夢枕獏の「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」も「巻ノ四」にたどりついた。
空海と橘逸勢が、「陰陽師」の安倍晴明と源博雅を思い出させるのはさておき、空海が自分の置かれた状況を常に楽しんでいる(ように書かれている)ことに正直、違和感を感じていたのだが、少し前に先輩から伺った話と、今日突然結びついた。
「今の苦しさが過ぎれば楽になれると思うけれど、新しい苦しみが必ず生まれてくる。それを繰り返すと、どうでも良いと思うようになる。」
その時は、悲観的な意味にしかとれなかったけれど、見方を変えれば、「今が一番良い」ということかもしれない。刹那的快楽主義というのではなく、今ここにあることの幸せをきちんと受け止めるという意味で。
| Trackback ( 0 )
|