「暑い!・・・」
一日のうちで、何度、この言葉を吐いているだろう・・・
・・・言う口にタコができようが、聞く耳にタコができようが、ついついこんな愚痴が口をついて出てしまう。
ホント、猛暑はキツイ! 更に戦う感が強まる。
ま、そうは言っても、冬の厳寒に比べたらまだマシ。
現場業務は冬の方が格段に楽だけど、冬は精神がやられるから。
医師から“軽度の自閉症かも”と言われたことがあったり、病院で“合法(処方箋)ドラッグ”とも呼ばれるほどの強い精神安定剤を処方されたことがあったり、自分でも、“不安神経症”が自覚できたりと、精神問題には事欠かない私。
冬欝は春から夏にかけて癒えるのだが、この夏は、いまいち精神の状態がかんばしくない。
“情緒不安定”というか、“自分が情緒不安定であることがわかる”というか・・・
晴れ渡る夏空とは対照的に、どんよりと曇る日が多いのである。
しかし、幸いなことに、これは重症ではない(と思う)。
日々の中に、気持ちが晴れることはいくつもあるから。
太陽が眩しいことにも、空が青いことにも、草木が緑であることにも、そして、今、自分が生きていることにも気分が晴れる要素があるから。
そして、まだ何とか、自分の声が聞こえるから。
疲れた自分を癒す術の代表格は、やはり、晩酌and睡眠。
労苦した後のこれは、格別!
昼間の労働が過酷であればあるほど夜の酒が美味くなり、就寝時の心地よい脱力感が増す。
何気ないことだけど、考えてみると不思議なことのように思える。
“神様からの御褒美”と解するのは子供っぽすぎるかもしれないけど、こんなところにもまた、人生の真理があるような気がしている。
このように、“人生の真理”は、身近なところ・至るところにあると思う。
労働がもたらす実だけではなく、太陽が眩しいことにも、空が青いことにも、草木が緑であることにも、人の生死にも真理がある。
酒やおにぎりが美味いことにも、心の浮き沈みの中にも。
それを受け取れるか受け取れないか、読み取れるか読み取れないか、感じ取れるか感じ取れないかの違いがあるだけで・・・
多分、拾い上げたらキリがないくらいあるのだろう。
それは、今のような真夏の出来事。
その日も快晴で、気温は朝から30℃を超していた。
私は、その前日に依頼が入っていた現地調査に出かけるべく、朝一で車を出した。
到着した現場は、小規模の公営団地。
依頼者は、行政から管理を委託された管理会社。
そこの担当者は、駐車場に社名の入った車をとめ、私が来るのを待っていた。
「お待たせしました」
「ご苦労様です」
担当者は、私に対してやたらと低姿勢。
難題を抱えて困っているパターンだった。
「とりあえず、部屋を見せていただけますか?」
「はい・・・ただ、回りに気をつけて下さいね」
担当者は、事情ありげな困り顔。
私は、その様子から、近隣住民との間で何らかのトラブルが起こっていることを推察した。
「大変ですね・・・」
「えぇ・・・苦情が殺到してまして・・・」
近隣住民は、“悪臭にみんなが迷惑している”“早くなんとかしろ!”等と文句を言っているとのこと。
私は、ありがちな状況に、頭にいくつかある対応マニュアルを引っぱり出した。
「そんなに臭ってるんですか?」
「いや・・・それほどでも・・・」
私は、精神的ニオイに自己顕示欲がプラスされ、それが独特の悪臭を醸しだしていることを想像。
これもまた、ありがちな状況で、私は、頭に取り出していたマニュアルを心理戦用のものにチェンジした。
玄関の前に立つと、確かに異臭はあった。
しかし、それは、隙間に鼻を近づけて嗅がないと感じないレベル。
近所の人達が大騒ぎするほど、周囲に迷惑がかかっているとは思えなかった。
周囲には複数の住民の姿。
そこから投げられる視線があり、玄関ドアを悠長に開けておくことはできず。
通常なら、鍵を開けた後、ドアを少し開けて中の様子を伺うのだが、私は、ドアを自分の身体の厚さ分だけ開けて、素早く、その中に身体を滑り込ませた。
室内には、特有の腐乱臭が充満。
しかも、それは超高温でサウナ状態。
“焼け石に水”とわかっていた私は、汗腺から噴き出る汗を拭うこともせず、部屋の奥に向かって歩を進めた。
故人が倒れていたのは、奥の和室。
