先日、予定通り、大山(神奈川県伊勢原市)に行ってきた。
その日の朝は、快晴で気温2℃。
時刻は7:00過。
例によって、混雑を避けるため、早朝からスタート。
それでも、私は一番手ではなく、何人かの登山客が私より先に出発していった。
ただ、山登りは、人と競うものではなく、自分と競うもの。
私は、緊張感にも似た期待感をもって、ゆっくりと坂道を登り始めた。
とりあえずの目的地は、阿不利神社下社。
私は、開店前の土産物店や食堂が並ぶ「こま参道」を抜け、女坂へ。
阿不利神社下社へ上がるには、男坂と女坂の二コースあるのだが、スケベな私が“女”を選ぶのは至極当然。
迷うことなく女坂を選んだ私は、意気揚々と歩を進めた。
が、この女坂、女性と同じで簡単には進ませてくれない。
急な階段が幾重にも続き、まったく侮れない。
一昨秋に経験済みなので覚悟はできていたけど、それでも、早々と息はあがり臓もバクバク。
小刻みに休息を入れないと、とても登れたものではなかった。
阿不利神社下社に着いたのは8:00過。
他の登山客が恭(うやうや)しく社に向かって手を合わせる中、神道信仰を持たない私は気にせずスルー。
眺めのいいベンチに腰を降ろし、汗ダクの身体を外の冷気に晒した。
そして、リュックから朝食用に持ってきたパンを一個取り出し、それをウーロン茶とともに胃へ流し込んだ。
大食いの私がパン一個で満足できるわけはなかったけど、山登りの本番はそこから。
腹を重くしては差し障りがあるため、朝食はパン一個にとどめ、澄んだ空気で深呼吸をして後、山頂への登山口へ進んだ。
いくつかある山頂までのルートのうち、私は、最もオーソドックスな(?)“本坂”へ。
これは、急な階段から始まるルートで、多くの人が使うルート。
私は、大汗をかきかき、息を切らし、黙々と登っていった。
もちろん、休息をとりながら。
ただ、女坂の石段に比べたら断然登りやすく、頻繁には足をとめなかった。
そして、体力・精神力が少しは鍛えられているのか、結構、楽しい気分を味わう余裕を持ちながら登ることもできた。
登頂は9:00過。
山頂には雪が薄っすらと積もり、空気は燐と冷えていた。
周囲に目をやると、真っ白に輝く富士山が間近にそびえ、眼下には、喧騒遠い街が広がっていた。
ただ、時間が早かったためか、人影はまばら。
私は、一人の登山客に声を掛け、とりあえず、“大山山頂”と刻まれた標柱の脇で記念撮影。
そして、汗ビッショリになったアンダーウェアを物陰で着替えてから、陽のあたるベンチへ移動。
そして、目の前に広がる景色に向かって、疲れた脚と街から持ってきた心のモヤモヤを放り投げた。
と同時に、深呼吸を何度かしてみると、私をクヨクヨさせる小さなことが白い息となって出て行き、私の心には、柔らかい心地よさだけが残ってくれた。
そうして、30分ほど山頂を満喫。
下山用のエネルギーとして再びパン一個を食べ、下山の途へ。
往復同じではつまらないので、下山は、“カゴヤ道”を行くことに。
ただ、どこを歩くにせよ、膝の問題があるのでペースは超スローが肝要。
増え始めた登り客とすれ違いながら、一歩一歩慎重に足を降ろしていった。
カゴヤ道に入ると、急に人影が消えた。
そのコースを行く人は少なく、周囲を見回しても360度 人影がない時間が何度もあり、しかも、それが長く続いた。
ただ、山深いところに一人でいても、不気味さや心細さは皆無。
同じ地上なのに、そこは喧騒ある街とは別世界・・・
私を取り囲むのは、青い空、緑の樹々、陽の光、風の音のみ・・・
まるで、夢の中にいるみたいで、言葉では言い表せないくらい心地よいものだった。
そんなのんびり下山が功を奏し、私の右膝は、無痛のまま阿不利神社下社まで持ち堪えた。
