「お父さんはビール、お母さんはご飯、ぼくはゲーム」
あすで6歳。息子も知恵が働くようになったものだ。
自宅近くのスーパーの玄関口に仮面ライダーのバトルゲームが置いてある。機械にカードを読み取らせてキャラクターを決めて、仮面ライダー同士で闘う(現在、仮面ライダーには数十にもおよぶキャラクターがいる。いや100を超えているかも)。
1回100円で数分間の戦い。
ゲームに使うカードを集めるのが楽しいらしく、休日は小学生低学年くらいまでが機械の前に長い列を成して順番待ちしている。なかには大人の姿も…。
テレビ局、映画会社、ゲームメーカー、おもちゃ屋さん、さらにはお菓子メーカーなど実にさまざまな業種が連携して子ども達を嵌めている、と親からすれば見える。
ゲーム機に並んでいる子ども達の姿は、パチンコ店に並んでいる大人たちにだぶる。
やめられないのだ。
そこで、「ゲームはすべきではない」と注意を受けた息子。返す刀で、家族それぞれが我慢すべきことを挙げて、反撃してきた。
なんとも小賢しい。が、急に成長したようにも思う。
もっとも、子どもにばかり楽しみを我慢させておいて、大人は好きなことを好きなだけ楽しんでいるのは、子供たちからみれば、不公平だと思えるのは、ごく自然なことである。
「ビールばっかり飲んでいると幸せになれないよ」と以前から息子に言われていた。多分、妻にメッセンジャーに仕立て上げられたのだろう。
が、今回は自分の優位性を構築しようと、自らの意志で自らの戦略を練り上げて、大人に対してディベートを挑んできたのだ。
仕方がない。「よし、3人で我慢しよう」と私。息子の成長がうれしかった。
が、話には続きがある。
私の決断に、「えっ」と、妻は不満そう。
しかし、妻のその反応を息子は見逃さなかった。
「みんなで我慢するんでしょ」
「我慢しないとだめ。お母さんは、でぶっちょガエルみたいなんだから」
うわっ、そんなこと言って…。
だ、大丈夫か。
恐る恐る妻の表情を伺うと、妻は「勇気あるねぇ」と笑顔。
この場の制空権は、すっかり息子に掌握されていたのだった。
あすは誕生日。
通常勤務なのだが、夜は単身赴任のアパートから自宅に戻って、ふろは一緒に入ろう。
一緒にお風呂、いいですね。
私も小さいころはお父さんと入るのが好きでした。母と入るとごしごし適当に乱暴に洗われるので嫌でした。
まあ、妹もいたので仕方ないですけど。
愛情って無条件ですものね。