特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

小さな親切、大きな・・・

2010-06-06 07:57:58 | Weblog
先日、ちょっと嬉しいことがあった。
それは、現地調査のため、とある街に出向いたときのこと。
コインパーキングでの出来事だった。

目的の現場は、駅前の商店街エリア。
決して広くない道に、通る車や歩く人は多数。
路上に車をとめるなんてことはもちろん、一時停止することさえ難しい場所だった。

私は、路上駐車を諦め、周辺にコインパーキングを探すことに。
右左折を繰り返しながら、二台分のみの小さな駐車場を見つけた。
そして、そのひとつに車をねじ込んだ。

現地調査を終えた、私は、再び車のもとへ。
とめたときには空いていた隣のスペースには、どこかの会社の社用車らしき車が駐車。
そして、その運転席には、スーツ姿の男性が座り、携帯電話を操作していた。

私の車の駐車位置は、№1。
しかし、普段“№1”というものに縁がないせいか、清算機に対して、私は迷うことなく№2のボタンをPush。
そして、表示された金額を投入した。

しかし、車止プレートが下がったのは、私の方ではなく隣の方。
“???”と、一瞬、何が起こったのかわからなかった私。
そう・・・私は、清算場所を間違えて、隣の駐車料金を精算してしまったのだった。

そんなミスに、私は“トホホ・・・”な気分。
お金の問題だけではなく、そんなミスをしてしまう自分のダメさにガックリ。
やり場のない悲しみを抱え、再び、清算機に向かった。

そうこうしていると、隣の車のドアが開いた。
と同時に、中の男性が降りてきた。
そして、“文句でも言うつもりか?”と身構える私の方に近寄ってきた。

「間違えました?」
「えぇ・・・スイマセン・・・」
「こっちのプレートが上がる音がしたもんですから、びっくりしましたよ」
「申し訳ないです・・・」
「領収証あります?」
「ありますけど・・・」
「お金、払いますよ」
「え!?」
「それは、私の方の料金ですから・・・」
「でも、勝手に清算しちゃったわけですから・・・」
「いやいや・・・」
「まだしばらくここにおられる予定じゃなかったんですか?」
「いいえ・・・ここでの用事は済みましたから」
「いいんですか?」
「大丈夫ですよ」
「そうですか・・・助かります・・・ホント、失礼しました」

男性は、スーツで身を固めた青年。
営業職か、話し言葉も丁寧で、好印象。
短い会話の後、かかった金額を私に手渡し、走り去っていった。

もちろん、男性の素性など知る由もない私。
しかし、どこかで会ったことがあるような親近感を覚えた。
そして、その小さな親切がとても嬉しくて、その日は、身も心も軽やかに仕事に取り組むことができたのだった。



依頼された現場は、古くて小さなマンション。
“現場に行く前に鍵を取りに来てほしい”との依頼で、私は、まずは、現場近くの大家宅を訪問。
詳しい事情を知らなかったため、フリーサイズの(事務的な)スタンスでインターフォンを押した。

大家宅から出てきたのは、老年の男性。
特に尋ねたわけでもなかったが、男性は、遺体発見にまつわる出来事を私に説明し始めた。
話が長くなるような予感がした私は、「とりあえず、現場を見てきてから・・・」と、男性の話を途中で止めて、鍵を預かった。

現場のマンションは、大家宅から歩いていける距離。
故人の部屋は、上の階。
私は、成長しない自分を鍛えるようなつもりで、エレベーターのない階段を一歩一歩登った。

1Rの狭い部屋には、大量の家財生活用品。
それらが、床を隠すほどに散乱。
私には、それが、故人の荒れていた内面を代弁しているように感じられた。

目立って視界に入ってきたのは、数箇所・数個に及ぶ練炭の灰。
そして、公共料金を催促する書類と、それらを止める旨が記された書類。
更には、ベッドマットにはクッキリと浮かび上がる人のかたちがあった。

現場見分を終えた私は、玄関の鍵を掛け、再び大家宅へ。
再び男性が出迎えてくれ、私を玄関に招き入れてくれた。
そして、一時停止していた話の続きを始めた。


「もう亡くなっちゃったけど、もともと、本人(故人)の親が私の友達だったんですよ」
「私の息子と本人も幼なじみでね・・・」
男性は、故人のことを子供の頃から知っていた。
だから、赤の他人のようには思えないようだった。

「亡くなった(故人の)親にも、“息子のことを頼む”と言われてね・・・」
「まぁ、腐れ縁でしょうね・・・」
男性は、肩の荷が降りたのか・・・
安堵したかのようにも感じられる疲労感を漂わせながら、そう言った。

「家賃も、二年分滞納してましてね・・・」
「電気やガスもしょっちゅう止められて・・・」
家賃を滞納されても、強くは催促できず。
金銭的マイナスを、義理と人情で埋めていたようだった。

「どこか具合でも悪かったんでしょうかね・・・」
「まだ若いのに、可哀想・・・」
男性は、故人の死因を、身体的病を原因とする“病死”とみている様子。
よもや、死因が自殺であるとは微塵にも思っていないようだった。

「色々と迷惑をかけられて困ってましたけど、私達より先に逝くなんて・・・」
「悲しいというより、残念ですよ・・・本当に・・・」
男性は、本当に悲しみより残念な気持ちの方が強そう。
そして、その言葉には、何かに対する憤りが込められているように感じられた。

「でも、家賃を強引に取り立てなくてよかった・・・」
「部屋から追い出したりしなくてよかったと思いますよ」
男性は、過去の自分を説き伏せるかのように、そう言った。
そして、自分の言葉に何度もうなずいた。

男性の話をしみじみと聞いた私。
部屋に自殺所見があることを、伝えることができなかった。
“確証がない”“責任がとれない”“余計な問題を引き起こしたくない”などといった考えが働いたから・・・
それでも、“男性に余計な気苦労を背負わせては気の毒”といった親切心が、少しは働いたことを自分で信じたいと思っている。
それが、本当に親切なことだったのか、未だにわからないけど・・・


「人には親切にしましょう」と教わって育ったはずなのに、人に親切にされることをうっとおしく感じたり、人に親切にすることが面倒臭かったりする。
もっと重症化していくと、親切にしてくれる人を妬みの対象にしたり、人に親切にすることが損なことのように思えたりする。

コインパーキングで会った男性がくれた親切は、直接的に私に喜びを与えてくれた。
大家の男性が故人に与えた親切は、間接的に私に喜びを与えてくれた。
世に中には、“小さな親切、大きなお世話”なんて言葉があるけど、実のところ、小さかろうか大きかろうが、親切は大きな喜びだと思う。

更には、親切にされたときの喜びも大きいけど、親切にしたときの喜びの方がもっと大きいことを、関わる一人一人の生き様と死に様が、私に教えてくれるのである。




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小休止

2010-05-27 18:13:26 | Weblog
春と夏の境目にきて、現場作業でかく汗の量が増えてきた。
これから、作業服が塩をふく季節。
身体を甘やかさないことと身体を壊さないことに注意を要する季節だ。

身体を悪くしては、もともこもない。
かと言って、保身ばかりに傾倒していると仕事にならない。
その辺のバランスが難しい。

現場においては、昼食もとらすに作業を続けることは日常茶飯事。
昼食をとるタイミングが計りにくいうえに、休憩をとることが無駄な時間を浪費することのように思えて、どうしても作業を優先してしまうから。
“肉体は休みたがっても、精神が休みたがらない”といったところだ。

しかし、水分補給くらいはしないと、それこそ身体を壊す。
だから、小休止はとるようにしている。
夏期は水、冬期はお茶、夜は酒。だいたいこれを飲む。

大汗をかいたときなどはスポーツドリンクを飲むこともあるけど、基本的には水かお茶を好んで飲んでいる。
ジュース類を飲まない理由は、糖分と炭酸。
あの不自然な甘ったるさと、咽が痛くなるような炭酸が苦手なのである。
(チューハイやビールは全然平気なんだけど・・・)

そんな日常のせいか、私は、いつも疲れている・・・
この身体と頭には、常に重い疲労感を抱えている。
そして、この表情も、行動も、それを感じさせる。

普段、大したことをやっていないのに、どうしてこんなに疲れるのだろう。
精神力がないせいか、身体(歳)のせいか・・・
“I am Hard worker”“俺は疲れている”と、自己暗示をかけてしまっているのだろうか。

気づいてみると、常に軽い睡魔に襲われている。
時間が空くと、ボーッとなる頭を抱えながら目をショボショボさせている。
不眠症のゆえと諦めてはいるけど、なかなかツライものがある。

私の場合、アルコール燃料に頼ることが多いけど、それにも限界はある。
効くのは当夜だけ。
翌朝には、重さを増した倦怠感が圧しかかってくる。

やはり、疲れをとるには、休息が一番。
人は、働くために生きているのではなく、生きるために働くのであるから。
だから、仕事ほどほどに、適度に休むことが大切だと思う。


好天に恵まれた先日、久しぶりに休みをとった。
“朝は思いっきり寝坊するぞ!”と意気込んで寝てはみたものの、不眠症と仕事病が災いして、いつもの時刻に覚醒。
朝っぱらから目が冴えまくり、ゆっくり寝坊どころではなかった。

それでも、せっかくの休日。
“たまにはゆっくり寝ていたい”という常日頃の願望を実現するべく、そのまま布団に居ることに。
睡魔と戦う平日の自分を思い浮かべながら、自分を無理矢理寝かしつけた。

気合を入れた甲斐あって?、間もなく再入眠。
そして、言葉では言い表せない至福感の中で、脳だけでなく身体まで溶けそうになるくらいまで昼寝。
お陰で、随分と頭と身体を休めることができた。


休日の過ごし方には、色々あると思うけど・・・
読書・・・本を読むことは苦手。好きじゃない。
映画鑑賞・・・観たい映画がはいわけではないが、映画館に行くのが面倒臭い。
買物・・・手の届く範囲で欲しいものはない。
音楽鑑賞・・・お気に入りの楽曲やアーティストはいない。
DVD鑑賞・・・レンタルショップの会員証を持っていない。つくる気もない。
TV・・・普段からあまり観ない。面白い番組がない。
スポーツ・・・余計に疲れるような気がする。
インターネット・・・退屈。興味なし。
散歩・・・どこを歩けというのか・・・
飲酒・・・さすがに、昼間から酒を飲むのは抵抗がある。
・・・結局、残るのは雑用と昼寝くらいなのである。


何もかも“なりゆき”に任せて、惰性で過ごしている毎日。
何もかも他人や境遇のせいにして、諦め気分で過ごしている毎日。
趣味らしい趣味を持たず、仕事にあけくれ、安酒と惰眠をむさぼる毎日。

変わり映えしない毎日に感謝したり、飽き飽きしたり・・・
喜びと疲労感を交錯させながら格闘している。
そんな日々に価値がないとは言わないけど、なかなか価値を見出しにくい現実もある。

私の時間は、燻ぶっている。
そして、私の時間は、その単調さに輝きを失っている。
それでも、私の時間は、刻一刻と過ぎている。

しかし、休みが少ないことは悪いことばかりではない。
その一日がとても貴重に、大事に思えるから。
単なる昼寝でも、とても大切に思えてくるから。


布団に横になっていると、私の頭には、あることが浮かんでくる・・・
最期のときを間近にした自分が、病院のベッドに横たわっている姿が浮かんでくるのだ。
そして、病室の天井をボンヤリと眺めながら、自分の頭には何が過ぎるかを想像するのである。

クタクタになるまで働いたこと、クタクタになるまで遊んだこと、
悲しみに泣いたこと、喜びに泣いたこと、
頭を抱えて悩んだこと、腹を抱えて笑ったこと、
人をキズつけたこと、人にキズつけられたこと、
人に腹を立てたこと、自分に腹を立てたこと、
人を好きになったこと、自分を嫌いになったこと、
美味い酒に酔ったこと、美味しいものに肥えたこと、
人の笑顔を羨ましく思ったこと、人の笑顔を嬉しく思ったこと、
些細なことに苛立ったこと、些細なことに喜んだこと、
聞くべきことを聞かなかったこと、目に見えるはずのないものが見えたこと、

祭のあとの余韻に似た感覚の中、それらの一つ一つを懐かしく想い出すだろう。
“アッという間だった・・・”と想うだろう。
そして、一人、温かい孤独の中で、それまでは決して浮かべることのできなかった清い笑顔を浮かべるのだろう。

ゆっくり寝ていたくても寝ていられない今だけど、いずれ、寝ていたくなくても寝ていなければならないときがくる。
その時まで、もうちょっと頑張って起きていようと思う。
最期の時、「よく生きた」と、嬉しく思えるように・・・



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ナマケモノ

2010-05-17 08:09:08 | Weblog
春真っ盛り。
天候不順だった4月が過ぎ、“遅い春”といったところか。
青い空と白い雲を従えて、太陽が温度を増している。

このゴールデンウィークも晴天に恵まれた。
私は、例によって無休だったけど、それももう慣れたもの。
反対車線に徐行する行楽渋滞を横目に、快適走行。
心地よい風を受けながら、レジャーを空想しながら各地の現場へと車を走らせた。

そんな春は、人々に優しい。
暑からず・寒からず、過ごしやすい時間を与えてくれる。
そしてまた、生気漲る自然が、気力をも与えてくれる。
そんな季節が一年を覆ってくれればどんなに楽だろう・・・
春夏秋冬の趣を喜びつつも、ついついそんな風に思ってしまう。

「私にとって、冬は精神的にキツイ季節である」
と、以前に何度か書いたことがある。
その傾向は、今年も変わっていない。
やはり、暗くて寒いと精神が病みやすい。
そういった意味では、だいぶ楽になっている今日この頃である。

しかし、こんな優しい季節にも“病”はある。
そう、“五月病”だ。
特に、新入生や新入社員に患う人が多いのだろうか。
蔓延するストレスに物事の意味や先の目標を奪われ、会社や学校に行くことに気も足も重くなる・・・
その、逃げだしたくなるような気持ち、よくわかる。

私の場合は、“万年五月病”。
朝、仕事に行くのがイヤじゃない日なんてほとんどない。
キツイ現場を予定しているときは、特にそう。
作業の何日も前から気が重くなり、ヒドイときは夢にまででてきて私の安眠を妨害する。
更に、神経質な性格が災いして、悪い空想ばかりが頭を過ぎる。

前回のブログでカッコつけたにも関わらず、実態はそう。
怠けようとする身体とそれを叱咤する理性が、毎朝のようにケンカをする。
ただ、理性が勝つから仕事に行くのではない。
また、自分の精神力がモノを言うから仕事に行くのではない。
うまく言えないけど、生きるためのやっとの気力が、私を動かしているように感じている。