当初は、痛みがでることを予想して、阿不利神社下社から先はケーブルカーを使って下りるもりだったけど、何とかいけそうに思えたため、結局、そこから先も徒歩で行くことに。
急な女坂の石段を、より慎重に下っていった。
結局、こま参道に下りてからも右膝は痛みを発さず。
山頂まで無事に行ってくることができた達成感と安堵感に包まれながら、私は、気になる“ロール大福”を目で探しながら、最後のこま参道をゆっくり進んだ(2015年3月24日「大福中毒」参照)。
その店は、こま参道の入口に近いところ、麓に向かって右手にあった。
そして、前回同様、“ロール大福”も売られていた。
正式名称は「五郎餅」(一個¥150)。
昨今のラグビー人気に乗っかったような名前だけど、この餅はこの店のオリジナルではなく、こういう類の餅を一般的に「五郎餅」というらしい(初めて知った)。
ま、名称はともかく、相変わらず、美味そうな風体をしていた。
が、大食いの私のリュックには、山食用のパンがまだ二個も残っていた。
それを無駄にするわけにもいかないわけで、私は、餅を買うのを断念。
“冷やかし見物”は店の人に失礼なので店頭に立ち止まることはせず、横目で味わいながら、そして、懐かしいような感慨を覚えながら通り過ぎ、昼を前に大山登山を無事に終えたのだった。
退屈な登山報告はこれくらいにして、今回は、もう一つネタがある。
それは、朝、登りの女坂で出会った老人(以後、男性)のこと。
フーフー息を切らしながら、しばらく女坂を登っていると、前方(上方)を進む一人の登山客が私の視界に入ってきた。
男性らしきその人は、最初は私よりかなり先を進んでいたのだが、そのペースは私より遅いらしく、その距離は自然と縮まっていった。
そして、そばらくして、男性が石段の途中に腰をおろし小休止したところで私は追いついた。
私が、男性の数段下で立ち止まって見上げると、それに気づいた男性もこちらを見下ろした。
知らない人にでも挨拶をするのが山のマナー。
しかも、まだ登山客の少ない時刻で、上にも下にも人影はなし。
言葉を交わさないほうが不自然な雰囲気で、自然と視線を合わせた私達は、
「おはようございます」
と、挨拶を交わした。
男性は、決して若くは見えなかった・・・というより、結構な高齢に見えた。
老齢にもかかわらず、こんな険しい階段を登っていることに興味を覚えた私は、二~三段ほど男性に近づいて段の端に腰掛け、口を開いた。
例によって(?)、仕事場でもないのに、仕事場と同じような感覚で、悪いクセ(?)をだしてしまった。
しかも、訊いた男性の年齢は87歳。
その年齢に驚いた私は、ますます男性に興味を覚え、初対面、しかも登山中なんてことはそっちのけで、次々と湧いてくる「?」を男性にぶつけた。
「Q:健康の秘訣は?」
「A:適正体重の維持」
太りすぎもよくないけど、痩せすぎもよくない。
大きな増減なく適正体重を維持することが重要。
ただ、「適正体重維持」と一口に言っても、それを成すための要素は多岐にわたる。
基本的には、適切な食生活と適度な運動が欠かせない。
食事制限のみで体重を維持することも、運動のみで体重を維持することも、心身によろしくない。
体重は適正でも“隠れ肥満”というパターンもあるし、太っていても脂肪が少ない場合もある。
大事なのは、体重だけでなく体脂肪率も適正値にしておくこと。
それを維持することが男性の健康の秘訣だった。
「Q:運動は何を?」
「A:女坂の往復を日課にしている」
男性は、若い頃から山登りが好きで、全盛の頃は年に50回くらい、つまり週に一度のペースで全国各地の山を登った。
しかし、寄る年波には勝てず、次第に、出掛ける回数も山の難易度も下がるように。
更に、70歳の頃に胃癌を罹患。
