特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

追い詰められて ~怠け者の苦悩~

2006-11-29 09:24:55 | Weblog
私は、幼い頃から怠け者である。
元来、努力・忍耐・勤勉には無縁の私は、何をやるにも面倒臭がってしまう。
面倒臭がらずにできることと言えば、食うことと寝ることぐらい。
特掃がない日は、風呂に入るのも面倒臭い。
若いころには、面倒臭がらずにできることがもう一つあったけどね。
んー、我ながら情けない。

怠け者の私は、だいたいのことは追いつめられないとやらない。
何をやるにも、前倒しより後手後手。

学校の宿題やテスト勉強も、面倒臭くてなかなか手をつけることができないタイプだった。
それでもまだ、着手すればマシな方で、怠け心に負けて全然勉強しないことも多かった。
更に、自分一人で開き直っているのならまだしも、末期になると他人(友人)をも巻き込んで堕落していた。
「実社会で生きていく上で、学校の勉強がどれほど役に立ち、どれほど重要なものか、はなはだ疑問に思う」
等と吐いて、勉強嫌いな友人をこっちサイドに引きづり込んでいた。
典型的な劣等生だ。

特掃業務においても、「面倒臭えなぁ」と思うことがたくさんある。

作業を終えて帰って来ると、道具・備品類をきれいにして片付けなければならない。
これが結構面倒臭い!
ただでさえ疲れて帰って来るのに、その後まだ道具類の掃除をしなければならないなんて、かなわない。
しかも、普通の汚れじゃないんで、なかなか手間がかかる。

腐敗液の主要構成物質の一つに脂がある。
一度この脂が着いてしまうと、なかなか落ちない!
実質は、食用油や工業用油と大差ないのだろうが、腐敗脂はなかなかきれいに落とせない。
汚いモノにでも触るかのように、オヨビ腰でやるからだろう。

しかし、道具類を使いっぱなしで放置しておくと、自分で自分の首を締めることになる。
一番恐ろしいのは、自分でも気づかないうちに腐敗液が素肌に付着してしまうこと。

「ん?なんか臭えなぁ」
と思っていたら、手や腕に腐敗液が着いていたなんてことがある。
「ギョエーッ!早く拭かなきゃ!消毒!消毒ーっ!」

こんな仕事をしていても、私は、わりと潔癖症なのである。
我ながらおかしい。

他に面倒臭い作業と言えば、階段の上下がある。
現場が、団地やマンションの場合だ。
エレベーターのない建物はもちろん、エレベーターがあっても使用を許してもらえない所も少なくない。
運び出すモノがモノだけに、住民からも嫌悪される訳だ。当然だろう。
そんな現場はかなりキツい!
肉体的にハードなのはもちろん、精神的にもいたたまれない。
近隣住民からの好奇・嫌悪の視線を浴びながら作業しなければならないからだ。
これも結構キツい!

でも、請け負った仕事に逃げ道はない。
追いつめられた状態で荷物を持ち、階段をひたすらUpDown。
まるで、筋力トレーニングでもしているかのような作業が続く。
しかも、私は荷物を身体から離して持つ習性があるため、腕力も余計に必要。
それが、涼しい時季ならまだしも、暑い夏にこの作業は過酷だ。
滝のように流れる汗と膝の感覚麻痺に、意識が遠退いていきそうになる。
怠け者は苦悩する。
腐乱現場を少しでも楽に片付けるため、少しでも人の視線を浴びないために。
しかし、考えても得策はない。
結局は、足元に垂れる汗を踏み、「ヒーヒー」言いながら、黙々と身体を動かすだけ。
人と視線を合わさないように、時々空を仰ぎながら俯いて地道に働くだけ。

追いつめられた状態では、怠け者も働かざるを得ない。
追いつめられた状態でも、死なないうちは生きなければならない。

そして、今日もクタクタになった身体を奮い立たせ、人の死に様を消していく。




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追いつめられて ~臆病者の根性~

2006-11-27 17:31:22 | Weblog
私は、幼い頃から臆病者である。
もっとも、何をもって臆病者とするかは曖昧なものだが。
ま、今回はその辺には触れないで話を進めるとしよう。