この時もそう・・・
仕事の依頼を受けた私は、生活の糧となる仕事が与えられていることに感謝しつつも、その仕事をこなさなければならない重圧にのしかかられ・・・
不快な緊張感とプレッシャーに、気持ちを暗くしていた。


訪問した先は、閑静な住宅地に建つ一般的な一軒家。
依頼者は、その家に住む中年の女性。
現場は、二階の一室。
女性の息子が、自室として使っている部屋だった。

案内されて部屋に入ると、そこはゴミ部屋。
床は少しも見えておらず、6畳ほどのスペースはゴミが占有。
AV機器・PC・ギター・雑誌・CD・ゲーム・飲料容器etc・・・
置いてある家財とゴミは、部屋の主がまだ若いことを示唆。
私は、部屋の主と、親の迷惑を顧みることなかった若い頃の自分とを重ねて深い溜息をついた。

ゴミの中には、大量のペットボトルと缶が存在。
その中には、茶系の液体。
それが飲み物でないことは、一目瞭然。
過去の経験と目の前の光景を照らし合わせた私には、その正体がすぐに分かった。

女性の要望は、それら全部の片付け。
女性は、謎の液体が何であるか承知のうえで、ゴミの始末を私に依頼してきた。
それを聞いた私は、即答できず返事を保留。
そして、気を重くしながら、覚悟すべき作業を頭の中に組み立てた。
一考の結果、作業において、家中に悪臭が広がることと、床が汚れてしまうことが確実に。
私は、トラブルを未然に防ぐため、そのことを説明し、それを了承してもらうことを作業実施の条件とした。


ゴミを溜めた息子は、定職につかずアルバイトを転々。
警察の御厄介になるほどの遊びには手を出さないものの、消費者金融から金を借りては遊興三昧。
一度染み付いた怠け癖は、周囲が目くじらを立てても抜けることはなく・・・
両親がその尻を拭ったことは一度や二度ではなかった。

そんな息子に、両親は、“自活させれば変わるかも”と、外に賃貸アパートを用意。
過保護をあらためるべく、物理的にも心的にも一定の距離を置くことにした。
しかし、それは、更なる問題を招くことに・・・
息子は、親の目がなくなったことをいいことに、悪さをエスカレートさせた。
仕事に就かないのはもちろん、払うべきお金も払わず・・・
家賃や水道光熱費を滞納しただけにとどまらず、あろうことかそこをゴミ部屋にしてしまった。

そんなこんなで、両親はまたもや尻拭いをさせられるハメに。
結局、一人前の一人暮らしができない息子を、実家に戻すことに。
片や、息子の方は、反省の色を見せず。
ゴミを片付けない習慣をあらためるどころか、アパート時代の生活スタイルをそのまま継続。
両親の目をはばかることもなく、ゴミを放置する生活を始め・・・
そして、両親がそんな息子を持て余しているうちに、息子の部屋は、またもやトイレ兼ゴミ箱と化してしまったのであった。


そう・・・謎の液体は尿・・・しかも、充分に腐敗した・・・
トイレに立つのが面倒臭かったのか、息子は、ペットボトルや空缶に排泄。
そして、蓋ができるペットボトルはゴミの中に放り、蓋ができない缶はパズルのように積み上げ・・・
これを長期間に渡って繰り返し、とんでもない量を溜め込んだのだった。

特に私が泣かされたのは、積み(組み)上げられた缶。
なにせ、これには蓋がないものだから、横に傾けるわけにいかず・・・
しかし、絶妙のバランスで重なっているそれは、一本抜くと周囲の何本もが崩れ落ちるような有様で・・・
当然、ひっくり返った缶からは、腐敗尿が流れ出し・・・
どう収拾をつけていいのかわからないまま、私は、悲鳴に近い雄叫びを上げながら、身を挺するしかなかった。

結局・・・
それらを一本一本手に取り・・・
中身をバケツに移し換え・・・
そのクサイことといったら、ハンパではなく・・・
飛び散る腐敗尿の滴は、腕や身体を汚し・・・
タイミングが悪いと、顔にまで跳ね返ってきたりして・・・
そうしていっぱいにしたバケツをトイレへ運び・・・
便器の中に流す・・・
ひたすら、これの繰り返し・・・
それは、仕事の域を超えた試練、試練の域を越えた修行のような感覚を私にもたらすものだった。


元来の私は、ナマケモノ。
かなりの面倒臭がりで、残念ながら、そのレベルは病的なくらい。
楽することばかりを志向し、頭や身体を動かすことを億劫がる。
ギリギリまで追い詰められないと動かない。

特に、これから夏にかけては暑くなる一方で、現場作業に過酷さが増す。
皮膚が涙にも似た汗を滲ませ、筋肉という名の贅肉が悲鳴をあげる。
脳も身体も動きが鈍くなり、その隙を狙って、怠け心が夏の盛の雑草のように芽を出してくる。
そいつを摘み取るだけで、いっぱいいっぱいになったりする。

怠けて楽できると思うのは、その時だけの錯覚。必ず苦がついてくる。
怠けて得をするのは自分ではない。怠けて損をするのが自分。
そんな理屈は、多くの人が理解している。
だから、多くの人が、怠け心と対峙し戦っている。

一生懸命に生きることを怠けようとする自分。
楽して生きることばかりを望む自分。
そんな自分を卑下し、落ち込む自分。
全部、自分。
そいつとも対峙し戦わなければならない。

必死に生きるための気力は、失われっぱなし。
やっと得た気力も、アッという間に消えてなくなる。
それでもまた、気を育てる・・・それを繰り返す・・・
気を枯らさないように、気の根を腐らせないように・・・
希望と笑顔の陽を当て、汗と涙の雨を降らせ、訓戒と鍛錬の肥料をやり続ける・・・

それは、生きるためにしがみつく樹に、実を生らせる営み・・・
そして、実の味わいを深くする営み・・・
・・・私のようなナマケモノにとって、贅沢な生き方なのかもしれない。






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やる? やらされる? ~能動編~

2010-05-07 09:52:18 | Weblog
「死後一週間」
「もの凄い数のハエが湧いている!」
「とても中に入れない」

ある涼しい季節、若い女性の声で、そんな電話が入った。
私は、その口から発せられる一つ一つの言葉にもとづいて、頭の中で現場の状況を映像化。女性の説明を幾重にも重ねながら、その画を鮮明にしていった。

現場は、郊外に建つ高層の公営アパート。
その上階の一室だった。
現れたのは、20代に見える若い男女。
女性の方は幼児を抱いており、二人が夫婦であることは一目瞭然だった。

二人は、緊張の面持ち。
固い表情に笑みを割り込ませ、私に向かって深々と頭を下げてくれた。
一方の私は、頭の低さに恐縮。
二人よりも頭を低くすべく、子供の頃から硬いままの身体を強引に折り曲げた。

そんな挨拶を交わして後、本題へ。
二人と故人の関係、晩年の生活ぶり、経済的なことなど、男性は、抱える事情を話してくれた。
それを聞く私は、平然とした姿勢。
私の反応が、依頼者の感情を波立たせてしまうことがあるため、意図してその様な構えをみせた。

亡くなったのは、女性の父親。
特に疎遠だったわけではないのだが、その死に気づいたのは一週間後。
何日も電話にでないことを不審に思った女性が故人宅を訪問し、ベッドに横になったまま冷たくなった父親(故人)を発見したのだった。

晩年の故人は、体調を崩して無職。
借金こそないものの、収入らしい収入はなし。
わずかな蓄えを切り崩しながら、細々とした生活を送っていた。
若い二人も、自分達の生活を成り立たせるだけで精一杯。
幼い子を抱え、夫婦共働きもままならず。
父親の窮乏を知らないではなかったが、それを支援できるほどの余力はなかった。

「あまりお金をかけられないんで、自分達でできることはやるつもりなんです・・・」
二人は、原状回復にかかる費用のことを不安に思っている様子。
二人の口からは、故人の死を悼む心情よりも、金銭に関わる事情ばかりが出てきた。
ただ、私は、そんな二人のことを、“冷たい人間”だとは思わず。
無責任な人間は、そんな心配はしないわけで・・・私は、社会的責任をキチンと果たそうとする二人の誠実さに、好感さえ抱いた。

「でも、ハエがどうしても無理で・・・」
二人は、ゴキブリやハエなどの不衛生害虫が、極めて苦手とのこと。
気持ち悪さを通り越して、恐怖感すら抱くらしい。
そんな訳で、室内に入ることに強い抵抗感を覚えているようだった。

一通りの話が済むと、男性は、一本の鍵を差し出した。
そして、「一人で行ってきてもらうことはできますか?」と、申し訳なさそうに私に依頼。
難色を示す理由もなかった私は、「気にしないで下さい」と快く引き受けた。

大規模団地といえど、配置構造はいたってシンプル。
私は、他室の部屋番号を横目に歩き、故人の部屋に接近。
それから、玄関前に立ち止まり、クンクンと臭気観察。
外に異臭の漏洩がないことを確認し、念のため、インターフォンをPush。
中から応答がないことに違和感なく、鍵穴に鍵を挿し込んだ。

私は、小さく開けたドアの隙間に鼻を近づけて、軽く空気を吸った。
すると、私の鼻は、かすかな異臭を感知。
その濃度は、想像していたものに比べるとはるかに低いもので・・・
私は、緊張からきていた身体の硬直が解けるのを感じながら、専用マスクを首から外した。

当初、“土足で上がり込むことになるだろう”と思っていた私。
しかし、室内はきれいそのもの。
靴のまま入ることが躊躇われた私は、傍にあったスリッパを借りてそれに履き替えた。

狭い間取りの中、問題の部屋はすぐに見つかった。
そこは、大きなベッドが占有しており、そのベッドマットには人の死を訴える薄い汚れが付着していた。
しかし、それは、依頼者の不安を無にするくらいのライト級。
私は、気が緩み過ぎないよう気をつけながら、他に汚染がないか周囲を観察した。

すると・・・
腹が減って力が出ないのだろう、窓際に佇むハエが数匹・・・
餓死して床に転がる死骸が十数匹・・・
これから羽化するであろうサナギが、ベッドサイドに十数個・・・
ウジの姿は確認できず・・・
こんな具合に、私の天敵であるハエ達は、いつになく地味な展開をみせていた。

数分のうちに現地調査を終えた私は、一階のエントランスにUターン。
そして、エントランスでの立ち話はやたらと声が通るので、二人を屋外に連れ出した。
それから、部屋の異臭や汚染は極めて軽いものであることを説明し、その片付けは素人にもできるレベルにあることを伝えた。
同時に、本件を原因とする内装改修工事は不要であることを説明し、民間不動産に比べて、公営アパートの原状回復費用は格段に安く済むことを伝えた。

私の話を聞いた二人は、不安一色だった顔に、安堵の色が浮かべた。
そして、自分達で片付けるためのアドバイスを求めてきた。
しかし、やはり、問題はハエ。
その始末については、二人の間でなかなか結論が出ず、片付けの算段はそこで止まってしまった。

困惑する二人・・・
無邪気に笑う子供・・・
そんな若い家族の奮闘と前途を想うと、特掃魂に火がつかないわけはなく・・・
“ハエの始末くらいなら、無償でやってあげてもいいかな”という気持ちが、私の中に芽生えてきた。

「事のついでですから、虫の掃除だけしていきましょうか?お金はいりませんので・・・」
「え!?いいんですか!?」
「はい」
「しかし、無料でやっていただくのは・・・」
「ついでですから、大丈夫ですよ」
「すいません・・・助かります・・・」
私の申し出に、二人は平身低頭。恐縮しきり。
一方の私は、“ドンマイ”気分。
“たまにはカッコつけさせてもらおうかな”と、無償の作業を請け負ったのであった。


能動的に“やる”のと、受動的に“やらされる”のとでは、苦痛の度合いがまったく違う。
何事も、“やらされる”ってツラい。
外からのプレッシャーを、中からのパワーが受けきれず、ストレスがかかるためだ。

どうせやらなきゃいけないことなら、能動的にやった方がいい。
それは、私が、率先してキツい仕事に出向く動機の一つでもある。
率先していけば、やらされることからくるストレスを回避できるから。
ストレスを抱えて損をするのは自分だから。

前にも書いたけど、私は、この仕事・・・とりわけ特掃業務は、やらされてできるものではないと思っている。
もちろん、「実作業が不可能」と言っている訳ではない。
必要な道具を使い、必要なだけ身体を動かせば、一通りの作業はできる。
しかし、それでは、自分の心が喜ぶ仕事は完成しない・・・生活の糧は稼げても、人生の糧は収穫できないと考えている。

生きることも同様。
同じ人生であっても、能動的に生きるのか、受動的に生きるのか・・・
積極的に生き、楽観的に生き、希望を持って生きるのか、それとも、消極的に生き、悲観的に生き、失望して生きるのか・・・
・・・それによって得られる爽快感が違うと思う。

積極的に生きるとは、日々(生き方)の選択において、自分の気持ちが熱くなること(方)を選ぶこと。
楽観的に生きるとは、日々(生き方)の選択において、自分の気持ちが明るくなること(方)を選ぶこと。
希望を持って生きるとは、日々(生き方)の選択において、自分の気持ちが晴れること(方)を選ぶこと。

それは、自分にとって愉快な道ではないかもしれない。楽な道でもないかもしれない。
苦しみを重くし、痛みを強め、悩みを深める道かもしれない。
しかし、それが、能動的に生きようとする自分の良心が選択した道なら、きっと、そこから人生は開けてくる・・・そう思う

仕事でも勉強でも、次の一歩を、ちょっとだけ能動的に踏み出してみるといい。
その“ちょっとしたこと”が、人生において“たいしたこと”になってくるから。

そして始まる、今日一日。
今日も一日、がんばろ。ね。








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やる? やらされる? ~受動編~

2010-04-28 07:06:14 | Weblog
「死後一ヵ月」
「ニオイがヒドイ!」
「とても中に入れない」

ある暑い季節、粗め口調の男性から、そんな電話が入った。
私は、その口から発せられる一つ一つの言葉にもとづいて、頭の中で現場の状況を映像化。男性の説明を幾重にも重ねながら、その画を鮮明にしていった。

現場は、車通りに面して建つ一般的なアパート。
その二階の一室だった。
現れたのは、30前後かと思われる男女。
口を使った挨拶はなく、浅い会釈が一度きり。
その第一印象は、あまりいいものではなかった。

