特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

負け犬の遠吠え

2013-12-31 09:48:33 | 自殺 事故 片づけ
「お前は負け犬」
「お前のブログは負け犬の遠吠え」
時折、そんな声が聞こえる。
そして、それは、自分を見つめ直すきっかけを与えてくれる。

勝敗の判断基準をどこに置くかによると思うけど、私はそれを否定しない。
容姿、収入、学歴、職業etc・・・私は、金持ちでもなく、社会的に高地位についているわけでもない。
人から羨望されるようなこともない。
そういう面では、人との勝負にはほとんど負けている。
だから、一般的にみて、“負け犬”と思われても仕方がない。

また、私の話には、“きれいごと”とされやすいネタやネガティブな愚痴が多い。
常に、不平・不満・不安感に支配され、陰気クサイ雰囲気がプンプン。
こうして自分を卑下する自虐ネタも好きで、それが陰気臭さを倍増させているかもしれない。
このブログにしたって、読んで明るい気分になれることは少なく、どちらかというと神妙な気分になることのほうが多いのではないだろうか。

しかし、負け犬は負け犬でも、不戦敗ではないと思っている。
一応は、戦っているつもりである。
生きていること・生きることを当然のことと思い、生きるということはどういうことか・生きるためには何をしなければならないのかなんてことは何も考えず、生に対して無責任でいられた若い頃は戦いを避けて通り、不戦敗を続けてきたこともあった。
しかし、この仕事を始めてからは、それも減ってきたように思う。
そして、ときには善戦したこともあったように思う。
完敗ではなく惜敗だったことがあったかもしれない。
それらを経て、わずかながらでも、努力することと忍耐することが身についてきたように思える(この歳になって、“手遅れ”の感もあるけど)。

戦場は、人生においていたるところにある。
そして、仕事は、主戦場のひとつである。
できることなら、仕事なんてやりたくない。
やらなければならないのなら、少しでも楽してやりたい。
また、色々な事象の現場において、色々な事情を抱えた人々、色々な立場の人々、色々なタイプの人々を相手にしなければならず、面倒なことや嫌な思いをすることも少なくない。
それでも、それをやらなければ生きていけない。
そこに戦いが生まれるのである。


「自殺後の遺体や現場について教えてほしい」
ある日、会社にそんな電話が入った。
はじめに電話をとった事務スタッフは、しばらく電話主と会話したものの、相談の内容は自分の守備範囲ではないと判断。
そこで、守備範囲が比較的広い私が電話を代わることに。
私は、電話を切るタイミングを失うような話になるなんてことはまったく予想せず、受話器をとったのだった。

電話の主は、30代の男性。
高学歴の持ち主で、それなりの企業に勤めていた。
そんな中、職場で恋愛関係にあった女性とトラブルを起こしてしまった。
男性は、男としてのメンツもあり、潔く退職。
「給与が少々下がることがあっても、自分の学歴・職歴があれば、新しい仕事に就くこともそんなに難しくはない」と考えてのことだった。
しかし、現実は違っていた。
20社近くに応募したにもかかわらず、採用してくれる企業はなし。
男性が就活に限界を感じるようになるまで、そんなに長い時間はかからず。
精神はひどくダウンし、死を考えるまでにいたっていた。

男性は、社会的地位が低い職業を具体的にいくつか挙げ、
「今更、そんな仕事に就いてまで生きていきたいとは思わない!」
と、自分が陥った境遇を嘆いた。
一方の私は、それに真っ向から反論できるほどの材料を持っておらず。
それどころか、男性のその気持ちがよくわかった。
そんな私が、ただの精神論や感情論をもって男性の心の向きを変えることができるわけはない。
私は、自殺が他の人にとってどれだけ迷惑なことか、自殺が他の人をどれだけキズつけるか、自殺が他の人をどれだけ不幸にするか等々、ひたすら自殺による実害を説明することに専念するほかなかった。
と同時に、それは、私自身に、言葉では表せない虚しさと悔しさを覚えさせたのだった。


職業には貴賎がある。
世に中には、“いい仕事”と“そうでない仕事”がある。
私の仕事は、明らかに“賎”のほうに属する。
それでも、私の場合、最初からこの仕事をしているから、この歳になっても、何とかやれているのかもしれない。
どこかいい企業に勤めていて、そこから転職せざるを得ない状況に陥ってからではやれなかったかもしれない。
これは、そこまで低い位置にある仕事。
ただ、そういう仕事と理解していても、やはり、他人から蔑まれたり見下されたりすると、不快にもなり憤りも覚える。
まったく、矛盾だらけである。

私が持つ職業の貴賎についてのこだわりは、私自身が職業に対する差別意識を持っていることの表れでもある。
自分に他人の仕事を上に見たり下に見たりするクセがあることは、ハッキリ自覚できる。
結局のところ、私は自分の仕事に対して不誠実であり、プライドが不足しているから、自らを卑下してしまうのだと思う。
だから、誰かにバカにされたら誰かに怒るのではなく自分に怒るべきで、誰かを批難したくなったら自分を批難すべきなのだと思う。

職業には貴賎はあるけど、それはそのまま楽苦の差となるわけではない。
「労苦」言葉はあっても「労楽」という言葉はない。
仕事に苦労はつきもの。
苦戦することも多く、負けそうになることも多い。
そこまでして生きなければならない理由を求めると、余計に苦しくなる。
そして、それがまた、あらたな戦いを生み、戦いが戦いを呼ぶ。

戦いのない人生はない。
戦いながら生きるのはツラい。
それでも、生き方としては正しいと思う。
戦わなければ勝利はない。
人生においては、戦いに負けた者が敗者でなく、戦うことをやめた者が敗者。
(自殺者が敗者ということではない。)

幸せに生きる、楽しく生きる、喜んで生きる、感謝して生きる、希望をもって生きる・・・
これらも、すごくいい生き方だと思う。
しかし、これらは人生の部品。
成型は“正しく生きる”ということ。
つまり、“人生の価値(勝ち)は、正しく生きることにある”ということ。
そうは言っても、これは決して簡単なことではない。
ただ、例え、正しく生きることができなくても、正しく生きることに向かっていくことが大切だと思っている。


