特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

さらば

2025-01-17 05:28:22 | その他
つい先日、特掃用に履いていた靴を捨てた。
9月10日のブログに登場させたアノ靴だ。
なかなか捨てることができなかった靴を、やっと捨てたわけだ。
ブログに登場させたアノ時点でも既に末期状態だったんだけど、あれから二ヶ月余も健闘してくれた・・・て言うか、強引に履き続けた。


思えば、約半年の付き合いだった。
「半年」と言っても、夏場の半年と冬場の半年では、その中身は全然違う。
夏場の半年は、ハンパな汚れ方では済まない。


この半年の間、この靴は何十人もの人間の腐敗液と、何百(千?万?)匹ものウジを踏んできた。
汚れは靴底には限らない。
上にも側にも、何十人もの腐敗液がタップリ浸み込んでいる。
そんなことを考えると、「我ながら、よくもまぁ・・・」という気分になって苦笑した。


靴に情みたいなものが芽生えてきて、何となく神妙な気持ちになった私は、ある考えが浮かんだ。
「随分と世話になったから、最後はきれいに洗ってやろうかな」


私は、ちょっと善人になったような気分に満足しながら、靴を手に取った。
そして、臭いを確認するために鼻を近づけた。


「グハッ!くせーっ!」
ノーガードの私に、生々しい刺激臭が直撃してきた。
直近の特掃業務から放っておいたせいで、靴に腐敗粘土・腐敗液が着いたままになっていたのだ。


「チッ!しくじった!」
靴に対しての情は、腐敗汚物の力で一気に吹き飛ばされた。
洗ってやるどころが、私はそそくさと靴をゴミ袋に投げ込んだ。
そして、袋の口をきつく縛った。


それにしても、腐乱現場で嗅ぐ腐敗臭と別の場所で嗅ぐ腐敗臭は、似て非なるもの。
腐敗臭は、シャバで嗅いじゃイカンね。


余談だが・・・
せっかくなんで(?)、管理人にも靴の臭いを嗅がせてやろうかと思ったら、「いい!いい!いい!」と速攻で断られた。
当然か・・・。


新しい靴はいつまで履くことになるだろうか。
今は晩秋、これからの時季は特掃の閉閑期になるので、寿命は長めになるだろう。
多分、来年の初夏ぐらいまでは付き合えるのではないかと思う。


自分の回りを見渡せば、私が生きている世界は物が豊富だ。
日本は物質的には満たされている。
特掃現場からでる廃棄物のほとんどは、まだ使えそうな物ばかり。
(ま、物理的には使えても、精神的には使えない物ばかりだけどね。)
そんな物をどんどん処分してしまうのは、だいぶ抵抗がある。
やはり物は大切にした方がいいと思う。


でも、今回別れた特掃靴はちゃんと役割を果たしてくれた。
充分に使いきった。
「さらば、特掃靴」


「さらば」と言えば・・・
10月13日の掲載で、本ブログを終了することを示唆したが、ちょっと考え直した。
書き込み・コメントに影響を受けたせいもあるが、更新頻度を落としながらも、今しばらく続行していこうと思う。


私は、モノ凄く狭い世界で生きているので、色んな人の価値観や考えに触れることができる書き込み・コメントには格別の新鮮さを覚えている。
人間(自分)を作るうえでの材料になっているような気もする。


狭い世界でしか動いていないと、自然と、都合の悪いことは他(人)のせいにして独善的になってしまいやすい。
書き込み・コメントによって、それを修正できるような気もする。


と言うわけで、本ブログの方は今しばらく続けていこうと思うので、これからもヨロシク。



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2006-11-19 09:04:07
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愛の痕

2025-01-15 05:57:54 | 特殊清掃
時々、思うことがある。
生きていることの不思議さ。
生きていることの意味。
自分とは何か。


私が、「生は夢幻」「人生は夢幻の想い出」だと捉らえていることは、たまにブログでも取り上げている。
ただ、私の中でもこれは一側面でしかない。
あくまで私の中だけの話だが、矛盾しないかたちで違う捕らえ方もしている。
モヤモヤして収拾がつかない話になりそうなので、今回は取り上げない。