二人とも愛想はなく、何となく不機嫌そう。
ソワソワと落ち着きがなく、視線も浮遊。
私は、「状況が状況だから、無理もないか・・・」と、二人の物腰に不満を抱こうとする自分をなだめた。

男性は、緊張した面持ちで、手をポケットに。
そして、一言、「お願いします」とだけ言い、私に部屋の鍵を差し出した。
その態度は、“さっさと部屋を見てこい!”“仕事なんだから当然だろ?”と言っているようにも見え、私はちょっとした違和感を覚えた。

大家か不動産会社やったものだろう、玄関ドアの隙間には四角く目張り。
しかし、せっかくの目張りも虚しく、玄関前には濃い異臭がプンプンと漏洩。
私は、ドアや枠に糊を残さないよう、その目張りを慎重に剥がし、鍵穴に鍵を刺し込んだ。

小さくドアを開けた私は、その隙間に鼻を近づけた。
そして、室内の空気を吸引。
そこから繰り出されてくる悪臭パンチに、鼻を曲げられながら、また、呼吸を止められそうになりながら、その臭気を観察した。

その悪臭は、高気温も相まって極めて高濃度。
私は、“逃げない”と決意し、また、“逃げられない”と諦めて、首にかけていた専用マスクを装着。
2~3回ほど試呼吸して後、素早く室内に身を滑り込ませた。

ドアを開ける前から、土足で上がり込むつもりだった私。
念のため、上がり口で一時停止して床を観察したが、予想通り、室内に土禁の雰囲気はなし。
迷うことなく、靴のまま室内に踏み込んだ。

狭いキッチン廊下の向こうが、一部屋のみの居室。
玄関からそこまでは、ほんの数歩、ほんの2~3秒。
その居室に入るや否や、日常の生活にはない色が目に飛び込んできた。

部屋は1K。
窓には無数のハエが集り、その下には死骸の黒山。
部屋の中央に汚腐団があり、半身は布団に、残りの半身は床に溶け出し・・・
その液体が人の形を成し、故人の影となって残っていた。

部屋の中には、外気よりも一段と高い熱気と腐乱臭が充満。
私は、汗腺と臭覚への刺激に嫌悪感を覚えて、一箇所に停止。
目に入る光景を意識して脳裏に焼き付けながら、そこから、上下左右と部屋を見回した。

狭い部屋の見分に、大した時間はかからず。
また、大した時間をかけたくもなかった。
入室から数分後に部屋を出た私は、外気の涼しさと悪臭から開放されたことに爽快感を覚えながら、いつもの癖で青い空を仰いだ。

わずかな小休止の後、私は、自分に着いたニオイを後ろにやりながら階下へ。
そして、自分が見てきた状況を二人に説明をするため、私を待つ二人に近づいた。
すると・・・

「ノートパソコンがあるはずなんで、持ってきてもらえません?」
男性は、そう一言。
いきなりの雑用指示に面食らった私だったが、“ま、それくらいのことならいいか・・・”と、とりあえず承諾。
再び、腐乱サウナと化した部屋に向かった。

部屋に入ると、テーブルの上に目当てのパソコンはあった。
私は、配線を外し、それを抱えて外へ。
そして、憮然と男性に手渡した。

男性は、渡されたパソコンに鼻を近づけて仰天!
顔を顰めながら、何やら女性と相談。
結局、持って帰ることにしたらしく、用意してきた大きなバッグにそれを収めた。

「液晶テレビがあったでしょ?それ持ってきてもらえます?」
何を言い出すかと思ったら、男性は、“次はTVを持ってこい”と言う。
私は、強い抵抗感を覚えたが、“ついでだから!ついでだから!”と自分に言い聞かせて嫌がる足を再び部屋に向かわせた。

それから、男性は、金目のモノを持ち出すことを次々と私に指示。
そして、持ち出されたモノの臭いをいちいち嗅ぎながら、いそいそとバックに収めていった。
一方の私は、断るタイミングを完全に失い、部屋と外を数回往復。
腹に抱いた不満を膨張させながら、また、臭い汗をかきながら、男性が命じる雑用をこなしていった。

金目のモノとおぼしき品々を一通り持ち出した後、私は、肝心の特殊清掃撤去の見積書を製作。
売上利益を損なわないよう、かつ、できるだけ明瞭に作成。
その上で、必要な作業内容と、それにともなう経費を丁寧に説明した。

しかし、二人は反応薄・・・
部屋を片付けることなんかに興味はなさそうに、生返事ばかり・・・
私と目を合わせようともせず、携帯電話を開いたり閉じたり・・・
私の話が終わったかと思ったら、何の質問もせず、大きなバッグを両肩に抱えて、そそくさと立ち去って行った。

そんな二人の後姿に、私は、“うまく使われた”ことを察知。
追いかけて行って文句の一つも言ってやりたいような衝動に駆られたが、そんなことができるはずもなく・・・
膨らむ一方の不満を持って行くところもないまま、現場を後にしたのだった。


私の仕事のうち、特殊清掃・遺品処理・不用品処分・消臭消毒の類は、事前の現地調査が不可欠。
それは、金銭のやりとりが発生しない業務。
原則として、無償で実施するものなのだ。

「無償」と言っても、それは、あくまで依頼者側の話。
人件費や交通費・駐車場代など、当社にとっては相応の経費がかかる。
必要経費として納得はしているものの、負担がないわけではないのである。

したがって、現地調査で行うのは、原則として現場を見ることのみ。
作業らしい作業は行わない。
しかし、現場の雰囲気や依頼者の事情によっては、そういかないことがある。
“乗りかかった舟”ということで、ある程度の作業を無償でやることがあるのだ。

ただ、お金をいただかないからといって、100%のボランティア精神をもって行うわけではない。
「依頼者の心象をよくするための事前サービスとして行う」と言った方が正しいと思う。
仕事でやる以上、売上利益を視野に入れた下心、売上利益を上げることを目的にした打算があるのだ。

上記のエピソードでも、当初、私の中にそんな打算があった。
二人に悪意があったかどうかに関係なく、私には、その指示を阻む自由もあったわけで・・・
冷静に考えてみると、私は、この二人を一方的に非難できる者ではないことがわかってくる。

しかし、残念だけど、今でも、このことを思い出すと頭に血が上ってくる。
“そんな度量じゃダメ”とわかっていても・・・
こんな私は、この先、「人の役に立てたんだから、それでいいじゃん!」と考えられる人間になれるのか、なれぬのか・・・
確証のない半生を前に、微妙な岐路に立っている。


岐路は、毎日にある。
能動的にやって爽快感を得るか、受動的にやらされてストレスを抱えるか・・・
“やる”のか“やらされる”のか・・・
その選択が、自分に明るい人生を切り開かせるか、また、自分を暗い人生に引きこもらせるかを決めるのだと思う。

変わりばえのしない仕事や用事が、毎日毎日、自分に圧し掛かかってくる。
そして、そのほとんどを、仕方なくこなす。否応なくやらされる。
しかし、刻一刻と過ぎる人生の中で、いつまでもそんなところ(マインド)に自分を置いておきたくはない。
だったら、多用のうちの一つでもいいから、小さなことでもいいから、仕方なくやっていることを能動的にやってみてはどうだろう。
それだけで、自分の心は喜ぶと思うから。今日が変わると思うから。

今日が変われば、明日が変わる。
明日が変われば、明後日が変わる。
一日一日が変われば、人生が変わる。

まずは、今日一日。
今日一日を、がんばろ。ね。








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ウ○コ男Ⅱ

2010-04-18 11:57:54 | Weblog
今もあると思うけど、私が小中学校の時分、“身体検査”なるものがあった。
身長・体重をはじめ、視力・色覚・聴力などを測るのだ。
私は、子供の頃から視覚も聴覚も良好。
視力は、加齢にともなって衰えてはいるものの、今でも両眼1.0(調子のいいときは1.5くらい)は維持している。
人として、見なくてはならないものがいまいち見えない難点はあるけど、その健康が守られていることに感謝している。
聴覚も、右耳に若干の難聴を抱えているものの、日常生活や仕事に支障がないレベル。
人として、聞かなくてはならないことがいまいち聞こえない難点はあるけど、その健康が守られていることに感謝している。

視覚・聴覚とくれば、触覚・味覚・嗅覚と続くが、後者は身体検査になかった。
それらからも、隠れた病気や健康状態が把握できると思われるのに、その術は用意されていなかった。
感覚のレベルを数値化しにくいからだろう。
それだけ、“ニオイ”ってやつは、デリケートかつ複雑。
“いい匂い”と“悪い臭い”は表裏一体・紙一重。
香水の匂いだって濃すぎれば悪臭になるし、食べ物の匂いも、その濃度によっては不快臭となる。

特殊清掃は、臭気(悪臭)を相手にしなければならない仕事でもある。
場合によっては、“腐乱死体のニオイがする人間”なんてことにもなる。
しかし、そんな環境に長年いても、肉体に“染み付く”ということはない。
よく、“悪臭は長年のうちに身体に染み付いて、風呂に入っても落ちない”・・・“悪臭が、その人固有の体臭になる”みたいに思われがちだけど、そんなことはない。
洗えば落ちる。簡単に。
逆に言うと、洗わないと落ちない。
だから、風呂に入るまでの間は、店に寄ったり誰かと会ったりできないわけ。

作業服のニオイは、着替えれば片付く。
手や顔も、洗うか拭けばほぼOK。
厄介なのは、頭髪。
頭髪は、出先で洗えないし、拭ききれるものではないから。
結果、頭上からプンプンと悪臭を放つ、“ウ○コ男”になってしまうのである。

あくまで自己判断だが、私の場合、その嗅覚は平均的なレベルだと思う。
ズバ抜けて敏感でもないし、人並みに及ばないくらい鈍感でもないと思っている。
しかし、そんな嗅覚が鈍化するときがある。
一つは、“慣れ”。
同じような経験を持つ人は多いと思うけど、同じニオイを嗅ぎ続けていると、そのニオイがわからなくなってくるのだ。いい匂いでも、悪い臭いでも。
もう一つは、自分の体臭。
一時的に付着した腐乱臭はわかるけど、いわゆる、“加齢臭”というヤツは、自分でわかりづらい。
どこからどう見ても“お兄さん”・・・じゃなく“おじさん”の私は、加齢臭があって当然なのだろうが、自分では、それを感じないのだ。
臭気相手の仕事をしているのに、何とも御粗末な有様である。


“自分のことなのに、自分ではよくわからないこと”って体臭ばかりではない。
自分の長所もそうではないだろうか。
自分の短所は、嫌気がさすほどわかるのに、長所にいたってはなんとなく程度にしか認識できない・・・
自分のダメなところばかりに気がいき、結果、自分に“ダメ人間”の烙印を押す・・・
自分を含め、そんな底なし沼にハマッてる人が多いような気がする。

ちなみに、私の短所(ほんの一部)を列挙してみると・・・
(※無駄な行数が増え、かつ自分が惨めになるため、身体的な短所は除外)
猜疑心が強く、何事も斜めから見るクセがある。
口から出る言葉は、愚痴や弱音や人の悪口が大半。
気が短く、苛立ちやすい。
神経質な性格で、細かいところまで気になる。
何事も悲観的に捉え、発想の起点はいつもマイナス。
努力が嫌いで、自分の不遇を他人のせいにしがち。
忍耐力がなく、楽な道ばかりを探している。
愚痴っぽく、弱音ばかり吐いている。
根性がなく、何事に対しても弱腰。
理性を欲望が支配している。
臆病で、チャレンジ精神に欠ける。
内向的で暗い。
人に厳しく自分に優しい。
利己主義、自己中心、ワガママetc・・・
人に対して、良心どころか悪い思いばかりを抱き、親切にするどころか親切にされないことに不満ばかりを抱き、同情心は薄っぺらく、慈愛の精神よりも自愛の精神の方が旺盛。
・・・と、短所は尽きない。
ブログでは偉そうな理想論を展開しているけど、実態はその程度なのである。

では、長所はどうだろうか・・・
仕事はちゃんとやっている。
社会的な義務は果たしている。
人に迷惑をかけないように心がけている。
それなりの責任感と使命感は持っている。
・・・って、いくつかは挙がるけど、これって“長所”と言えるものだろうか・・・どうも“長所”という感じがしない。
“長所”って、もっと性格や性質に近いところにあるものを指すのではないかと思う。

そんなことを考えているうちに、あることに気がついた。
自分の長所がわからない私の長所とは、“自分の短所がわかること”なのではないかと・・・
つまり、“自分の短所を短所として理解していることが、自分の長所”ということ。
更に、考えを進めていくと、“自分には、自分が知る短所の分だけ、自分が知らない長所がある”というところに至った。
結果、“こんな私にも、結構な長所がある”という結論が導き出された。
算数や数学では習わない方程式だけど、そう考えると、沈む一方の気分が浮きはじめ、良い意味での開き直りにも似た気持ちの軽さを覚えるのである。


世の中、鼻につくことは多い。鼻につく人間も多い。
自分の短所が鼻につくこともある。
しかし、そこで気分を沈めてばかりいては能がない。
ここに大切なことがある。
“鼻につく”のは、臭覚が機能している証拠。
それは、悪臭を遠ざけ、芳香に向かうチャンスを与えてくれる。
更には、自分が、自分に対して・人に対して・社会に対して芳しい香りを放つ存在になれるかもしれない。
そして、それは、その人の大きな長所となり、人生に収穫をもたらす種になるのではないかと思う。
自分に誇れる種に・・・

ブログに好感を持ってくれる人がいるからといって、 “自分は、人や社会に良い匂いを放つことができている”と驕ってはいけない。
ブログに肯定的なコメントをもらうからといって“自分は、人や社会に芳しい香りを放つことができている”と高ぶってはいけない。
ブログに理想論が書けるのも、私に短所が多いから・・・
理想と現実、理想と実態のギャップが大きいから・・・
私は、よくも悪くも“ウ○コ男”・・・真の芳香は醸せない者なのである。
ただ、この仕事が私の宿命なら、いつかは、“たまには良い匂いのするウ○コ男”くらいにはなってみたい・・・
・・・それを志す生き方も悪くないと思っている。

そして、今、こうして不快臭(理想論・偽善性)を放ちながらも、もう一人の自分と読み手の誰かが、その中にあるかもしれない芳香を嗅ぎ分けてくれれば幸いだと思っている。








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やめられない とまらない

2010-04-08 16:35:35 | Weblog
酒だね。
これが、やめられない・とまらない。
飲まずにいられるのは体調や心調が悪いときくらいのもので、休肝日なんて、それこそ新聞の休刊日くらいの日数しかないかもしれない。
特に、激しい労働をした日は“自分への御褒美”で、酒量が増してしまう。