今日は、2013年大晦日。
予定は未定の仕事ながら、今のところ、今日は現場仕事の予定はない。
“仕事納め”がない会社でやることは事務所内の雑用。
何事もなければ、残業もなく帰れ、ゆっくり風呂に入って一年の垢を落とすことができるだろう。
そして、好きな酒を飲んで、一年の労苦と労をねぎらうことができるだろう。
年老いたとはいえ、うちのチビ犬もまだまだ食欲は旺盛。
年末年始くらいは、おいしいモノを食べさせてやろうと思っている。

「特殊清掃 戦う男たち」
この一年もまた、我々は色んな戦いに遭遇した。
色んな現場に走り、色んな人と出会い、色んな想いをしてきた。
多くの涙があり、少しの笑いがあり、その中に苦悩と悲哀、感謝と喜びがあり、そして、戦いがあった。
そして、私は、人が“死”に勝てない摂理にあることを知りつつ、それでも生きた人々・生きる人々の戦いをここでリポートした。

精神の弱さを棚に上げ、強気なことを言ってきた。
小心に似合わない大口を叩くこともあった。
机上の空論もあったかもしれない。
上辺だけのきれいごとと思われても仕方がないこともたくさん吐いてきた。
実践がともなわない口先だけの発言も多かった。
正論か邪論か、善行か悪行か、そんな判断もできない頭で、自分の内に湧いてくるものを文字にしてきた。

それもまた私の戦い。
そして、例えそれが“負け犬の遠吠え”であっても、自分と誰かの心に届いているうちは吠えていこうかと思っている年末である。


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Merry Christmas

2013-12-25 16:43:44 | 遺品整理
イヴの昨夜は、パーティーを楽しんだ人が多いのではないだろうか。
しかし、日本はキリスト教国ではない。
「キリスト教徒は100人に1人、またはそれ以下」とも言われる。
なのに、12月はクリスマスムード一色。
まるで、ほとんどの人がキリスト教徒であるかのように、「メリークリスマス!」と歓喜し、笑顔をふりまく。
正月は神式、葬儀は仏式、結婚式はキリスト教式等々、この節操を欠く無信心ぶりは、何ともおかしい。
それでも、クリスマスには、多くの人に幸せな時間が与えられるわけで、これもキリスト・イエスのお陰。
少なくとも、これくらいのことは覚えたいものである。

私は、例年通り、昨夜は静かに過ごした。
クリスマスケーキもなければ御馳走もなし。
夕飯はカレーにし、好物の酒も飲まなかった。
私にとってクリスマスイヴは、気分を騒がしくさせるものではない。
だからと言って、暗い気分で寂しくいたわけではない。
私なりに、幸せ気分を味わいながら、また、色んなことに感謝しながら過ごしたのである。


ある年の12月上旬、遺品処理の依頼が入った。
電話の向こうの声は、初老の男性。
落ち着いた話し方と丁寧な言葉遣いは、男性がそれなりの紳士であることを想像させた。

遺品の持ち主は、同居していた男性の母親。
葬式を終えて間もないようだった、男性は「クリスマスまでには片付けたい」と要望。
「年内中に片付けたい」という要望はよくあるけど、「クリスマスまで」というのはちょっと珍しい。
私は、「その辺のところに一事情あるかも」と思いながらも、「その辺の事情は会ったときにわかるだろう」と思い、男性と現地調査の日時を打ち合わせた。

訪問した御宅は、閑静な住宅街に建つ一戸建。
豪邸というほどの建物ではなかったが、「洋風」というより「洋館」といった方がしっくりくるような造りで、周囲の一般的な家とは一線を隔していた。
その特徴を更に際立たせていたのは、クリスマスの飾りつけ。
玄関にリースをつけたり、外構にちょっとしたイルミネーションを飾ったりしている家はよく見かけるけど、この家は、その次元ではなかった。
塀や門扉はもちろん、植木の下から上に至るまで、飾りがビッシリ。
そこには、葬儀をだして間もない寂しい雰囲気はなく、「家を間違ったか?」と思ってしまうほどだった。
私は、表示された番地が教えられていたものと違っていないか、また、表札が依頼者の名前かどうか、何度も確認。
その上で、インターフォンを押した。

やはり、その家は、依頼者の家に間違いなかった。
そして、依頼者の男性はすぐに玄関からでてきた。
想像のとおりの紳士。
電話と変わらず穏やかな物腰で、言葉も丁寧。
とても好感の持てる人物だった。

家に入らせてもらうと、そこにもまた外に負けないくらいの飾りつけがほどこしてあった。
目を見張るほどのそれらに何もコメントしないのは不自然なことのように思えた私だったが、近い過去に人が亡くなった家につき、それを口にする善し悪しを判断できず。
「すごい飾りつけですね」と言いたい気持ちを抑えて、とりあえず、男性の後をついて家の奥へ進んだ。

処分する遺品のほとんどは、故人の部屋に置いてあった。
故人が生きていたとき、そのままの状態で。
そこには、書籍・衣類・家具・調度品等々、長寿を表すかのように多くの家財が残されていた。
ただ、その部屋だけはクリスマスの装飾が一切なし。
それは、12月を迎える前に、故人がこの家からいなくなったことを物語っていた。

「自分達では片付けることができなくて・・・」
と、男性は、自分に言い訳をするように言った。
それは、単に、“片付けるための腕力や労力が不足しているせい”というだけではなく、“目に見える思い出を捨てるための心力も不足しているせい”ということを言っているようにも聞こえた。

遺品の種類や量によって作業内容と料金が決まる。
したがって、家中のあちこちに対象遺品が分散していると見積作成に時間がかかるのだが、この家の対象遺品はほとんど一部屋にまとまっており、見積をつくるのにそんな長い時間は要さず。
私は、テキパキと見分を済ませ、男性に作業内容と料金の説明。
そして、契約が成立し、作業の段取りを組んだところで退散する用意に入った。
すると、
「せっかくだから、お茶でも飲んでいって下さい」
と、男性は、私を引き止めた。
「時間がないから」と遠慮することもできたのだが、私は、死を目近にした人の話に無駄話は少ないこと、そして、それが自分の糧になることが多いことを知っていた。
また、理由もないのに断ることが失礼なことのようにも思えたため、ソファーから上げかけた腰を再び下ろした。

