79歳の誕生日です。
「福如東海長流水 寿比南山不老松」 という中国語でのお祝いのメッセージをいただきました。66歳になる教え子からは、いつものように手紙が届きました。「こんな年になるまで先生に手紙を書けることが嬉しく幸せな春です。‥立派な大人にはなれませんでしたが、いつまでも先生の良い教え子でいたいと思います。」 夜には、これまたいつもの教え子から電話がかかってくるでしょうし、ラインで孫たちも祝ってくれるでしょう。
幸せな79歳です。
でも私だけが幸せであってはなりません。私の家族、私の周りの人はもとより、もっとたくさんの人が幸せでなければならないのです。そう願いながらも3月に悲しみが増えていきます。
2歳の今日、東京は大空襲、父は探照灯で爆撃機を捜していました。私たちを守ろうと戦っていたのです。あすは3.11。その数年後、仙台の友は仕事が立ちゆかなくなり自死しました。釜石の友は、何もできないと詫びた私に「祈られていると思えば嬉しい」と言ってくれました。あの戦争ももちろん東日本大震災もまだ終わっているとは思えません。
そして、今日もテレビにはウクライナの惨状が繰り返し映し出されます。国境に別れのハグをする女性の手にネコヤナギが握られていました。私が2歳の防空壕で泣いたように、小さな子どもたちが春の雪降る地上で遊べず、地下の避難所で凍えています。
いつになったら本当の笑顔で誕生日を祝えるのでしょうか。
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