前にも書いたが、最近のマイブームはウイスキー。
相手は、安モノばかりをだけど、それでも美味い酒はいくつもある。
費用対効果(値段と味のバランス)がいいのは、ディスカウント酒屋で買う12年モノの輸入スコッチ。
これを、酒屋の主人のアドバイスを元に、品定めをするのだ。

ただ、そんなウイスキーにも難点はある。
脳が強くやられるのだ。
他に酒だと、酔ってもそこそこの思考を働かせることができるのに、何故か、ウイスキーは脳が思うように働かない感じがする。
ただの飲み過ぎ? 酔っぱらいの気のせい? 科学的根拠はない?・・・でも、そんな気がしてならない。
そんな具合だから、ウイスキーは一人飲みのときに限る。
誰かと飲んでてハメが外れてしまったら、自分が困ることになるので。

やめられない・とまらないものの一つには、仕事もある。
仕事は、やめたくてもやめられない。とめたくてもとめられない。
嫌でも好きでも、生きてくために仕事は必要だから。
しかし、それがわかっていても「やめられるものならやめたい」という雑念が消えない。
大きな感謝と小さなプライドを持ちながらも、そんな思いが頻繁に頭を過ぎる。
・・・感謝と葛藤が交錯する毎日である。

そんな私でも、与えられた使命と責任は軽んじていないつもり。
そんなスタンスが見て取れるのか、たまに、人から、「その仕事は、貴方に向いている」と、褒められているのかそうでないのかよくわからないコメントをもらうことがある。
そう言われて、嬉しいような悲しいような、複雑な思いがする私だが、確かに、後先や回りのことを考えず作業に熱を入れてしてしまうことがある。
「依頼者の期待に応えるため」と言えば聞こえがいいが、それさえも眼中に入れず、ひたすら自己満足を求めて作業することがあるのだ。


「また、でちゃってさぁ・・・」
特掃の依頼が入った。
電話をしてきたのは、建築会社の担当者。
それまでに何度が共に仕事をしたことがあり、また、同い年ということもあって、フランクに話せる相手だった。

「とりあえず、見ないとダメでしょ?」
仕事を始めるうえで、現地調査は欠かせない。
その要領を心得ている彼は、私が現地調査を打診するまでもなくそれを理解していた。

「鍵は開けてあるから、都合のいいときに見てきてよ」
日時を指定されず、しかも、鍵まで用意されている現場はとても動きやすい。
私の動き方を知っている彼は、気を利かせてくれていた。

「どうせ内装はリフォームするから、うちの職人が入れるくらいまで掃除してくれればいいからさ」
最終的には、彼の会社の内装工事をもって原状を回復させるとのこと。
特掃をもって原状回復させなくてよいことに、重くなりかけた私のプレッシャーは軽くなっていった。

「凄いことになってるから、気をつけてね」
彼が言う“凄い”の意味を計りかねたが、百戦錬磨(?)の私は、たいして気にならず。
“故人が倒れていた場所はトイレ”“死後一ヶ月”ということだけを確認して、その他の状況は訊かず電話を済ませた。


出向いた現場は、一般的なアパート。
指定された部屋は、二階の一室。
外から見える窓を見上げると、そこには無数の動く黒点。
百戦錬磨(?)の私は、動く黒点にも心を動じさせることなく、脇の階段を駆け上った。

玄関前に立った私は、片方の手に手袋を装着。
そして、ドアノブを回してみた。
すると、打ち合わせ通り、ドアに開錠されている様子。
私は、片手のマスクを口鼻に強く当て、ノブを掴んだ方の手でドアを引いた。

「失礼しま~す」
出迎えてくれたのは、空を乱舞する無数のハエ。
しかし、そのハエらは私を歓迎していない様子。
そんなハエらに挨拶しても仕方ないのだが、私は、いつものクセで一声かけ、中に上がり込んだ。

「トイレは・・・どこかな・・・」
私は、頭上を飛び交うハエを掃いながら、故人がいたトイレを目指して、一歩・二歩と前進。
トイレの扉を見つけた私は、心の準備を整える間もなく、ハエに追い立てられるようにその扉を開けた。

「オイオイ・・・」
白いはずの便器は、まるで、ソースやチョコレートを塗りたくったような様相に。
更に、壁面の四隅には、ウジが登ったことによって付着した腐敗脂が二等辺三角形に残留。
また、下を見ると、汚泥のような液体が床を覆い尽くし、その中を無数のウジが蠢くことによって脂に光が映り、それが不気味な光沢となって視覚に入り込んできた。

「これじゃ、職人は入れないわな・・・」
そこに一般の大工職人が入れないことは、一目瞭然。
仮に、入れても、ドロドロ・ベタベタのまま大工仕事ができる訳はなく・・・
“職人が入れるくらいの掃除でOK”“凄いことになってる”という彼(依頼者)の言葉が甦り、その言葉に納得した私だった。

「やりますよ!やりますよ!やればいいんでしょ!やれば!」
私は、誰に愚痴るわけでもなく、冗談めかして自分と会話。
因果な仕事をしている自分と、それを客観視する自分とを対比させて、一人苦笑い。
不謹慎かもしれないけど、気持ちが折れないようにするため、そんなノリを自分に持たせた。


これは、今まで何度となく書いてきていることだが、特掃作業においては、着手時からその後にかけて自分の心情に変化があるのが常。
着手時の相手は“汚物”なのだが、作業進行とともに、その相手は、人(故人)に変わってくる。
更に、特掃魂がヒートアップすると、その相手は自分に変わってくる。
そして、自分がやれるところ・自分が納得できるところに到達するまで・・・つまり、自分を満足させられるまで、作業の手がとめられなくなることがあるのだ。

本件のトイレ掃除もそう。
初めのうちは、汚物で手が汚れることにも強い抵抗感があった。
しかし、液体人間でドロドロになったスリッパやタバコ、眼鏡を拾い上げていくうちに、汚物が人(故人)に変化。
同時に、特掃魂に熱がこもり始め、そのうち、便器の中に手を突っ込んで腐敗粘土を掻き出すことも、顔に飛び散る腐敗液を肩で拭うことも、作業服を汚しながら這うことにも抵抗感がなくなっていった。

もちろん、生前の故人を想像したところで、その生活ぶりや顔・姿まで知ることはできない。
しかし、汚物となったものが間違いなく生きた人間であったことと、故人がそうなりたくてなった訳ではないことは容易に察することができた。
そして、そんなことを考えると、必然的に作業の手は止まらなくなり・・・
結果、便器が元の白色を取り戻すまで、何度も何度も磨き上げたのであった。


生きること・・・
これもまた、やめられない・とまらないものの一つである。
しかし、それが、“やめたいもの”“とめたいもの”になってしまうことが少なくない。

人生は、やめたくなくても、いつか、やめることになる。
自分の力を超えた自然の摂理によって、いずれ、やめさせられる。
生きる営みは、とめたくなくても、いつか、とまることになる。
自分の領域を越えた自然の摂理によって、いずれ、とめられる。

その時を「黙って待て!」とは言わない。
泣きながら、愚痴りながら、不満をたれながらでもいい。
とにかく、待てばいいのだ。心配せず。
待つことによって、少しずつ自分が生きている意味がつかめてくるから。
そして、人生の終わりは、自分が思っているほど遠いところにあるわけではないから。










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夢中旅行

2010-03-29 16:19:59 | Weblog
ここ2~3日、真冬に戻ったかのような天気が続いているが、東京では桜が咲いている。
桜は、咲くのもはやければ、散るのもはやい。一気に咲いて、一気に散る。
その華やかさが人々の心を惹きつけるのか、それとも、その儚さが人々の心を惹きつけるのか・・・
私も、満開に咲く桜に心を躍らせる一人。
更に、その後に残る独特の余韻も好き。
葉桜を見ながら満開の花を思い返すと、いい夢を見た後のような淡い美味が感じられるから。

私は、よく、人生を“現実という名の夢幻”“夢幻の思い出”等と表すが、それだけ、夢幻性を強く感じている。
ちょっとイッちゃってるように思われるかもしれないけど、この人生は、肉体という服を着て、夢の中を旅することのように感じているのである。


「おじいさん・・・」
目の前には、冷たくなって横たわる老年男性。
そして、その傍らには、連れ合いである老年女性が正座し、肩を落としていた。

「よろしくお願いします」
女性をはじめ、集まった遺族は皆、喪服姿。
当夜に通夜式を控えた故人は、柩に納められるのを待っていた。

「これを着せて下さい」
女性は、私に向かって一式の洋服と靴を差し出した。
それは、遺族が故人に着せたいとする服だった。

「天国で恥ずかしい思いをしたら可哀想ですから・・・」
目の前に横たわる故人は、くたくたのパジャマ姿。
女性は、故人をそのまま荼毘に付すことを、忍びなく思っているようだった。

「これなんですけど・・・」
用意された洋服は、結構な枚数。
広げてみると、上下の下着・靴下・チノパン・襟付きシャツ・ベスト、そして、一組のハイキングシューズだった。

「本人が気に入っていたものなんです」
故人の趣味は、ハイキング。
それに出かける際、愛用していた服だった。

「元気だった頃は、毎週のように出掛けてたんですよ」
ハイキングには、故人と女性は、各地の山や沢によく出掛けていたとのこと。
女性は、その思い出を嬉しそうに話した。

「着せられますか?」
遺体については素人の女性でも、生体と死体が違うものであることは分かっているよう。
キチンと着せ替えができるものかどうか、少し心配なようだった。


正確なデータを収集したわけではないが、我々のような専門の遺体処置業者(納棺業者)の手によって処置が施され納棺される遺体は、全体の20%程度だと思う。
では、それ以外の80%は誰が納棺しているのか?というと、そのほとんどは葬儀社や遺族の手によってなされていると思う。
専門業者が担った場合と、そうでない場合の一番の違いは、故人の外見。
手前味噌ながら、やはり専門業者の手をかけた方が、故人の見栄えはいい。
本人(故人)の心情は諮りかねるけど、遺族にとって、故人の見栄えは気になるところなので、そこに我々の必要性がでてくるのである。

遺体の着衣として最も多く用いられるのが経帷子。いわゆる、“死装束”とか“白装束”などと言われているもの。
そう・・・これまた感覚的な数値だけど、これを着る遺体は、上記20%のうちの90%台に達していると思う。
その大きな理由は、以下の三点だろう。

「宗教的背景」
“死人の正装”“極楽浄土への旅に必要な装束”という思想がある。
「業者の都合」
経帷子も葬祭商品の一つ。それを販売することによって、売上利益があがる。
「作業上の都合」
経帷子は、遺体に着せやすくするための工夫が施されている。そのため、寝たきりで硬直した遺体に着せやすい。

その結果として、上記のような%になっていると考える。
しかし、中には、本件の女性のように、違うものを着せることを希望する遺族もいる。
故人が遺言していたもの、遺族が着せたいと思うもの、生前の愛用品etc・・・
その場合は、やはり、遺族や故人の意思が最優先。
売上が上がらなかろうが手間がかかろうが、遺族(故人)の意思が尊重される。

そうは言っても、やはり洋服を着せるのには、一手間も二手間もかかる。
特に、浮腫みや腐敗によって身体のサイズが変わったり、重度の死後硬直があったりすると大変。
遺体やその手足を無理矢理にでも動かさなければならず、遺族に見せにくい場面もでてしまう。
結果、遺族の立会いをなくしての作業をせざるを得ないこともある。
それでも、遺族は、その仕事を非常に喜んでくれる。
それが、代金額では計れない仕事の価値。
世間の評価は低くても、遺族の評価が高ければそれでよし。
その開き直りと蓄積が大切なのだろうと思っている。


「随分、浮腫んじゃったわね・・・」
故人の足は、浮腫んで膨らんだうえに血色を失い・・・
女性は、故人の労をねぎらうかのように、その足を優しく摩った。

「靴は、無理そうね・・・」
故人の足は、生前のサイズをオーバー。
服は何とか着せたものの、靴は、とても履かせることができなかった。

「もう歩く必要ないから、靴は要らないか・・・」
“もう歩く必要ない・・・”
この言葉は、単に死を象徴するだけにとどまらず、私には、人生というものが何たるかを表しているように聞こえた。

「“人生は長い”と思っていたけど、過ぎてみると短いものね・・・」
平均寿命を基準にすると、故人の生涯は、決して短いものではなかった。
しかし、女性は、そう呟いて、悲しい場面にあって“笑み”ともとれる表情をみせた。


“過ぎてみると、人生は短い”“まるで夢のよう”
この類の言葉は、老年の人からよく聞かれる。
もちろん、若年者でも、このような心情を持つことはあるだろう。
しかし、心底、それを痛感する(悟る)のは、死期を悟ったときや死期を感じたときなのだろうと思う。
そして、苦悩や後悔は薄らぎ、懐かしさと愛おしさばかりが頭を過ぎるのだろうと思う。

しかし、今、人生は長く感じられてしまう。苦悩の時は特に。
“儚い夢”と簡単に片付けられない。
これは、時の価値を、心(本性)で捉えず、頭(理屈)でしか捉えていない証拠。
だから、いつまでたっても余計な思い煩いが、自分から抜けない。
これだけのチャンスが与えられているのに、生と死の先輩が教えてくれることが、自分に定着しない。

だから、私の足取りは重い。
私は、自分の、この人生を後悔している。先に不安も抱えている。
“もっといい人生があったのではないか”“もっと楽な人生があるのではないか”と、自業自得を棚に上げ、ぼやいてばかりいる。
しかし、幸いなことに、それがすべてではない。
私は、この人生(夢と奇跡)に感謝もしている。
時に、感動もある。小さいけど、プライドもある。
これらを、これからどのように育んでいくか・・・それが、これから期待されること。

この夢が醒めようとするとき、この夢から醒めるとき、私は何を想うだろう。
色んなこと、色んな想いが頭を過ぎるだろう。
ただ、その時は、苦笑いでもいいから、笑顔を浮かべたい。
そして、そうなるような生き方をしたい。
だからこそ、季節の桜に心躍らせ、葉桜にいい夢を見るように、この夢中旅行を少しでも楽しんでいきたいと思っている。







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比常識

2010-03-19 15:50:46 | Weblog
「ゴミを溜めちゃいまして・・・」
男性の声で、そんな電話が入った。
依頼の内容は、“そのゴミの片付けてほしい”というもの。
私は、この種の依頼でいつも訊ねることを、機械のように質問した。

「そちらで、やれます?」
電話の声は若い感じで、臆した様子はなし。
話しぶりも、ハキハキと軽快。
このような案件では、気マズそうにする人が少なくないのだが、この男性は、まるで他人事のように明るかった。