「年齢も年齢だったし、これで人生も終わりかな・・・」と、半ば、覚悟を決めた。
が、幸い、手術後の転移再発はなく、妻の助力と男性のたゆまぬ努力の甲斐もあって体力は回復していった。
しかし、その後、今度は、妻が病気になり、その世話をする必要がでてきて体力づくりどころではなくなってしまった。
幸い、一年くらいすると、妻の病状は回復。
ただ、それを機に男性の体力はかなり落ち、以前は難なく登れていた坂も休み休みのスローペースでないと登れなくなってしまった。
それでも、男性は、歳に負けて諦めることはせず、再起を期して体力づくりをすることを決意。
地元に暮す男性は、バス一本で通うことができる大山の女坂往復を日課にすることに。
天気と妻の体調が悪くない限り、毎日、早朝からバスに乗り、大山まで来ているのだった。
「Q:どんな食生活?」
「A:食事は米ぬきで、酒は毎晩飲んでいる」
男性は、自分の胃腸には米が合わないような気がして、胃癌を患って以降は米を食べないようになった。
口に入れる炭水化物は、主にパンとうどん。
朝食は、6枚切の食パン一枚を妻と半分ずつ分けて食べ、コーヒーを飲むくらい。
昼食は、うどんを食べることが多い。
夕食は、肉でも魚でも野菜でも、好きなものを食べる。
そして、晩酌。
コップに軽く一杯の泡盛は、ほとんど毎晩欠かさないそうだった。
訊きたいこと、聞きたいことはまだまだあったけど、お互い、お喋りをしにではなく山を登りに来た身。
自分の足を長く止めておくわけにはいかず、また、男性の足を長く止めておくわけにもいかず、私は、健康の秘訣を一通りきいたところで話を締めることに。
会話の間が空いたところで新たな質問はせず、歩を再開するため、ゆっくりと立ち上がった。
「お先にどうぞ・・・気をつけて・・・」
「がんばって!まだまだ若い!まだまだ登れる!」
と、男性は、笑顔で私を励まし、道を譲ってくれた。
「タメになる話を、ありがとうございました!」
「お気をつけて・・・」
と、私は、男性を追い越し、一度だけ振り向いて会釈をし、足取り軽く上へと登っていった。
87年の男性の人生、山場はいくつもあっただろう。
時々は、それを避けて歩いたこともあったかもしれない。
時々は、くじけてしまったことがあったかもしれない。
だけど、多くの山は乗り越えてきたはず。
私より40年も長く生き、充分過ぎるほど山を越えてきたはず。
それでも尚、山に登ろうとするその生き方・その姿には、おおいに学ばされるものがあった。
40代も後半になれば、どこからどう見たって若くはない。
服装や容姿で若づくりしたって痛いだけだし、私は、自分の歳も顧みず、いつまでも若いつもりでいることは、「往生際が悪い」というか「みっともない」というか、あまりよいことだと思っていない。
何となくだけど、潔く老齢を受け入れることに“美”があると思っている。
しかし、“受け入れる”と“諦める”は違うし、“勝てない”と“逃げる”は違う。
確かに、時間には逆らえないわけで、頑張れないこと・頑張らないことを年齢のせいにしてしまえばうまく収まる。
私も、何かのつけ、頑張れないことの責任を年齢に押しつけてしまう。
だけど、「それでいい」とは思っていない自分がいる。
「できるかぎり力強くありたい」と思っている自分がどこかにいる。
今までと同じように、これからも巡ってくるであろう人生の山々。
こんな人間だから、そんな山に不満を抱え、不平を言い、不安に思うことが多いかもしれない。
だけど、
「まだ登れる!」「もっと登れる!」
と、この先、そう信じて進みたい。
これまで見たことがないような絶景が見えるかもしれないから。
そして、新しい自分に出会えるかもしれないから
がんばろ!