その昔、私は、同年代の子が怖がらないようなもの(こと)も怖がっていた。
結構な弱虫だと自認している。
今でも、恐いもの・恐いことがたくさんある。
中でも、人が一番恐いかも。

人は、人を悩まし・苦しめ・キズつける。
もちろん、マイナスなことばかりではない。
人は、人を楽しませ、助け、幸せにする。
それでも、私は「人って恐い」と思う。

私は、人の何を怖がっているのだろうか。
まずは、その力。
暴力・経済力・社会的な力etc。
それから、その精神。
怒り・妬み・恨みetc。
そして、今までのブログにも何度となく書いてきた・・・そう、人の目(評価)だ。

「人からよく見られたい!」という自己顕示欲が強くて、時には見栄を張ったり、時には虚勢を張ったりする。
でも、残念ながら実態がともなっていないから、そんなことからは虚無感・空虚感しか得られない。
それなのに、また懲りずに見栄と虚勢を張っては虚しさを覚える日々を繰り返している。

人の目を気にせずに生きられたら、どんなに楽だろうか。
そうは言いながらも、今日も私は人に好印象を与えるべく、社交辞令と建前を駆使しながら無駄な抵抗をしている。
そして、なんとか人並に人間関係を動かしている(つもり)。

特掃は臆病者には無理そうな仕事に思われるかもしれないが、実はそうでもない。
どちらかと言うと、臆病者の方が向いている仕事かもしれない。
臆病者は人を気にするので、人に顰蹙をかわないように細心の心配りをするし、人の言うことに従おうとする。
そのスタンスが、結果的にGoodjobにつながるのかも。

臆病者が特掃をやるには、追いつめられる必要がある。
特掃現場の一件一件、いつも私は追いつめられている。
自分が生きるためにやらなきゃならないプレッシャーと請け負ったこと(依頼者)に対する責任とに。

「やりたい?」or「やりたくない?」→当然、やりたくない!
単純に考えると、やりたい訳じゃないのにやっている自分と向き合うことになる。
誰もが嫌うこの仕事、自分でも苦しいこの仕事なのに、やり続けている。
この葛藤は、ほとんど毎日ある。

請け負った現場に逃げ道はない。
まさに、追いつめられた状態だ。
恐くたって、吐いたって、泣いたって逃げられない。

そして、そこからくる疲労感と脱力感は独特な重さがある。
頭も身体も、ホント、グッタリくる。

特掃をやる上で欠かせないものは、道具やノウハウ・経験etc色々あるが、基本的には「根性!」だ。
それも、「最後の根性」だ。

「最後の根性」とは、常日頃から当人の人格に備わっているものではなく、臆病者が追いつめられたときに爆発させるエネルギーのこと。
「火事場の馬鹿力」と言えば分かり易いだろうか。
そんな場所では「火事場の馬鹿力」に頼るしかない。
特掃って、そんな最後の根性をださないとできない仕事かもしれない。

相手は、元人間の一部。
しかも、とてつもない悪臭を放ち、見た目にもグロテスク。
こんなモノの始末なんて、余程追い詰められた人間でないとできないだろうと思う。

私は、今日も追いつめられて、頭が壊れそうになりながら、腐乱人間がこの世に残した痕を消している。


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曇時々雨、のち夕焼け

2006-11-25 21:38:34 | Weblog
もう、随分と前の話になる。
死体業を始めて間もない頃、私が20代半ばの頃の話だ。

曇時々雨の下、遺体処置のため、ある家に出向いた。
故人は中年男性、死因は肺癌。
遺体特有の顔色の悪さとノッぺリした表情はありながらも、痩せこけた感もなく、外見だけは健康そうに見える男性だった。

家族は奥さんと中学生と小学生くらいの子供二人。
三人は私に対して礼儀正しく、感じのいい一家だった。
故人のそばに正座し、静かに私の作業を見ていた。
そこには重苦しくないながらも厳粛な雰囲気があり、遺族の毅然とした態度から、夫・父親が亡くなったことへの悲しさへ立ち向かおうとする姿勢が伝わってきた。