人間(死体)は、放っておくと腐り溶けていくことは過去ブログの通り。
自然現象とは言え、そのグロテスクさは凄まじい。


私は、そのイメージだけで「溶ける」と表記しているが、正しくは「解ける」か?、はたまた「熔ける」か?・・・流行りの平仮名表記で「とける」がマッチするのか、ちょっと迷うところだ。
でも、間違っても「とろける」って書かないように気をつけなきゃね。


現場はマンションの一室。
故人は若い男性、依頼者は故人の父親だった。


私は、部屋を見分しているうちに自殺を疑い始めた。
その理由は三つ。
故人の年齢が若いこと。
消費者金融の請求書がたくさんあったこと。
部屋にはやたらとゴミが多くて、ちらかっていたこと。
私の経験に限っては、このパターンの自殺率は高い。


遺族や故人を気の毒に思う気持ちがない訳ではないが、私は、基本的に他人の死は悲しくない。
冷たいようだが、事実だから仕方がない。
したがって、現場では辛気臭い演技もほとんどせず、思いついたことは率直に口にだしてしまう。


「自殺ですか?」
「一応、自然死ということになってますが、どうも薬を飲んだみたいで・・・」
父親もハッキリした事実を掴めていないらしく、言葉を濁すしかないようだった。


「余計なことを尋いてスイマセン」
「いえいえ、そちらの仕事にも影響することでしょうから」
寛容な、理解のある依頼者だった。


決して広くない部屋なのに、家財道具・生活用品・ゴミは大量だった。
汚染箇所を先に処理することはできず、まずは部屋を空にすることを先行させた。
この現場に限ったことではないが、悪臭とホコリ、そして汚物にまみれながらの作業は、なかなか楽じゃない。


荷物を搬出し終えると、部屋には、床に広がる腐敗液とウジだけが残った。
そして、その様を父親が見に来た。


「これは?」
「人体が腐敗した痕です」
「えっ!?」
「人体は腐敗するとこうなるんです」


父親は驚いたようだった。
「人は腐ると溶ける」と説明した方が分かりやすかったのだろうが、ずうずうしい私でもさすがにそのセリフは吐けなかった。


「と言うことは、息子の一部ということか・・・」
そう言って、父親は急に泣き始めた。
私と接するときは、ずっと冷静な姿勢を保っていた父親が急に泣き出したので、私はちょっと驚いてしまった。
しかし、その心情を察すると、余りあるものがあった。


気の利いた言葉を思いつかなかった私は、黙って床の掃除を始めた。
私にとっては、腐敗液の拭き取りはお手のもの。
みるみるうちにきれいになった。


空になった部屋、きれいになった床を見渡しながら父親は感慨深そうに言った。
「こうして見ると、息子がこの世に存在して生きていたということが、まるで夢の中の出来事のようですよ」
「・・・残った臭いが夢の痕ですかね」
「夢のあとか・・・そうですねぇ・・・」
「多少の後先があるだけで、我々の人生だってそのうち終わるわけですから、とにかく元気だして下さいね」
「ありがとうごさいます」
「こちらこそ」


私の人生は、どんな夢のあとを残すのだろうか。
大きな不安と小さな期待の中、現場をあとにした。



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2006-11-17 10:01:58より

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故郷

2025-01-11 06:15:52 | 特殊清掃
「故郷」は、人によって違う。
物理的に異なるのは当然として、その定義(概念)も違うのではないだろうか。


生まれた所、育った所、長く暮らした所etc。
場所に限らず、人や想い出が故郷になるこもあるだろう。


特掃の依頼が入った。
故人は老人(男性)、依頼者はその姉。
現場は老朽一戸建。
平屋・狭小、プレハブ造りの粗末な家だった。


腐乱場所はその台所、板の間。
古びた室内は、かなり汚れてホコリっぽかった。その中央に腐敗痕が残っていた。
死後、かなりの時間が経っているらしく、腐敗粘土は乾き気味だった。