「親に、怒られちゃいまして・・・」
両親は、男性の常識のなさを嘆いて、酷く叱ったよう。
一方の男性は、一言も反論できないまま降伏。
渋々ながら、片付けざるを得なくなったのだった。

「うちが普通だとは思ってませんけど、誰にも迷惑かけてないはずです・・・」
近隣住民からの苦情がないか訊ねると、男性はそう返事。
誰にも迷惑をかけていないのに、“非常識!”と非難される・・・
落ちた声のトーンに、男性の気落ちがうかがえた。

現場は、男性の自宅。自己所有の一戸建。
実家近くに空いた親戚の家を、安く買い取ったものだった。
ゴミは、数年暮す間に溜まったもの。
食品ゴミ・飲料容器をはじめ、新聞雑誌・衣類まで、生活で使用するありとあらゆるモノが堆積しているようだった。

事前情報として一通りの話を聞いた私だったが、電話での聴聞だけでは見積はできない。
具体的な作業内容や費用を決めるには現地を直接調査することが必要である旨を伝え、その約束を交わしてから電話を終えた。


出向いたところは、街を離れた郊外。
区画整理された区域ではなく、田園風景の中、それぞれの家はポツリポツリと不規則に点在しているような地域。
その中の一軒に、男性の家はあった。

外観は、普通の一軒家。
築年数に相応した汚れや古びた感じはあれど、特段の汚損はなし。
ただ、昼間なのに全ての雨戸が閉められ、どことなく異様な雰囲気を醸し出していた。

私は、番地標識と掲げてある表札によって、そこが男性宅であることを念入りに確認。
それから、玄関脇のインターフォンを押した。
すると、男性は、間髪入れず玄関を開けてくれた。

「こんにちは・・・」
まずは、男性に挨拶。
男性も、愛想よく挨拶を返してくれた。
ただ、私と視線を合わせようとはせず、そこのところに、男性が抱える陰が見えたような気がした。

「早速ですが、中を見せていただけますか?」
挨拶を済ませた私は、男性の足元を確認。
靴を脱いで上がるべきか、履いたまま上がるべきか、判断する材料を拾った。

「失礼しま~す」
私は、男性が裸足であることを確認。
ともなって、ちょっとした抵抗感を覚えながらも靴を脱ぎ、中に上がり込んだ。

「なるほどぉ・・・」
中は、玄関からゴミだらけ。
床は一部たりとも見えておらず、ゴミ野は家の中に向かって広がっていた。

「なるほどぉ・・・」
“なるほど・・・”は、私の口癖。
黙ったままだと失礼だし、かと言って、コメントするにも困ってしまうような現場で重宝するつなぎ言葉なのだ。
私は、その言葉を何度も使いながら、歩を進めた。

「でも、それほどでもありませんね・・・」
ゴミは、そんなに高くは積もっておらず。
現場によっては、身を屈めないと中に入れないくらいにゴミが溜まっている部屋もあるので、私は、そう言って男性をフォローした。


もともと、男性は、実家で両親と同居。
子供の頃から20代まで、そうして生活していた。
しかし、30代になると、心境が変化。
将来設計を考えるようになり、実家からの独立願望が芽生えてきた。
そんな中で、実家近くにある親戚の家が空家に。
“絶好のタイミング”と、その家を買い取り、念願の一人暮らしを始めたのだった。

しかし、描いていた一人暮らしと現実の一人暮らしは違っていた。
掃除・洗濯・食事の用意・片付け・日用品の買い物etc・・・生活する上での雑用はすべて自分一人でやらなければならず・・・
最初のうちは頑張ってやっていたが、そのうち、面倒になり・・・
結果、掃除・洗濯・片付けの類を一切やらないことが、男性の生活スタイルになってしまった。

弁当容器・空缶・ペットボトル等は、用が済んだら部屋に放置。
そうして、食事のたびに、ゴミは増えていき・・・
衣類も繰り返し着て後、汚れて着られなくなったら部屋に放置。
そうして、新しい衣類を買ってくるたびに、古いものはゴミとなり・・・
新聞・雑誌も、読み終わるとそのまま部屋に放置。
そうして、新聞紙は、ゴミとして、毎日確実に増えていき・・・
結果、“悠々自適”なものと思っていた一人暮らしは、“憂々自敵”の状態に。
床は次第に姿を消し、ゴミは厚さを増していったのであった。

現地調査から数日後、家の中はきれいに片付いた。
ゴミらしきゴミは全て撤去搬出され、所々にわずかな汚染痕が残るだけとなった。
しかし、男性はどことなく浮かない感じ。
ゴミが片付いてスッキリした反面、触られたくなかった内面まで否定され、ゴミと一緒に片付けられてしまったように感じたのかもしれなかった。


男性の生活ぶりは、“非常識”なものだったかもしれない。
多分、多くの人はそう感じるだろう。
この私も、無意識のうちに男性のことをそう見ていたように思う。
しかし、男性は、ゴミを溜めたことによって誰かを不幸にしたわけではなかった。
借家でもなく、異臭を漏らし、また、外にまでゴミを放置して地域の景観を損ねているわけでもなかった。
なのに、男性のような人は、“非常識”のレッテルを貼られてしまう。
世間一般が常識とするところから外れているだけ、もしくは、世間一般の価値観に合わないだけで。

人々を縛る“常識”とは、一体、何だろう・・・

長年の習慣が、常識になることがある。
人の良識が、常識になることがある。
多くの意見が、常識になることがある。

昔の常識が、今では非常識であることがある。
ある地域の常識が、違う地域では非常識であることがある。
ある人にとっての常識が、別の人には非常識であることがある。

物事を判断するうえで、常識は必要。
人を律するうえで、常識は必要。
社会をまとめるうえで、常識は必要。

しかし、常識を構成する人間は、小さい・・・
そして、常識は、社会的・歴史的な権威があっても、悠久の時のうえでは一時的・・・
極めて脆いものなのである。


今でこそ、少しは世に認知されるようになってきた私の仕事。
私が就業した十数年前は、業者数も少なかった。
特に、特殊清掃業者においては、つい2~3年前までは数えるほどしかなく、それに従事する人間も極めて少なかった。
だから、私の仕事は、世に珍しい職業とされていた(まだ、されている?)。
そのため、他人から奇異に思われたり、更には、他人に嫌悪感を抱かれたりすることが少なくなかった(ない)。
何人かの会食の席で、「その手(死体を触った手)で、自分が食べる物を触ってほしくない」とまで言われたこともある。冗談じゃなく、ホントに。
そんな具合に、非常識な人間のように扱われたこともあり、気落ちすることもあった(ある)。
しかし、いわれなく人に“非常識”のレッテルを貼り、蔑視し嫌悪感を抱くのは、他人ばかりではない
本件の男性に対して抱いた感情を思い出してみると、自分も同様であることに気づかされる。

人間(私)という生き物は、自分を標準とした常識をもって他人を測る傾向を持つ。
それなのに、自分が他人から同様のことをされると、著しい抵抗感を覚える。
・・・そんな自己矛盾を内包しているのである。
それでも、私は、自分のことを、人格や教養に欠けるところはあっても、常識には欠けていない“常識人”だと思ってしまっている。
それが、愚を通り越して滑稽なのか、滑稽を通り越して愚なのか分からないけど、何やら良からぬことであることには間違いがなさそうだ。


何はともあれ、こんな能書きをたれてても何も変わらない。
まずは、自分の常識を疑うこと・・・自分を常識ある人間だと思わないこと。
それが、真の常識人になるための第一歩なのだろうと思う。






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春近し

2010-03-09 15:07:11 | Weblog
一年に数万キロは走る私。
もちろん、“あっしの足”でではなく会社の車で。
そんな私は、「車に乗らない日は0」と言ってもいいくらい、車に乗っている。
そうしないと仕事にならないわけで、車や道具類は、仕事に欠かせない相棒なのである。
しかし、熟練スタッフ(←私のこと)でも、社有車を100%の占有できるわけではない。
特殊車両やトラックまで入れれば一台/1.5人くらいはあるけど、普通車両に限っては一台/2.5人くらいしかないから。
だから、時と場合によっては、自分が使う車がなくなっても他の人間に譲らなければならないこともあるのだ。

晩冬のある日。
その日の事情もそう。
すべての社用車は実作業が伴う現場にもって行かれ、現地調査だけを予定していた私が現場に行く術は、公共交通機関のみとなっていた。

地図で調べてみると、現場のアパートは駅から離れたところに所在。
しかも、そこは迷路のように道が入り組んだ旧市街。
“方向音痴+面倒臭がり”の私にとって、“電車+バス+徒歩”で現場に行くことは、極めて気の進まないことだった。

私は、現地調査の約束を確認するため、前日の夕方、依頼者の男性に電話。
そして、いつもは車を使うところ、翌日(当日)は公共交通機関を使って現場に向かうことを伝えた。
すると、男性は、私が男性宅の最寄駅まで行けば、そこからは、自分の車に私を乗せて現場まで連れていってくれるという。
どのみち、男性は、現場には自家用車で行くとのこと。
依頼者を“足”にすることに気が引けなくもなかったが、怠け心には勝てず。
結局、「遠慮しなくていい」という男性の言葉に甘えて便乗さえてもらうことにした。

翌日(現地調査の日)。
その日は、朝からあいにくの雨。
雪に変わるかと思われるくらいの冷たい雨が降っていた。 
私は、約束の時間に遅れないよう、早めに事務所を出発。
そして、男性宅の最寄駅に向かうべく、電車に乗りこんだ。

目的駅に着いた私は、案内標示と回りの景色から、自分がいる出口に間違いがないことを確認。
そして、男性宅に“お迎えOK”の電話を入れた。
それは、タクシーを呼ぶみたいなもの。
姿の見えない男性に対し、会話の中で私の頭は何度も下がった。
電話を切って後、私は、男性の車をすぐに見つけられるよう、死角のない場所に移動。
それから、教わった車種と色の車を探しながら数分を過ごした。

車の到着は、意外と早かった。
私は、運転席から笑顔で手を振る男性にペコペコと頭を下げながら助手席に乗り込んだ。
運転席でハンドルを握っていたのは、初老白髪の男性。
電話での会話で抱いていた通り、柔和で腰の低そうな人物で、足労をねぎらってくれたうえ、寒そうにしている私を見て暖房のレベルを上げてくれた。
一方の私は、恐縮しきり。
座り心地はいいはずの座席に座り心地の悪さを覚えながら、視線を外の景色に泳がせた。

男性と私は、電話では何度か話したことはあっても、顔を合わせるのは初。
しかも、歳も違えば、お互いの素性もロクに知らず。
タクシーなら後部座席に乗って黙っていればいいのだが、この場合、そういう訳にいくはずはなく・・・
狭い車中に、独特の気マズさが漂うのは覚悟していたが・・・
しかし、人生の先輩である男性の懐は深かった。
男性は、わざとらしさを感じさせない話術と重くない話題で会話をつなげてくれ、下手な返事しかできない私を相手にしながらも、場を保たせてくれた。

到着した現場は、一般的な1Rアパート。
アパートの前に車を止めた男性は、私に部屋の鍵を差し出した。
男性は、「色々と思い出してしまうので部屋には入りたくない」とのこと。
他人の私を一人で部屋に行かせることに葛藤がないわけではないようだったが、それでも、部屋には行けない様子。
そんな男性が、その内面に余程の心痛を抱えていることを察した私は、愛想よく返事をして車を降りた。

部屋は、お世辞にも「きれい」とは言えない状態。
しかしながら、中年男性の独居部屋としては並の状態。
依頼の内容は、家財生活用品の処分と簡単なルームクリーニング。
さして凝った調査はいらない。
私は、その作業を見積もるために必要な情報を、一目で収集。
荷物の種類と量、そして部屋の汚れ具合を大まかにメモに落とし、現場見分を終えた。

現場での用事を終えた私は、会社への帰途につくことに。
男性も、寄り道せず帰宅する様子。
拾ってもらった駅まで送ってもらうことに抵抗は少なかったが、男性は、その駅ではなく、私の帰りやすい路線の駅まで送ってくれるという。
そこまではかなり遠く、さすがに申し訳なく思った私は、それを固辞しようとしたが、人の親切心は簡単に遮断できるものではなく、また、そこに何か違う意図も感じたので、結局、男性の好意に再び甘えることに。
来たときと同じように、私は、ペコペコと頭を下げながら助手席に乗り込んだ。


亡くなったのは40代の男性。男性の息子。
死因は、薬物を過剰摂取したことによる中毒死。
それは、解剖検査によって明らかになった死因だった。

故人は、30代の頃、頚椎ヘルニアを罹患。
医師からは手術による治療を提案されたこともあったが、それは一つの賭け。
完治する保証はなく、逆に、身体が不自由になるリスクがあった。
故人も両親も悩んだが、結局、手術を受ける決断ができないまま、故人は歳を重ねていった。

主な症状は、首から背中にかけての痛み。
更に、頭痛。
酷いときは、身の置き場を失うくらいに痛むこともあった。
それでも、故人は、鎮痛剤を飲みながら仕事を続けた。
しかし、奮闘の甲斐なく、薬は痛みに負けるように。
そして、それは、仕事にも悪影響を及ぼすようになってきた。
結果、故人は、長年勤めていた会社を、自己都合退職という名のもとに解雇されてしまった。

故人は、無職になったのを機に、鬱病を発症。
そして、紆余曲折の末、妻とも離婚。
それから、持て余すことが明白な家を手放し、実家(男性夫妻宅)近くにアパートを借りて一人暮らしを開始。
心機一転をはかったものの、ヘルニアも欝も目に見えた治癒を得られないまま、数年の時が過ぎていった。

そんなある日の夜、故人は119番通報。
「苦しい!」「助けて!」と、救急車を呼んだ。
しかし、救急隊が駆けつけたときは意識不明で虫の息。
担ぎ込まれた病院で、そのまま帰らぬ人となってしまった。

依頼者は、故人の父親で70代の男性。
減っていくばかりの貯金と企業戦士の恩給である年金を支えに、ささやかながらも、悠々自適な老後生活を送っていた。
しかし、息子(故人)が仕事を失ったことをきっかけに、生活は一変。
男性夫妻の生活は、息子の生活を支えるためだけにあるようなものになってしまった。

「“何度もうちに来い(同居しよう)”って言ったんですけど、息子の方が嫌がりまして・・・」
「一人息子でしたから、甘やかして弱い人間に育ててしまったのかもしれません・・・」
男性の言葉は、“後悔”ではなく”諦め”のニュアンス。
そこに、やり直しのきかない人生に対する人の限界が見えたような気がした。

