福浦和也選手2000本安打達成、おめでとうございます。
苦節25年、マリーンズの福浦和也選手が本日の西武24回戦において、八回に小川投手の7球目のスライダーを
ライト線にはじき返す二塁打を放ち、プロ野球史上52人目の通算2000本安打を達成いたしました。
福浦選手は1994年にドラフト7位の投手として入団、その後打者に転向すると黙々とヒットを積み重ね、2001年には首位打者に輝き、
二代目安打製造機(初代は榎本喜八)といわれ、パシフィック・リーグを代表する打者に成長することになります。
ただ、福浦にとっての野球人生は苦難の連続でもありました。
1997年に3番一塁手のレギュラーに定着したものの、翌年には歴史に残る悪夢の18連敗、その翌年には諸事情から外野手としての
出場を余儀なくされ、さらには伊東監督の下では出場機会すら激減、堀幸一同様に2000本は夢のまた夢と思われました。
そんな中で、不屈の闘志を見せ、まさに俺たちの誇り、俺たちの福浦がついに2000本安打の偉業を達成いたしました。
チームの個人の記録としては、村田兆治の200勝、落合博満の三度の三冠王以来の歓喜となりました。
福浦選手の思い出として一番忘れられないのがホークスのエース杉内の両拳を骨折させたあの満塁での一発です。
日刊記事(ダイエー杉内、イスをパンチ!両手骨折)
他にも2005年の日本一、2010年の史上最大の下克上なと数々の思い出がありますが、語れば話が尽きそうにありません。
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このブログで野球ネタを書くのはは初めてなのですが、周囲の人たちから73年間神戸で生まれ神戸で育った私がなぜに阪神ファン
でなくて、なんで弱小な「オリオンズ~マリーンズ」ファンなのかと小馬鹿にされたものです。
思えば、1950年にプロ野球が二リーグ制になった頃はスポーツといえば大相撲、照国、東富士、鏡里、吉葉山などが活躍していた
時代で市立の小中学校の校庭の片隅には四本柱の土俵があった頃でした。子供の私も大相撲には大変興味を持っていましたので
新聞の星取表を見るのが楽しみでした。そんな中、我が家が購読していた毎日新聞には連日毎日オリオンズが勝ったという活字が
踊り(毎日新聞が毎日オリオンズの親会社)、「別当本塁打」「荒巻完封」などの見出しによって、いつしか強い毎日オリオンズの
魅力に引き込まれていったものです。そして、リーグ優勝さらに日本シリーズ制覇となった頃には完全にオリオンズファンと化して
いました。
1960年には大毎オリオンズとして、八田、田宮、榎本、山内、葛城、柳田、谷本のミサイル打線でリーグ優勝したものの、ミサイル
解体で弱小化してしまい、1970年の濃人ロッテでリーグ優勝して以来、一シーズン制でのリーグ制覇はありません。その間、
18連敗のプロ野球記録、さらには長い暗黒時代や吸収合併騒動などを何とか乗り越えてきました。現在の親会社は球団運営に
全く力入れていない状況なので早く球団身売りをしてほしいのが本音なのですが、それでも「オリオンズ~マリーンズ」ファンを
やめることはできません。
他のすべての球団ができなかった「最初に日本一に輝いた歴史に輝くチーム」を誇りにしながらこれからも応援していきます。