畳には、濃茶色の人型と、カツラのように残された頭髪。
そして、その上を大小無数のウジが徘徊していた。
室内の雰囲気と畳に貼りついた頭髪は、故人が老年の女性であることを示唆。
また、整頓された家財生活用品は、故人の人柄を偲ばせた。
そして、そこに残る遺体汚染痕は、私に何かを受け取るよう・何かを読み取るよう、そして、何かを感じ取るよう促してきた。
部屋の見分を終えた私は、一旦、外へ。
室内の状況を興味があったのだろう、住民達は好奇の視線を送ってきたが、私は、得意の仏頂面でそれを無視。
担当者が待つ駐車場へ、一直線に歩いた。
協議の結果、私は、そのまま特掃作業に入ることに。
担当者は、酷暑の中で私に作業を強いることを詫びてくれた。
そんな担当者の心遣いは、特掃魂を夏の暑さに負けない温度にまで上げてくれ、その意気を戦闘モードに入れる後押しをしてくれた。
汚染はミドル級でも、暑さはヘビー級。
取り外して処分するかどうかも決まっていないため、エアコンを動かすこともできず。
当然、窓を開けることもできず。
しかし、私は、熱中症に注意することも忘れて、作業に没頭した。
故人が残した腐敗液に自分の汗を滴らせながら・・・
飛び回るハエを追い、逃げ回るウジを掻き集め・・・
畳から頭髪を剥ぎ取り、腐敗液を拭き取り、腐敗粘土を削り取り・・・
「“死んでくれてありがとう”とは思わないけど、こうして生きるための仕事ができることに感謝してるんですよ」と、誰かに話しかけるように何度もつぶやきながら、故人の暗い痕を消していった。
作業を終えたとき、作業服は水をかぶったようにビショビショ。
また、その体臭は酷いことに。
しかし、私は、単なる達成感や安堵感とは違う喜びを感じ、生きていることを実感していた。
もうじき8月。
この夏も、そろそろ折り返し地点か・・・
私は、苦悶の表情を浮かべながら、あちらこちらに走り回り、あちこちを這いずり回っている。
「必死に戦っている」と言えば格好はいいけど、実は違う。
キツイ仕事を嫌がる朝欝を引きずりながら、楽をしたがる本来の自分と折り合いをつけながら、汗と涙を流しているだけなのだ。
しかし、そんな具合でも、苦痛ばかりがあるわけではない。
こうして仕事ができることに感謝している。喜びも持っている。
得られているもの・与えられているものが、金銭以外にもたくさんあるから。
お金に換えられないものをたくさん知ることができるから。
人に必要な真理とは、そういうものだったりするのだろう。
そして、故人の人生にも、死に様にも、残された汚物にも、それを片付ける汚作業にも、また、その役を担わされた私の人生にも真理はあるのだ。
それら一つ一つを拾い集めながら、この夏も、一日一日と人生を刻んでいくつもりである。
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一日のうちで、何度、この言葉を吐いているだろう・・・
・・・言う口にタコができようが、聞く耳にタコができようが、ついついこんな愚痴が口をついて出てしまう。
ホント、猛暑はキツイ! 更に戦う感が強まる。
ま、そうは言っても、冬の厳寒に比べたらまだマシ。
現場業務は冬の方が格段に楽だけど、冬は精神がやられるから。
医師から“軽度の自閉症かも”と言われたことがあったり、病院で“合法(処方箋)ドラッグ”とも呼ばれるほどの強い精神安定剤を処方されたことがあったり、自分でも、“不安神経症”が自覚できたりと、精神問題には事欠かない私。
冬欝は春から夏にかけて癒えるのだが、この夏は、いまいち精神の状態がかんばしくない。
“情緒不安定”というか、“自分が情緒不安定であることがわかる”というか・・・
晴れ渡る夏空とは対照的に、どんよりと曇る日が多いのである。
しかし、幸いなことに、これは重症ではない(と思う)。
日々の中に、気持ちが晴れることはいくつもあるから。
太陽が眩しいことにも、空が青いことにも、草木が緑であることにも、そして、今、自分が生きていることにも気分が晴れる要素があるから。
そして、まだ何とか、自分の声が聞こえるから。
疲れた自分を癒す術の代表格は、やはり、晩酌and睡眠。
労苦した後のこれは、格別!