奥さんは、作業を進める私に物静かに話し掛けてきた。
故人は、会社の健康診断で肺に陰が写ったらしく、精密検査を受けたところ肺癌が発覚。
その時は既に、かなり進行した状態だったとのこと。
余命宣告に絶望しながらも、数少ない回復事例に希望を託して病魔と戦った。

しかし、みるみるうちに体調は悪化し、たった半年余で逝ってしまった。
危篤になってからの苦しみようは家族としてとても見ていられるものではなく、意識が戻らないことを覚悟で最後は強いモルヒネを打ってもらったとのこと。
家族にとっては、断腸の思い、辛い決断だったことだろう。

そんな話を聞きながら、作業を進めた。

遺体は、身支度が整えられると、柩へ納められることになる。
そして、柩に納まってしまうと、もう二度と故人の全身の姿を見ることはできなくなる。
納棺する直前、故人の最期の姿をよく見ておいてもらうため、私は一旦部屋から外にでた。

雨はやみ雲もはれ、空にはオレンジ色の夕焼けが広がっていた。
「きれいな夕焼けだなぁ」
「今日の仕事は、これでおしまいだな」
と、呑気なことを考えた。
すると、私が退室するのを待っていたかのように、家の中から声が聞こえてきた。
私(野次馬)は、耳を澄ました。

「お父さん・・・お父さん・・・」
「三人で仲良く力を合わせて生きていくから、心配しないでね・・・」
家族三人が泣いている声だった。

「故人は、昨日は生きていて、今日は死んでいる・・・」
「昨日はいたのに、明日にはいない・・・」
「時間は、何もなかったのように過ぎていくだけ・・・」
「故人も、かつてはこの場所からこの夕焼けを見ていたんだろうなぁ・・・」
私は、斜め上の空に広がる夕焼けを眺めながら、そんなこと思いを巡らせた。

中からの泣き声が落ち着いた頃、私は部屋に入っていった。
そして、家族と一緒に故人の身体を柩の中へ納めた。

我慢できなかったのだろう、三人はポタポタと涙を流して泣いていた。

一連の作業が終わり、帰途につくため私はその家を出た。
空の夕焼けは、燃えているように紅さを増していた。

奥さんは、玄関外まで見送りに出てくれた。
そして、憔悴した面持ちで言った。
「私達は、これからどうすればいいんでしょうか・・・」
「・・・」
「夕焼けか・・・明日は、きっと晴れますよね」
「ええ、多分・・・」
そんな言葉を交わして、私は現場を去った。

あれからしばらくの時が過ぎた。
三人の家族には、どんな人生が待っていただろう。
すぐに笑顔を取り戻して、仲良く暮らしただろうか。
奥さんは、二人の子供を抱えて苦労しただろうか。
二人の子供は立派に成人し、母親を支えているだろうか。

今日の東京は快晴だった。
そして、あの時と同じようにきれいな夕焼けが見えた。
あの家族の家からも、同じように見えたに違いない。

「明日は、きっと晴れますよね」
別れ際にそう言った奥さんの言葉の意味が、この歳になってみて初めて心に染みてくる。



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宝探しⅡ

2006-11-23 15:28:54 | Weblog
5月から書き始めた本ブログ。
半年余が経ち、結構な量になった。
同時に、書いたことと書いていないことの記憶が薄くなってきた。
まだ書いていないことを書いたものと勘違いしたり、またその逆もでてきそう。
その辺のボケは寛容に受け止めてもらえると、ありがたい。

その昔、私が、モノを捨てられない子供だったことは、以前のブログにも書いたかと思う。
親にとってはゴミ同然に思えるようなモノであっても、子供にとっては宝物みたいに大事なモノってある。
私があまりに妙なモノ(玩具の類)を溜め込んでいたものだから、親が勝手に整理して捨てたことがあった。
私は、悔しくて悲しくて、しかも腹が立って仕方がなく、泣き叫んだのを憶えている。
大事なモノって、人それぞれなんだよね。

特掃の仕事をする場は、死体現場であることが多いが、たまに不用品の片付けもやることもある。
「不用品の片付け」と言っても、特掃でやる現場は特別なもの、いわゆるゴミ屋敷が少なくない。
ちなみに、腐乱現場がゴミ屋敷になっていることもかなり多い。