公開コメント版
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その日の朝は、快晴で気温2℃。
時刻は7:00過。
例によって、混雑を避けるため、早朝からスタート。
それでも、私は一番手ではなく、何人かの登山客が私より先に出発していった。
ただ、山登りは、人と競うものではなく、自分と競うもの。
私は、緊張感にも似た期待感をもって、ゆっくりと坂道を登り始めた。
とりあえずの目的地は、阿不利神社下社。
私は、開店前の土産物店や食堂が並ぶ「こま参道」を抜け、女坂へ。
阿不利神社下社へ上がるには、男坂と女坂の二コースあるのだが、スケベな私が“女”を選ぶのは至極当然。
迷うことなく女坂を選んだ私は、意気揚々と歩を進めた。
が、この女坂、女性と同じで簡単には進ませてくれない。
急な階段が幾重にも続き、まったく侮れない。
一昨秋に経験済みなので覚悟はできていたけど、それでも、早々と息はあがり臓もバクバク。
小刻みに休息を入れないと、とても登れたものではなかった。
阿不利神社下社に着いたのは8:00過。
他の登山客が恭(うやうや)しく社に向かって手を合わせる中、神道信仰を持たない私は気にせずスルー。
眺めのいいベンチに腰を降ろし、汗ダクの身体を外の冷気に晒した。
そして、リュックから朝食用に持ってきたパンを一個取り出し、それをウーロン茶とともに胃へ流し込んだ。
大食いの私がパン一個で満足できるわけはなかったけど、山登りの本番はそこから。
腹を重くしては差し障りがあるため、朝食はパン一個にとどめ、澄んだ空気で深呼吸をして後、山頂への登山口へ進んだ。
いくつかある山頂までのルートのうち、私は、最もオーソドックスな(?)“本坂”へ。
これは、急な階段から始まるルートで、多くの人が使うルート。
私は、大汗をかきかき、息を切らし、黙々と登っていった。
もちろん、休息をとりながら。
ただ、女坂の石段に比べたら断然登りやすく、頻繁には足をとめなかった。
そして、体力・精神力が少しは鍛えられているのか、結構、楽しい気分を味わう余裕を持ちながら登ることもできた。
登頂は9:00過。
山頂には雪が薄っすらと積もり、空気は燐と冷えていた。
周囲に目をやると、真っ白に輝く富士山が間近にそびえ、眼下には、喧騒遠い街が広がっていた。
ただ、時間が早かったためか、人影はまばら。
私は、一人の登山客に声を掛け、とりあえず、“大山山頂”と刻まれた標柱の脇で記念撮影。
そして、汗ビッショリになったアンダーウェアを物陰で着替えてから、陽のあたるベンチへ移動。
そして、目の前に広がる景色に向かって、疲れた脚と街から持ってきた心のモヤモヤを放り投げた。
と同時に、深呼吸を何度かしてみると、私をクヨクヨさせる小さなことが白い息となって出て行き、私の心には、柔らかい心地よさだけが残ってくれた。
そうして、30分ほど山頂を満喫。
下山用のエネルギーとして再びパン一個を食べ、下山の途へ。
往復同じではつまらないので、下山は、“カゴヤ道”を行くことに。
ただ、どこを歩くにせよ、膝の問題があるのでペースは超スローが肝要。
増え始めた登り客とすれ違いながら、一歩一歩慎重に足を降ろしていった。
カゴヤ道に入ると、急に人影が消えた。
そのコースを行く人は少なく、周囲を見回しても360度 人影がない時間が何度もあり、しかも、それが長く続いた。
ただ、山深いところに一人でいても、不気味さや心細さは皆無。
同じ地上なのに、そこは喧騒ある街とは別世界・・・
私を取り囲むのは、青い空、緑の樹々、陽の光、風の音のみ・・・
まるで、夢の中にいるみたいで、言葉では言い表せないくらい心地よいものだった。
そんなのんびり下山が功を奏し、私の右膝は、無痛のまま阿不利神社下社まで持ち堪えた。
