NHK大河ドラマ「真田丸」 2 28.1.17
真田兄弟(長男信幸、次男信繁(幸村))、母、姉、祖母の逃避行。
途中、騙されことを気づき、戦うが、生け捕り寸前となる。
この場に、父親が現れ、助けられる。
織田信秀、徳川家康の軍勢に武田勢討たれる。
勝頼、信玄の亡霊の前で、滅亡に導いたことを謝り、切腹に至る。
小山田信茂、総大将織田信秀の前で、岩殿城を織田様に差し出すと言ったが、裏切者は許せないと
引きずり出される。
徳川家康の陣営。
どのように生きれば良いかと、本田正信に問えば、殿の考え一つと。
「生き延びればよい」とつぶやく。
穴山梅雪(信玄の娘婿・・・織田方の調略により寝返る)の訪問を受ける。
この際、徳川家では、穴山のようなものはいないかと部下に聞くと、そういうことはありえないと答える。
家康、梅雪を迎えると、手の平を返したように、満面の笑みを浮かべ、「梅雪のおかげで、武田を滅亡にみちびけた」と褒めたたえる。
岩櫃城で3人、今後について語り合う。
父昌幸、「武田が滅び、人生最大の岐路に立たされた」とつぶやく。
< 昌幸、兄二人を長篠の戦いで亡くし、3男の昌幸が家督を継ぐこととなった >
上杉または北条にしようかと・・・・・?
しかし、昌幸の結論は、「織田につく」との決断だった。
ここで、来週につづく。
< 初回のコメント 武田勝頼が、真田の岩櫃城に落ち延びていれば・・・・・仮定の話は、駄目か?2回目終了の後、岩櫃城の「勝頼のための居館あと」が紹介された。 >
注:Wikipedia 小山田信茂の紹介
天正10年(1582年)3月、織田・徳川連合軍の武田領侵攻に際して、武田家臣・小山田信茂は新府城(韮崎市中田町中條)から武田勝頼を岩殿山城へ迎えるが、勝頼一行が郡内領へ向かう途中で信茂は勝頼から離反し、勝頼一行は天目山(甲州市大和町)で自害した(天目山の戦い)。『理慶尼記』では信茂が勝頼に籠城を薦めた岩殿山城を「みつからか在所」と記している。小山田信茂は勝頼滅亡後に織田氏に出仕しているが、甲斐善光寺において処刑され、郡内小山田氏は滅亡する。
< 岩櫃城 地図 >