男性一家は、キリスト教徒。
家の飾り付けが凝っているのは、そのせいもあるよう。
飾りを始めたのは、この家を建てて最初のクリスマスから。
当初はツリーとリースといくつかの置物を置く程度。
それでも、それらは、家族の日常にささやかな幸せをもたらした。
やがて、12月の飾りつけ作業は男性一家の恒例行事に。
飾り物やイルミネーションは、毎年、買い増され、年々その規模は大きくなっていった。

故人も、それを喜んだ。
そして、自分の部屋もおおいに飾りつけた。
しかし、それは、前年までのこと。
何分にも高齢だった故人は、この年の晩秋に体調を崩して入院。
そして、季節が晩秋から初冬に移り変わる頃、眠るように息を引きとった。
聖書を片手に100年近い紆余曲折を乗り越えた末の召天だった。

「悲しいけど悲しむことではない」
「寂しいけど寂しがることではない」
「母は天国に行ったのだから」
男性は、そういって笑顔をみせた。
そう言いながらも、人は弱いもの。
故人の遺品が目の前にあっては、ついつい悲しみや寂しさに負けてしまいそうになる。
男性は、クリスマスを明るい気分で迎えるため、それまでに遺品の処理を終えたいのだった。

遺品処理なんて、あまりめでたい仕事とはされない。
遺品の撤去を終えた部屋に塩をまいたり、お祓いをしたりする人もいるくらい。
“死”はそれだけ忌み嫌われるもの。
また、世間も、そんな風潮を“悪し”としない。
しかし、死に対しては、暗くなることだけが礼儀ではない。
男性一家も、世間の風潮に迎合せず。
「めでたいこと」と言ったら大袈裟だけど、それに近い感覚を持っているようだった。
だから、葬儀をだした直後であっても、世間体も気にせず、家を派手に飾り、家にハッピーな雰囲気をまとわせていた。

大方の人にとって死は恐いもの
大方の人にとって死は嫌悪されるべきもの。
それをそう捉えない男性の信心は、なんだか羨ましいものであった。
そして、その平安は、冷暗なところに追いやられがちな私の仕事に陽を当ててくれたのだった。


信じることによって救われることがある。
信じることで道が開けていくこともあれば、信じることで大きく前進できることもある。
しかし、現実には難しい。
これまでのブログにも何度となく書いてきたとおり、自分は自分にとって信用ならない者であり、自分は自分をよく裏切る者であるから。
そんな自分に裏切られるのが恐いから、裏切られて辛い思いをするのがイヤだから、裏切られて傷つくのがイヤだから、はじめか疑ってかかる
そうしているうちに、自分を疑うことに慣れてしまう。
自分を信じることが億劫になり、自分を信じることに臆病になる。
でも、人生なんてものは、自分と未来を信じないと開けないものでもある。
自分を疑ってばかりの私の人生が開いていかない一因も、そこにあるのだろう。

クリスマスが過ぎれば、今度は正月ムード。
時間は、一秒の狂いもなく確実に過ぎている。
この一生も、また同じ。
泣いても笑っても、寝ても醒めても、終わりは確実に近づいている。
せっかくのこの日々。
信じることは疑うことより難しく、また、信じることは疑うことより勇気がいることだけど、たまには、ダメな自分を信じてやってもいいのではないだろうか。
そうすることによって、自分が思っている以上に頑張れる自分が新たに姿を現すかもしれない。
そして、その姿に、信じたほうの自分も感化されるだろう。

「俺を幸せにしてくれるのは“そいつら”かもな」
終わりかけのクリスマスムードの中、ちょっとだけポジティブになっている私である。




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女は度胸 男は愛嬌

2013-12-19 14:52:25 | 特殊清掃
出向いた現場は、古い一戸建。
私は、依頼者と約束したのよりだいぶはやい時刻に到着。
家の前の路上の車をとめ、依頼者がくるのを待った。
しばらくすると、一組の若い男女が視界に現れた。
二人には、私が“特掃屋”だとすぐにわかったのだろう、こちらに向かってペコリと頭を下げながら近づいてきた。

二人の外観年齢は20代前半。
だから、私の目には二人が姉弟に映った。
しかし、実際は夫婦。
まだ結婚して間もない、新婚夫婦だった。
そして、この家は女性の実家で、亡くなったのは、一人暮らしをしていた女性の父親だった。

警察から、
「家には入らないほうがいい」
と言われた二人は、まだ室内を確認しておらず。
それでも男性は、
「一緒に入らなくてもいいですか?」
と、部屋には入りたくない様子。
一方の女性は、
「一緒に入ってもいいですか?」
と、部屋に入りたい様子。
女性にとっては実家であるわけだから、貴重品や遺品のチェックをしたいのだろうと思った私は、
「どちらでも構いません」
と返答。
ただ、警察が入らないほうがいいと言うからには、部屋はそれなりに凄惨な状態のはず。
そして、心に何の準備もなく現場を見た場合、大きなショックを受ける可能性は大。
私は、
「私が先に入って、中の状況を確認してくることもできますけど・・・」
と、まずは私が部屋を見てくることを提案。
すると、二人は、
「それでお願いします」
と、口をそろえて応えた。


玄関を開けると、低濃度の腐乱異臭を感知。
目的の部屋に歩を進める従って、その濃度は高くなっていった。
部屋の手前に着いた私は、首にブラ下げていた専用マスクを装着。
そして、襖を開けて中に入った。

汚染痕は部屋の中央に敷かれた布団と、脇の畳にあった。
そこには人の形がクッキリ。
腐敗体液はもちろん、多量の毛髪も残留。
たいした数ではないながらウジやハエも発生していた。


室内を確認した私は、再び外へ。
そして、二人に室内の状況を説明した。
私の話を聞く男性の表情は、みるみる変化。
嫌悪感を露に、部屋に入ることに難色を示した。
一方の女性は、それとは対照的。
力を漲らせたような顔をして、部屋に入る構えをみせた。
そして、難色を示す男性に向かって妙なことを言い始めた。

「ひょっとして恐いの?」
「こんな経験、二度とできないよ!」
「せっかくだから見といたほうがいいよ!」
と、女性はハイテンション。
どうも、中に入りたいのは遺品確認のためではなく、単に腐乱死体現場を見たいがためのよう。
高まる好奇心が抑えきれないようで、まるで観光地に来た観光客のようなノリをみせた。

