初秋の涼風に、酷暑を乗り越えた安堵と 楽に動けることの心地よさを感じている今日この頃。
「仕事 辞めた?」
「病気?」
「とうとう死んだ?」
長ぁ~くブログを更新していなかったので、そんな風に思われていたかもしれない。
でも、大丈夫。
幸い(残念?)なことに、私は、相も変わらない毎日を送っている。
ある意味で「平穏な毎日」とも言えるが、凝りもせず、身体を汚しながら、社会の地ベタを 汗かきベソかき這いずり回っている。
それにしても、今夏の暑さはキツかった!
夏が暑いのは仕方ないけど、今年は梅雨らしい時季がほとんどなく、早 六月下旬から危険な酷暑がスタート。
当然、その分、作業もハードに。
滝のように流れる汗、熱気に乱れる呼吸、飛び出しそうにバクつく心臓・・・作業中、心が折れそうになったことは何度もあった。
あまりのキツさに、座り込んでしまったこともしばしば。
また、睡魔にも似た倦怠感に襲われて、悪臭が充満する部屋のソファーに横にならせてもらったこともあった。
しかし、個人的な軟弱さを理由に仕事を途中で放り投げることはゆるされない。
こまめな水分補給と休憩を心がけ、“ヒーヒー”“ハァハァ”弱音と溜息が混ざった短息を吐きながら、その時その時を何とか踏ん張った。
・・・というわけで、ブログを書くどころではなかった次第。
そんな夏、今年も色々な出来事があった。
不幸な災難も少なくなかった。
水の事故で亡くなった人も大勢いた。
豪雨災害や地震も然り。
老いや病気の関わらないところで、非日常のちょっとした出来事によって、多くの命が、突如、失われた。
決して他人事ではない事象に不安を感じながら、命に対する人の脆弱性を あらためて思い知らされることとなった。
春夏秋冬、季節が巡ると同時に歳は重ねられ、私は、もうじき五十。
“おじさん”から“おじいさん”へ成長?衰退?するビミョーなお年頃で、四十を迎えたときよりも、その心持ちはやや深刻。
人生の半分以上 こんなことやってるわけで、呆れるやら 悔やむやら、落ち込むやら・・・ま、最後は笑うしかないのだが・・・“やらかしちゃった感”が否めない。
また、不慮の出来事を別にしても、“人生の終わり=死”というものが、急速にリアル化している。
で、心境も少しずつ変化している。
その一つが、
「生きるために働くのであって、働くために生きているのではない」
といった価値観の変化。
これまで、私は、とにかく仕事優先で生きてきた。
しかし、ここにきて、残り少なくなってきた時間に緊張感を走らせることが多くなり、ともなって、これまでより具体的に“人生を楽しむ”ということを大切にしたいと思うようになってきた。
もちろん、“遊興にふけること=人生を楽しむこと”ではない。
キツい思いをしながらも努力したり、ツラい思いをしながらも頑張ったりすることにも楽しさはある。
しかし、思い返してみると、私の場合、勤勉な仕事人間であることを“美”としてきた節があり、その分、遊興が少なすぎたような気がする。
もちろん、働くことを嫌う怠惰な生き方より 労働に勤しむ方がマシではあるけど、それだけだとせっかくの人生がもったいないような気がしているのである。
そんなわけで、これからは、少しずつでも、自分の人生に“遊興”を取り入れたいと思うのである。
しかし、「遊びを楽しむ」ということは意外と難しい。
金と時間がゆるしてくれても、そのネタがなかなか見つからない。
もともと趣味らしい趣味を持たず、「日常の楽しみ」といえば 週に何度かの晩酌と 月に何度かのスーパー銭湯くらいの私。
長くそんな生活を続けてきた私に“やりたい遊び”なんて、すぐに見つかるわけはない。
仕事以外に熱中できるものを持っている人が羨ましくもあるけど、かと言って、誰かの真似をしても仕方がない。
ま、でも、自分が“本当に楽しい”と思えることを探そうとすることそのものが、楽しいことだったりするのかもしれない。
とにもかくにも、人生を楽しめないことを“貧乏ヒマなし”のせいにしないで、色んなことを考えてみたいと思う。
訪れた現場は、閑静な住宅地にある古い一軒家。
依頼者は中年の女性。
現地で待ち合わせた女性は、緊張の面持ちで挨拶。
私の名刺をうやうやしく受け取ると、父親がこの家で孤独死し、かなり時間が経って腐敗し、本人も室内も凄惨な状態になってしまったことを まるで悪事でも告白するかのように とても言いにくそうに私に説明。
そして、最後に、自分は中に入れない・・・入りたくないことを付け加えて頭を下げた。
上記のとおり、亡くなったのは、この家に一人で暮らしていた女性の父親。
死後経過時間は、約二週間。
暑い季節でもあり、遺体はかなり変容。
外見だけでは、どこの誰だか判別不能の状態。
身元は歯型によって確認。
「生前の面影はまるでない」「見ないほうがいい」ということで、警察の霊安室でも、女性達親族は 遺体を見ることはしなかった。
遺体がそんな状態で、部屋が無事であるはずはない。
故人が倒れていたのは台所らしかったが、その異臭は全室に拡散。
