も同行した。
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福島県内ではこの夏休み、子どもの姿がとんと見られない。放射能を避けて、すでに一学期中に子どもを連れて県外に引越した人も多い。仕事や家庭の事情で引越しできない家でも、この夏休み期間に合わせて、できる限り長く、できる限り遠く、子どもを県外に逃がすことを試みる親が多い。
今回のキャンプ行脚も、その一環である。
息子の住む郡山市の中心部では、夏休みなのに子どもの姿がない。
前述の理由から絶対数が少ないことに加え、被曝を少しでも低減させるために室内で過ごしているのだ。
せめて、外で遊ばせてあげたい。
親としての、切なる願い。
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息子にとっては初めての野外宿泊となった。が、私が単身赴任のアパートで使っている鍋で炊飯し、フライパンでおかずを作って、寝袋で寝る、オートキャンプ場を利用したが、できるだけきちんとしたキャンプにしてみた。
1日目は午後3時過ぎから強い雨。夕食はキャンプ場備え付けの屋根のある炊事場ですませ、午後7時に就寝。
すぐに激しい雷雨となったが、幸運なことに息子は疲れから爆睡し、凄まじい雷鳴にもいっさい気づかずに眠ってくれた。
テント下のブルーシートの敷き方が甘く、夜半になってテント下に水が溜まりだした。午前零時を過ぎてから、土砂降りの外に出て、ブルーシートを敷き直し、フライシートを張り直して、なんとか雷雨の一夜をやり過ごした。
妻はパニックしていたが、まったく責められない。当たり前の反応だったと思う。山の雷は凄まじい。テントが震えるほどの激しい雷鳴。テントを打つ雨の音も、会話など到底できないほど。そこで、テントの張り直しのペグを打つとんかちの音。
妻は、よくテントから逃げ出さなかったものだ。私がキャンプ初心者だったら、逃げ出さずにいられないだろう。一般的なオートキャンパーならば成人の男でも泣きが入って当たり前、そういう状況だった。
背の高い木が周囲に散在していたのだから、黙って寝ていれば一番安全なはず。しかし、それは経験者だからこそ判断できること。普通は、テントから逃げださずにはいられない。事実、ほかのテントサイトでは成人男性も近くの保養施設に移動して屋内で一夜を過ごした人もいた。
息子が爆睡してくれていたことは、本当に幸運だった。
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翌朝も激しい雨はやまず。
息子は手伝いたがったが、ずぶ濡れのテント撤収は私一人でするしかなかった。
2日目の宿泊先、鳥海高原に到着した時には曇り空だったが、雨を予想してキャビンに宿泊。
正解。午後6時過ぎからやはり雨が激しくなった。
1棟1万1千円。キャンプ場の2千円と比べると随分割高だが、家族3人で割れば、まぁ一人3千円足らず。屋根の下で過ごせるのだから、この方がずっといい。
翌朝には雨は収まっていた。
ここは遊具が多く、息子は爆発的に遊んだ。
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3日目は同じ秋田県内の協和町のわんぱくの森キャンプ場。
快晴に恵まれ、テント設営時に乾燥させることができた。
宿泊者は私と息子の2人だけだった。敷地をフルに使って遊んだ。
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夜は、息子は森に響く鳥やカエルの声が耳についてなかなか眠れない様子だった。
息子の体を外側から覆うようにして、寄り添って眠った。
翌朝、ここも遊具が充実しており、やはり猛爆的に遊んだ。
外で遊ぶ子どもの姿はいい。「健康」という2文字が本当に似合う生き物だ。
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田沢湖をまわって、鶯宿場温泉へ。立ち寄った先々で、息子は外遊びを満喫した。
この日は温泉宿に泊まった。駐車場に車を止めるとき、「福島」ナンバーを隠したいような、そんな気が少し頭をもたげた。
「宿に迷惑をかけるようなことにならないか」
漠然とした罪悪感めいたものを自分の中に押さえ込んだ。
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盛岡インターチェンジから高速に乗って郡山の自宅へ。
宮城県の半ばくらいから「福島」ナンバーが目立つ。
寝入っている息子に、毛布を掛ける。
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自宅到着直前に息子が目を覚ました。
自宅前の公園を通る。
「今までみたいに、外で遊んではダメだぞ」
息子は声を出さず、緊張した面持ちで公園を凝視しながら、うなずいた。
こんな注意を子どもに対してしなくてはいけないなんて、親として悲しい。
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原発事故は、本当に悔しいなぁ。
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