それから、二人は、漫才のようなやりとりを展開。
私は、笑っていいものかいけないものか迷いながらも、結局、苦笑いを浮かべながら二人のやりとりを見守った。
しばしの協議の後、話は、女性だけが部屋に入ることで決着。
「いってらっしゃ~い」
と、男性は、部屋に入らない後ろめたさを隠すように、愛想笑いを浮かべて手を振った。
そして、そんな男性を後ろに置いて、私は、女性を連れて再び玄関扉をくぐった。


「うわ!クサイ!」
紙マスクしかしていない女性は、玄関を入るなり叫んだ。
「こんなニオイなんだ・・・嗅いだことないニオイだわ」
と、冷静にコメント。
そして、臆することなく問題の部屋に向かい、汚染痕を確認。
「うあー!こんな風になるんだぁ・・・」
と、物珍しそうに、人型に浮き出た汚染痕をマジマジと見つめた。

「これって、ヒドイほうですか?」
「・・・まぁ・・・何をもって判断するのか難しいところですけど、私にとってはフツーというか、どちらかと言うと軽いほうですかね・・・」
「えーッ!これで軽いほうですか!?」
「えぇ・・・まぁ・・・」
「5段階評価でいうと“1”ってことですか?」
「まぁ・・・“2”ぐらいでしょうか・・・」
「へぇ~・・・そうなんだぁ・・・」
「・・・・・」
「・・・ということは、“5”となるとモノ凄いってことですよね!」
「えぇ・・・まぁ・・・」
「うわ~・・・それ、スゴそうですね」

女性は、いい言い方をすれば元気で明るく屈託がない。
ハツラツとしていて、好感のもてるキャラクター。
悪い言い方をすれば空気が読めない。
扱いに困ってしまうキャラクター。
女性は、腐乱死体現場に興味津々の様子。
レベル5がどんな状態であるか具体的に知りたそうにしたが、ここの故人だけではなく、よその故人をも蔑ろにするような気がした私はその質問には乗らなかった。

私が驚いたのは、そんな女性のノリだけではなかった。
女性は、足元に這うウジを見つけるやいなや、
「コノヤロ!コノヤロ!」
と、彼等をブチブチと踏み潰しはじめた。
まるで、モグラ叩きゲームでもするかのように。
それに驚いた私は、
「ちょ、ちょっと待って!」
と、慌てて女性を制止。
もちろんウジに同情したからではなく、あとの掃除が大変になるだけだから。
私は、ウジの悲運ではなく、ペチャンコになって内臓を漏らす彼等を掃除することになるであろう自分を哀れに思いながら、また、思いもよらない女性の行動に苦笑いを浮かべた。

特掃作業は、それに続いて行われた。
女性は、作業の見学まで希望。
男性がそれを希望するわけはなく、さすがに女性もそれを男性に勧めることはしなかった。
それに対して、私は、あまり気がすすまなかったが、これといって断る理由がないため、それを承諾するほかなかった。

同僚ならいざ知らず、依頼者が作業を終始見物するのは珍しい。
「ウジは踏まないでくださいね!」
と、私は女性に釘を刺し、作業を開始。
私が作業をしている傍らで依頼者が遺品の確認をするようなケースはあるけど、この女性は、遺品の確認なんか眼中にない様子で、私のすぐそばで作業を注視。
そして、時折、それについてのコメントを言ったり疑問に思ったことを訊いてきたりした。
一方の私は、手を止めることなく、まるで特殊清掃のインストラクターのように、女性のコメントや質問に応答。
さえない中年男には、若い女性につきまとわれて困る理由はないはずなのに、この状況は、現場では孤独を好む私を困らせた。

作業をしながら私は、「父親を失った女性は、悲しみや寂しさに負けまいと、あえて明るく振舞っているのかな?」と考えた。
が、やはり、女性のそのキャラは、ほとんど素のよう。
それでも、女性が時折みせる悲しげな表情は、人の姿として安心感を覚えるものだった。


「コイツ、ちょっとおかしいでしょ?」
作業が終わった後、外で待っていた男性は、呆れ顔で自分の頭と女性を交互に指差した。
「まぁ・・・自らウジを踏み潰した人は初めてですね・・・」
と、同意していいのかよくないのか判断に迷った私は、曖昧にコメント。
しかし、女性のほうは、奇人・変人扱いされることが嫌ではなさそう。
それを知っているからだろう、男性は、女性が日常生活で起こしてきた数々の武勇伝を、おもしろおかしく紹介してくれた。
それはなかなかの内容で、我々は、そこが死の現場であることを忘れて、いつまでも談笑したのだった。


二人は、若くイキイキとしていた。
未来への期待・希望・喜びを意図して醸しだしているのではなく、それらが自然と二人を満たし、元気づけているようにみえた。
そう・・・誰かの死について寂しさや悲しさを覚えるのは自然なことだけど、意識的にそれらに暗くなる必要はない。
この先に待っている人生も、度胸と愛嬌をもって、二人で元気に明るく生きていくんだろうと思うと、少し羨ましくもあり、嬉しくもあった。
そして、未来を終えた故人も、二人の若さを案じつつ、それでも、そんな二人の人生を祝福しているのではないだろうか・・・
・・・そんな風に思った私だった。



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大掃除

2013-12-14 13:49:16 | ゴミ部屋 ゴミ屋敷
暮れも押し迫ってきて、家や会社の大掃除を予定している人も多いのではないだろうか。
一年の汚れやホコリをサッパリ落とせば、気持ちもスッキリする。
新年を迎えるにあたって、身辺をリセットできる。
そうは言っても、私に大掃除の予定はない。
普段からきれいにしているからではない。
また、仕事のせいで掃除に飽きているのでもない。
ただ、面倒臭いだけ。
あと、特別な年末年始休暇があるわけでもないから、掃除によって気持ちがリフレッシュされることも期待できないといった諦めもある。
ま、私は、潔癖症の皮を被った不潔症といったところか。