昼間の労働が過酷であればあるほど夜の酒が美味くなり、就寝時の心地よい脱力感が増す。
何気ないことだけど、考えてみると不思議なことのように思える。
“神様からの御褒美”と解するのは子供っぽすぎるかもしれないけど、こんなところにもまた、人生の真理があるような気がしている。
このように、“人生の真理”は、身近なところ・至るところにあると思う。
労働がもたらす実だけではなく、太陽が眩しいことにも、空が青いことにも、草木が緑であることにも、人の生死にも真理がある。
酒やおにぎりが美味いことにも、心の浮き沈みの中にも。
それを受け取れるか受け取れないか、読み取れるか読み取れないか、感じ取れるか感じ取れないかの違いがあるだけで・・・
多分、拾い上げたらキリがないくらいあるのだろう。
それは、今のような真夏の出来事。
その日も快晴で、気温は朝から30℃を超していた。
私は、その前日に依頼が入っていた現地調査に出かけるべく、朝一で車を出した。
到着した現場は、小規模の公営団地。
依頼者は、行政から管理を委託された管理会社。
そこの担当者は、駐車場に社名の入った車をとめ、私が来るのを待っていた。
「お待たせしました」
「ご苦労様です」
担当者は、私に対してやたらと低姿勢。
難題を抱えて困っているパターンだった。
「とりあえず、部屋を見せていただけますか?」
「はい・・・ただ、回りに気をつけて下さいね」
担当者は、事情ありげな困り顔。
私は、その様子から、近隣住民との間で何らかのトラブルが起こっていることを推察した。
「大変ですね・・・」
「えぇ・・・苦情が殺到してまして・・・」
近隣住民は、“悪臭にみんなが迷惑している”“早くなんとかしろ!”等と文句を言っているとのこと。
私は、ありがちな状況に、頭にいくつかある対応マニュアルを引っぱり出した。
「そんなに臭ってるんですか?」
「いや・・・それほどでも・・・」
私は、精神的ニオイに自己顕示欲がプラスされ、それが独特の悪臭を醸しだしていることを想像。
これもまた、ありがちな状況で、私は、頭に取り出していたマニュアルを心理戦用のものにチェンジした。
玄関の前に立つと、確かに異臭はあった。
しかし、それは、隙間に鼻を近づけて嗅がないと感じないレベル。
近所の人達が大騒ぎするほど、周囲に迷惑がかかっているとは思えなかった。
周囲には複数の住民の姿。
そこから投げられる視線があり、玄関ドアを悠長に開けておくことはできず。
通常なら、鍵を開けた後、ドアを少し開けて中の様子を伺うのだが、私は、ドアを自分の身体の厚さ分だけ開けて、素早く、その中に身体を滑り込ませた。
室内には、特有の腐乱臭が充満。
しかも、それは超高温でサウナ状態。
“焼け石に水”とわかっていた私は、汗腺から噴き出る汗を拭うこともせず、部屋の奥に向かって歩を進めた。
故人が倒れていたのは、奥の和室。
畳には、濃茶色の人型と、カツラのように残された頭髪。
そして、その上を大小無数のウジが徘徊していた。
室内の雰囲気と畳に貼りついた頭髪は、故人が老年の女性であることを示唆。
また、整頓された家財生活用品は、故人の人柄を偲ばせた。
そして、そこに残る遺体汚染痕は、私に何かを受け取るよう・何かを読み取るよう、そして、何かを感じ取るよう促してきた。
部屋の見分を終えた私は、一旦、外へ。
室内の状況を興味があったのだろう、住民達は好奇の視線を送ってきたが、私は、得意の仏頂面でそれを無視。
担当者が待つ駐車場へ、一直線に歩いた。
協議の結果、私は、そのまま特掃作業に入ることに。
担当者は、酷暑の中で私に作業を強いることを詫びてくれた。
そんな担当者の心遣いは、特掃魂を夏の暑さに負けない温度にまで上げてくれ、その意気を戦闘モードに入れる後押しをしてくれた。
汚染はミドル級でも、暑さはヘビー級。
取り外して処分するかどうかも決まっていないため、エアコンを動かすこともできず。
当然、窓を開けることもできず。
しかし、私は、熱中症に注意することも忘れて、作業に没頭した。
故人が残した腐敗液に自分の汗を滴らせながら・・・
飛び回るハエを追い、逃げ回るウジを掻き集め・・・
畳から頭髪を剥ぎ取り、腐敗液を拭き取り、腐敗粘土を削り取り・・・
「“死んでくれてありがとう”とは思わないけど、こうして生きるための仕事ができることに感謝してるんですよ」と、誰かに話しかけるように何度もつぶやきながら、故人の暗い痕を消していった。
作業を終えたとき、作業服は水をかぶったようにビショビショ。
また、その体臭は酷いことに。
しかし、私は、単なる達成感や安堵感とは違う喜びを感じ、生きていることを実感していた。
もうじき8月。
この夏も、そろそろ折り返し地点か・・・
私は、苦悶の表情を浮かべながら、あちらこちらに走り回り、あちこちを這いずり回っている。
「必死に戦っている」と言えば格好はいいけど、実は違う。
キツイ仕事を嫌がる朝欝を引きずりながら、楽をしたがる本来の自分と折り合いをつけながら、汗と涙を流しているだけなのだ。
しかし、そんな具合でも、苦痛ばかりがあるわけではない。
こうして仕事ができることに感謝している。喜びも持っている。
得られているもの・与えられているものが、金銭以外にもたくさんあるから。
お金に換えられないものをたくさん知ることができるから。
人に必要な真理とは、そういうものだったりするのだろう。
そして、故人の人生にも、死に様にも、残された汚物にも、それを片付ける汚作業にも、また、その役を担わされた私の人生にも真理はあるのだ。
それら一つ一つを拾い集めながら、この夏も、一日一日と人生を刻んでいくつもりである。
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