私には、69歳の母がいる。
私に似て(?)気難しい性格で、若い頃から、ことあるごとに衝突。
長期間にわたって絶交状態になったことも何度となくある。
しかし、やはり親子。
絶縁と復縁、ケンカと仲直りを繰り返しながら、今日に至っている。
三年前の春、その母の肺に癌が見つかった。
進行度は“ステージⅠB期”。
幸い、他に転移もなく、進行も遅いタイプ。
ただ、「癌」と聞いて、本人はかなりショックを受けたよう。
ただでさえ情緒不安定気味なのに、さらに激しい浮き沈みが加わってしまった。
結局、その年の夏、生まれて初めて身体にメスを入れ、片肺の約半分を切除。
以降、半年毎の定期検査で様子をみることになった。
それから、三年、先日の定期健診で、再発した癌が見つかった。
癌の中でも肺癌は治療成績が最も悪い部類のひとつであることは手術時から知っていたが、三年間何もなかったので、私の気持ちには“遊び”が生まれていた。
しかし、ここにきて再発・・・
今は、「治癒」ではなく「死別」という文字が頭に浮かんできている。
そして、母に対してだけのことではなく、自分の人生に対して“今なすべきこと”を考えさせられている。
癌という病気は珍しい病気ではなく、他人事ではない病気。
誰がかかってもおかしくない病気で、いつ自分が患ってもおかしくない病気。
ただ自分が気づいていないだけで、すでに身体のどこかに癌があり、今、それが膨らんできているかもしれない・・・
癌で逝った多くの老若男女を思い起こすと、自分が癌にかかったときのことと、対する心備えが必要であることを思わされる。
これまで、数え切れない人達の死と接してきている私だが、親の死に直面したことはまだない。
いい意味でも悪い意味でも人の死に慣れてしまっている自分が、親の死に対してどのような反応をし、どういった感情を抱くのか・・・
いつも通り冷酷な人間のままでいるのか、お得意の“悲しんでいるフリ”“心を痛めているフリ”をしてしまうのか・・・
客観的に興味があり、自分の知らない自分が見えるかもしれないと思っている。
(知らなくていい自分を知ってしまうおそれもある。)
闘病に苦しみながら生を延ばすか、苦しみの少ない方を選んで適当に人生を閉じるか、
私は、その選択は本人(母)に任せること、また本人が決めるべきであることを伝えた。
家族であっても、母の人生に責任をとってやれないのだから。
そして、そんな母の心情は、老い先短いのだからジタバタしたくないという気持ちと、生きることに固執してしまう本性との間を揺れ動いているようで、私に“人間”というものをあらためて知らしめている。
何はともあれ、もうしばらく顔を合わせていないから、近いうちにこのシケたツラでもみせに行ってこようかと思っている。
盛夏のある日、特殊清掃の相談が入った。
現場は、老朽マンション。
立地はあまりよろしくなく、どことなく寂れた感のする建物。
二階一室の窓には無数にハエがたかり、誰に教わらなくてもそこが故人の部屋であることがわかった。
現地には不動産管理会社の担当者が現れた。
かなりのシカメッ面で、第一印象は“不良”。
ただ、それは、腐乱死体現場に恐怖感を覚えているがゆえのこと。
部屋の前に行くことはおろか、マンションの敷地内にいることもイヤそう。
担当者が私に対して悪感情を抱いて仏頂面しているのではないことがわかると、私の重い不快感は軽い同情心に変わった。
「故人は50代男性」
「生活保護、身よりなし」
「このマンションに越してきて数日後に自殺」
「死後約二週間」
「警察から“部屋には入らないほうがいい”と言われたし、入りたくもない」
とのこと。
担当者は事の概要を私に伝え、汚いものでも触るかのように指先でつまんだ鍵を私の手のひらに落とした。
私は、担当者を下に残し、一人で二階へ。
悪臭がプンプン漂う玄関の前に立ち、凄惨な光景を頭に浮かべながら、周囲に人がいないことを確認。
それから、右の尻ポケットに常備してあるラテックスグローブを取り出し、両手に装着。
次に、愛用のマスクで口と鼻を覆い開錠。
そして、私は、ドアを開けると同時に噴出した生温かい空気と入れ替わるように室内に侵入し、素早くドアを閉めた。