この時季は、大掃除とあわせて忘年会のシーズンでもある。
会社の仲間や学校の友達等が寄り集まって、街では毎晩のように忘年会が開かれていることだろう。
美味しいモノを飲み食いして、一年の嫌なことを忘れることが忘年会の本来の趣旨だとも言われる。
一年過ごせば、忘れてしまいたいことはたくさんでてくるが、一度くらいの飲み会で嫌なことが忘れられるはずもない。
それどころか、酒に酔っての悪態や悪行で、嫌なことが増えてしまうようなこともありそう。
また、新人社員や下戸の人等、イヤイヤながら参加せざるを得ない人もいるだろう。
かくいう私もその一人。
私は、新人社員でも下戸でもないが、忘年会(飲み会)は好きじゃない。
大勢でワイワイ・ガヤガヤと騒ぎ、また、ダラダラと無意味な話で時間を浪費するのがイヤなのだ。
(“KY”“遊び心がない”“つまらない人間”と言われることもあるけど、あまり気にしてない。)

うちの会社の忘年会は、今月上旬に行われた。
当日、私は遠方の特掃に出かけていたので、遅れて参加。
それでも、作業を途中で切り上げて急いで帰京。
血が着いたままの作業服姿で、末席に座った。
そして、隣に座る同僚に申し訳なかったので、身体をなるべく端に寄せて静かにしていた。
そんな状態でもあり、既にできあがっている人とも温度差もあり、また、翌日も早朝から続きの特掃が待っていたので、私は、とても楽しめるできる心境にあらず。
だから、酒は一滴も飲まず、飲んだのはウーロン茶のみ。
それでも、心の仏頂面をつくり笑顔で隠すよう自分なりに努力。
そんな調子で、何とか一次会をしのぎ、その後の二次会は行かず、そそくさと退散したのだった。

そんなことがあると、ある思いが湧いてくる。
たくさんの酒を飲むのも、お腹いっぱい食べるのも、おおいに結構。
しかし、身体的・精神的リスクも顧みず酒に酔い、飽食をむさぼることに、そして、命をつなぎ幸せをもたらすための食べ物が、無残に食べ散らかされた挙句、捨てられる現実に何とも言えない虚無感を覚える。
ゲロ掃除に呼ばれるのがイヤだから言うわけじゃないけど、それは、単なる“もったいない”という感覚を通り越して、この社会の何かが、人の何かが狂っているように思えてしまう。
「これも生きている楽しみのひとつ」と言う前に、もっと理性的になったほうがいい。
その方が、楽しさも増すのではないだろうか。

何はともあれ、幸い、私の忘年会はこれだけ。
年が明けて、外の人と新年会をやる予定はあるけど、年内は、飲み会の予定はない。
やはり、酒は家飲みが一番。
誰かに話を合わせる必要もなく、誰かに気をつかう必要もなく、飲むことを強制もせず、強制もされず、好きな酒を好きな量だけ飲むのがいい。

しかし、この時季はちょっとわけが違う。
家でも、好きなはずの酒がすすまない。
飲んでもあまり美味くない。
それでもまだ、飲んでる最中はいい。
前夜の飲酒が翌朝の精神にどう影響するのかまったくわからないけど、翌朝はめっぽうツラいのだ。
だから、飲むときは、それをわかったうえで飲む。
そんな具合だから、3月から実行している「週休肝二日」も「週飲二日」に逆転しているような状態。
身体的・経済的にはこっちのほうがいいんだけど、精神的にはあまり好ましい状態ではない。
好きな酒を美味しく飲めるかどうかが、私の元気のバロメーター。
そういったところでみると、今の私の元気度はいまいちなのである。

それでも、飲みたければ飲める、食べたければ食べられる、非常に恵まれた環境に私はいる。
「不況」「不景気」と言ったって、まだまだ日本は裕福(物質的に)。
お金を払えば食べ物は手に入り、自分の好きなように食べることができる。
もちろん、一庶民の私は、高級レストランに行くこともできなければ、高級食材を口にすることもできないけど、一般的なものなら、毎日・毎日、当り前のように食べることができている。

しかし、これとは真逆の世界がある。
食べることが当り前のことではなく、食べられないことが当り前の生活を強いられている人々が、世界にはたくさんいる。
世界では、20%の人間が、世界全体の食料の80%を消費しているという。
それは、我が国を含む、少数の先進国・新興国の人間が、世界の食料の大半を消費しているということ。
そして、多数の後進国・発展途上国の人々が、少ない食料を分け合っているということを意味している。

世界にいる80%の人々は、満腹感のない人生を生きている。
その多くは、後進国・発展途上国に暮す人々。
世界では、5秒に一人の割合で子供が餓死していると言われている。
その原因は貧困。
紛争、戦争、人種差別、自然災害、搾取、低い国際競争力、低い労働生産性・・・
そういったものが人々を貧困に陥れ、貧困がまた次の貧困を呼び、子供が大人になることを妨げているのだ。

しかし、もはやこれは、対岸の火事ではなくなってきている。
餓死が日本でも起こるようになってきている。
貧困にあえぎ、三食の食事も満足にとれないような生活をしている人も少なくないらしい。
日本では、一日あたり数十人の人が自殺している。
また、自殺が死因とされていない隠れた自殺者も多くいるという。
その大きな原因のひとつが経済的な問題。貧困だ。
「先進国」といわれて久しい我が国で、「豊かな国」と言われる我が国で起こっていることとは思えないような現実がある。
現場でそれを目の当たりにして、愕然とすることもある。

私は、世界で起こっている、この日本で起こっているそれらのことを知っている。
その話をきいて、気に毒に思う。
同情心も湧く。
しかし、それだけ。
自分の生活を削ってまで、困窮する人に援助の手を差しのべようとは思わない。
私は、美味しいものも食べたいし、酒も飲みたい。
遊びにも行きたいし、欲しいものは手に入れたい。
生きていくうえで絶対的に必要なものじゃなくても、欲しいものはたくさんある。
“自分さえよければそれでいい”
そんな思いが、常に私を支配している。

そんな私には、大きなことはできない。
また、その意志も度量もない。
それでも、できることがある。
やってみようかと思ったことがある。

今、家の食卓には、小さな募金箱が置いてある。
食事をするたび、酒を飲むたび、そこにお金を入れている。
腹を空かせている誰かと一緒に食事をしているつもりで。
意思の弱い私のことだから、いつまで続けられるかわからない。
自分でも呆れるくらいはやく終わってしまうかもしれない。
とにかく、いっぱいになったら、とある団体に寄付するつもり。

