湖のほとりから。

花と空と心模様を写真と詩と文に託して。

母の看病

2018-01-10 10:54:02 | 日記
年末の28日に
高熱を出した母

2日ほど
抗生物質の服薬で治ったかのように見えた

お正月までは、
多分、その体はもたないだろうと
在宅医に言われていたが、
なんとか、そうして、お正月を迎えられた

父が亡くなって半月と少し
母にもなんとなく
事の次第がわかっていたようで
元旦には
曽孫と孫にあげるからと
お年玉のポチ袋を私にせがんだ


父が居たら
一万円は入れてあげるだろうと
父に代わって一万円を入れてやるんだと言った


お雑煮を少し食べ
ご機嫌よろしく
帰省していた孫娘に
お年玉の一つを渡した



午後から
母は眠りに入った

その夜に
指先から読み取る機械の
あまりに低いサチュレーションに気がついて看護師さんに思わず電話をいれた

父の使っていた酸素圧縮機を
母にも使うようにと指示されて
長い朝までの時間をすごした


朝一番に、看護師さんと在宅医が来て下さり、胸のエコーより
誤嚥性肺炎だと診断された


それより、5日間の
抗生物質入りの点滴が始まった


微粒子が入り込んだため、
より厄介な誤嚥性肺炎となったと
先生は言ったけれど
その抗生物質が劇的に効いたのか、
母の肺炎は、4日で治癒した


5日目の抗生物質の点滴を終えた後
栄養剤と水分の代わりに
点滴を続けてみようと言われたが
母は眠ったまま。


この先は、母の生きる気力だと聞かされたが、
体の浮腫みと、唯一、
点滴を外してもらいたいような仕草が母に見受けられたので、
6日目から点滴をしない選択を希望した


私は
毎日、母の横で寝息をききなが寝て
毎日、母の枕元に行っては、泣いてばかりの日々


複雑な思い
人としての尊厳
寿命
生き様


色々なことが頭を駆け巡る
果たして
私の選択は間違いじゃなかったのか


もしかして
苦しんだ末に逝った父を看取った後に
母も逝っては
私が嘆き悲しむかもしれぬと思う親心か?
長いインターバルを与えられた心境のまま、

今日で、母は、10日間
眠り続けている。

点滴を外して4日目

何故か
体の浮腫みが消えていく


サチュレーションと心拍数は
2日前に下がりきってしまって
その原因が、喉の奥の痰が
喉を塞ぎかけたせいだったようで
危うく窒息死しかけた
その時も
看護師さんに助けて頂いた

それから
数値は、元気な時の数値を維持したまま


頑張ってる。
どこまで、頑張れるんだろう
我が身を削り
水分が無くなるまで
鼓動は続くのか


辛いだろうに。


私も見ているのも肌で感じては来てる


逝くのを見届ける日が近いことを思えば辛い

何かを伝えようとしてくれているのか


その時を見極めているのか


私は
やるべきことをして
やるべき看取りをするまでのこと



母がまだ、元気なうちに
痴呆症がおさまった正気のときに
『あなたの娘で良かったよ、大好きだよ』と
何度も何度も伝えたけれど
母は覚えてくれているだろうか。


今日もまた
呼吸音と、サチュレーションの機械と私の一方的なおしゃべり。


それだけの静かな日は
もう少し続くのだろう


穏やかに
穏やかに