あと2週間で息子は4歳。感慨一入である。
1歳のときも、2歳のときも、3歳のときも、うれしかった。が、今回はまた格別の喜びを感じる。
この一年間、急速に成長してくれた。
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食事も、排泄も、体の手入れも、自分でできることが本当に広がった。
会話も上手になった。意思の疎通がスムーズになった。駄々をこねれば相変わらず手強いが、話せば分かるようになった。
最近は、妻が . . . 本文を読む
12月に妻に買ってもらったばかりの自慢の白いブルゾンが、煙草の臭いだらけになってしまった。色もなんだか薄茶けてしまったようである。残念だ。
が、関連して、良い事もあった。
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先日の大先輩の送別会の3次会。主賓である大先輩と、大先輩去ったのちの身内で唯一のサムライといえる先輩と、そのサムライの下で働いている素浪人との3人に拉致されて、強引に麻雀のメンツにさせられてしまった。お . . . 本文を読む
チャイコフスキー国際コンクール入賞者ガラ・コンサートに行ってきた。
1月20日の大阪公演を皮切りに、1月30日までの10日間で全国8ヶ所をまわるジャパン・ツアーの2ヶ所目。郡山公演(22日)である。昨年6月に行われた第13回コンクールの入賞者、将来の音楽界をリードする面々の顔見世興行である。
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サイコーであった。
盛り上がった。「ブラボー」を連発する人、立ち上がって拍 . . . 本文を読む
社内の飲み会では本当に久々、楽しいと感じることの出来る会合だった。こんな会合は、もう社内では有り得ないだろうなぁ。
十二月で退社した先輩の送別会である。
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有能で、誠実で、人望もあった。特に後輩からは尊敬され、憧憬さえも集めていた。
要職を重ねてきたが、本人は肩書きで態度を変化させるような人間ではなかった。
よく、肩書きが上がると意識して低姿勢に気を配る向きがあるが . . . 本文を読む
健康診断だったので、朝食を省いた。息子は、父親が一緒に朝ごはんを食べないことを訝しがっていた。
「きょうはお父さんはお医者さん。1人で食べていいよ」
息子は床に顔を伏して、黙り込んでしまった。
アニメ「メジャー」で、主人公の父親が死ぬのを見てから、やたらと父親の健康に注意を払ってくれるようになった。
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「早く寝てね」「飲みすぎないでね」。妻の口癖をまねていると . . . 本文を読む
薬害C型肝炎の被害者一律救済法案が成立の運びとなった。すべての薬害被害者の、いや公害なども含むすべての健康被害者の権利救済に向けた大きな1歩であり、国や大企業による国民への加害行為に歯止めをかけるための、これまでにない大きな前進であると評価している。
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が、こんなに画期的な出来事であると思っているのに、「疑念」がぬぐいきれない。
放置し続けてきた薬害被害者たちを、なぜこん . . . 本文を読む
きょう、息子の幼稚園は三学期の始業式。白いタイツを穿いて、制服を着て、制帽をかぶって…。
制服に身を包むと、息子が入園式のときより随分と大きくなったことが分かる。だぶだぶだった服やズボンのたるみが、今はない。
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今朝は、前日よりも手こずった。制服を着るのが面倒なのだろう、パジャマから着替えるのに20分近くかかってしまった。
「用意しないんなら、一人で家にいなさい」。 . . . 本文を読む
きょうは妻の仕事始め。妻の出勤時に、息子は予想通りにぐずった。妻の出勤間際には、何度も妻にしがみついて時間に追われる妻を困らせた。
出勤後も、しばらくは玄関でぐずっていた。が、さすがに成長もしていた。「仕方ないことにいつまでも執着していても仕方ない」ということをもう学んでいた。泣いても無駄だと悟ったのだろう、すぐに「ご飯」。
お父さんと一緒に長いすに並んで元気にご飯を食べた。歯を磨くとき . . . 本文を読む
同じ時間を共有すること。
家族にとって、それがいかに大切なことなのか。
入社以来最長の9日間にも及んだこの年末年始の休暇(実際はそのうちの1日は自主出勤を強いられたのだが)を通して、「家族」の大切さを実感させてもらった。
「家族」は、子どもにとって最初で最小の社会。またこれからのすべての人間関係のベースとなるものだ。今回、幼い息子がいたからこそ「同じ時間を共有すること」の大切さを強く . . . 本文を読む
旧知の仲間と呑んだ。
「自分」に一番元気をもっていた時期の仲間たちだ。
自分に「誇り」と「自信」があった。
「今は?」
今は「家庭」と「責任」をもっている。
息子の寝顔を見て思う。
「守らねば」。 . . . 本文を読む
Happy New Year!
年末の29日から休暇に入ったが、30日まで息子が熱を出していた。31日から自分の実家と妻の実家をめぐる帰省に出かけた。
29日夜の息子は、本当につらそうだった。発熱のために耳の裏が痛んでいた。「痛いよぉ、痛いよぉ」と一晩中泣いていた。疲れきって眠ることさえ痛みが許さず、苦痛に晒され続けていた。
30日の昼前にようやく眠りに就いた。妻も疲れきっていた . . . 本文を読む