金額は、この歳に似合わない、恥ずかしいくらいの小額。
それでも、やらないよりはいいと思っている。
ただ、気に留めておかなければいけない。
「自分は正しいことをしている」「自分は善い人間」だと思わないことを。
あくまで、「自分のため、自分を満たすためにやっている」ということを。

人間は、あたたかい生き物だけど、冷たい生き物でもある。
人間は、善いこともできるけど、悪いこともできる。
人間は、愛ある行為ができるけど、残酷なこともできる

一人の人間の中に、善人と悪人がいる。
善の中にも悪があり、悪の中にも善がある。
無条件の愛を求めながら、条件付の愛を持つ。
その矛盾を思うと、心は乱れ、騒ぎだす。
そして、ときに汚れ、ときに腐り、自分を痛めつける。

そんな人間と、そんな心。
私が私であるかぎり、人が人であるかぎり、この大掃除を自分でやることはできない。
ただ、せめて、忘れないようにしたい・・・
苦難の中にある人々のことを。
自分の中で矛盾する、善と偽善、悪と偽悪を。
そして、そんな自分の心と向き合うことを。




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Long way

2013-12-08 09:26:59 | 特殊清掃
今年も、残すところ23日余。
昨年までと同様、今年も色んなことがあった。
8月の末には、ひとつの“お別れ”があった。
「愛車」といっても過言ではない業務車両の5年のリース契約が満了となったのだ。
完全なる私の専用車ではなかったけど、先頭をきって現場に走る習性がある私が9割くらいは使ったと思う。

5年間の走行距離は、20万キロ余。
日々のメンテナンスをしっかりしていたからだろうが、故障もなくよく走ってくれた。
ディーラーによると、この後も廃車になることはなく、中古車として再販されるとのこと。
車ってただの機械だけど、長く付き合うものだし、何かと私を助けてくれるものだから、妙な情が湧いてしまう。
私が積んできた荷ほど“奇妙な物”を積まれることはないだろうが、また、誰かのもとで大事に使われてほしい。

そんな私は、依頼があれば場所を選ばない。
ほとんど一都三県内を動いているけど、その外に出ることも少なくない。
茨城・栃木・群馬・山梨・静岡はもちろん、お呼びがかかれば、それより遠いところにも行く。
福島、宮城、岩手、秋田、山形、新潟にも何度か出向いたことがある。
もちろん、すべて車で。
(西日本は他支店の担当エリアなので、東京所属の私が出向くことはない。)

福島、宮城、新潟くらいだと日帰りすることもある。
先月も日帰りで新潟に行ってきた(山々の紅葉がきれいだった)。
さすがに、岩手・秋田・山形まで行くと泊まりになる。
ただ、以前、秋田へ汚腐呂掃除に行ったことがあり、作業が思いのほか早く済んだので、会社がとってくれたホテルをキャンセルして、その日のうちに東京に帰ってきたことがあった。

このときはさすがに疲れたけど、大方の場合、私は、長距離の運転でもほとんど苦にならない。
一人で気楽にドライブ気分を味わう。
レジャー少なく地味な生活をしている私は、見慣れない景色や街に心が踊ってしまうこともあり、あちこちに出掛けることを楽しんだりする。
だから、遠い地方の仕事でも、いそいそと出かけていくのである。

そんな仕事で重宝しているのがカーナビ。
昔は一万分の一地図を使うしかなく、ハンドルに地図をのせ、地図と道を交互に見ながら運転していたもの。
そんな時代に登場したのがカーナビ。
登場初期は高額かつ低精度でなかなか手の届かない存在だったけど、一般に普及する頃には当社の車にもやってきた。
その便利なことといったら・・・・・一度この力を借りてしまうと、もう手放せない。
私はかなりの方向音痴なものだから、もう“カーナビ様!様!”なのである。

カーナビに頼りっぱなしの私だけど、安全運転は常荷心がけている。
基本的に、余計なスピードはださない。
高速道路だって100kmを超すのは追い越しのときくらい。
普段は、ほとんど左車線の80km走行。
少々遅い車がいても、無闇に追い越したりもしない。

それでも、免許証はゴールドではない。
忘れた頃に必ず何かの違反をやらかしてしまうのだ。
直近の免許更新前もそう。
無事故・無違反での免許更新を意識していた私は、それまで順調に過ごしていた。
しかし、更新の三ヶ月くらい前、環八のUターン禁止区域(私はそれを認識しておらず)でUターンしてしまい、たまたま近くにいたパトカーに止められてしまった。
「知らなかった」で警官が許してくれるわけもなく、結局、ゴールド免許は遠のいてしまったのだった。

また、先月のある日の朝、現場に向かっていた私は、明治通りで一般車が走ってはいけない時間帯にバス専用レーンを走ってしまい、検問中の警察に止められてしまった。
警察官の説明を受けるまで、私は違反にまったく気づかず。
「交通安全のチラシでも配ってんのか?」
と思いながら、ニコニコと愛想よく車を止めた。
しかし、実のところは違反車両の取り締まり。
そこでは、私の前にも何台もの違反車両がおり、後にも何台もの違反車両が止められていた。
「もっと優先して取り締まったほうがいいことあるんじゃないの!?」
と不満に思ったものの、ルールはルール。
警察のペナルティーに素直に応じた私の懐には、6000円の臨時出費が連れてきた寒風が吹きこんだのだった。



遺品処理の依頼が入った。
依頼者は、年配の女性。
現場は、古い住宅地に建つ一戸建。
現場に出向くと、依頼者の女性きていた。

家の主は、女性の父親。
このときの二ヶ月余前、天寿をまっとうしてこの世を去った。
この家は、故人が若い頃に建てたもの。
女性が生まれ育った家だった。

故人は、地方の田舎で生まれ、
貧しくて上の学校に行けず、少年期から働き、
あの戦争で遠い戦地に送られ、生きて終戦を迎えたものの長くシベリアに抑留され、
それでも生き延びて帰国し、生活の糧を手に入れるため田舎から離れた東京へ、
ガムシャラに働き、手に職をつけ、
そして、労苦して後、ようやくこの家と家族の幸せを手に入れたのだった。

