ものの見方や考え方―視点はどのような時に変わるのでしょうか。以前の論文で私は「分かるとは、納得を伴って旧概念が新概念に変わること」と書きました。「あ、そうか」という納得は、「視点が変わった」ことを意味するします。この視点の転換はどのようにしていつ起こるのでしょうか。
一方からだけ見ていたのでは起こりえない「視点の転換」、では多様な見方とはどんな見方を言うのでしょう。「視点」と似た言葉に「視座」「視野」があります。「物事を大局的にみるためには、この三つを行き来しないといけない」と述べるのは御立尚資氏(ボストンコンサルティンググループ シニア・アドバイザー)です。
「視点は一つで、「これは面白い切り口だな」というもの。視野はもうちょっとブロードに全体を眺めるもの。それをもっと上から俯瞰すると視座になる。ものごとを大局的にみるためには、この三つを行き来しないといけない。」(『問い続ける力』石川善樹との対談)
俯瞰したものの見方ができた時に「分かった」という納得が生まれるのだと考えられます。しかし、ここでもどうすれば三つの見方の「行き来」ができるのかという疑問が残ります。果報は寝て待てといいますが、視点の転換も寝ていれば起こるのでしょうか。「あ、そうか」というひらめきが起こるのは「馬上・厠上・枕上」だと言います。「ユーリカ」と叫んで風呂を飛び出したアルキメデスのように、ゆったりと脳が弛緩している状態で「ひらめき」が起こるらしいのです。でも、そうなるためには、どうやら前提があるらしい。
「何もないところからアイデアが自然発生することは絶対にない」と言い切るのは脳科学者の茂木健一郎さん。
「ひらめきを生む前提となるのは、情報を集めたり、試行錯誤を繰り返したりしながら、徹底的に考えて、考えて、考え抜くこと。その段階があるからこそ、アイデアに必要なパーツが側頭葉に蓄積される。そして、その後に、“間隔遮断”に近い状態をつくることのよって、脳は蓄積されたパーツでパズルを組み立て、きらりと光るアイデアがもたらせやすくなるわけである。」(『プロフェショナルたちの脳活用法』)
情報を不断に集めることはもとより「徹底的に考えて、考えて、考え抜くこと」が大事だと。これは「課題意識の継続」のことだと思う。いつもそのことを考えている状態になければ、側頭葉の情報との組み立てができないのです。問題を解決するにはどうすればよいのだろうかと、たえず課題意識を持ち情報を集めて考え続けることが「ひらめき」の条件なのです。この「ひらめき」が起きた時には、自分自身の考えが「俯瞰」できた時でもあるのだと考えます。
それが新しい視点、物の見方を獲得した時なのです。
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