間取りは普通の1K。
家財生活用品は極めて少なく、「これで生活が成り立つのか?」と疑問に思うほど。
TVも洗濯機も冷蔵庫も料理道具もなし。
あるものといえば、一組の布団と少量の衣類、簡単な洗面用具くらいのもの。
少し戸の開いた押入れも、中は空の様子。
どういう経緯で生活保護受給者になったのか、どういう事情があってこのマンションに越してきたのかわからなかったけど、転居してきた時点では、もう先を長く生きるつもりがなかったであろうことがうかがえた。
家財生活用品の量に反して、ハエの数は膨大。
「コイツら全部にたかられたら、生きて出られないかもな・・・」と、ナメた恐怖感を覚えるくらい。
幸い、ハエ達は特掃隊長が嫌いみたいで、“招かざる客”に反応し、狭い部屋を黒雲のごとく乱飛行。
私から逃げるつもりで飛んでいるはずなのに、ペチペチと私にぶつかってくるような始末で、この部屋のハエ密度が過密状態であることは一目瞭然だった。
例の汚染は、部屋の中央に敷かれた布団を中心に残留。
布団は、タップリの体液を吸い、不気味な艶をもって変色。
その紋様と綿の凹凸と残された頭髪は、故人の身体をリアルに表現。
私の頭には、遺体が横たわった様が立体的に浮かび上がってきた。
一通りの見分を終えて階を降りた私は、すでに立派なウ○コ男。
担当者は、私が放つ異臭に面食らったようで、私に遠慮することなくハンカチで鼻を覆った。
ま、そんなことよくあることなので私は気にせず、玄関前の話からスタート。
泣きそうなくらい表情を曇らせる担当者に、「グロテスクな表現になりますけど、大丈夫ですか?」と、いちいち前置きしながら室内の状況を説明した。
結果、担当者はその場で私に特殊清掃を依頼。
私は、消臭にはある程度の日数を要し、原状回復には内装改修工事も必要であることを念押ししてこの仕事を請け負った。
まずは、殺虫剤でハエを撃墜。
その死骸を集めてみると、30ℓ一袋分にもなった。
次に、汚腐団の梱包。
私は、布団を一枚一枚コンパクトにたたみ、厳重に梱包。
腐敗体液をタップリ吸った布団は、相当の重量に。
その類が腕力だけでは持ち上げきれないことを知っている私は、「ドンマイ!ドンマイ!」と自分と故人につぶやきながら抱え上げ、外に運び出した。
フローリングの床は腐敗脂や腐敗粘土でベドベト。
私は、一般世間では感じ得ない絶妙な孤独感を覚えながら、粘土を削り取る作業と、脂を拭き取る作業を何度も繰り返した。
ただ、それでも、室内には悪臭が、床には焦げ茶色のシミが残留。
とりあえず、内装改修工事や消臭消毒作業などの二次作業・三次作業にバトンタッチできるまでの仕事をして、その日の作業を終わらせた。
一通りの作業を終えた私は、室内を最終チェック。
何も入ってないと思っていた押入れの戸を大きく開けると、中は空ではなかった。
中には、一柱の位牌があったのだ。
それは、ちょうど、故人の枕元にあたるところに立てられていた。
他に何もない押入れに、ポツンと置かれた位牌・・・
記された名前は女性、行年は50代、逝去年月日は30年も前・・・
それらを照らし合わせると、その位牌は故人の母親のもののように思われた・・・
そして、それは、故人は、どこで暮すにしても、どんな生活をするにしても、この位牌だけは離さなかったことを物語っていた。
ヘビー級の現場を片付けた達成感と安堵感も手伝ってか、私の頭には、色んな思いが巡った。
「故人は、母親のこと想っていたんだろうな・・・」
「先に亡くなった故人の母親は、その後の故人の人生を知る由もなかっただろうか・・・」
「子の不幸は親にとっても苦痛だろうな・・・」
「どんな想いで死を選んだんだろうか・・・」
「ひょっとして、母親に会えると思って逝ったのかな・・・」
そんなことを考えると、溜息ばかりが口を突いてでた。
ただ、生きているかぎりは片付くことがないそんな溜息を、他人への薄っぺらい同情心と私にもある母への情が覆ったのも事実だった。
そして・・・
「天国で再会できてればいいな・・・」
大家や不動産会社が被った損害や、自分の宗教観や死後観も捨てて、私は単純にそう思ったのであった。
公開コメント版
