【誕生日】
☆アンドレ・カイヤット André Cayatte (1909.2.03~1989.2.06)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/39/32216c8b8a4559e9194cf1ab533ce5de.jpg)
ジャーナリスト、弁護士の傍ら小説でも賞を取るなどの多才ぶりを発揮して映画界入りしたフランスの映画監督です。
1938年にマルク・アレグレ監督作品、翌年にはジャン・グレミヨン監督作品の脚本を担当して、1942年に『偽りの愛人』
(日本未公開)で監督デビューを果たしました。1948年にはロミオとジュリエットの現代版『火の接吻』が話題となりましたが
本来の姿のカイヤットの社会劇は1949年のオムニバス作品『二百万人還る』の第一話で、収容所帰りの女性の悲劇を描いた
ことによって彼の社会劇が始まります。翌年の『裁きは終りぬ』において、安楽死問題を取り上げ、誠実な正義感と論理で
陪審員制度への不信を訴え、1953年の『洪水の前』では青少年の衝撃的な行動に託してさらなる新しい戦争による世界危機
に対する不安を鋭い角度から訴えています。
これらの作品は映画を警告の手段と考えたフランスの映画の新写実主義となり、詩的性に欠けるものの率直な正義感を前面に
押し出す独自の手法が高く評価されました。
さらに、1956年の『眼には眼を』においては白人の植民地主義を告発、強烈な人間の恨みを展開したかと思うと、1960年の
『ラインの仮橋』では一転して人道的な模索を図るなど弁護士の前歴が色濃く発揮されました。
1962年には、誘拐殺人事件の容疑者の無罪釈放をめぐって群衆による私刑を扱った『俺は知らない』を監督しましたが
初期の精彩を欠いた仕上がりになってしまい、その後の作品にも情熱が感じられなくなってしまいました。
【主要監督作品】
1948年『火の接吻』 Les Amants De Vérone
1949年『二百万人還る』Retour A La Vie
1950年『裁きは終りぬ』 Justice Est Faite
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1952年『我々は皆殺人者だ』 Nous Sommes Tous Des Assassins
1953年『洪水の前』 Avant Le Déluge
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/df/6db9e5b179627a76a344a428c483db04.jpg)
1956年『眼には眼を』 Oeil Pour Oeil
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/89/ba27d7e9eccd1ae8fc6e08cf7502113e.jpg)
1958年『両面の鏡』 Le Miroir à Deux Faces
1960年『ラインの仮橋』 Le Passage Du Rhin
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/94/bd4d0ee02b6decae7db7174828d79cc7.jpg)
1962年『俺は知らない』 Le Glaive Et La Balance
1969年『カトマンズの恋人』 Les Chemins De Katmandou
☆ヴィセンテ・グレコ Vicente Greco (1888.2.03~1924.10.05)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/be/0790fa698682b7246ebd99bfec775b32.jpg)
アルゼンチン・タンゴ初期の名バンドネオン奏者、指揮者、そして作曲家です。
ブエノスアイレスに生まれサランディ街に移り住み、ギター弾きの兄に影響されてフルート奏者として世に出ましたが
この時にバンドネオンに出会いこの悪魔の楽器をマスターし、タンゴを上流社会に広めるという功績を残しました。
やがて当時の人気店タンゴサロン・ロドリゲス・ペーニャに出演して人気を博し、1911年にその店で新曲として披露した
楽曲に常連客からの喝采の拍手が鳴りやまず、まだタイトルを決めていなかったグレコはとっさにこの店の名前である
『ロドリゲス・ペーニャ』と答え、喜んだ店主と常連客はグレコを担ぎ上げてコリエンテス通りを練り歩いたという
エピソードが今でも語り草になっています。
グレコは前出の『ロドリゲス・ペーニャ』の他にも『エル・モロチート』『エル・フレーテ』などの今では貴重と
いわれる楽曲を作曲しましたが、わずか38歳の若さでこの世を去っています。
残念ながら【YOUTUBE】にグレコの『ロドリゲス・ペーニャ』が見当たりませんのでファン・ダリエンソで…
↓はファン・ダリエンソ楽団の『ロドリゲス・ペーニャ』【YOUTUBEより】
☆ジョニー・シンバル Johnny Cymbal (1945.2.03~1993.3.16)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/5b/49e455c719c690a39bd4e514da40494e.jpg)
1963年の『ミスター・ベースマン』で世界的なヒットを飛ばしたティーンエイジ・アイドル歌手です。
スコットランド生まれですが15歳の時にアメリカ移住しアメリカ国籍を取得、その年の地元音楽コンテストで認められて
MGMから即レコード・デビューしましたがヒットには至りませんでした。しかし、カップ・レコードに鞍替えした1963年に
リリースした『ミスター・ベースマン』が全米16位の大ヒット,『ダム・ダム・ディ・ダム』『僕のマシュマロちゃん』など
をリリースしましたがいずれもミニ・ヒットに終わっています。
1973年以降は作詞・作曲中心となったようですが、残念ながらこれといって話題に上るような活動は聞き及ばないうちに
48歳という若さで心臓発作のためこの世を去っています。
↓はジョニー・シンバルの『ミスター・ベースマン』【YOUTUBEより】
【ご命日】
★ジョルジュ・ウィルソン Georges Wilson (1921.10.16~2010.2.03)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/a6/87d13799b8a4dd0fe1eb9d555178020a.jpg)
パリ生まれで、舞台、映画で活躍したフランスの俳優、後に映画監督も。
主要出演作品として『青い女馬』『広場』『かくも長き不在』『史上最大の作戦』『異邦人』などがある。
★ライオネル・ニューマン Lionel Newman (1916.1.04~1989.2.03)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/18/f41703974e3ca1640c55162667bf4b3a.jpg)
映画音楽家一家のアルフレッド、エミールのニューマン三兄弟の次男。
当ブログの『1月4日』をご参照ください。
★レイ・ハインドルフ Ray Heindorf (1908.8.25~1980.2.03)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/00/b60549d89ab77ce1536c78509a9685f2.jpg)
映画会社ワーナー・ブラザースの音楽部長で、W.B.管弦楽団の指揮者。
主要演奏作品として『ジャイアンツ』『理由なき反抗』などがある。