依頼者の話によると、現場の周辺は故人・依頼者達にとって故郷らしかった。
幼少期を家族で楽しく過ごした場所。
戦火が激しくなった頃、田舎に疎開し、終戦を迎えて戻って来たら一面が焼野原になっていた。
それで、一家は仕方なく外の地に移り住んだとのこと。


故人は、若い頃から故郷に家を持つことを目標にしていた。
そして、故郷で人生を終えることも生前から望んでいたらしい。
それを聞いて、自殺を疑った私だったが、どうも自然死のようだった。


故人は企業人としての現役を引退した後、かねてからの希望を叶えて故郷に家を構えた。
小さくて質素な家でも、愛着のある故郷で暮らすことができて、故人は幸せだっただろうと思った。
それから幾年が過ぎ、亡くなったのである。


台所に広がる汚物には嫌悪しながらも、生前の故人には親しみに似た感情が湧いてきた。


腐敗液は、台所の床にとっくに浸透していた。
表面を掃除したところで、汚染の根本が片付く訳ではない。
表面の腐敗粘土を掃除するより台所の床板を剥がして撤去する方が得策だと考えた私は、依頼者にそれを提案した。
誰も住む人はいないし、取り壊すしかない家なので、依頼者は私の提案を快諾。


私は、愛用の大工道具を使って、床板を少しずつ剥がしていった。
薄暗い床下を見て、「!?」。


床下の土には、妙に脚がたくさんある二種類の虫が這い回り、黒くボソボソとした盛り上がりができていたのだ。
床板を透り抜けた腐敗液が、床下の土に滴った結果であることはすぐに分かった。
髪・骨・歯は残っただろうけど、故人は故郷の土に還っていった訳だ。


「故郷の土に還ることも、生前の故人が望んでいたことではないだろうか」と、勝手に想像して微笑んだ私。


「土に還る」という言葉があるが、「土に帰る」じゃないところに、何とも言えない深い意味を感じる。
その意味が何であるか具体的には説明できないけど、本能的に重く感じるものがある。


以前も書いたが、私は自分の屍を火葬(焼却)して欲しくないと考えている。
故郷でなくても、どの地でもいいから、土に還りたいと思う。
しかし、今の法律や葬送習慣じゃ、無理だろうなぁ。


そうは言っても、今回の故人みたいなイレギュラーなケースは遠慮したいものだ。
仮にそうなったとしたら、後世にも特掃隊長が現れて、片付けてくれるかな?




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2006-11-13 21:31:50
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ありがとう

2025-01-07 11:10:17 | その他
別れの言葉、故人(遺体)に声をかける遺族は多い。
それぞれの人がそれぞれの気持ちで言葉を発する。


生前は照れ臭くて言えなかった言葉もあるだろう。
嘘に対する真実の告白もあるだろう。
それがどんな言葉でも、最期の場面においてはその真実性・純粋性が澄んでいると感じる。


経験上の独断だが、遺族が遺体に掛ける言葉で多いと思われるものを挙げてみる。


「お疲れ様」
「ごめんね」
「さようなら」
「天国に行ってね」
「ありがとう」etc


先に死んでいった人への想いは、これらの言葉に凝縮されているものと思う。
そして、これらの言葉の中でも、「ありがとう」が断トツで多いように思う。


「ありがとう」
人によって、この言葉が意味するところに若干の温度差があるかもしれないが、とりあえずは感謝の気持ちがベースのはず。
故人に対しては最終的には感謝の気持ちが残ることが多いのだろう。


では、この世に生きているうちはどうだろう。
我が身を振り返ってみると、人に対して感謝の気持ちを携えて生活しているとは言い難い。
それどころか、不平・不満・不安ばかり。


不平・不満・不安は人に対してだけでは収まらない。
生活・境遇・過去・未来etc、自分を取り巻くほとんどのことに入り込んでいる。
だから、普段の生活において、口から出るのは感謝の言葉より不平・不満・不安の言葉の方が多い。


