風邪をひいて2週間以上辛かった。
その間に入院している母のこともあり、面会にも行かれなかった。
94歳で生きていることが不思議です。
そもそも実母は24歳くらいで亡くなったと聞いています。
姉も腸チフスか何かで亡くなったと聞いています。
今にして思えば私はずいぶん親不孝な娘だと思います。
生まれ変わったらまた、この母の元に生まれて、あの父とあの弟と家族と言うものをやり直したいと思います。
出来なかった親孝行をしたいと思います。
私は想定外に生きていてましてや結婚までして、守るべきものが出来たのです。
子供の頃を時折思い出しています。
そこには明らかに家族があったのです。
酒とタバコとギャンブル好きな父は職を転々としてました。
サラリーマンに向かない。
自営業もうまく行かない。
そのくせ家族サービスはするんです。
遊園地に行く。
おそらくどこからかもらったチケットかも知れませんね?
夏は海水浴に行く。
日曜日は外食をする。
場外馬券場に行くのに浅草は良く行きました。
父だけが馬券を買う。
私たちは表で待たされました。
浅草寺にお参りする。
聚楽で食事をする。
どこからかもらったと思えるチケットで国際劇場に行く。
最初に見た芸能人が畠山みどりショーでした。
そのつぎは私がお願いして島倉千代子さんの15周年記念のコンサートでした。
その後もSKDの夏のおどりやショーなどを見に行きました。
伝助劇場も一度だけ行きました。
太っていた父はちどり屋で服を買うのが定番でした。
浅草は子供の頃からの思い出の場所なのにいまだに覚えませんね。
父は羽振りのいい時は美味しいものを良く食べに連れていってくれました。
渋谷に住んでいた時はコックドールと言う今で言うファミレスの走りのような店がありました。
その店で初めて食べたのが子牛のカツレツでした。
薄い子牛の肉にパン粉がまぶしてあり、ソテーされたものです。
何かの食べ物屋だけ入ったビルもあり、良く銀座アスターに行きました。
デパートは渋谷の東横のお好み食堂に行きました。
留園なる中華料理の店は良く行きました。
弟は野菜が嫌い。
良くお好み食堂ではハンバーグを食べてました。
冬でもかき氷が好きな弟でした。
父も羽振りが悪くなると、町中華や居酒屋などに行くようになりました。
回転寿司の無い時代です。
お寿司は寿司屋のカウンターです。
ところが良く行く近所の寿司屋は1年中おでんを売っています。
頭のいい父は私と弟に最初におでんを食べるように言うのです。
私たちはおでんを3~4つ食べてからのお寿司です。
それも右から頼むのです。
右側から安い順に並んでいます。
なかなか高級なネタにはたどり着かずにお腹いっぱいになります。
あれは父の作戦ですね。
皆さんは家族との思いではありますか?
思い出はある意味大切ですね。
私にはもう一つ思い出があります。
それは私が二十歳の時のわずかな思い出です。
わずか1ヶ月と8日間の思い出です。
すっかり薄れた記憶の中の思い出です。