当初は、痛みがでることを予想して、阿不利神社下社から先はケーブルカーを使って下りるもりだったけど、何とかいけそうに思えたため、結局、そこから先も徒歩で行くことに。
急な女坂の石段を、より慎重に下っていった。
結局、こま参道に下りてからも右膝は痛みを発さず。
山頂まで無事に行ってくることができた達成感と安堵感に包まれながら、私は、気になる“ロール大福”を目で探しながら、最後のこま参道をゆっくり進んだ(2015年3月24日「大福中毒」参照)。
その店は、こま参道の入口に近いところ、麓に向かって右手にあった。
そして、前回同様、“ロール大福”も売られていた。
正式名称は「五郎餅」(一個¥150)。
昨今のラグビー人気に乗っかったような名前だけど、この餅はこの店のオリジナルではなく、こういう類の餅を一般的に「五郎餅」というらしい(初めて知った)。
ま、名称はともかく、相変わらず、美味そうな風体をしていた。
が、大食いの私のリュックには、山食用のパンがまだ二個も残っていた。
それを無駄にするわけにもいかないわけで、私は、餅を買うのを断念。
“冷やかし見物”は店の人に失礼なので店頭に立ち止まることはせず、横目で味わいながら、そして、懐かしいような感慨を覚えながら通り過ぎ、昼を前に大山登山を無事に終えたのだった。
退屈な登山報告はこれくらいにして、今回は、もう一つネタがある。
それは、朝、登りの女坂で出会った老人(以後、男性)のこと。
フーフー息を切らしながら、しばらく女坂を登っていると、前方(上方)を進む一人の登山客が私の視界に入ってきた。
男性らしきその人は、最初は私よりかなり先を進んでいたのだが、そのペースは私より遅いらしく、その距離は自然と縮まっていった。
そして、そばらくして、男性が石段の途中に腰をおろし小休止したところで私は追いついた。
私が、男性の数段下で立ち止まって見上げると、それに気づいた男性もこちらを見下ろした。
知らない人にでも挨拶をするのが山のマナー。
しかも、まだ登山客の少ない時刻で、上にも下にも人影はなし。
言葉を交わさないほうが不自然な雰囲気で、自然と視線を合わせた私達は、
「おはようございます」
と、挨拶を交わした。
男性は、決して若くは見えなかった・・・というより、結構な高齢に見えた。
老齢にもかかわらず、こんな険しい階段を登っていることに興味を覚えた私は、二~三段ほど男性に近づいて段の端に腰掛け、口を開いた。
例によって(?)、仕事場でもないのに、仕事場と同じような感覚で、悪いクセ(?)をだしてしまった。
しかも、訊いた男性の年齢は87歳。
その年齢に驚いた私は、ますます男性に興味を覚え、初対面、しかも登山中なんてことはそっちのけで、次々と湧いてくる「?」を男性にぶつけた。
「Q:健康の秘訣は?」
「A:適正体重の維持」
太りすぎもよくないけど、痩せすぎもよくない。
大きな増減なく適正体重を維持することが重要。
ただ、「適正体重維持」と一口に言っても、それを成すための要素は多岐にわたる。
基本的には、適切な食生活と適度な運動が欠かせない。
食事制限のみで体重を維持することも、運動のみで体重を維持することも、心身によろしくない。
体重は適正でも“隠れ肥満”というパターンもあるし、太っていても脂肪が少ない場合もある。
大事なのは、体重だけでなく体脂肪率も適正値にしておくこと。
それを維持することが男性の健康の秘訣だった。
「Q:運動は何を?」
「A:女坂の往復を日課にしている」
男性は、若い頃から山登りが好きで、全盛の頃は年に50回くらい、つまり週に一度のペースで全国各地の山を登った。
しかし、寄る年波には勝てず、次第に、出掛ける回数も山の難易度も下がるように。
更に、70歳の頃に胃癌を罹患。