「痛みを我慢して頑張ってたのに・・・」
「会社なんて、冷たいものですね・・・」
男性の語気には、信頼する誰かに裏切られたかのような悲壮感があった。
そして、冷たいのは会社だけではなく社会もそうであることは、私が言うまでもなかった。

「身体を調べたら、一つの薬の成分が大量にでてきたそうなんです」
「どうなるか自分でもわかって飲んだんじゃないでしょうかね・・・」
男性は、故人が自死を図ったものと思っているようだった。
しかし、それを選んだ故人を非難する気持ちは微塵もなさそうだった。

「私達夫婦も老い先短いですから、息子の方が先に逝ってくれてよかったのかもしれません・・・」
「私達の方が先に逝って、息子一人が残っても困りますでしょ?」
男性の口からは、切ない言葉が・・・
しかし、それは、私ごときが否定できるほど軽い話ではなかった。

「首の痛みからも、生活苦からも解放されて、本人は楽になれたと思います」
「そう思うしかないでしょ!!」
穏やかに話していた男性は、最後に語気を荒げた。
その心情が痛いほどに伝わってきた私は、男性の顔を見ることはおろか、返事をすることさえできなかった。

「暖かくなれば、また、気分も変わってくるでしょう・・・」
「春も近いですからね・・・」
車を降りるとき、男性は最初に会ったときと同じ笑顔を浮かべていた。
そして、同じように手を振り見送ってくれた。


白い息の向こうに見上げる空は灰色。
そして、地上には冷たい雨。
駅のホームに佇む人々は皆、辛そうな顔をして肩をすくめていた。
しかし、そんな冬にあっても、人々は信じて疑わない。春が来ることを。
大切なのは、その疑わない心を、信じる心を、携えること・・・
それを、自分の生きる道に携えて行くことではないだろうか。

私は、男性(依頼者)に来るべき春と、故人(息子)が過ごした春に想いを馳せながら、そんなことを考えた。
そして、冷たくなりがちな明日を温めるのであった。






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足跡

2010-03-01 11:41:30 | Weblog
「一月は行く」「二月は逃げる」「三月は去る」
これは、時の移ろいのはやさを表す言葉。
ただ、実際は、どんな場合でも、そのスピードを変えることはない。
同時に、誰に対しても平等。
“時”は、時に優しく、時に厳しい。時に温かく、時に冷たい。不思議なものである。

私の場合、一月はやたらと長く感じた。
ダラダラと過ごしてしまったからだろうか、二月に入って“やっと一月も終わったか”と思ったくらい。
その二月も早々と過ぎ、もう三月。
晴れても曇っても確実に時は過ぎ、泣いても笑っても確実に歳は重なる。

先月、首都圏は二度、大きな雪が降った。
初雪だったのかどうかはわからないけど、二月一日は今季初の積雪があった。
その日は、朝から曇り空。
そして、午後からは冷たい雨が降り出した。
夜のなると、その雨は雪に。
私は、夜更けとともに強さを増す雪に翌日の足元を心配。
“降るのはいいけど、あまり積もらないでほしいなぁ・・・”と、深々と降り続く雪を窓越しにしばらく眺め、そして、冷えた身体を冷たい布団にもぐり込ませた。

明くる二日の朝、外は薄っすらと雪景色。
雪は未明にやんだようで、道路に見えるアスファルトに一安心
私は、素手に雪を取り、顔のないミニ雪だるまをつくった。
そして、一時的に甦った童心が、憂鬱に足を重くする私の背中を押してくれ、私は雪に軽快な足跡をつけながら会社へ向かったのであった。


“あまり積もらないでほしい”
この感覚は、いつからのものだろう。
“たくさん積もってほしい”
子供の頃の私は、そう思っていたはずなのに。

大人が見向きもしないようなことに、子供は、はしゃぐ。
大人が感じ得ないことを、子供は感じる。
大人が気づかないことに気づく感性を持ちながら、大人が知るべきでなかったことには興味を持たない。
世を渡るための技術や知識は大人ほど持たないけど、今を謳歌する知恵は大人より持っている。

決定的に違うのは、笑顔の大きさとその数。
無感情・無表情の大人に対して、子供は、感情も表情も豊か。
腕力は弱くとも、財布の中身は乏しくとも、大人より豊かな何かを持っているのだと思う。
そして、こん自分も、かつてはそうだったはず。
そんな時分が、確かにあったはずなのである。


特掃の依頼が入った。
依頼者は、中年の女性。
亡くなったのは、女性の父親。
故人は、一人暮らしのアパートで自分の腹を刺したのだった。

女性は、現場から遠く離れたところに居住。
それまで一度も現場には行っておらず、遺体を荼毘に付すまでの一切は、現場近くに住む親戚に任せていた。
また、“今後も現場に行く予定はない”とのこと。
それは、故人の縁者として無責任な行動のようにも思われたが、その暗く力ない語り口からは、“行かない”のではなく“行けない”のであることがヒシヒシと伝わってきた。
そして、そんなやりとりの結果、私は、不動産会社から鍵を借りて単独で部屋を見分することに。
女性に、部屋への立ち入りを無条件に了承してもらい、現地調査予定の日時を決めた。

現地調査の日。
着いたところは、あちこちの旧市街にありそうな古い木造アパート。
そこの、陽の当たらなそうな一階に、目的の玄関はあった。
私は、手袋をはめた手でドアをノック。
返事がないことを確認して後、鍵を鍵穴に挿入した。

玄関ドアを開けると、その先は薄暗い台所。
その床は、全体的に黒色。
一歩入って蛍光灯をつけると、その黒ズミはわずかに赤味を帯び・・・
それは単なる生活汚れではなく血・・・
それが、独特の異臭をともなって床一面に広がっていた。

よく見ると、血痕は、濃淡のある鱗模様。
更によく見ると、“鱗”一つ一つは足のかたち。
その黒赤は、自然に広がったものではなく、作為的に広げられたものであることは明らか・・・
故人は、流れ出る血を部屋中に染み付けながら徘徊したようであった。

自分で自分の腹を刺し、血を流しながら部屋を歩き回る・・・
その様を思い浮かべると、とても正気の沙汰には思えず・・・
故人は、何かを訴えようとしていたのか・・・
何かを残そうとしていたのか・・・
思慮の足りない私には、到底、その足跡を読むことはできず、ただ正気を失った故人を想像することしかできず・・・
私は、溜息も吐けないほどの息苦しさに顔を歪ませて立ち尽くすのみだった。

血痕は、あまりに広範囲。
木部には、しっかり浸透。
しかも、故人の生死がリアルに感じられる足跡。
そんな部屋の清掃作業が、困難を極めたことは言うまでもない。
また、その精神労働が、重いものなったことも言うまでもない。
それでも、できる限りのことはやらなければならない。
私は、力の入らない身体を引きずって作業に従事。
一つ一つの血足跡を消しながら、そこに至った故人の人生と、その場に至った自分の人生に想いを廻らせた。

血の足跡を残して逝った故人に対し、その足跡を消す役回りとなった自分。
その出逢いの妙と接点もまた、私の人生に残る足跡。
故人が意図したことではないにしろ、命がけで教えてくれることが私の人生に足跡となって残る。
そして、その足跡に自分自身の足跡を重ねて、次に踏み出すべき一歩を定めていくのである。


「汗にまみれ・泥にまみれながら歩く人生に、何の価値がある?」
「涙を流し・血を流しながら這いずる人生に、何の意味がある?」
「冷たい雪の上を歩くような人生に、何故、耐えなければならない?」
人が、また自分が、私に問う。
非力の私には重すぎる、薄識の私には難しすぎる問いだ。

「幸せになることは権利かもしれないけど、生きることは権利ではない」
「生きることは義務であり、人には生きる責任がある」
「価値があるから生きて(生かされて)いる」
「意味があるから生きて(生かされて)いる」
死体業を何年やっていたって、何年考えたって、この程度のことしか言えない。
だから、結局、“個人的な思想哲学・死生観・宗教観”と片付けられてしまうのだろう。
平々凡々と歩いているつもりはないのだが、所詮は、平々凡々と歩いているのか・・・
苦悩する人、また自分を支えられるほどの答が得られていないことに、悔しさを越えた虚しさがある。

ただ、時は過ぎる。
喜びにも悲しみにも、そのはやさを変えることなく・・・
だから、生き急ぐことはない。答を急ぐ必要もない。
たまには立ち止まって、自分が歩いてきた道程を振り返ってみるといい。
とりわけ、子供の頃のことを思い出してみるといい。
すると、冷たい雪の上にも温かい足跡をつけていた自分が甦ってくる。
そして、過去の自分が今の自分に笑顔をくれる・・・今の自分を元気づけてくれる。

そこから、生きるための答は導けないかもしれない。
しかし、生きることのヒントは導くことができると思う。
そして、そんなヒントを拾いながらの歩みは、明日の誰かに・未来の自分に笑顔をもたらす足跡となるのだろうと思っている。





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霊義知らず

2010-02-20 15:58:38 | Weblog
「こんな話をしたら、笑われるかもしれませんけど・・・」
ある日の夕方、中年男性の声で電話が入った。
一風変わった前置きに、野次馬(私)は耳を欹てた。

話の中身は、勤務する会社でトラブルが頻発して困っているというもの。
当社は、特殊清掃や遺体処置だけではなく、他にも色んなサービスを提供しているが、その中に企業のコンサルティング業務は入っていない。
“電話するところを間違ってないか?”と思わなくもなかったが、心に放牧している野次馬が話の続きを聞きたがったので、とりあえず最後まで聞いてみることにした。

男性は、準大手企業の部門責任者。
管理職として働いていた。
そんな社員の尽力もあってか、会社の業績は上向きに。
ともなって、使っていたオフィスは手狭に。
結果、更なる飛躍を目指して、一等地に建つ広いオフィスに移転した。
しかし、期待に反し、新しいオフィスではトラブルが続発。
病気で休職する者がでたり、後ろ足で砂をかけて退職する者がでたり、また、それまでにはなかったような顧客クレームも発生した。
結果、好調だった業績は下向きに。
ほんの一年足らずの間に、事業は、拡大どころか縮小が視野に入ってくるまでに一変した。

中間管理職の宿命か・・・そんな中で、男性は、上からも下からもプレッシャーをかけられ、ノイローゼ気味に。
それでも、苦境を打開すべく、問題の原因に心当たりがないか暗中模索。
そうして考えているうち、頭の中に一つの事が浮上してきた。
それは、入居時、このオフィスに掲げてあった神棚。
業績不振によってこのオフィスを出て行った前の会社が、そっくりそのまま残置していったもの。
男性は、それを“縁起が悪い!”として嫌悪。
迷うことなく、部下を使ってゴミ同然に処分したのだった。

それまでは気にも留めていなかった神棚なのに、一度気になりだすと収まりがつかず、そのうちそれが憂鬱の種になり始めた。
しかも、取り外し処分の実作業をした二人の部下は、一人は病気休養、もう一人は仕事のミスに端を発した冷たい人間関係に耐えられず退職。
そんな事象も手伝って、神棚を災難の原因とする気持ちが強固なものになっていった。
そんな中で、男性は“自分では手に負えない”と判断し、当方に相談の電話をかけてきたのであった。

目に見えるモノに手をつけることによって、目に見えないモノが動くことはよくある。
“遺品を整理することによって、遺族の気持ちも整理される”
“遺体をきれいに処置することによって、遺族の悲哀が癒される”
“部屋を特掃することによって、遺族が落ち着きを取り戻す”
等といったことは、その典型例。
しかし、最初から目に見えないモノを動かす目的をもった仕事は、私が責任を負えるものではない。

「申し訳ありませんが、お役に立てることはないと思いますよ・・・」
「捨てた神棚に原因があるとは思えませんし・・・」
「仮に、私どもが手を施したとしても、それでトラブルが止まる保証もありませんから・・・」
一通りの話を聞いた私は、“これは、請け負える仕事ではない”と判断。
申し訳ない気持ちをもちながらも、男性の依頼を断った。

「やっぱり、ダメですかぁ・・・」
「そりゃ、そうですよねぇ・・・」
「変なこと相談して、申し訳ありませんでした」
男性は“ダメもと”で電話をしてきたのだろう、私の返答をすんなり受諾。
未練はありそうだったけど、それ以上は粘ってこなかった。


私は、本件の原因が神棚にあるとは思っていない。
またそれに限らず、どこの仏壇にも、位牌にも、遺骨にも、御守にも、神社仏閣にも、墓にも、その類のあらゆるものにも、そんなパワーがあるとは思っていない。
また、多くの人が拝んだり、強く念じることによってパワーが宿るようなものでもないとも思っている。

今の私は、そんなこと信じてはいない。
だから、無意識にやっているかもしれないことを除いては、縁起をかつぐことはない。
仕事上の作業として求められるとき以外、仏壇や神棚や墓を拝んだりすることもなければ、
神社仏閣に詣でることもしない。
六曜や占いの類、風水も信じない(金の力と女性の涙は、簡単に信じちゃうんだけどね・・・)。
また、仕事に取り組むにあたっても、数珠・清塩・御守などといった物を必要としない。
・・・いつも“丸腰”なのである。

しかし、昔は違った。
御守・運勢・占い・風水・神社仏閣etc・・・、自分を守ってくれそうなもの、自分を良い方向に導いてくれそうな雰囲気を醸しているものには、積極的に飛びついた。
“そんなモノに力はない”と、薄々気づいていながら・・・
そう言えば、20代半ばの頃には、腕に数珠ブレスレットをつけていたこともあった。
今にして思うと、その動機は極めて不純。
“故人(供養)のため”とは表向きで、実際は“祟られない(保身の)ため”。
もしくは、遺族や関係者に対して自分を善人っぽく・プロっぽくみせるためのアクセサリー。
突き詰めて考えてみると、ただの薄っぺらい自己満足でしかなかったように思う。

遺族や遺体発生現場の関係者から「供養(除霊)した方がいいですかね?」なんて質問を受けることは珍しくない。
しかし、私は、「責任がとれないので・・・」と明言を避けている。
そして、「自分が持つ死生観や宗教観に従えばいいのでは?」とアドバイスする。
しかし、実際、特別な死生観・宗教観を持っている人は少ない。
だから、無責任でも薄識でも私の返答を欲しがる。
そんな人には、個人的な考えであることを念押ししたうえで、「(供養・除霊の類は)やる必要ないのでは?」と言っている。
私は、地上(人力)の範疇にない霊とか魂とかを、地上(人力)で始末しようとすることは“無意味”というか“ナンセンス”というか、不躾なことのように思えて仕方がないから。
もちろん、それによって残された誰かが癒されたり、それが誰かの人生をプラスに転じさせるきっかけになるのなら話は変わってくると思うけど、しかし結局、それは故人のためではなく自分のためということになるのである。