仮に、一日のうちで自分が発した言葉を数えてみるといいかもしれない。
上記したような言葉と愚痴・悪口、どっちが多いだろうか。


私の場合は、欲望ばかりが自分を支配して、感謝の気持ちはほとんど持てないでいる。
特に、金銭欲と名誉欲が旺盛だ。
いつも「金が欲しい」「人からよく見られたい」と思っている。
「金があったら、やりたいことができる」「欲しいものが買える」
「人から評価されたら、どんなに気分がいいだろう」「上を向いて生きていける」


そして、その全く逆である現実が、感謝の気持ちを打ち砕くのだ。


では、私の人生は感謝に値しないことばかりなのだろうか。
イヤ、そんなことはない。決してない。
苦しいことも、悲しいことも、辛いこともたくさんあったけど、感謝(すべき)に値することの方が圧倒的に多かった。
多分、未来もそうだろう。


私には、元気に動かせる身体がある。
雨風がしのげる家もある。
毎日の食事もある。
こんな仕事でも、生きる糧として与えられている。


身近なところから一つ一つ思い返してみると、感謝の対象は際限なくある。
贅沢・華美な暮らしではないけど、感謝すべきことはたくさんある。


最期に言いたくなる言葉(ありがとう)が予め分かっているのなら、時間がある今のうちからどんどん使った方がいいね。
これからの人生に、「ありがとう」を連発する生き方を期待したい。


どんな人生だって、過ぎてみれは夢幻の想い出。
最期は感謝。


今日もこのブログを読んでくれている戦友に「ありがとう」。
そして、今日も生かされていることに「ありがとう」。




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2006-11-11 09:25:22
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ヅラ?ツラい!

2025-01-05 08:35:18 | 特殊清掃
特掃現場では、死体の頭髪が残っていることはザラにある。
と言うより、大量の毛髪が残っている現場の方が、そうでない現場より多いと思う。


骨や歯は警察がきれいに回収していくが、毛髪にまではいちいち手が回らないのだろう。
腐敗液の中にポツンと残された毛髪には、不気味なものを感じる。


首吊自殺によくある、座位のまま腐乱していったケースでは、頭皮・毛髪が床ではなく壁にくっついていることも珍しくない。
腐敗液が乾いていく段階で、接着剤みたいに作用するのだ。
なかなか想像し難いかもしれないが、この光景はかなり不気味。
想像しやすいように、具体的に説明すると、壁にベッタリと部分カツラがくっついているようなもの。
そして、当然のごとくその下は凄惨な状態。
赤茶黒の腐敗液・腐敗脂・腐敗粘土が広がっている。


ある現場。
故人は和室、畳の上で腐乱していた。
驚いたのは、その頭髪。
頭の形状が極めてリアルなかたちで残っていたのだ。


死後、かなりの時間が経過していたらしく、白髪混じりの頭髪は、本物のカツラのごとく頭の形をとどめてシッカリと残っていた。
気持ち悪かったのか面倒臭かったのか、警察は頭蓋骨だけを拾って帰ったのだろう。


「ついでにコレ(頭髪)も持ってってくれればよかったのに・・・」
私はボヤいた。
そして、躊躇した。
「コレ、どうしようかなぁ・・・」


考えたところで、やるべきことは決まっている。
とりあえず、畳から拾う(剥がす)ことにして、片手で掴んで引いてみた。
重い抵抗を感じた。


「ちゃんと掴まないと、中途半端なところでちぎれてしまう」
そう判断した私は、両手を使い、髪の間で深く指を入れた。
その感覚は、自分の身体から手(腕)だけが分離されているような変なものだった。
防衛本能か?私は、自然と自分の手からを視線を外して、それを慎重に引っ張った。
精神的にも物理的にも、重い重い抵抗を感じた。


ベリベリ・バリバリと頭髪は畳から離れていった。
ところが、あともう少しで持ち上がりそうなところで、私のカラータイマーが点滅。
同時に、私の全身にモノ凄い悪寒が走った。


「イカンッ!緊急避難!」
私は、作業を中断して外に駆け出た。
そして、マスクを外して深呼吸。
心臓がバクバクしていた。
「恐えぇ・・・」
ボヤきながら、気持ちを整えた。


