アコギおやじのあこぎな日々

初老の域に達したアコギおやじ。
日々のアコースティックな雑観

女親と男親の役割分担

2009-07-23 | Weblog
 「おとうさん、きて」  いや、「きいて」だったかもしれない。  昨夜、おおむね9時ごろ、自宅の玄関を開けると、すぐに息子の声。  ただ、いつもはとんできて私にだいぶするのに、この日は声だけ。  居間に通じるドアを開けると、左あごにヴァイオリンを挟んだままの息子。  「いま練習してたの。聴いて」  この日は、夜に郡山で会議があるので自宅に泊まることを伝えていた。   . . . 本文を読む
コメント

「お母さん」の質の低下。本当の国の危機

2009-07-20 | Weblog
 養老先生との昆虫採集のあった日、ビオトープでの水生昆虫の採集も体験した。  水辺は、生き物と人間の子供との格闘の場である。  この日も、実は、子供にとっての「お母さん」とは障害ではないかと強く感じた。  ゲンゴロウの幼虫が相当に憎たらしいこと、ヒルってやっぱり触りづらいこと、マツモムシが愛らしく泳ぎながらも実は悪食であること、などなど。  たくさん学んだ。  机上 . . . 本文を読む
コメント

虫の凄さが分かる人びと

2009-07-20 | Weblog
 なぜ、人はテレビに出ている人間を有り難がるのだろう?  客観的にみて特段優れた人物でもない。しかし、テレビに出ていれば崇拝したくなるらしい。  彼らは「カブトムシ」でしかないのに。  ゾウムシやゲンゴロウや、もっと凄いのはいくらでもいるのに。  小さな頃から、友達の反応が不思議だった。  初めて歌手を生で見たクイーンのコンサート。  武道館のアリーナ。熱 . . . 本文を読む
コメント

女房子供

2009-07-17 | Weblog
 「女房」と「子供」という、2つの言葉。  どちらも大切。  男にとって、生きていくために根源的に必要な2つの存在。  が、この2つの言葉を合わせて「女房子供」という一つの言葉にしたとき、モチベーションはさらに高まる。  「にょうぼこども」  まず、響きがいい。  「女房子供」を守ることこそ、男が生きる理由である。  「ヒト」としても、「人間」としても。  「 . . . 本文を読む
コメント

美しき休日、「単身」に疑問を抱く

2009-07-14 | Weblog
 またまた、有意義な、何より健康的な休日を過ごしてきた。  久々の土日連休である。  土曜日(11日)は良くなかった。  前夜、グデグデの呑みすぎ状態。午前中はダウン。  午前2時ごろ家に帰って、とにかく居酒屋で浴びてしまった煙草の臭いを体からとるために入浴。そのまま爆睡。  午前6時ごろに、風呂に入ったままでいると、遠くから声がする。  「オトーサーン」。  「きっ、 . . . 本文を読む
コメント

ギターアンプ

2009-07-08 | Weblog
 アンプを購入した。  ローランドの「キューブ ストリート」。  先月入手したタカミネのアコギの能力を生かすためなのだが、アパート住まいの身、容量の小さなものにした。  名前の通り、ストリートでの演奏に適した携帯用。しかし、かつての小容量のアンプにはない能力が十分。私程度の演奏にはこれで十分だ。  エフェクターも複数種類付いている。昔の同程度の価格のアンプに比べたら、かなりの . . . 本文を読む
コメント

喫煙者、大キライ!

2009-07-07 | Weblog
 たばこの煙は「凶器」である。  「喫煙」は凶器を振り回している「加害行為」である。  喫煙者は「自分が他者へ加害行為を行っていること」をもっと自覚すべきだ。  「愛煙権」などという言葉が、かつてあった。  自らの加害行為を紛らわせるために、煙草をやめられない意志薄弱者がつくりだした卑怯極まりない詭弁である。  愛煙などと言うなら、いっさい吐くな。煙を自分の体の中にすべ . . . 本文を読む
コメント

息子の手紙

2009-07-06 | Weblog
 同僚と郡山の繁華街で呑んだ後、自宅の玄関フロアで眠ってしまった。  外で呑むと、頭髪や衣服に煙草の臭いが付いてしまう。  居酒屋で呑んでいるうちはいいが、自宅に戻ると特に気になって、妻と子供のいる寝室に入るのは気が引ける。  寝入っている人に煙草の臭いを浴びせるのは、かわいそうだ。  早朝に目が覚めた。  とにかく、煙草の臭いを消さなくてはいけない。  風呂に入って . . . 本文を読む
コメント

ニコニコこども館

2009-07-01 | Weblog
 ようやく休みが取れた。  29、30日の月、火曜日を連休にして、家族と一緒に過ごした。  実感。  いや、「体感」といっていい。  アタマではなく、カラダが感じた。  「やっぱり家族は一緒にいるべきだ」。  月曜日。  福島で残務をこなして、午後に郡山の息子の通う保育園へ。  息子は、園庭で遊んでいた。  私を見つけると、「おとうさーん!」とダッシ . . . 本文を読む
コメント