霊を始末しようと考えるのは、恐怖感や嫌悪感の現れ。
仏教的な言い方になるけど、成仏や冥福を願うことは一次的なもの。
やはり、その根底に、恐怖感や嫌悪感があることは否めない。
恐れ嫌っているのは故人ではなくその“死”なのだろうけど、自分の死と故人の死を勝手に関連づけて、知らず知らずのうちに故人に無礼を働いていないだろうか。

私は、そんな感情を抱くことを否定しているのではない。
死に関連する事態や事象を忌み嫌うのは人の本性であり、極めて自然なことだから。
ただ、思う。
「意識の中にある利他は、無意識の中にある利己がそう装って(偽って)いるだけのものではないか?」
「意識の中にある慈愛は、無意識の中にある自愛がそう装って(偽って)いるだけのものではないか?」
と。

もちろん、今、明確にその答が出せているわけではない。
ただ、そんな想いを集約させていくと、“丸腰”になるしかなくなったのである。
それでも何ら問題ない。
何かに祟られるとか、何かに呪われるとか、妙な現象に遭遇するなんてことはないし(ただ、自覚できていないだけかもしれないけど・・・)。
また、アノ世に連れて行かれてもいない(“今のところ”だけど・・・)。

私にとって、故人の霊(※有無の議論はさて置き)は、恐るべき敵ではない。
この表現は誤解を招きやすいが、あえて言うなら“お客”。
お客というのは、ある意味で怖い存在ではあるけど、だからといって無礼を働く対象にはなり得ない。
これは、この業種に限ったことではないはず。
結果、丸腰は、私の流儀でありながら、故人に対する礼儀のつもりでもあるのである。

遺産相続・責任分担・相互利害etc・・・遺族vs遺族、遺族vs第三者、第三者vs第三者etc・・・
人間関係に人の死が絡むと、対立構造が起こりやすくなる。
そして、対立する人間関係では、誰かへの礼儀が誰かへの無礼になることがある。
そんな渦中で仕事をしなければならない私は、“誰(何)を優先して礼儀を守るか”“誰に対しての礼儀を優先すべきか”、難しい選択を迫られることもしばしば。
だから、自分では、礼儀正しく仕事に取り組んでいるつもりでいても、知らず知らずのうちに“礼儀知らず”になっていることがあるかもしれない。

その様に、現実社会においては、時々の事情によって礼儀を守る対象を臨機応変に変えざるを得ない場合が多々ある。
ただ、どんな局面にあっても大切にしたいのは、自分に対する礼儀。
自分の良心に対して礼儀を守ること・・・心に宿る良心を裏切らないことが、すべての礼儀に通じる基なのではないかと思っている。







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±Goal

2010-02-12 07:24:02 | Weblog
受験シーズン真っ只中。
寒い冬でも、10代の子供達は熱い戦いを繰り広げていることだろう。
小・中・高・大、少しでも偏差値の高い学校を目指し、子供(若者)達はしのぎを削る。
友人という名の敵と、また、子供らしく生きたがる自分と戦い続ける。
“自分がやりたい仕事”ではなく、“大人が決めた仕事”に就くことをゴールにして・・・

私も中・高・大と受験経験があるが、上にあがるに従って偏差値は落ちていった。
努力することが苦手な私は、コツコツと勉強することができなかったのだ。
そのせいで、今、こういう有様になっているのである。
自分の耳にタコができるほど、親が口を酸っぱくして言っていたことが、この歳になって身に染みてくる。

「お前、ゴールを間違ったよな!」
友人からも、そう言われたことがある。
しかし、不快感はない。私自身が痛感していることだから。
それよりも、裕福でない中、我慢と辛抱を何層にも重ねて教育を受けさせてくれた親に申し訳なく思う気持ちの方が大きい。

しかし、これもまた人生。
本意だろうが不本意だろうが、人生は一度きり。
「これが俺の定め」と、いい意味でも悪い意味でも開き直っている・・・
イヤ・・・そうして笑い飛ばさないと、やってられないのである。


ある月の中頃、男性の声で電話が入った。
その口調は控えめで、それは、男性がまだ若いことと、何かしらの心配事を抱えていることを伺わせた。
一方の私は、例によっての事務的口調。
それは、“どんな話でも聞きますよ”といったスタンスの表すもの。
私は、男性が話しやすいよう、ちょっと明るめの雰囲気を醸しだして抑揚のない返事を心がけた。

男性の話はこうだった・・・

一人暮らしの父親が、アパートで孤独死。
発見時は、2~3日が経過。
亡くなっていた場所は浴室。浴槽の中。
幸い、追い焚き機能は作動しておらず、煮炊状態は免れた。
ただ、皮膚は剥がれ、浴槽の水はコーヒー色に変色。
同時に、独特の異臭が発生し、目と鼻と精神は並々ならぬ衝撃を受けた。

身内として、その状態を放っておくわけにはいかない。
男性は、自分の手で、家財生活用品を処分。
それから、部屋の清掃も、できるかぎりやった。
また、“浴室のニオイも掃除すればなくなる”と考えて、浴室の清掃も敢行。
しかし、その異臭は、何度洗っても・繰り返し拭いても消えなかった。

不動産管理会社は、故人が室内で孤独死したことを把握済み。
ただ、“大事にしたくないので、部屋を普通の状態にして返してくれればそれでいい”と、原状回復を男性に一任。
特段の苦情を寄せることもなく、部屋の引渡し期日までは黙認する構えをみせた。

部屋の賃借期限は、当月末。
期日を延期すると、不動産会社にいらぬ不審感を持たれるかもしれず・・・
かと言って、異臭が残った状態で引き渡せるわけもなく・・・
男性は、予定どおり部屋を明け渡し、同時に父親の死も自分の気持ちもキチンと整理したいようだった。

特掃においては、“見た目にはきれいになっても、ニオイがとれない”なんてことは非日常茶飯事。
掃除することより、消臭することの方がずっと難しかったりする。
しかも、対象は、私が苦手(得意?)とする汚腐呂。
煮られていなくても、人が湯(水)に2~3日も浸かっていれば、それなりに汚れる。
私は、それまでの経験から似たような事例をピックアップして頭に想像。
そして、自分がこなしてきた作業と、父親の死を負いながら汚腐呂を掃除した男性の心労・労苦を重ねて、特掃魂の温度を上げていった。


現地調査の日。
都合が合わなかった男性は、現地に来ず。
鍵はポストに隠してあり、私は、それを使って玄関を開錠。
そして、誰もいるはずのない室内に小声で挨拶し、足を踏み入れた。

話に聞いていた通り、家財生活用品の類はすべて処分され、部屋は空っぽ。
清掃も行き届いており、部屋の隅々から窓・流し台、換気扇のプロペラにいたるまでピカピカ。
それは、不動産会社や大家の心象を少しでも良くしようと男性が努力したことを表しており、私の特掃魂は更なる熱を帯びてきた。

しかし、見た目はきれいでも、室内には、軽い異臭が残留。
それは、やはり、普通のアパートには有り得ないニオイだった。
続いて、浴室の扉を開けると、異臭はその濃度をUP。
それは、やはり、一般の人には嗅がせられないニオイだった。
この消臭作業が、一朝一夕にいかないことは既に明白。
私は、目指すゴールに向かうために必要なプロセスを頭の中に探しながら、浴室のあちこちに鼻を近づけた。

一通りの調査を終えた私は、外に出て小休止。
見上げる空は青く広がり、風は冷たくも日差しは暖かく、平穏で気持ちのいいひとときが私に与えられた。
そんな中で頭に過ぎるのは、生と死。
過去の夢幻性、今の不思議、不確実な将来と確実な死・・・
自分は、どこから来て、どこに向かっているのか・・・
作業のプロセスを組み立てる必要があったのだが、例によって、仕事のことはそっちのけで、そんなことばかりが頭に浮かんでは消えていった。

その日の夜、私は依頼者男性に電話。
そして、現場を観察した結果とその対策を、素人の男性でもわかるように説明した。
かかる費用も安いものではなかったが、私は、何よりも時間(日数)が必要であることを強調。
結果、男性は、月末の引き渡しにギリギリ間に合う二週間を、私に預けてくれた。

その翌日、私は、二週間後の完全消臭を目指し、消臭作業を開始。
成功する目算は高かったが、それでも、作業には相応の緊張感が伴った。
しかし、所詮は“私”。
何日目かの作業になると、自然と気が緩んできた。
人生にしろ仕事にしろ、往々にして“落とし穴”はそんなところにあるもの。
私は、発見前、故人が浴槽にいた様と、発見後、依頼者男性がそこを清掃する様を思い浮かべては、気持ちの引き締めを繰り返した。

そして迎えた最終日。
不動産会社への引渡しを翌日に控えた部屋で、私は、大きな自信とわずかな不安を抱えながら仕上作業を行った。
それから、異臭がなくなったことを慎重に確認し、最後に、“この風呂に自分が入れるかどうか”を自問。
結果、“まったく気にならない”とは言えないながらも、“入れる”との答を得た。
その答に導かれて、本作業は、目指していたゴールに到達したのであった。


人は、小さなゴール・大きなゴールを、その時々に定めて生きているのだと思う。
仕事でも学業でも、趣味でも生活でも・・・
目的や目標・・・ゴールを定めることは、大切なこと。
それがあるから、必要なプロセス(生き方)が組み立てられる。
そして、頑張れる。

しかし、定めるべきゴールが見当たらないとしたらどうだろう。
ゴールがないと、そのプロセス(生き方)はおのずと短絡的なものになる。
そうなると、生活のあらゆる隙間に虚無感が入り込む。
そして、それが深刻化すると、生きている意味を見失う。

同じ理屈で考えると、人生のゴールも見定めた方がより良く生きられるような気がしないだろうか。
では、人生のゴールとは?
やはり、“死”か・・・そう、“死”だろう。
目指そうが目指すまいが、そこが人生(地上)のゴール。
今も、そこに、否応なく向かわされているのである。

常々、その“死”を自覚することの必要と大切さを説いている私。
しかし、それが良い働きをするとは限らない。
生命や時間の貴重さを認識して、積極的・建設的・楽観的(+)に生きるきっかけになることがあれば、逆に、消極的・短絡的・悲観的(-)な思考を助長してしまうこともある。
死は、少しでも幸せに生き・楽しく過ごすための気づきを与えてくれるものなのだが、-の発想や行為からも、表面的なそれは得られてしまうものだから。

生きている過程(人生)が+であっても-であっても、死は±0(※“無”という意味ではない)。
この考えは、+の喜びも、-の悲しみも、人生に対する必要価値はまったく同じであるということを理解させてくれる。
そう・・・人生における価値は、+も-も同じなのである。

楽に生きたいけど、楽に生きられないのが人生。
楽しく生きたいけど、楽しいことばかりじゃないのが人生。
±0の死に向かって、人生には、自分の意識と力を越えたところで+と-がキチンと作用しているのだと思う。
そして、それが、絶妙のバランスによって人生を立体的に彩っているのではないだろうか。
だから、今、+に喜びを浮いていても、-に悲しみ落ちていても、それが人生の正負を決するものと勘違いしてはならないのだと思う。

辛いときは辛い、苦しいときは苦しい、悲しいときは悲しい。
だからこそ、「どうせ死ぬんだから・・・」と人生を放り投げないで、「いつかは死ぬんだから・・・」と苦悩を放り投げたい。
その辛さにも、その苦しさにも、その悲しさにも、生きている意味と、人生の価値と、命の美しさが含まれているのだから。
来るべきGoalは、±の先にあるのだから。





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崖下の引力

2010-02-03 07:50:04 | Weblog
「今朝ほど、マンションの上から人が転落しまして・・・」
ある日の昼下がり、毎度のごとく会社の電話が鳴った。
私の頭には、男性の次の言葉を待たずして、“自殺”の文字が過ぎった。

「私?・・・私は、ですね・・・」
電話の男性は、管理組合の責任者。
自分の身分を明かし、この役割をやることになった事情を私に説明した。

「明け方、“ゴン!”って鈍い音が響いたんですよ」
故人の縁者ではないからだろう、男性は、淡々とした口調でその時のことを説明。
発生から発見に至るまでの経緯は私の知りたいところではなかったが、とりあえず、一方的に話す男性に合わせて相槌だけ打つことにした。

「遺体は警察が運んで行ったので、あとの掃除をお願いしたくて・・・」
うちが特掃屋だと知った上で連絡してきている男性は、現場の詳細説明を省略。
“詳しいことは現場に来ればわかりますよ”といった雰囲気を漂わせながら話を進めた。

「どのくらいで来ていただけます?」
凄惨な現場を放置したくないのは、当然のこと。
“早めに来てほしい”という要請を受けて、私は、すぐに事務所を飛び出した。


到着した現場は、高層の大規模マンション。
落下地点は、建物の横のくぼんだ部分。
階段の真下に位置し、普段は、設備会社や管理会社の関係者がよく立ち入るスペースだった。

そこは、工事現場にあるような柵とロープで囲われていた。
そして、遺体の主要部分があったであろう中核部分は、ブルーシートで覆われていた。
しかし、骨片・肉片・血液は広範囲に飛散しており、どうやっても隠しきれるものではなかった。

床面には、赤インクをひっくり返したような鮮血。
大小の肉片は壁面にまで飛び散り、細かく粉砕された骨片も無数に散乱。
黄色い脂身に至っては、数メートルの高さにまで撥ね上がっていた。

それは、まさに、熟した果物を床に叩きつけたような状態。
その光景を脳裏から消すため空を見上げると、故人が飛び出したであろう上階が視界に入り・・・
イヤでも、人体がバラバラに砕け散った様が頭に浮かんできた。

そこは、正面玄関からは死角になるところだったが、通りに面した場所。
通りとマンション敷地を隔てるのは、スカスカの生垣のみ。
通りを歩く人の視線が、ダイレクトに届く位置だった。

「ヒドイでしょ?」
一般の人でも、飛び降り現場を見ても動じない人はいる。
この男性もそうで、まるで日常の清掃を依頼するかのように、淡々と現場に立ち会った。

「とりあえず、費用は管理組合が立て替えますので、このままやっちゃって下さい」
管理組合は、かかる費用を故人の遺産から捻出させるつもりで、作業を依頼。
仮に、遺産がなくても、身内の誰かに負担させる算段をしているようだった。