特殊清掃プロセンター
私に似て(?)気難しい性格で、若い頃から、ことあるごとに衝突。
長期間にわたって絶交状態になったことも何度となくある。
しかし、やはり親子。
絶縁と復縁、ケンカと仲直りを繰り返しながら、今日に至っている。
三年前の春、その母の肺に癌が見つかった。
進行度は“ステージⅠB期”。
幸い、他に転移もなく、進行も遅いタイプ。
ただ、「癌」と聞いて、本人はかなりショックを受けたよう。
ただでさえ情緒不安定気味なのに、さらに激しい浮き沈みが加わってしまった。
結局、その年の夏、生まれて初めて身体にメスを入れ、片肺の約半分を切除。
以降、半年毎の定期検査で様子をみることになった。
それから、三年、先日の定期健診で、再発した癌が見つかった。
癌の中でも肺癌は治療成績が最も悪い部類のひとつであることは手術時から知っていたが、三年間何もなかったので、私の気持ちには“遊び”が生まれていた。
しかし、ここにきて再発・・・
今は、「治癒」ではなく「死別」という文字が頭に浮かんできている。
そして、母に対してだけのことではなく、自分の人生に対して“今なすべきこと”を考えさせられている。
癌という病気は珍しい病気ではなく、他人事ではない病気。
誰がかかってもおかしくない病気で、いつ自分が患ってもおかしくない病気。
ただ自分が気づいていないだけで、すでに身体のどこかに癌があり、今、それが膨らんできているかもしれない・・・
癌で逝った多くの老若男女を思い起こすと、自分が癌にかかったときのことと、対する心備えが必要であることを思わされる。
これまで、数え切れない人達の死と接してきている私だが、親の死に直面したことはまだない。
いい意味でも悪い意味でも人の死に慣れてしまっている自分が、親の死に対してどのような反応をし、どういった感情を抱くのか・・・
いつも通り冷酷な人間のままでいるのか、お得意の“悲しんでいるフリ”“心を痛めているフリ”をしてしまうのか・・・
客観的に興味があり、自分の知らない自分が見えるかもしれないと思っている。
(知らなくていい自分を知ってしまうおそれもある。)
闘病に苦しみながら生を延ばすか、苦しみの少ない方を選んで適当に人生を閉じるか、
私は、その選択は本人(母)に任せること、また本人が決めるべきであることを伝えた。
家族であっても、母の人生に責任をとってやれないのだから。
そして、そんな母の心情は、老い先短いのだからジタバタしたくないという気持ちと、生きることに固執してしまう本性との間を揺れ動いているようで、私に“人間”というものをあらためて知らしめている。
何はともあれ、もうしばらく顔を合わせていないから、近いうちにこのシケたツラでもみせに行ってこようかと思っている。
盛夏のある日、特殊清掃の相談が入った。
現場は、老朽マンション。
立地はあまりよろしくなく、どことなく寂れた感のする建物。
二階一室の窓には無数にハエがたかり、誰に教わらなくてもそこが故人の部屋であることがわかった。
現地には不動産管理会社の担当者が現れた。
かなりのシカメッ面で、第一印象は“不良”。
ただ、それは、腐乱死体現場に恐怖感を覚えているがゆえのこと。
部屋の前に行くことはおろか、マンションの敷地内にいることもイヤそう。
担当者が私に対して悪感情を抱いて仏頂面しているのではないことがわかると、私の重い不快感は軽い同情心に変わった。
「故人は50代男性」
「生活保護、身よりなし」
「このマンションに越してきて数日後に自殺」
「死後約二週間」
「警察から“部屋には入らないほうがいい”と言われたし、入りたくもない」
とのこと。
担当者は事の概要を私に伝え、汚いものでも触るかのように指先でつまんだ鍵を私の手のひらに落とした。
私は、担当者を下に残し、一人で二階へ。
悪臭がプンプン漂う玄関の前に立ち、凄惨な光景を頭に浮かべながら、周囲に人がいないことを確認。
それから、右の尻ポケットに常備してあるラテックスグローブを取り出し、両手に装着。
次に、愛用のマスクで口と鼻を覆い開錠。
そして、私は、ドアを開けると同時に噴出した生温かい空気と入れ替わるように室内に侵入し、素早くドアを閉めた。