ゴミ屋敷にも色々あり、ゴミの量やゴミの中身も千差万別。
床が隠れる程度の所もあれば、天井近くまでゴミが積み上げられているような所もある。
色々なゴミがゴチャ混ぜになっている所もあれば、新聞・雑誌や空缶など特定の物ばかりがやたらと多い所もある。

ある現場。
腐乱死体現場ではあったが、そんなことよりゴミ山の方がインパクトがあった。
汚染箇所もゴミに埋もれており、遺族も完全にお手上げ状態。

ゴミを片付けることはもちろんながら、貴重品を探し出すことも遺族の強い要望だった。
遺族の欲しがる貴重品とは、預金通帳・カード・印鑑・保険証券・年金手帳etc、金になりそうなものばかりだった。
しかも、小さくて探しにくそうなものばかり。

「考えていても仕方がないんで、とにかく、やるしかないですよねぇ」
私は、見つからなくても責任は持てないことを条件に作業に着手した。

まずは、玄関のゴミから袋詰めをスタート。
中腰姿勢の作業は、なかなかキツい作業だった。
「故人は、なんでここまでゴミを溜めてしまったんだろう」
そう思いながら、ひたすら手を動かした。

「なんとか探し出して下さい!」
遺族は切望していた。

「んー、なかなか見つかりませんねぇ」
期待に応えたいのは山々だったが、いつまでゴミを漁っても一向にでてこない。
それどころか、あまりのゴミの量に疲れてきた私は、探し物をする気力がなくなってきた。

かなりのゴミを片付けると、床に敷かれた汚腐団が姿を現してきた。
「でたなー」
私は、敵の大将でも見つけたかのように、テンションを上げた。
そして、染み付いた特掃本能がムクムクと頭をだし、肝心の探し物はそっちのけで汚腐団との格闘に入った。
汚腐団については過去ブログに頻出しているので、今回は詳細記載は省略するが、例によってこの汚腐団もかなりヤバイ代物だった。

敷布団を上げると何かがあった。
茶色い腐敗粘土がベットリ着いていたので、それが何かはすぐには分からなかった。
よく見るとカードが見え、更によく見ると預金通帳が見えた。

「大事なものを布団の下に隠しておくとは、なかなかの知恵者だな」
「しかも、汚腐団の下じゃ、俺以外は誰も盗めないし」
「抜群の防犯対策じゃん」

私は、何冊かの通帳と何枚かのカードを手にとって叫んだ。
「ありました!通帳とカードがありましたよ!」
「え!?ありました?」
遺族も嬉しそうに応えた。

私は、別室の遺族のもとへ行き、それを差し出した。
「やっと見つかりましたよ」
「え゛っ!?」
「通帳とカードです・・・」
「・・・」
絶句した遺族は、鼻と口を押さえながら眉をひそました。

モノを何と説明したら分かり易いだろう。
んー、表面がドロドロに溶けた板チョコに味噌をからめた感じ・・・かな。
(また食べ物に例えてしまって申し訳ない。)

そんなモノが、探し求めていた預金通帳・カードだと言われても困るのは分かる。
しかし、せっかく探し出したモノを捨てられるのは悲しい。

私は、チョコ通帳と味噌カードをビニール袋に入れて、遺族に手渡した。
「これ、銀行に持って行ってもいいものですか?」
「さぁ・・・銀行の人もビックリするでしょうねぇ・・・やはり、やめといた方がいいと思いますよ」
その後、遺族がそれをどうしたか・・・まさか、銀行には持ち込んでいないと思うが、私が知る由もない。

宝を得るためには、相応のリスクや困難も克服しなくてはならない。
いい教訓を得た。


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連絡【管理人】

2006-11-01 17:04:03 | Weblog
いつも「特殊清掃戦う男たち」を閲覧していただき、また、沢山のメッセージをありがとうございます。
一週間あまり更新できずにいますが、隊長は不慮の事故により休んでおります。
近々、復活するそうなので今後とも宜しくお願いします。
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