「年齢も年齢だったし、これで人生も終わりかな・・・」と、半ば、覚悟を決めた。
が、幸い、手術後の転移再発はなく、妻の助力と男性のたゆまぬ努力の甲斐もあって体力は回復していった。
しかし、その後、今度は、妻が病気になり、その世話をする必要がでてきて体力づくりどころではなくなってしまった。
幸い、一年くらいすると、妻の病状は回復。
ただ、それを機に男性の体力はかなり落ち、以前は難なく登れていた坂も休み休みのスローペースでないと登れなくなってしまった。
それでも、男性は、歳に負けて諦めることはせず、再起を期して体力づくりをすることを決意。
地元に暮す男性は、バス一本で通うことができる大山の女坂往復を日課にすることに。
天気と妻の体調が悪くない限り、毎日、早朝からバスに乗り、大山まで来ているのだった。
「Q:どんな食生活?」
「A:食事は米ぬきで、酒は毎晩飲んでいる」
男性は、自分の胃腸には米が合わないような気がして、胃癌を患って以降は米を食べないようになった。
口に入れる炭水化物は、主にパンとうどん。
朝食は、6枚切の食パン一枚を妻と半分ずつ分けて食べ、コーヒーを飲むくらい。
昼食は、うどんを食べることが多い。
夕食は、肉でも魚でも野菜でも、好きなものを食べる。
そして、晩酌。
コップに軽く一杯の泡盛は、ほとんど毎晩欠かさないそうだった。
訊きたいこと、聞きたいことはまだまだあったけど、お互い、お喋りをしにではなく山を登りに来た身。
自分の足を長く止めておくわけにはいかず、また、男性の足を長く止めておくわけにもいかず、私は、健康の秘訣を一通りきいたところで話を締めることに。
会話の間が空いたところで新たな質問はせず、歩を再開するため、ゆっくりと立ち上がった。
「お先にどうぞ・・・気をつけて・・・」
「がんばって!まだまだ若い!まだまだ登れる!」
と、男性は、笑顔で私を励まし、道を譲ってくれた。
「タメになる話を、ありがとうございました!」
「お気をつけて・・・」
と、私は、男性を追い越し、一度だけ振り向いて会釈をし、足取り軽く上へと登っていった。
87年の男性の人生、山場はいくつもあっただろう。
時々は、それを避けて歩いたこともあったかもしれない。
時々は、くじけてしまったことがあったかもしれない。
だけど、多くの山は乗り越えてきたはず。
私より40年も長く生き、充分過ぎるほど山を越えてきたはず。
それでも尚、山に登ろうとするその生き方・その姿には、おおいに学ばされるものがあった。
40代も後半になれば、どこからどう見たって若くはない。
服装や容姿で若づくりしたって痛いだけだし、私は、自分の歳も顧みず、いつまでも若いつもりでいることは、「往生際が悪い」というか「みっともない」というか、あまりよいことだと思っていない。
何となくだけど、潔く老齢を受け入れることに“美”があると思っている。
しかし、“受け入れる”と“諦める”は違うし、“勝てない”と“逃げる”は違う。
確かに、時間には逆らえないわけで、頑張れないこと・頑張らないことを年齢のせいにしてしまえばうまく収まる。
私も、何かのつけ、頑張れないことの責任を年齢に押しつけてしまう。
だけど、「それでいい」とは思っていない自分がいる。
「できるかぎり力強くありたい」と思っている自分がどこかにいる。
今までと同じように、これからも巡ってくるであろう人生の山々。
こんな人間だから、そんな山に不満を抱え、不平を言い、不安に思うことが多いかもしれない。
だけど、
「まだ登れる!」「もっと登れる!」
と、この先、そう信じて進みたい。
これまで見たことがないような絶景が見えるかもしれないから。
そして、新しい自分に出会えるかもしれないから
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