もちろん、玄関フロアにも充満しており、常人の行く手を阻んでいた。
しかし、そんな場所へ先陣をきって入るのが非(悲)常人=私の仕事。
私は、後ずさりする女性を背に、玄関ドアを引いて 半老体を滑り込ませた。
予想通り、故人が倒れていた台所の床は、凄惨な腐敗汚物に覆われていた。
しかも、それは、厚く堆積し、また、広く流出。
そして、時代に遅れた家屋の老朽感と古びた家具家電の疲労感が、その雰囲気を更に暗くしていた。
ただ、一通りの特掃をやれば、見た目はある程度回復させることができる。
しかし、悪臭ばかりは そう簡単に片付かず、手間も時間も相応にかかる。
重症であればあるほど手間数も増え、期間も長くなるため、この現場も結構な日数を要した。
作業の最終日。
手間暇かけた甲斐あって、家の中の異臭は、ほとんど感じなくなるまで消すことができた。
そして、当初は家の中に入りたがらなかった女性も及び腰ながら中に入ってくれた。
我々は、台所の隣のリビングに入り、私は、実施した作業の内容と成果を女性に説明。
それから、問題の台所を確認するよう促した。
代金をいただく以上、契約した通りの掃除がキチンとできているかどうかチェックしてもらいたかったわけ。
しかし、女性はそれを辞退。
女性は、まったく見たくないようで、
「見なくても大丈夫です・・・きれいにしていただけたことはわかってますから・・・後で文句を言ったりもしませんから・・・」
と、頑なに拒んだ。
“汚染痕が消えても、嫌悪感や恐怖感は消えていない”ということだろう。
そんな状態で無理強いできるはずもなく、私は そのまま引き下がった。
「では、これで失礼します」
この仕事を無事に締めることができた私は、現場を立ち去ろうとした。
すると、女性は、
「もうしばらくいてもらっていいですか?・・・少しくらいなら追加の料金がかかってもかまいませんから・・・」
と、“?”と思うような言葉を口にした。
その強張った表情には、女性の心情が如実に表れており、私はすぐにそれを察した。
恐怖感なのか嫌悪感なのか・・・どうも、女性は、この家で一人きりになるのが嫌なよう。
私には、整理消化できない死に対する恐怖感と、腐乱死体に対する嫌悪感と、亡父に対する悲哀が、女性を怯えさせているように思えた。
そして、そんな女性だけではなく故人のこともちょっと気の毒に思った。
次の現場はなく あとは会社に戻るだけだった私は、同情心も手伝って
「時間はありますから、追加料金はいりません」
と、女性の依頼を快諾。
各種手続きに必要な書類や貴重品類を探す女性に付き従って、家の中を移動した。
ただ、その間、シ~ンと無言のままでは雰囲気が煮詰まる。
私は、女性とテキトーに雑談をしながら場の空気をつないだ。
故人は70代前半。
早くに妻(女性の母親)を亡くしたせいもあって、健康寿命を強く意識。
元気で長生きするつもりで 好きだった酒もタバコもやめ、食生活や運動にも気を配っていた。
また、長く生きれば それだけお金はかかる。
老後を楽しく過ごそうと思えば尚更。
そのため、故人は質素倹約に努めていた。
「本人は、元気で長生きするつもりだったんですよ・・・」
「“生きていくにはお金がかかる”“子供達に迷惑はかけたくない”と、ホント、爪の先に火をともすような生活をしていたんですよ・・・」
「食べたいものも食べず、行きたいところにも行かず、欲しいものも買わず・・・家も こんなボロのままでね・・・」
女性は、溜息まじりに そうこぼした。
それでも、私が、
「そういう暮らしも、意外と楽しかったんじゃないですか?・・・私も かなりケチなほうですから、何となくわかるような気がするんですよ・・・」
というと、女性は固かった表情を少し和らげ、
「・・・ならいいんですけどねぇ・・・」
と言い、言葉が終わると微笑みを浮かべた。
計れる金と計れない時間・・・
限りある金銭と読めない余命のバランスをとるのは難しい。
その中で、どれだけ人生を楽しむことができるか・・・
もちろん、お金を必要としない楽しさはたくさんある。
しかし、お金のかかる楽しみも、それはそれでいいもの。
自分が楽しめそうなことって何だろう・・・
強欲・ケチ・守銭奴の悲しき習性か・・・軽登山、BBQ、ソロキャンプ・・・あまりお金のかかりそうもないことばかり思いつく。
女遊びは、逆に金がかかり過ぎるし・・・(金の問題じゃないか・・・)
たまには、仕事を忘れて、のんびり 温泉旅行とかいいかもな・・・ゆっくり湯に浸かって、美味い酒肴に舌鼓を打って・・・思い浮かべるだけで結構楽しい。
そのためには・・・まずは汚仕事 がんばらないと!
誰がどう見ても楽しくなさそうな人生を送っている私だけど・・・
初秋の涼風に吹かれ、夏の終わりの寂しさに一生の短さと命の儚さを重ねながらも 人生の黄昏を楽しもうとしているのである。
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