10円玉。
いつもポケットに何枚かある。
1円玉、5円玉、100円玉、ほかの硬貨がないときでも10円玉はだいたいある。
邪魔ではないけれど、もっと違うのであればいいなぁ、と思っていた。例えば100円玉。硬貨の王様のようである。
ー ちなみに私の子どものころは500円玉はなかった。札だった。500円は札として威厳を感じていたが、硬貨になって安くなってしまったと感じる。というか、子供たちだけの広場に、いきなり大人が混ざってきちゃったっていう感じです -
小学生のころ、思っていた。
10円玉は「アブラゼミ」っぽくて、100円玉は「ミンミンゼミ」っぽかった。銀色っぽくって。
◇
大学生のころになって、10円玉が活躍の場を広めてきた。
銭湯の支払いや電車の切符を買う際に大活躍して、田舎出の学生を助けてくれた。
なにより公衆電話に行くときは、10円玉を十枚以上はもっていった。
田舎に電話するために、10円玉をビニール袋に集めていた。
夜、下宿から一番近い公衆電話へ、10円玉入りの袋を持っていった。子供が持つビー玉入りの袋のようだった。
10円玉は、予想以上のスピードで公衆電話の中に落ちていった。家族との会話はあわただしかった。
家族一人ひとりと順番に話して、最後に出た母親とはもう会話する時間はなかった。「元気だから」と伝えただけで、10円玉は尽きてしまった。
◇
携帯電話が生まれ、家族との通話には困らなくなった。
しかし、会話に困る家族が増えたのではないだろうか。
10円玉が落ちる音に急かされながら、時を惜しみながら家族と交わした言葉の重みは、失われてきている。
◇
中学生のとき、友達が好きな女の子に公衆電話から思いを伝えようとした。それに付き合わされた。
彼女の家に電話をして、お母さんは出てきたら「あっ、すみません。間違えました」。何回か繰り返した。
何回かの後に、彼女が直接出てきた。
「あっ、間違えました」。友達は、告白はできなかった。何十円も使っていた。
◇
携帯での告白とは、重みが違う。
10円玉を使った通話は「思い」、そして「重い」のである。
いつもポケットに何枚かある。
1円玉、5円玉、100円玉、ほかの硬貨がないときでも10円玉はだいたいある。
邪魔ではないけれど、もっと違うのであればいいなぁ、と思っていた。例えば100円玉。硬貨の王様のようである。
ー ちなみに私の子どものころは500円玉はなかった。札だった。500円は札として威厳を感じていたが、硬貨になって安くなってしまったと感じる。というか、子供たちだけの広場に、いきなり大人が混ざってきちゃったっていう感じです -
小学生のころ、思っていた。
10円玉は「アブラゼミ」っぽくて、100円玉は「ミンミンゼミ」っぽかった。銀色っぽくって。
◇
大学生のころになって、10円玉が活躍の場を広めてきた。
銭湯の支払いや電車の切符を買う際に大活躍して、田舎出の学生を助けてくれた。
なにより公衆電話に行くときは、10円玉を十枚以上はもっていった。
田舎に電話するために、10円玉をビニール袋に集めていた。
夜、下宿から一番近い公衆電話へ、10円玉入りの袋を持っていった。子供が持つビー玉入りの袋のようだった。
10円玉は、予想以上のスピードで公衆電話の中に落ちていった。家族との会話はあわただしかった。
家族一人ひとりと順番に話して、最後に出た母親とはもう会話する時間はなかった。「元気だから」と伝えただけで、10円玉は尽きてしまった。
◇
携帯電話が生まれ、家族との通話には困らなくなった。
しかし、会話に困る家族が増えたのではないだろうか。
10円玉が落ちる音に急かされながら、時を惜しみながら家族と交わした言葉の重みは、失われてきている。
◇
中学生のとき、友達が好きな女の子に公衆電話から思いを伝えようとした。それに付き合わされた。
彼女の家に電話をして、お母さんは出てきたら「あっ、すみません。間違えました」。何回か繰り返した。
何回かの後に、彼女が直接出てきた。
「あっ、間違えました」。友達は、告白はできなかった。何十円も使っていた。
◇
携帯での告白とは、重みが違う。
10円玉を使った通話は「思い」、そして「重い」のである。