間取りは普通の1K。
家財生活用品は極めて少なく、「これで生活が成り立つのか?」と疑問に思うほど。
TVも洗濯機も冷蔵庫も料理道具もなし。
あるものといえば、一組の布団と少量の衣類、簡単な洗面用具くらいのもの。
少し戸の開いた押入れも、中は空の様子。
どういう経緯で生活保護受給者になったのか、どういう事情があってこのマンションに越してきたのかわからなかったけど、転居してきた時点では、もう先を長く生きるつもりがなかったであろうことがうかがえた。
家財生活用品の量に反して、ハエの数は膨大。
「コイツら全部にたかられたら、生きて出られないかもな・・・」と、ナメた恐怖感を覚えるくらい。
幸い、ハエ達は特掃隊長が嫌いみたいで、“招かざる客”に反応し、狭い部屋を黒雲のごとく乱飛行。
私から逃げるつもりで飛んでいるはずなのに、ペチペチと私にぶつかってくるような始末で、この部屋のハエ密度が過密状態であることは一目瞭然だった。
例の汚染は、部屋の中央に敷かれた布団を中心に残留。
布団は、タップリの体液を吸い、不気味な艶をもって変色。
その紋様と綿の凹凸と残された頭髪は、故人の身体をリアルに表現。
私の頭には、遺体が横たわった様が立体的に浮かび上がってきた。
一通りの見分を終えて階を降りた私は、すでに立派なウ○コ男。
担当者は、私が放つ異臭に面食らったようで、私に遠慮することなくハンカチで鼻を覆った。
ま、そんなことよくあることなので私は気にせず、玄関前の話からスタート。
泣きそうなくらい表情を曇らせる担当者に、「グロテスクな表現になりますけど、大丈夫ですか?」と、いちいち前置きしながら室内の状況を説明した。
結果、担当者はその場で私に特殊清掃を依頼。
私は、消臭にはある程度の日数を要し、原状回復には内装改修工事も必要であることを念押ししてこの仕事を請け負った。
まずは、殺虫剤でハエを撃墜。
その死骸を集めてみると、30ℓ一袋分にもなった。
次に、汚腐団の梱包。
私は、布団を一枚一枚コンパクトにたたみ、厳重に梱包。
腐敗体液をタップリ吸った布団は、相当の重量に。
その類が腕力だけでは持ち上げきれないことを知っている私は、「ドンマイ!ドンマイ!」と自分と故人につぶやきながら抱え上げ、外に運び出した。
フローリングの床は腐敗脂や腐敗粘土でベドベト。
私は、一般世間では感じ得ない絶妙な孤独感を覚えながら、粘土を削り取る作業と、脂を拭き取る作業を何度も繰り返した。
ただ、それでも、室内には悪臭が、床には焦げ茶色のシミが残留。
とりあえず、内装改修工事や消臭消毒作業などの二次作業・三次作業にバトンタッチできるまでの仕事をして、その日の作業を終わらせた。
一通りの作業を終えた私は、室内を最終チェック。
何も入ってないと思っていた押入れの戸を大きく開けると、中は空ではなかった。
中には、一柱の位牌があったのだ。
それは、ちょうど、故人の枕元にあたるところに立てられていた。
他に何もない押入れに、ポツンと置かれた位牌・・・
記された名前は女性、行年は50代、逝去年月日は30年も前・・・
それらを照らし合わせると、その位牌は故人の母親のもののように思われた・・・
そして、それは、故人は、どこで暮すにしても、どんな生活をするにしても、この位牌だけは離さなかったことを物語っていた。
ヘビー級の現場を片付けた達成感と安堵感も手伝ってか、私の頭には、色んな思いが巡った。
「故人は、母親のこと想っていたんだろうな・・・」
「先に亡くなった故人の母親は、その後の故人の人生を知る由もなかっただろうか・・・」
「子の不幸は親にとっても苦痛だろうな・・・」
「どんな想いで死を選んだんだろうか・・・」
「ひょっとして、母親に会えると思って逝ったのかな・・・」
そんなことを考えると、溜息ばかりが口を突いてでた。
ただ、生きているかぎりは片付くことがないそんな溜息を、他人への薄っぺらい同情心と私にもある母への情が覆ったのも事実だった。
そして・・・
「天国で再会できてればいいな・・・」
大家や不動産会社が被った損害や、自分の宗教観や死後観も捨てて、私は単純にそう思ったのであった。
公開コメント版
特殊清掃プロセンター