そのうち子供達は成人し、家を離れていった。
その後も平穏な日々が続いたが、寄る年波には勝てず妻は逝去。
それで一人暮らしとなった故人だったが、
「身体が動くうちは、なんとか一人でやれる」
と、子供との同居を了承せず。
介護保険の支援を受けながら、一人の生活を継続。
“子に迷惑はかけたくない”と思ったみたいだったが、“この家を離れたくない”という思いも強かったよう。
結局、最後に入院するまで、故人はこの家を離れることはなく・・・
長患いすることなく静かに長い道のりを走り終えたのだった。

家財が片付いたら、家は手放す予定とのこと。
家も古ければ土地もそんなに広くはなし。
身内に住みたがる人もおらず、お金に変えたほうが相続もうまくいくよう。
ただ、思い出の整理がつくまでどれくらいの時間がかかるかわからず、それをいつやるか決めかねているようだった。

家には、多くの家財・生活用品が残されていた。
そのほとんどは、もう“現役”を退いていそうなものばかり。
年配者によくある傾向だが、故人も、“使わないけど捨てない”傾向が強かったらしく、モノは溜まる一方。
「とにかく、父も母もモノが捨てられない人でね・・・」
女性は、家にギッシリ詰め込まれた家財に、苦笑いを浮かべた。


後日、片付けの作業は行われた。
「見ていると寂しい思いをするから・・・」
「あとはお任せします・・・終わったら電話して下さい」
と、女性は玄関の鍵だけ開け、どこかへ立ち去っていった。

片付けを進めると、昭和のモノがたくさん出てきた。
時代モノの家具家電、骨董品になるんじゃないかと思われるような食器や陶器、マニアが喜びそうな古い雑誌類、古びた衣類、何人分もの座布団に布団、
生活に使ったであろう、ありとあらゆるモノがあった。

古びたタンスの衣類の下には、古い新聞が敷かれていた。
「昭和○○年ってことは、俺が○歳の頃だな・・・」
「こんな時代もあったんだな・・・」
「懐かしいなぁ・・・」
等と、思わず記事に見入ってしまい、仕事の手が度々止まったりした。

終わってみると、トラックの荷台は当初の目算を超える量の家財で埋まった。
それらは、他人の我々にとってはゴミも同然。
しかし、故人とその家族の歴史の跡でもあり、最後の証でもあるわけで、寂しさが漂う無常の理を表していた。


「子供の頃は広い家だと思ってましたけど、こうしてみると小さな家ですね・・・」
「ここに、私の家族がいたんですね・・・」
片付けが終わった家で、女性は、しみじみつぶやいた。
この小さな家には、溢れんばかりの思い出がつまっているよう。
他人との沈黙の時間は、どことなく気マズイような、落ち着かない雰囲気が漂うものだが、ここでの沈黙の時間は、何とも落ち着く感じのするものだった。
そしてまた、私にとっては縁もゆかりもない他人の家なのに、懐かしいような不思議な感覚をおぼえたのだった。



40代も半ばになり、私は、とっくに人生のUターン地点を過ぎている。
おまけに、自分の寿命は平均寿命には到達しないだろうと思っている。
にもかかわらず、折り返し地点を過ぎた実感がわかない。
うまく言えないけど、「何も解決していない」というか、「成長した感がない」というか、「必要なものが見つからない」というか・・・・・
とにかく、進んでいるのは身体ばかりで、中身はほとんど進んでいないような気がしている。
それでも、人は、進む足をとめることはできない。
どんな道でも進まされるのである。

進まされる道は、まっすぐで平坦なものばかりではない。
上り坂もあれば下り坂もある。
太い道もあれば、細い道もある。
乾いた路面もあれば、ぬかるんだ路面もある。
先が見通せないくらいの曲がり道や、悩む岐路も幾度となくある。

人生の道程、この先どれだけの“距離”が残っているのかわからない。
人にもモノにも、始まりがあれば終わりもある。
・・・ごく自然なこと。
ただ、それらには、喜びや嬉しさだけではなく、悲しみと寂しさがつきまとう。
・・・これもまた、自然なこと。

この道、どこを目指して走ればいいのだろう・・・
この道、終わりには何があるのだろう・・・
よくわからないけど、
「よく走った!」と褒めてもらえるような走り方をしたいもの。
「よく走った!」と感謝されるような走り方をしたいもの。
「よく走った!」と満足できるような走り方をしたいもの。

いずれ着く終点に向かって・・・
「まずは無事故・無違反!」
新しい車と古びた身体を駆る私は、それを肝に銘じているのである。




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ワインと風呂と携帯電話

2013-12-02 08:18:01 | 特殊清掃
毎年思うことだけど、一年なんて過ぎてみるとはやいもの。
昨日から、もう12月。
師走に入り、外の寒さは増すばかり。
しかし、年末の商戦は加熱し、街は賑いを増している。
多くの子供達は懐があたたかくなり、逆に、私のようにボーナスがない大人達の懐は寒くなる季節である。

こんな季節は風呂がいい。
懐は温まらないけど、身体は芯まで温まる。
私は、そんな風呂が好き。
汚仕事に従事しているからではなく、もともと子供の頃から好きである。
晩春から初秋にかけての暑い季節はシャワーだけで済ませる。
今のような寒い時季は湯につかる。
それも、ゆ~っくり。
汗がダラダラ流れるまでつからないと、気が済まないのだ。

汗を流すのが好きでも、サウナはかなり苦手。
一分たりとも入っていられない。
あの乾いた熱さには、恐怖心すらおぼえる。
フツーの人なら、夏のサウナ状態の汚部屋のほうが恐いかもしれないけど、私は本物のサウナのほうが恐いのだ。

基本的に、私は晩酌の前に風呂に入る。
汚れた身体で晩酌しても落ち着かないし、酒を飲んだ後だと心臓がバクバクしてゆっくり湯につかれないから。
ただ、いつものんびり湯につかっていられるわけではない。
因果ある仕事をしているものだから、いつ携帯電話が鳴るかわからないのである。
だから、浴室扉のすぐ前にはタオルと携帯電話が置いてある。
鳴る電話をすぐとれるようにしてあるのだ。
当然、入浴中に電話が鳴ることもあり、滅多にないけど、風呂上りに現場に急行なんてこともある。
これには、なかなかの辛さがある。
そんな時は、怒り・苛立ち・怠け心と、責任感・義務感・使命感が内なる戦いを繰り広げるなかで、仕事に出かけて行くのである。