「何かあったんですか?」
通りを歩く人達は、立ち止まったり歩みを遅くしたりしながら、私の作業を見物。
自制心が好奇心に負けるのだろう、中には、私に声をかけてくる人もいた。

「誰かが飛び降りたんですって」
お互い見ず知らずの関係だろうに、無言の私に代わって誰かが説明。
まるで伝言ゲームでもやっているみたいに、人々は口々にそう言っては立ち去った。

野次馬の視線は目障り、野次馬の声は耳障り。
作業の過酷さはミドル級でも、野次馬への忍耐はヘビー級。
私は、完全に見世物になってしまい、気恥ずかしさを通り越した苛立ちを覚えた。

同じ飛び降り現場でも、経過時間によって作業効率は異なる。
時間が経てば経つほど、血液や肉片は乾いて固まり、しっかり付着。
その汚れは、格段に落としにくくなるのである。

しかし、ここは発生から半日も経っておらず。
血液も肉片も半乾きの状態。
その分、作業の難易度は低く抑えられた。

一通りの作業が終わると、私は、男性に現場確認を依頼。
幸い、故人が落ちたことで破損した部分もなく、汚染痕も残らず。
結果、何もなかったかのような状態に戻すことができ、一息つくことができた。

男性は、作業の成果に満足。
丁寧に礼を言ってくれ、私を管理人室に案内。
私の向かいに腰掛け、相変わらずの淡々とした口調で話し始めた。

「ありがとうございました」
「どういたしまして・・・」
「これで、住人の皆さんにも安心してもらえると思います」
「そう言っていただけると、急いで来た甲斐があります」
「それはそうと、(故人は)どうもここの住人じゃないらしいんですよぉ」
「そうなんですか・・・」
「今、警察が身元を調べてますけどね」
「はぁ・・・」
「まったく、いい迷惑です!」
「・・・」
「人気のない崖じゃないんだから、迷惑かかるってわかりそうなもんでしょ?」
「まぁ・・・」
「“下に人がいたら・・・”なんて考えると、ゾッ!としますよ」
「・・・」
「しかし、何でこんなことするんでしょうね・・・」
「・・・」
「そういうお仕事をされてて、何か思うところはないですか?」
「まぁ・・・楽になりたかったんじゃないかと思いますよ」
「楽に?」
「そう、虚しくて疲れるばかりの人生から逃れて楽になりたいんですよ」
「まぁ、“そういう人から見ると、地面が楽園に見える”って話を聞いたことがありますけど、それで、ホントに楽になれるんでしょうか」
「それはわかりませんけど、とりあえず、このツラい現実からは離れられるじゃないですか」
「そりゃそうですけど・・・死ぬ気になれば、何だってできると思いますけどねぇ・・・」
「それは、死ぬことが嫌な人の理論なんですよ」
「そうですかねぇ・・・」
「死を望む人にとっては、死は最悪のことじゃないんですよ」
「そうなんですかぁ・・・だけど、死ぬのって恐くないですか?」
「恐くないわけじゃないけど、生きてく方がもっと恐いわけですよ」
「へぇ~・・・そんなもんなんですかぁ・・・」

男性は、私と同年代。
社会経験もそこそこ積み、独自の人生観も持っていた。
しかし、今まで一度も死願望を持ったことがないらしく、私の説明が、理屈ではわかっても心底の部分では理解できないようだった。


10年くらい前になるだろうか・・・
仕事帰りに、同僚何人かと居酒屋で飲んでいたときのこと。
“自分の死期・死に方”という話題が上ったことがあった。
色々な意見がでたが、結局、ほとんどの人が、“長寿老衰を期待しながらも中年病死を覚悟する”という、非常に無難な結論に着地。
死体業に従事する者ならではの人生観を共有したのだった。

しかし、私は違っており・・・
私は、思わず「いつになるかわからないけど、俺の死に方は、自殺のような気がする」と言ってしまった。
しかし、そんな話を聞かされた仲間は、放っておくわけにはいかない。
「悩み事があるの?」「心配事でもあるの?」等と、心配してくれた。
が、当時、この仕事に就いて数年が経ち、何とか一人前に社会生活を安定させていた私は、特段の問題や悩みを抱えていたわけではなかった。
・・・少なくとも、不安や苦悩は、今よりずっと少なかった。
しかし、何となくそんな気がしたため、とっさにそんなことを口走ったのであった。

生きたいだけの人間に死にたい人間の気持ちはわからない。
生きたいだけの人間は、死にたい気持ちを持ったことがないから。
私は、この仕事をしているから、死願望を持つ人の気持ちがわかるのではない。
私は、持ってしまった死願望を消せない人間だから、同じような人の気持ちがわかるのである。
死にたい気持ちを生きたい気持ちで埋めるのは至難。
だから、死にたい人間の行為は、簡単には止められないのである。

大学を卒業した後、この仕事に就く前、私が強い自殺願望を持っていたことは、以前のブログにも書いたことがある。
死体業に就き、それを何とか捨てることができたつもりではいるけど、完全に捨てきれたわけではない。
自殺願望は死願望にかたちを変え、心の片隅で、燻り続けているのである。
もちろん、今でもそう。
自殺願望はなくなっても、死願望は残っている。
そんな具合だから、特段のことがなくても、夜闇・布団の中で、「このまま逝けたら楽かもな・・・」なんて、すぐに思ってしまう。
「自殺はダメ!!」と訴えていても、我が身を振り返ればいつも崖っ淵なのである。

“死亡率100%”と言われる人間社会において、死の引力は、はかり知れない。
人生に長短はあっても、結局、最期は死に引っ張られていく。
そしてまた、死願望の引力も決して侮れない。
一度持った死願望は、そう簡単には消えない。
影を潜めることはあっても、生涯のどこかに居座り続ける。
そうして、心が弱くなるときを見計らって罠を仕掛けてくる。

しかし、自然の摂理で死ぬまで必死に生きることに、人生の価値と意味がある。
そう簡単に崖下に引きずり込まれるわけにはいかない。
だからこそ、
こうして自分が打っている文字を心に刻みながら、
先に逝った人を想いながら、
今日も、踏ん張っているのである。








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低所恐怖症

2010-01-27 17:06:22 | Weblog
首都圏にいる人で、工事中のスカイツリーを見たことがある人は多いだろう。
私が頻繁に使う首都高7号線からもよく見える。
まだ完成時の約三分の一しかできていないらしいが、かなり目立つ。
空中に三倍して想像してみると、感嘆の声がでる。

その昔、人々の目には、あの東京タワーもとてつもなく大きく映ったのだろう。
スカイツリーと重ねると、先人の想いがリアルに想像でき、時の妙を感じる。
しかし、その東京タワーも、今では周りのビルに押されて、わずかに目立つ程度。
もう、特段の輝きは放っていない。

そんな東京タワーに、私は、一度も上ったことがない。
上りたいと思ったこともない。
ビル数階の高さでも腰が引けるのだから、アノ高さは土台無理。
高所恐怖症の私には、間違いなく向かない。

しかし、あと何十年かしたら、スカイツリーの周りにも超高層ビルが建ち並び、東京タワーのように埋もれてしまうのだろうか。
その頃には、とっくにアノ世に逝っている私だろうけど、それを想像すると“楽しみ”というより怖い感じがする。

こうして生活していると、たまに、高いところからモノを言うクセをもった人・・・人に対してやたらと横柄な態度をとったり、初対面の相手にも平気でタメ口をきいたりする人と出会うことがある。
私の器量が小さいせいもあるだろうけど、そういうタイプの人は苦手。
私の感性に、その態度は目障りにしか映らず、その言動は耳障りにしか聞こえず・・・不快という、ストレスを感じてしまうから。

依頼者の中にも、やたらと高いところからモノを言う人がいる。
初動の現地調査は無償の仕事で、金銭のやりとりは発生しないのだが、依頼者と私は、事実上、“お客(買い手)と業者(売り手)”という上下関係に置かれる。
そんな依頼者は、“自分の方が上”という心理にもともとの性格が合わさって、初対面の相手(私)にでも気安くタメ口がきいてくるのだと思う。
それが、親しみの表れなら気にはならないのだが、単なる“上から目線”だと気に障ってしまうのである。

私の場合、初対面の人にいきなりタメ口はきけない。
また、初対面の人だけでなく、年下であってもそう親しくない人や、自分の方が立場が上であっても年上の人にもタメ口はきけない。
いきなりタメ口をきくのは、せいぜい、幼い子供くらい。
自己分析によると、それは謙虚さからくるものではなく、気の弱さ・気の小ささからくるもの。
私なりの世渡り術・自己防衛術なのかもしれない。
何はともあれ、私にとっては、その方が自然(楽)なのである。


特掃の依頼が入った。
電話をかけてきたのは“故人の弟”と名乗る中年の男性。
現場は古いアパート、死因は自殺。
発見が早かったため、遺体を原因とする汚染や異臭はほとんどなし。
ただ、無精だった故人は、ロクに掃除もせずに長年暮らしていたものだから、老朽汚損・生活汚染がヒドイよう。
更に、一刻も早く部屋を明け渡すよう、大家からプレッシャーをかけられているとのこと。
男性は、“鍵は、隣に住む大家さんが持っているから、あとは大家さんと直接やってほしい”と言って、あとのことを私に一任した。

「もしもし、○○さん(大家)ですか?」
「そうですけど・・・」
「はじめまして・・・△△さん(依頼者)から依頼を受けた片付けの業者なんですけど・・・」
「業者!?」
「はい・・・」
「△△さんはどうしたのよ!」
「“大家さんと直接打ち合わせでほしい”と頼まれまして・・・」
「それでアナタが電話してきたの!?」
「はい・・・」
「まったく!無責任ねぇ!」
「・・・」
「あれから何日経ってると思ってるのよ!」
「・・・」
「ちょっと、遅すぎるんじゃない!?」
「は、はぁ・・・」
大家の女性は、とにかく横柄。しかも、かなり不機嫌。
私は、その口のきき方と態度に戸惑い、閉口。
そして、仮に請け負った場合は、それが難儀な仕事になることを想像。
と同時に、遺族の男性が、私に一任した理由が飲み込めた。

現場は、乗用車一台がギリギリ入れるかどうかの、細い路地に面した老朽アパート。
大家の女性は、隣接する一戸建に暮らしていた。
私は、部屋の鍵を開けてもらうため、大家宅を訪問。
予め訪問時刻を伝えていたこともあって、女性はすぐに出てきた。

出てきた女性は、想像していた通りのキツネ顔。
笑みの一つもこぼさず、いきなり不満を爆発させた。
しかし、口から出る悪口のほとんどは、本来、私が受けるべきものではなく・・・
それでも、私しか聞く人間がおらず、私は、やむなくサンドバッグになるしかなかった。

一通りの文句を聞いて後、“まずは部屋を見てから・・・”ということで会話は終了。
私は、女性がぶっきらぼうに差し出した鍵を丁寧に受け取り、隣のアパートへ。
そして、部屋に入る不安感を女性から開放された安心感で中和しながら、階段を上がった。

玄関を開けると、そこはプチごみ屋敷。
遺族男性は教えてくれた通りの有様。
床のあちらこちらにゴミが散乱し・・・
家具・家電の上にはホコリが分厚く積もり・・・
流し台・浴室・トイレは酷く汚れ、掃除を請け負う前から気後れするくらい・・・
そして、台所と和室を隔てる柱の上部には、数本の釘・・・
その用途が瞬時にわかった私は、それまでにも何度となくついてきたのと同じ溜息をついた。


作業の日・・・
この日も、遺族男性は来なかった。
女性は、作業の途中でも、ズカズカと室内に入ってきて、眼光鋭く作業を監視。
そして、ブツブツと独り言の愚痴をこぼした。
私は、それを無視して作業に没頭。
そんな私に威圧感を覚えたのか、女性は、何か注文をつけてきてもおかしくないキャラなのに、ほとんど何も言わず。
そのお陰で、覚悟していたよりもずっとスムーズに作業を進めることができた。

作業が終わりかけた頃、私は、柱の釘を始末することに。
脚立を持ってきて、柱の前に置いた。
そして、それに馬乗りになり、そこに刺さる数本の釘を一本一本抜き始めた。
女性は、近くにきて、その様子を見物。
“柱に余計なキズをつけるなよ!”とでも言いたげな視線を送ってはいたが、どうも、それが何の用で打たれた釘なのか、わかっていないようだった。

束状に密集した釘に、釘抜きは差し込めず。
抜く術は、一本一本をペンチで挟んで、力任せに引っ張ること。
しかし、非力の私は、それに四苦八苦。
なかなか抜けない釘は、まるで、闇の力を誇示しているようだった。

しばらくすると、女性は、柱の釘の用途に気づいたよう。
驚嘆の声を上げたかと思ったら、眉間にシワをよせ、口に手をあて・・・
泣きそうな顔で、部屋を駆け出て行った。
生前の故人とその自死が、頭の中で渦巻いたのか・・・
私の目には、女性が、急激な嫌悪感と恐怖感に襲われて逃げ出したように映った。


女性の苛立ちや横柄な態度は、一体、何に起因するものだったのか・・・
“女性固有の性格や人間性”と片付けることはできるけど、はたして、それだけだったのだろうか・・・
釘に気づいた時の悲しげな表情は、一体、何に起因するものだったのか・・・
“自死現場特有の嫌悪感や恐怖感”と片付けることはできるけど、はたして、それだけだったのだろうか・・・
女性は、渦巻く感情や現実の理不尽さを、うまく消化できず、結果、それが不満や苛立ちになって爆発していたのではないだろうか・・・
同時に、自分の精神が低いところに落ちないよう、あえて高いところに立っていたのではないだろうか・・・
私は、そう思った。


人は、高いところを好む。
経済も地位も精神も、高いところに行きたがる。
しかし、いくら上がっても、欲は満足しない。
そして、時間ばかりが過ぎ、満たされる前に人生が終わってしまう。

人は、低いところを嫌う。
経済も地位も精神も、低いところに居たがらない。
しかし、足掻けば足掻くほど、希望は窮々とするばかり。
そして、時間ばかりが過ぎ、満たされる前に人生が終わってしまう。

見栄を張らないと、自分の地位がもたないことってある。
意地を張らないと、自分の身がもたないことってある。
虚勢を張らないと、自分の精神がもたないことってある。
後に残るのは、虚しさのみとわかっていても・・・

学歴・所得・社会地位に対する“社会的低所恐怖症”や、精神・心・気分に対する“精神的低所恐怖症”を患っている人は、多いのではないだろうか。
そして、今になって思うと、大家女性が患っていたかもしれない、そしてまた、私自身が患っている“低所恐怖症”が見えてくるのである。







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