四年前に書いたブログが見つかった
『最近、おにぎりが食べたくて
おまけに
そこに卵焼きが添えてあれば尚良し
母の作るおにぎりと卵焼きは
とてもとても美味しくて
未だにあの味とあのふんわり感が出せない
台所へも立つこともなくなって
もう、同じように作ってもらうことはできない
体はそこにあっても
もう、昔のままでない年老いた母が
段々と小さくなるのを
見つめるしかないのだけれど
もし、もう一度
子供のころのように冷めたおにぎりと卵焼きを
『ほら、お腹すいたやろ、これでも食べておきっ!!』と
差し出されたら
無邪気にほうばりながら
きっと泣くに違いない
おにぎりを噛み締めたら
喉の奥の方から塩気が押し寄せるのを
グッと感じながら
片手でなんて食べられない
両手を使って大事そうに
うんうんと言いながら
一粒も残さないで
黙って黙々と食べるのに。。。。
時々は子供の頃に帰りたい
未だに甘えん坊な私をみつけてみては苦笑い
前に食べたのはいつのことだったか
その時は単なるおにぎりと卵焼きだった』
そう、もう四年前には
台所には立てないほど
体が弱っていた母だった
けれど、話も出来たし、笑い会えたし‥。
最近の、
亡くなるまでの3カ月間は
ある意味、私にとっては
さらに、母が何にも出来なくなってしまっても
ベッドに母がいるというだけで
介護の名のもとに
肩を抱き、腕にしがみつき
介護してる私の方が甘えて
死期の足音を聞きながら
何度もこのままで居たいと
母には知られず泣いたことだろう
もう、しがみつくことも
あのおにぎりをもう一度と思うことも
断ち切られた場所に
行ってしまったんだと確認しては
涙することしか出来なくなってしまった
大切なものを遺してくれたんだと思う
私の心の中に
本当の意味で母が住み着いて
いつも側にいると思える日が来たら
私が祭壇に『おにぎり』を添えてあげよう