ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

自由のない暮らし

2023年03月23日 | 日記
子供のころから自由のない暮らしを余儀なくされていた。
母親に朝起きる時間も夜寝る時間も決められていた。
学校へ行けばクラスの子と同じテレビを見ていないので、話がかみ合わない。
そりゃあそうだ。
寝かされるのだ。
8時に寝かされ、9時に寝かされ、10時に寝かされ、最終的に11時に寝かされた。
布団をすっぽり頭からかぶり、携帯のラジオを持ち込み、イヤホーンで深夜のラジオを聞いた。
外出は「どこへ行くの?」「何しに行くの?」「何時に帰るの?」は定番だった。
表の街灯が点いたら門限だった。
行きたかった専門学校も反対され、仕方なく就職するも職場では陰湿ないじめにあうのだ。
最初の職場か初めから傾いた会社で半年で辞めた。
2度目の会社では陰湿ないじめにあい、20歳の終わりに辞めて他人の飯を食うも、1か月と1週間で辞めた。
他人の飯は甘くは無かった。
再び前の会社に逆戻りしたが、あまりいいことも無かった。
職場と家の往復で手にした給料は家に生活費を入れて、残りの中から小遣いをもらい、あとは銀行に預金されていた。
弟が22歳で結婚をしたので、私も結婚がしたいと職場を辞めた。
料理の一つも出来なければと週に1回のクッキングスクールに1年間通った。
通い始めて家にいることで家事を強いられるので、ハローワークで次の就職先を見つけて就職した。
ここでも職場でいじめにあうのだ。
相変わらず親に管理された生活は続くのだ。
休日の外出も行き先を告げ、帰る時間も告げなければならなかった。
嘘をついて出かければバレるのだ。
母親はこっそり私のハンドバックを見るのだ。
お見合いもしたが帯に短したすきに長しで上手くは行かなかった。
付き合った男もろくな男では無かった。
職場は変えてもらうも周りに某新興宗教の他人ばかりで、お昼休みや休憩時間にはいやいやその話を聞かされた。
同じ職場の若い子はそれが嫌で職場を辞めた。
私も上司に話して職場を変えてもらうことになっていた。
私の代わりに来た一つ年上女性が日曜日の書き入れ時に休むのだ。
それも嘘をついて休むのだ。
だんだん新興宗教の話は慣れてきて右から左に聞き流せる様になった矢先だった。
私は上司に言って本当に職場を変えてもらった。
どこに行ってもいじめは付きまとった。
三十路を過ぎて知り合いの紹介でお見合いをした。
以前の職場の隣のおばさんが私の手相を見て、30過ぎて結婚しなければ 一生できないと言われていたので、2月にお見合いをして、5月に結納を交わし、10月末には結婚をした。
おとなしい話をしない彼だった。
付き合っている間も食事をして帰るだけでこれと言った話もしなかった。
嫌だったことは母があれこれ詮索することだった。
ご飯を食べて会話も無く帰るだけの主人です。
会話の内容をあれこれ聞かれ、食べたものを聞かれ、嫌な思いをしました。
とにかく自宅を出て自由が欲しかったのです。
ところが半ばストーカーのような母が私の留守に着て庭の草むしりをして帰ると言うことをしていたのです。
私は結婚し自由を得たと思った矢先でした。
友達のいなかった私は芸能人を心の拠り所としていました。
結婚したら当然のごとく子供が欲しいと思っていました。
子供が出来たら母親のような子育てはしないと決めてもいました。
結婚して2年目から4年間大学病院へ不妊治療に通うことになるのです。
4年間通った末に子供のいない生活を選びました。
その後70歳になった母は働けなくなり我が家に来たのです。
母との同居が始まったら私は元の木阿弥です。
再び母に管理された生活が始まったのです。
私たち夫婦が寝るまで寝ない母がいます。
夫婦の会話に割り込んでくる母がいます。
主人の給料の金額を聞いてきます。
ボーナスは出たのかと聞いてきます。
休日の外出先も告げなければなりません。
とうとう私は48歳で更年期からのうつ病になったのです。
原因は母です。
心療内科は今でも通っています。
そして母の2度の手首の骨折や認知症やペースメーカーの埋め込み手術などで介護の日々が始まったのです。
私が病気で一番つらい時にたまたまテレビで見た聴いたシャンソン歌手のクミコさんの歌に「この人だわ!」と思って都合を付けてあっちこっち行くようになったらここまで回復するようになりました。
その間に主人は頸部脊柱管狭窄症にもなり、関節リウマチも患い、糖尿病や高血圧や高脂血症や多くの病気を患うようになりました。
そして昨年の髄膜種と左慢性硬膜下血腫及びてんかん発作と痙攣です。
昨年は入退院を繰り返しました。
胃にはポリープもあるんですよ。
すっかり病気のデパートになりましたね。
私は私で昨年の末に右目の白内障の手術をしました。
5年ほど前にはたまたま聴きに行った浪曲に興味を持ち、今やご贔屓の師匠も一門も出来ました。
ところが気の多い私は皆さん好きです。
YouTubeでたまに聴く関西の浪曲師も、木馬亭で聴く関東の浪曲師も皆さん素敵ですね。
たまたまきちんと聴いたのが師匠でピンときてファンになった次第です。
この続きはまたいずれ…。


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