心のカラータイマーが点滅をやめて元に戻るまで、しばらくの時間を要した。
私は、晴天の空を見上げた。
「俺の人生、こんなんでいいのか・・・」
「今は、これをやれっつーことか・・・」
特掃には関係ないことを考えて、気を紛らわした。


しばらくの後、意を決して再突入。
余計なものを見ないように、余計なことを考えないように、毛髪を引っ張った。


メリ!メリメリメリーッ!
「お゛あ゛ーっ!」
私は、持ち上げた自分の手を見て、再び全身に悪寒が走った。
中身(頭・顔)がないのに、まるで生首を持ち上げたような錯覚に襲われたのだ。


さて、畳から外したのはいいけど、後始末には困る。
私は、どうしても持って帰る気になれなかったので、遺族に返すことにした。


もともと、でてきた貴重品は遺族に渡すことになっていたので、この「ヅラ風自毛」も貴重品の一つに混ぜておいた。


中を開けてビックリしたかな?


なにはともあれ、このヅラはツラいよ!



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2006-11-15 13:29:14
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カレーライス

2025-01-04 06:36:01 | 特殊清掃
私は、オニギリをよく食べる。
「好物」と言う訳ではないのだが、その手軽さや携行の利便性から重宝している。


緊急性を要さない特掃のときは、一日の作業開始時刻は10:00~11:00頃。
身体には汚れや悪臭が着くので、昼食休憩をとらないで作業を進めることが多い。
だから、昼食が夕方近くになることも日常茶飯事。


そんな時にオニギリはいい。
作業前の腹ごしらえに、作業途中のおやつ代わりに、作業後の食事に、車の中でいつでも食べられる。


カレーライスは、幼少の頃からの好物。
「大好物」と言うほどではないのだか、たまに食べる。
カレーって、いくら安物でもどこで食べても、それなりに美味しい。
まずいカレーって、当たったことがない(ふざけ半分の激辛カレーは例外)。
いい食べ物だ。


食べ物を表題にするときは、ロクな話じゃなくて恐縮だ。
・・・と思いながらも書く。


ある風呂場での話。
ちなみに、これは「不慮の事故」が起きた現場とは違う、ずっと以前の話。


ボロボロの老朽団地の一室、故人は風呂場で腐っていた。
私は、浴室全体をゆっくりと眺めた後、恐々と浴槽を覗き込んだ。
幸い、汚水は抜けていた。
が!、浴槽の底には腐敗粘土がたんまりと溜まっていた。
そして、その中にはおびただしい数のウジが。


「うぁちゃー!」
毎度、ワンパターンの反応をする私。


一口に「腐敗粘土」と言っても、その色は黄色っぽいものから焦茶色っぽいものまである。
また、粘度も高いものから低いものまである。
(以前の記事で説明したっけ?)


この現場の腐敗粘度は黄色っぽくてドロドロしたものだった。
それはまるで、程よく煮込んだ・・・
ここまで書いたら何が言いたいのか分かると思うので、以下省略。


では次の具材を探そう。
老朽団地の風呂は、かなりの旧式。
追焚ができないタイプで、浴槽は浴室に置いてあるだけのものだった。
浴槽の汚物を片付けてから、その浴槽を動かしてみた。


すると、浴槽の陰、浴室の隅に大量のウジが固まっていた。
大量のウジが平面的に広がっているのは珍しくない。
しかし、折り重なって立体的に群生しているのは珍しい。
それはまるで、オニギ・・・
ここまで書いたら何が言いたいのか分かると思うので、以下省略。

汚物容器の中。
白いウジと黄色い腐敗粘度。
それはまるで、カ・・・
ここまで書いたら何が言いたいのか分かると思うので、以下省略。

やはり、カレーライスは大衆食。
心に響く(のしかかる)その深いテイストは、ビーフシチューに敵わない?

どちらにしろ、カレーもビーフシチューも人間が作るものの方がいい。
人間で作られるものよりね。



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2006-11-09 08:28:20
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