出向いたのは、公営の大規模団地。
その中の、ある棟のある部屋が現場だった。
亡くなったのは高齢の男性で、依頼者はその娘である女性。
女性とは建物の下で待ち合わせた。

玄関を入ると、室内には浴室腐乱独特の異臭が充満。
それは、居室死亡腐乱に生臭さをプラスしたような不快臭。
室内には、女性も一緒に入ったものの、女性は浴室には近づかず。
「一度見た」「もう見たくない」とのことで、浴室は私一人で確認。
浴槽の淵や壁面には、頭髪や皮は付着。
四角い浴槽には、その下に茶色い液体がたまり、その表面をやや黄色がかった透明な脂の幕が覆っていた。
また、その周辺もグロテスクな色調に侵されていた。

部屋は、掃除らしい掃除も、洗濯らしい洗濯もできておらず。
年配男性の独り暮らしにはよくあることで、部屋には、相応の生活汚染があり、また、結構な散らかりようだった。
女性は、たまにここに来ては、家事や故人(父親)の身の回り世話をしていた。
だが、自分には自分の生活があり、頻繁に来れるわけはなく、結果的に、荒れた部屋になってしまっていた。

目立ったのは、台所の隅に積まれた四角い箱。
そこには、かなりの数のそれが積み上げられていた。
表の印刷をみると、どうもワインの箱のよう。
ひとつを開けてみると、中は瓶ではなくビニールバッグ。
それは、何リットルも入りそうな大きなもの。
プラスティックボトルの焼酎や紙パックの日本酒もあるけど、“酒は瓶か缶”と勝手な固定観念を持っていた私は、
「へぇ~・・・こういうかたちもあるんだ」
「環境にとっても財布にとってもエコだなぁ」
と、妙に感心した。

昔の故人は、日本酒とか焼酎等の和酒を好んで飲んでいたよう。
ところが、数年前から急にワインを飲むように。
たまたま飲んだワインがバッチリ口に合ってしまったのだろう。
それからの故人は、ワインばかりを飲むように。
始めは瓶で買ってきていたが、それではキリがなくなり、そのうちバッグで買うように。
私も、酒を飲むようになってしばらくしてから“にごり酒”の味を知り、それが好物になり、また近年、ウィスキーの味を知り常飲するようになったクチ。
だから、故人の嗜好の変化が他人事とは思えず、何とも言えない親しみを覚えた。

一人酒って、気楽な面もあれば、つまらない面もある。
寂しいわけじゃないけど、酔うと話し相手がほしくなるもの。
故人は、酔うと女性に電話をしてきた。
ときには、女性の妹弟にも。
女性達は、時間があるときは話し相手をした。
が、忙しいときは、テキトーに聞き流し、話が終わっていないのに電話を切ってしまうこともあった。

「身体に悪いから飲みすぎないように」
が、女性の口癖となった。
しかし、
若い頃は好きな酒も我慢して、家族のために働いてきたわけだし・・・
妻(女性の母親)にも先立たれ不自由な生活をしているし・・・
限られた年金で他に贅沢なことができるわけでもないし・・・
老い先もながくないだろうし・・・
・・・女性はそんなことを思い、故人に対して酒を控えるよう強くは言えなかった。
・・・そして、漠然とながらも、こういう日がくるかもしれないことも覚悟していた。


汚腐呂掃除には、必要な心得がある(私が勝手につくった)。
一、自分の手は道具だと思うこと。
一、我慢せず声をだすこと。
一、固形物はお客さんだと思うこと。
一、浴槽の底を見るまでは休憩を入れないこと。
一、掃除後の風呂でも入れないと思う自分を許すこと。

私は、自分にしか効かない心得を胸に、汚腐呂との格闘をスタート。
ときに奇声をあげ、ときに悲鳴をあげ、また、ときにうめき声をあげながら作業を続けた。
しばらくすると、私にとって最も使い勝手のいい“道具”は、浴槽の底にたまったヘドロのような物体に到達。
言わずと知れたこと・・・それは、故人の一部が溶けたもの。
そして、その中から、歯、毛髪、爪、小骨、皮・・・次々と色んな“お客さん”を取り出していった。
更に、私は、その中に固くて身体の一部にしては大きすぎるモノを二つ発見。
手にとってみると、ひとつは携帯電話、もうひとつはガラスのコップだった。

故人は、湯につかりながらワインを飲むのが日課だったのか・・・
そして、湯につかりながら子供達に電話するのが楽しみだったのか・・・
真相を知る由もなかったけど、ただ、故人とともに浴槽に沈んでいた携帯電話とコップは、何かを物語っているように思えた。

一連の作業を終えた私は、浴槽から拾い上げた携帯電話とコップを洗って後、ビニール袋に入れて女性に差し出した。
すると、女性は、それを受け取り、愛おしむように凝視。
そして、
「あっちの世界でワイン風呂に入ってたりして・・・」
「でもケータイ持ってってないんで、電話はしてこれないか・・・」
「ま、向こうには母がいるから大丈夫か・・・」
と、本気ともとれる冗談をとばして笑顔をみせた。
そして、それは、故人の孤独な死もその後の腐乱も、そして、一人の人間がこの世を去った寂しさも覆い、故人の死と私の心をあたたかなものにしてくれた。


ワインと風呂と携帯電話・・・
晩年の故人にとって、これは“至福の三点セット”だったのかもしれない。
確かに、故人の死に痕は、目を覆いたくなるほど、また、鼻を覆うほど凄まじかった。
だから、腐乱死体現場は、どこで起こっても忌み嫌われ、どう亡くなっても恐れおののかれる。
しかし、そんなことは、身体を置いて逝った故人には関係のない話。
世間は孤独死を悪にしたがる?けど、私は、それに違和感を覚える。
だって、孤独死は悪ではないのだから。
そもそも、死なんて孤独なもの。
そして、孤独は、寂しくて冷たいものとは限らない。
寂しさのない孤独、あたたかい孤独だってある。

私は、
「楽しみながら逝ったんなら、それでいいじゃん・・・」
と、目に見えるものが朽ちていく自然の理と、その後にも残る目に見えない命の理に微笑んだのだった。



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